戦国IXA・木村重成

戦国IXA・イラストコンテスト用に描いた武将、木村重成です。
この重成は「豊臣方四天王」と称される武将です。
四天王とは、真田信繁(幸村)、後藤基次、長宗我部盛親と、この
木村重成の4人を指します。
個人的には

どうして毛利勝永が無視されてるんだよ。

という不満がいっぱいではあるのですが、まあ、後世の歴史
なんて、宮本武蔵の例でも分かるように、「作り話で歪められる」
のは日常茶飯事ですし、しかたがないんですけどねw

さて、この重成、豊臣秀頼の乳母兄弟であったようです。
そしてそういう立場にいたためか、「智・仁・勇の三徳を兼ね備
えている」という評価もあるようです。
また類い稀なる気品と、眉目秀麗で色白、立ち振る舞いも涼やかで
お上品と評されており、とても美男子であったようです。

重成は戦国の美男子の代名詞のように扱われているようです。
方広寺の鐘銘を巡って、駿府の徳川家康の元へ大蔵卿局が向う際、
重成にはなんと女装をさせて同行させたが、あまりもの美しさに
徳川方の誰も男の子と見抜けなかった、なんていう逸話まで
あったりしますw

しかし只の美男子ではなく大阪冬の陣では軍勢5千を率いて初陣を
飾り、佐竹義宣や上杉景勝の軍勢を初陣ながら撃ち破って功績を
上げています。
大阪夏の陣でも豊臣方の主力として用いられ、八尾・若江の戦いでは
藤堂高虎を撃ち破ります。
毛利勝永といい、負け戦に望んだ西軍の武将はチートじみてますね。

しかし彼はこの勝利で満足せず、「まだ家康、秀忠の首を取っていない」
と突撃、伊井直孝の軍勢を圧倒して形成を逆転させるも、満身創痍
でとうとう討ち死にします。
この時、享年23歳。美男子であっただけでなく、中々に勇猛な若武者
であったようですね。

ひこにゃんで巷で有名な彦根城主の伊井直孝は、重成の勇猛ぶりに
感じ入り、戦地の八尾には墓碑が、彦根市内には重成の首塚が残され
ています。

余談ですが、重成の奥さんは、青柳という18歳の少女です。
この青柳は、前述した大蔵卿局の姪で、重成に一目惚れ、和歌を贈り、
その和歌に重成が応えて、目出度く夫婦となります。
大阪夏の陣の始めの年に結婚したそうですから、ほとんど夫婦らしい
生活なんてしてないでしょうね。
その青柳は、最後の戦いにのぞむ夫のために、兜にお香をたきしめます。

この頃の少年少女って、本当に凄いですね。
この世代でこの覚悟。なかなか今の少年少女には想像もできないかも
しれませんね。

 

2012年2月14日