戦国IXA・明石全登 これは、戦国IXA・武将イラストコンテストのために描いた武将、 明石全登です。 全登という漢字で「てるずみ」、「たけのり」、「なりとよ」、 とか呼んだそうです。いいかげん纏めてほしい人ですw 明石全登は、宇喜多秀家の家老で、後に豊臣秀吉から直参の大名の 扱いを受けていた、中々の大物です。 またこの全登、敬けんな切支丹としても有名な武将です。 洗礼名は「ジョアン・ジョバンニ・ジュスト・ジョアニー・ヨハネ」 などなど、こっちもどれが本物だよというくらいたくさんの洗礼名 が伝説として残されているようです。 彼は岡山城筆頭家老として宇喜多家に召し抱えられてからは、城下の 財政に尽力して1年で財政を回復させたそうで、この人は武将ではなく 間違いなく「優秀な政治家」であっただろうと思われます。 彼が財政を勤める岡山城下では、天正13年には、キリスト教に改宗する 領民が3千人にも及んだと言う事ですから、岡山はなかなかに異教徒 に対して寛容であった事が伺えます。 関ヶ原では主君の宇喜多家に従い豊臣方の西軍に属して戦う事になり ます。そのときには、宇喜多家1万3千人のうち、8千人を率いて前衛 を勤め、福島正則ら東軍武将と歴史に残る死闘を繰り広げます。しかし、 西軍の敗北とともに宇喜多勢も撤退、全登は主君の秀家を先に逃がし しんがりを勤め、運良く東軍の黒田長政に出会った事で、彼によって 逃げ延びる事ができたそうです。 黒田長政は領民に数千の切支丹がおり、主君の秀家が島流しにあった後 全登の身柄は黒田家が預かる事になったようです。 大阪冬の陣では切支丹弾圧が続く中で布教を許していた豊臣方に、十字架と キリスト像を先頭に掲げて堂々と入場したようです。 勝利の約束は、宇喜多秀家の解放、キリスト教信教の自由の保証。 なんというか、戦国武将の中でも、かなり異質で個性の強い人物であった ような気がします。 戦国IXAの中での評価はすこぶる低く、「合戦になったらいつも逃げていた」 と、これもまあ、酷い言われようですw カードとしてはゴミ扱いwww しかし、潔く切腹しなかったのには、彼が切支丹である事も要因があります。 キリスト教は、「自殺を禁じている」のですから。彼としては、例え 敗戦しても、自ら命を断つという選択は、最初からなかったのではないで しょうか。 大阪の陣では60歳を過ぎての出陣であるという説もあり、今回のイラスト は私に珍しく、初老のおっさん絵になりましたw 2012年2月14日
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