専務車掌の道東爆笑道中記。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 16:49:16 ├7/2本州を北上。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 17:19:08 ├北海道上陸! 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:13:51 (修正1回) ├札幌へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:36:01 (修正1回) ├7/2〜3釧路へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:53:44 (修正1回) ├7/3釧路に到着。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:10:41 (修正1回) ├池田へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:25:51 (修正1回) ├池田ワイン城 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:27:04 (修正1回) ├帯広〜幸福 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:09:02 ├幸福でのてんやわんや。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:29:18 (修正1回) ├帯広市内巡り。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:46:35 ├幾寅へ行くつもりが・・・・(大汗) 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 23:25:38 ├幾寅で。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 23:26:43 (修正1回) ├釧路へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 17:07:43 ├7/4釧路を発つ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 17:27:50 (修正1回) ├霧多布訪問。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 18:12:37 ├根室へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:03:04 ├最終行程〜釧路を後に 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:20:46 ├終幕 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:32:28 ├あとがき 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:38:22 └読ませて頂きましたよ。(^-^) 久保 真@ターニャ王朝後方支援部隊長 2002/07/09 06:51:40 └ありがとうございます。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/10 15:58:59
専務車掌の道東爆笑道中記。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 16:49:16 ツリーに戻る
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専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 16:49:16 | |
昨日、道東から帰京しました。 今日になって写真496枚や乗車データの整理の 区切りもついたので、いよいよ「道中記」をここに 書く事に致しました! 今回は4日間の道中でしたがかなり濃い旅になりました。 では前書きはこの辺にして本編参りましょ〜。 |
├7/2本州を北上。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 17:19:08 ツリーに戻る
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専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 17:19:08 | |
7/2 本州を北上。 今日から道東紀行の始まり! 一応勤務割で当直明になることを考慮して東京9:56発 「やまびこ・こまち9号」の指定席を取っておいたが、実際は 今日から公休日扱いになったので自宅から出発できる。時間にも 十分な余裕を持って行こう。 自宅を8時過ぎに出て京成電鉄〜総武線快速(普通車は混んでいる からグリーン車)で東京駅へ。東京では「やまびこ・こまち9号」の 入線までまだ時間があるから新幹線を撮影する。2階建てグリーン車 2両を含む16両編成の列車や、最新鋭のMAXなどを撮って回る。 かつては緑の帯を巻いた列車が主体だったのに随分変わったものだ。 先発列車となる「MAXやまびこ・つばさ」を見送ると、いよいよ 「やまびこ・こまち9号」の入線だ。指定席を取っているので慌てる でもなく乗車。車内は結構混んでいた。「こまち」を併結した列車は 速達便なので乗客も集中しがちなのだろう。 「やまびこ・こまち9号」は東京を発車すると上野を通過して大宮へ 向かう。大宮でも結構乗車があって車内はほぼ満席状態になった。 大宮を発車すると次は仙台まで一気に通過する。 新白河から記憶がなくなって、案内放送で目を覚ますと仙台到着。 ここで乗客の半分が下車する。次は一ノ関に停車。 一ノ関でもまとまった降車があった。一関を出れば次は終着の盛岡。 盛岡からは特急「はつかり9号」に乗車して青森を目指す。乗り継ぎ 時間は10分程度しかない。少し早足で在来線ホームに下りる。その おかげで弁当を買うことが出来た。(^^) はつかり9号で一路青森へ。途中の乗降は殆どない。少ない乗客は 野辺地で普通列車に乗り換えてしまい、いよいよ乗客は少なくなり、 わびしさが漂う。この「はつかり」も東北新幹線八戸延伸で廃止が 決まっている。これが「はつかり」との今生の別れになるのかなあ・・ 東北本線最初の特別急行もついにお別れか・・と感傷に浸る。そうして いるうちに「はつかり9号」は青森に到着した。 さて、ここからはいよいよ津軽海峡越えだ。快速「海峡9号」に乗り継ぐ。 |
├北海道上陸! 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:13:51 (修正1回) ツリーに戻る
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専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 18:13:51 ** この記事は1回修正されてます | |
北海道上陸! 跨線橋を渡って津軽海峡線快速「海峡9号」に乗りかえる。 「海峡9号」はカーペット車1両を連結している。私は カーペット車に乗車した。今夜は「まりも」の座席車で寝ることに なるから、ここで横になっておきたい。 カーペット車は乗客も少ないので余裕十分。思いきり足を伸ばす ことができる。 先頭に立つ機関車は津軽海峡線専用の電気機関車。正面には ドラえもんの絵が大きく描かれている。これは客車も同じだ。 後へ回ってみたら・・・あれれ?この列車は「海峡」なのに、後部の テールサインは「はまなす」になっている。(笑)変更してないな。 でもとがめだてするのも気が引けるし、そのまま写真撮っちゃえ。 写真を撮り終えると客車へ戻り、横になる。は〜。これから座席で ずっと過ごす身にはありがたい。 横になっていると、発車案内が流れて「海峡9号」はガクンと 引き出された。機関車が牽引する客車列車特有のものだ。久しぶりに この感触を体験する。 途中で貨物列車と行き違い停車をして、蟹田に停車。 蟹田を発車すると青函トンネル目指して進む。この青函トンネルは前後に何箇所かトンネルが前座のように連続するのでなかなか識別しにくい。しかし車窓を見ていると識別方に気付いた。 それはトンネルのポータルという入り口の形で見分けがつくのだ。 青函トンネルはポータルが分厚く造られている。これに対して前座の トンネルはいずれも土管のような簡単な造りになっている。だから 分厚いポータルが見えたら青函トンネルだ。 前座のトンネルをこうして何箇所か抜けるのを見ていると、ついに分厚い本格的な構えのポータルが現れた。いよいよ青函トンネルだ。列車は一層速度を上げてトンネルに突入する。レールの響きも変わった。トンネルの中は継ぎ目のない、全長52キロにも達する超ロングレールが使われているのだ。 既に開通から10年以上が経ち、存在が当たり前のように扱われている青函トンネルだが、やはり列車に乗って突入すると「ついに来た!」 という感慨が湧きあがる。青函連絡船洞爺丸の海難事故を契機に建設が 促進され、40年以上の歳月を費やして完成。そして本州と北海道が レールで結ばれたのだと回顧してみる。 列車が減速した。吉岡海底駅である。本来は防災拠点だが、普段はJR北海道が運営する「ゾーン539」の青函トンネル博物館として運営されている。ここを見学して函館に帰る乗客が乗りこんだようだ。乗車が済むと発車。しばらく列車の走行音を背中に受けていたが、やがて眠りに落ちた。 青函トンネルを抜けて北海道に上陸すると、ドラえもんの声で案内 放送が流れた。それを夢うつつで聞く。目が覚めたのは木古内を出た 後だった。ここで「大阪」行き寝台特急日本海と行き違う。 ついに北海道に上陸したのだ。何ヶ月ぶりだろう。車窓を流れる 景色を見ていると、何故か「帰ってきた」と感じる。私は北海道出身 でもないし、北海道に親戚がいるわけでもないのに。 車窓は雨だったが、それでも懐かしさを覚えてシャッターを切る。 やがて函館山が見えてきたが、雨雲に頂上が隠されていた。ちょっと残念。でも函館山が見えれば終着駅函館は近い。 五稜郭で函館本線と合流して、「海峡9号」は函館到着。ここから さらに特急「北斗19号」に乗り継いで札幌へ向かう。 |
├札幌へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:36:01 (修正1回) ツリーに戻る
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専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 18:36:01 ** この記事は1回修正されてます | |
札幌へ。 函館からは特急「北斗19号」に乗り継いで札幌へ向かう。 私は指定された号車に行ってみると・・塗装が違う?? なんと、1.2号車は札幌のJリーグ「コンサドーレ」色に 塗装されていたのだ。これにはちょっとびっくり。 18:20「北斗19号」は函館駅を発車した。気動車特急独特の エンジン音を上げて函館本線に入る。このエンジン音を聞くと、「いる べき場所に戻ってきた」と感じる。 途中、霧に包まれた大沼国定公園の中を進む。霧に包まれた小沼は 幻想的な眺めだった。身を起こして「すげえ!」と見入っていた。 途中、森・八雲・長万部と停車していくが乗客の動きは全く無い。 まだ明るいので車窓はよく見える。森があんなに海の近くだとは思わなかった。駅の向こうは防波堤で、すぐそこが噴火湾なのだから。 長万部ではニセコ・倶知安経由札幌行の普通列車がいた。乗り換えたい衝動に駆られたが、「まりも」に乗り遅れたら困る。次の機会にしよう。 長万部を出たら室蘭本線。そろそろ夜の帳が下りて窓の外は灯りしか 見えなくなってくる。洞爺・伊達紋別・東室蘭と停車。 列車は殆ど乗客の動きが無いまま室蘭本線を走りつづける。列車の エンジン音だけが響き渡る。新札幌を発車してから、ほどなく旭川からの函館本線と合流。ここまで来れば札幌は近い。 21:54、「北斗19号」は札幌に到着した。少ない乗客はすぐに 階段を下りていってしまう。私は1.2号車に連結されていた「コンサドーレ色」の車両を眺めてみた。結構この塗装は目を引く。そういえば 臨時特急で「コンサドーレ号」が運転されたこともあったから、その時の車両かも知れない。1号車のヘッドマークを見ると、「北斗」の 列車名の下はコンサドーレのチームカラーで、列車名の上には「Consadole SAPPORO」のロゴが入っていた。ちなみに車体 側面には「Pass Shoot Goa〜l」と大書されていた。 「そういえば、W杯の時はGoa〜lが遠かったなあ」 と思い出した。 さて、ここでようやく改札を出られる。ちょっと買物をしてこよう。 |
├7/2〜3釧路へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 18:53:44 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 18:53:44 ** この記事は1回修正されてます | |
7/2〜3 釧路へ。 続いての乗車は特急「まりも」。寝台車2両を含んだ列車だが、 北海道内での寝台車利用は別に特急券と寝台券が必要で、合計すると 8.820円もするために断念した。(TT) そうなると座席で1夜を明かすことになるのだが、眠れないのでは 困るから、札幌駅北口前のコンビニで夜食と酒を買い込んでくる。 寝る前にこれを呑んで寝よう。 特急「まりも」が入線した。あれ?編成が妙に長い??停車位置が ずれて停車した。扉が開くと一斉に乗客が乗りこむ。私も指定された 席に荷物を置くと撮影と編成記録を行うためにホームに出かけた。 先頭から1両ずつ、号車番号と形式を控えていく。作家の内田百 の 故事に倣い、「列車を頭から尻までじっくりと観察する」。(笑) 編成の中間に寝台車が2両挟まっているが、これはもともと客車で、気動車で挟むようなものではなかった。しかし誰が考案したのか、「特急用気動車の間に寝台車を挟んで夜行急行を特急に格上げし、併せて機関車を削減する」という方法が登場した。これは登場した時、「北海道方式」と呼ばれて注目を集めた。 よく考え出したものだと感心する。反対側のホームには稚内行の特急「利尻」が停車していて、こちらも同じように気動車の間に寝台車を 挟んでいる。 23:00、「まりも」は札幌を発車した。稚内行の「利尻」も併走 する。新札幌を出たあたりで車内改札。南千歳を出るまでに酒を飲み干したのだが、なかなか眠くならない。南千歳を出てからしばらくして 車内が減光されて薄暗くなったのだが、寝つけない。隣が空いているのをいいことに姿勢を何度か変えて寝ようとする。ここで寝ないと。 |
├7/3釧路に到着。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:10:41 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 19:10:41 ** この記事は1回修正されてます | |
7/3 釧路に到着。 特急「まりも」の車内で何度も姿勢を変えては眠ろうとし、何度目 かの正直でやっと寝つけた。(^^;) それでも午前2時台の到着放送はまどろみながらも耳に入っていた。 何度目かの眠りに落ちてしばらくした頃、チャイムが鳴って「おはよう 放送」が入った。時刻は午前5時。釧路到着まであと30分。列車は とくに急ぐでもなく、ゆったりペースで走っている。起上ってみたら 片足が痺れていた。(^^;)どういう姿勢で寝ていたんだろう。 足の痺れが収まるのを待って身体を起こす。流石に座席夜行は しんどい。あんなに眠るのが辛いものだとは思わなかった。姿勢を 直してぼんやりと車窓に見入る。まだ意識がハッキリしない・・・ 洗面所へ行って顔を洗うとようやく目が覚めた。 「まりも」は5:30に釧路に到着。ここで小休止したあと、 7:39の特急「スーパーおおぞら2号」で池田に向かうことに なっている。一旦改札を出て大鞄をコインロッカーに放り込んで 身軽になった。(この時ビッグラン北海道とカメラの予備電池を 入れた袋を出しておかなかったので、あとで慌てることになる) さて、和商市場へ行って「勝手丼」なるものを試してみようか。 雨模様の中、和商市場へ行ってみた。しかしまだ大半の店は 閉まっている。参ったな。勝手丼を試そうと思ったのに。 とりあえず中に入って白飯を買い、上に載せる具を求めて歩いて 見たのだが、どの店も閉まっている。どうしようかと途方に暮れていた ら、白飯を売っている店の向かいのお兄さんが「うちのイクラ、どう?」と勧めてくれたので、とりあえずそれをのっける。他の具を 売っている店の場所も教えてくれたので行ってみたが、まだ閉まって いた。(泣)仕方なくイクラだけの丼を平らげて駅へ戻った。まさかまだ閉まっているとは思わなかった。あ〜あ。 さて、「スーパーおおぞら」で池田に行こうか。 |
├池田へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:25:51 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 19:25:51 ** この記事は1回修正されてます | |
池田へ。 和商市場で空振りだったので、釧路駅で駅弁を買い込んで 「スーパーおおぞら2号」に乗車する。荷物を置いたらお決まりの 撮影時間。エンジンの轟音に痺れながらシャッターを切っていた。 列車の撮影を終えて席に戻ったら、窓が濡れ始めている。雨が 降ってきたらしい。「ありゃりゃ。池田は大丈夫かいな」と心配に なる。 その雨の中、「スーパーおおぞら2号」は釧路を発車した。構内を 出ると一気に加速する。かなり加速は鋭い。さすが最高130km/h だけはある。 人家もまばらな中を走りつづけて池田に到着した。ここで下車する。 行く先は「ワイン城」。1989年に訪れて以来だ。「スーパーおおぞら2号」の発車を見送り、ちほく高原鉄道の気動車を撮影してから改札を出る。 駅前には巨大なワイングラスをかたどった噴水が昔と変わらずにあった。(しかし解説板が無くなっていた。)そして今回初めて見たのは 「巨大なコルク栓抜き」のオブジェだった。最近になって造られたものか、一見すると「何だこりゃ!?」とびっくり。そして近寄ってみると ゆっくり回っている!(笑) 「ま、回っているぞ。これ」とびっくりした。しかし回っているからといって抜けることは無さそうだ。つい「これが抜けたら十勝ワインが 噴水の如くザバーッと・・・」などと妄想してしまう。(^^;) さて、ワイン城へ行くか。 |
├池田ワイン城 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 19:27:04 (修正1回) ツリーに戻る
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専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 19:27:04 ** この記事は1回修正されてます | |
池田ワイン城 池田ワイン城は一度行ったことがあるので、その時の記憶を辿って 向かう。(10年以上経っているのに憶えているのも凄いが^^;) 駅から少し歩くと橋が線路を跨いでいるのでそれを渡ればすぐワイン 城の近くだ。建物は丘の上にあるので坂を登っていくのだが、坂の袂 に地蔵様が奉られている。その隣には「天然湧出清水」が流れていた。 地蔵様が奉られているのは憶えていなかった。シャッターを切る前に お賽銭を上げて手を合わせる。お賽銭は514円。(ニヤ) ここに流れている天然湧出水は飲めるのかどうか分からなかったので 口はつけなかったが、流れているのを見ているだけでも心地よい。 こういう湧水もいいものだ。(^^) 城に入る前には物産店が並んでいたので、職場に土産を買って送る。 職場だからワインは禁止。お菓子と干しブドウにした。 ではワイン城の中を見学しよう。城内には正面階段下にある入り口から入る。内部の階段を上がれば工場見学コースだ。この日は赤ワインを 瓶詰していた。 また城内にはワインの歴史や数々のコンクールで受賞した実績が 展示されている。それらを一通り見てから城を出た。 城の前は綺麗な芝生になっていて、思いっきり転げ回って遊べそうだ。カメラを構えてファインダーを覗くと、めぐみちゃんや、フィギュア17(北海道を舞台にしたアニメ)のつばさ&ヒカルの姿が見えた。 普段過ごしている東京とはまったくの別世界である池田町。この静けさは落着ける。ゆったりとした足で駅に戻りながらそう思った。 さ。次はいよいよハイライト(?)。帯広だ。特急「スーパーおおぞら4号」で15分。 |
├帯広〜幸福 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:09:02 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 22:09:02 | |
帯広〜幸福 池田から帯広までは特急「スーパーおおぞら」で15分。普通列車でもいいんだけど、それだと帯広駅前から発車する広尾線転換バスに 乗れないので、特急で移動することにした。 池田で「十勝毎日新聞」という地元紙を買って車内で開く。こうした 地元の新聞を買うことも楽しみの一つだ。 帯広へ到着したら、まずは幸福行きバスの乗り場を確認しておく。 帯広駅前のバス乗り場はあちこちに分散していて探すのに一寸手間取ったが、11番乗り場から出ていることを確認した。 そしてその時、あることに気付いた。「カメラの電池、持つかな?」 というのは、今使っている電池も交換してから結構経つので、そろそろ 危ないような気がしていたのだ。今回用意してきた予備電池は・・・・ 釧路のコインロッカーの中!とたんに不安がこみ上げてくる。バスが 出るまでにはまだ時間があるのでカメラ店を探したが見付からない。 長崎屋の看板が遠くに見えるけど時間が無い。 「とにかく持たせよう」と決心してバスを待った。 バスは十勝バスだ。乗り口では「快速バス広尾行です」と告げている。さあ乗ろう。幸福までは50分くらいで着く。 広尾行き快速バスは帯広駅前を発車すると長崎屋・第一市民病院など に立ち寄って行く。市内の主だった場所で乗客を拾っていくのだ。 広尾線が廃止された後の転換バスとはいえ、ただ旧線に忠実に進むだけではなく、市内の公共施設などに立ち寄って行くのだ。 少し市街地を迂回するようにして進み、市街を抜けたら一面の畑が 広がった。道路に沿って延々と続いている。もともとは広尾線もこうした農産物輸送の為に建設されたのだが、貨物輸送が廃止されたら忽ち 赤字が膨張して廃止されてしまった。そして今はバスで旅客を運んでいる。利用率はというと、バスでも十分賄える。こうした現実を見ていると、「貨物輸送が無くなった時点で広尾線の役目はほぼ終わっていたのだな」と痛感。ローカル線を観光路線として活性化という私の仮想は とても成り立ちそうに無い。(続く) |
├幸福でのてんやわんや。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:29:18 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 22:29:18 ** この記事は1回修正されてます | |
幸福でのてんやわんや。 私が乗った広尾線転換バスは、途中愛国駅跡の近くに立ち寄って 「大正」という停留所を27号まで数えて幸福に着いた。私はここで 下車し、幸福駅跡を見物する事にしていた。折り返しは11分だけだが バスは駅跡の前に行くだろうと思っていたのだ。 しかし、幸福停留所で運賃550円を支払って下車した途端、私の 計画は警戒信号に変わった。バス停が駅跡とあまりにも離れすぎている のだ。看板を見ると、「幸福駅跡0.5km」とある。ざっと駅跡までの往復を見積もっても、駅には殆ど居られない。呆然となったが、とにかく駅まで行くことにした。駅に近づけてくれたっていいじゃないかと 恨み言も言いたくなる。時計を睨みながら幸福駅跡に到着。当初予定していた写真を慌しく撮ったら直ちに引き返す。帰りのバスが停留所に 来るまで5分を切りつつあった。急がないと間に合わない! 鞄を手にもって走り出す。とにかく夢中で走った。眼鏡もずり落ちそうになるが、抑えながら走る。息が上がって立ち止まりそうになるが、 「止まるな!走れ!」という声が聞こえてまた走り出す。バスの時間が 刻々と迫ってきていた。 そして横断歩道を渡ってバス停に着いたときは、バス到着予定時刻だった。果たしてどうか?そう不安になったとき、「帯広駅」と表示した バスがやってきた。ああ良かった・・・・全身の力が抜けた。 バスは私が乗込むと直ちに発車した。私は上がった息を車内で整える。それにしても、幸福駅跡があんなに遠い場所だとは思わなかった。 とても11分では時間が無い。今度はもっと余裕を持って来よう。 帰りのバスはかなりの速度で走る。そして愛国へ着いたときには早着になっていたらしい。愛国に着くと運転士は何も言わずに下車した。 「交替か?」と思っていたら何と煙草に火を点けたのだ。 「おいおい。喫煙時間確保の為にそんなに急いだのかよ」と突っ込みたくなったが、他の乗客は無反応。別に苦情を言うでもなく発車を待っている。唖然としたが、私もそのまま発車を待つことにする。 喫煙を済ませた運転士は再び乗り込むとバスを発車させた。そして もと来た道を戻っていく。信じられない光景だった。(^^;;) 私はカメラの電池が切れかかっていたので、長崎屋前のバス停で下車 して電池を買うことにした。予備電池を携帯していればこんなことには ならなかったのに。自分に「この大馬鹿者!」と一喝する。 さて。無事に電池を手に入れたし、次は市内見物に行きませう。 |
├帯広市内巡り。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 22:46:35 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 22:46:35 | |
帯広市内巡り。 帯広ではスポット2箇所を訪れる計画にしていた。 「アンデルセン」と「新橋」である。次の特急「とかち8号」に 間に合うようにしよう。 駅前の地図でアンデルセンの場所を確かめて出発。地図で確認した ポイントで曲がったのだが、それらしい店が無い。「あれ?場所間違えたか?」と焦りつつ、あっちこっちとさ迷う。そしてやっと洋菓子店を 見つけた。「クランベリー」とある。ここだ。「アンデルセン」改め 「クランベリー」になっていたのだ。ティールームで寛ぐつもりだったが、「とかち8号」の時間が無い(と思いこんでいた)ので、読谷モンブランと、読谷シュークリーム。さらにタルトを1個買って行くことにした。「とかち8号」に乗ったら食べよう。 さて、次の目的地はここから遠くない「新橋」だが、発車時刻に 間に合うか?念の為行路表を取り出して時刻を確認する。すると・・ 「あれえ?発車は13:31??まだ1時間近くあるじゃないか?」 そう。発車時刻を30分早く勘違いしていたのだ。時間に余裕がある なら文句は無い。「新橋」へ行こう。豚丼が待っている。(笑) 店の写真を撮ってから店内に入り、豚丼を注文。最初は「肉盛」に するつもりだったのだが、おばちゃんにすすめられて「スペシャル」 に変更。味噌汁と漬物も一緒に頼む。 出てきた豚丼は期待を裏切らなかった。ゲームで主人公が言っていた 通りの絶品で、タレの味が最高。極論を言えば、タレだけでも飯が 進む。一口ずつ、じっくりと味わった。味噌汁も美味かった。(食べた のは豆腐) 結果として「スペシャル」にしたのは正解で、丁度いい量だった。 代金は1.800円なり。そして長良川の鮎さんから頼まれていた 伝言を伝える。(笑)大将とおばちゃんは「注意してみてないとね」 と言っていた。 新橋を出たら、近くのバス停からバスに乗り、帯広駅へ向かう。 帯広駅に到着してみたら、「とかち8号」の発車までまだ十分 時間があった。 では、次は新得経由で幾寅へ向かおう。 |
├幾寅へ行くつもりが・・・・(大汗) 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 23:25:38 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 23:25:38 | |
幾寅へ行くつもりが・・・・(大汗) 予定通り「とかち8号」に乗車。新得へと向かう。 発車まで時間があったので、列車編成もしっかり控えておく。 十勝平野を抜け、新得に到着。ここから普通列車に乗り換えて「鉄道員」で有名になった幾寅を目指す。「とかち8号」を見送って待つことしばし。滝川行き普通列車が現れた。単行気動車である。 新得を発車するとすぐに山越えにかかり、気動車のエンジンは唸りっぱなしになる。焼きつきはしないかと心配になるほどだ。 ずっとこのエンジン音を聞いているうちに眠くなり、何度目かのトンネルに入ったとき意識が無くなった。 目覚めたのは自動放送のチャイム。「間もなく、金山です。お降りの方は・・・」と告げる声に目を覚ました。寝ぼけ眼で「金山?幾寅は 何時到着だっけ?」と行路表を見ると、幾寅は15:00着。時計を 見たら15:15。 「何?15分すぎてる?ということは・・・・あ!」ここで私は 金山駅の場所を思い出した。金山湖からそうは遠くない場所。そして ここから富良野も近い。まして到着予定時刻から15分すぎても列車 に乗っているということは・・そう、「寝過ごした」。それしか考えられない。 列車は金山に停車。とりあえずここで下車する。念の為運転士に 「幾寅はすぎましたか?」と聞いたら「幾寅は過ぎましたよ」といわれる。途端に血の気が引いていくのを感じながら、金山で下車した。私を 下ろすと気動車は発車した。 さあえらいことになった。幾寅で下車するはずがえらいところに来て しまった。駅は無人化されてかなり経ち、人気は全く無い。駅前には 屋根が潰れた廃屋があるだけ。時折車が通過する以外物音はしない。 新得方面にいく列車は・・と時刻表を見ると2時間先まで来ない! (実は15:49の落合行きを見落としていた。)「こんな無人の地で 2時間も待つなんて嫌だ〜!何とか幾寅方面に脱出しよう」と対策を 立てる。次の列車は2時間後、ここはもう特急も貨物列車も通らない 局地線だ。だとしたら線路を歩いて行けないか?そう思って線路に下り、幾寅方向に向かって歩き出したのだが、金山の場内を過ぎたところにトンネルがあるのを見て「こりゃ無理だな」と断念する。そして又 駅に引き返してきた。最初に降りたホームで立っていると「南富良野町」と記したバスが現れた。運転士がこっちを見ている。しかし私が 乗らないと分かるとそのまま通過していった。 「はあ。まいったな。」そうため息をつきながら金山駅周辺の写真を撮る。こんな局地線で寝過ごしたという事件の記録に。 何枚目かを撮り終えると、富良野方の警報機が鳴り始めた。 「あれ?次の列車は2時間後のはず。ましてここはもう貨物も通らない 路線なのに??」と駅時刻表を見たら、何と落合行きの列車がある。 見落としていたのだ。やれ助かった。早速乗車ホームに移動して到着を待つ。到着を撮影したら直ちに乗車。今度こそ幾寅へ向かう。 金山を発車してから見た車窓は、到底歩いては越えられない場所だった。トンネル・湖にかかる鉄橋が続く。ましてや徒歩で歩いていたら この列車の運転士に見付かって線路立ち入りで警察行になりかねなかった。あらためて無謀な徒歩突破を中断して良かったと安堵した。 金山を出れば東鹿越、そして幾寅。幾寅に着いたときは「よかった。 無事に着いた」と心臓が縮む思いだった。 |
├幾寅で。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/06 23:26:43 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/06 23:26:43 ** この記事は1回修正されてます | |
幾寅で。 予定外の「はみ出し乗車」をやってしまい、ようやく幾寅に到着した。ここは健さん主演の映画「鉄道員」の幌舞駅となったところだ。 私の乗る汽車が着いたときも、観光バスで来た団体が居た。 つい「幌舞来るならば汽車でこいよ」と突っ込みたくなる。(^^;) さて、その幾寅こと幌舞は、映画撮影時そのままで残されている。 駅舎も映画のセットそのもの。また事務室には1人係員がいて、 乗車券の販売やセットのガイドを行っている。丁度私が着いたときに 1組の訪問者が案内されていたので、私も便乗して解説を聴くことにする。駅事務室の内部は、かつてどこにでもあった風景だった。いまでは コンピュータ端末が置かれている窓口も、厚紙で出来た切符の棚が 残されていたのだ。「懐かしいなあ」と感動。 さて、駅前には町の建物が立ち並んでいる。床屋・食堂など。駅の人 の話では、撮影時のままでは違法建築となってしまうので、内部を 補強して建築基準法に適合するようにしたという。 さて、その「駅前広場」にある「だるま食堂」の前に立っていると、 健さん演ずる駅長達が出てくるような錯覚にとらわれた。カメラの ファインダーを覗いてみると、映画そのものの光景だ。 一方、床屋の上にはスピーカーが付けられていて、映画の音声が 聞こえてくる。その中でも蒸気機関車の機関士たちが歌っていた 「♪石炭くべろ 動輪回せ つばめや富士はお呼びじゃないが・・」 という銅鑼声の歌が妙に印象に残った。当時の国鉄を代表する特急 だった「つばめ」「富士」の牽引はしないけど、俺達は蒸気機関車を 操る「汽車乗り」だという断固たる気概が見えた。昔はこうした機関士達が大勢居て、機関車を運転することを生甲斐にしていたのだ。かつては確実に存在した「鉄道員」の残照をここに見る思いだった。 こうした感慨と回顧の時間は忽ち過ぎ、帰りの汽車の時間が来た。 私はホーム側に座り、汽車が発車するとき駅舎に対して敬礼した。 かつての「日本国有鉄道」の記憶に対して。 |
├釧路へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 17:07:43 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 17:07:43 | |
釧路へ。 幾寅を発車した新得行の汽車は、途中落合に停車してから狩勝峠を 下る。ここはかつて「日本3大車窓」のひとつと賞された景色が見られたのだが、あまりにもの急勾配が蒸気機関車の行く手を阻んだため、 現在はトンネルで一気に峠を貫いている。そしてその新狩勝トンネル の中では、千歳方面から伸びてきた石勝線が合流するようになっている のだ。そのため駅間は異様に長く、行けども行けども森が続く。 長大なトンネルと、カーブを駆け下りてようやく終着の新得に到着 した。かつての光景には及ばないが、雄大な、内地では絶対に見られない景色を堪能できた。普通列車で地に足をつけていくのもいいものだ。 さて、ここからは釧路行きの特急「スーパーおおぞら」に乗り換えて 釧路に戻る。それまでは小休止だ。スタンプを押したり、駅前の光景を 撮影したりする。 また、駅そばも営業していたので食べてみた。新得はそばの産地である。出てきたそばは、内地のものと違って、そば粉の割合が高いのか、 黒味がかっていた。でも歯ごたえもよし、つゆもよしで、忽ち平らげて しまう。(なお、宗谷本線音威子府駅のそばも、そば粉の比率が高いから黒い。初めて見たときはびっくりしたものだ) そばを平らげて満足した後は、汽車が到着するまでしばしノートの 整理だ。これで結構待ち時間を消化できる。 時間通りに「スーパーおおぞら」釧路行きが到着した。車内は結構な 乗車率である。私の指定席の隣には既に乗客がいたので、一声かけて 席に収まる。ほぼ満員で新得を発車した。 乗客は帯広で殆ど下車。ここで車内は余裕ができた。私も車販で麦酒 を買って飲む。 「スーパーおおぞら」は異常なく釧路に到着した。私も今夜はここの 宿で一泊する。「まりも」では座席で寝つけなかったから、やっと横になって寝られる。翌日は5:55の快速に乗る予定だから、早めに寝よう。 |
├7/4釧路を発つ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 17:27:50 (修正1回) ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 17:27:50 ** この記事は1回修正されてます | |
7/4 釧路を発つ。 5:55に釧路を発車する快速に乗車するつもりで、携帯のアラーム をセットし、そしてそれで目は覚めたのだが、ぼんやりしてまどろんでいたら、何時の間にか時刻は5:45! 「ゲゲッ!間に合わん!」と思いつつも取敢えず荷物をまとめてホテルを出る。この後の汽車で行けるところまで行こう。 釧路駅前に来たとき、本来乗る予定だった快速がエンジンを唸らせて 発車していった。あ〜あ。 次は厚岸行きの汽車があるから、それに乗ろう。今日は霧多布と納沙布岬を回ることにしている。霧多布へは浜中からバスに乗る予定だが これで間に合うかな? 厚岸行きの汽車も単行の気動車だった。ガラガラで釧路を発車。 乗降も殆どないまま走る。沿線は人家もまれな地域。駅も今では 大半が無人駅だ。「旅客営業成り立つのかいな」と心配になる。 途中、上尾幌で釧路行きと行き違う。ここも人気は殆ど無かった。 次の尾幌で通学生を乗せて厚岸到着。ここで次の根室行きを待つ。 ただ、この根室行に乗っても浜中でバスに乗れるかどうかが分からない。今回は時刻表を現地調達するつもりで居たが、時間が取れなくて 時刻表が買えずじまいになっていた。だからこうして予定が狂った時は 困る。 厚岸駅前からバスが出ているようなので、時刻表を見たら、霧多布まで行くバスは無い。また本数も少ない。 霧多布を諦めて根室に直行しようかとも考えたが、待合室の売店に 「道内時刻表」があったので、まずはそれを買い、乗り継ぎ時間を見る ことにした。 すると、何たる天佑!次の根室行きでも当初の予定にある霧多布行き のバスに乗り継げることが判明した。とはいえ、綱渡りでもある。乗り継ぎの時間がたった1分しかないのだ!浜中駅が橋を渡って改札を出る ような造りになっていたら間違い無く「アウト」である。しかしこれに 乗れば当初の予定に復帰できるのだ。この1分に賭けてみよう。 そう決心してまたノートの整理をしていると、目当ての根室行きの改札が始まった。今度の汽車も単行ワンマン。 ところがこの気動車、乗ってみて驚いた。座席が特急型のものに交換 されている。そしてお互いに中央を向くように配置されていて、中央は 大テーブルがある4人がけの席になっているのだ。 私は進行方向に背を向けた席に着いた。そうした席しか空いてなかったから。 |
├霧多布訪問。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 18:12:37 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 18:12:37 | |
霧多布訪問。 厚岸を発車した普通列車は海沿いを進み、湿原をかすめて走る。途中 の湿原では鹿の親子が走っていくのが見えた。 いよいよ浜中だ。何としても1分の乗継をクリアしないと予定が滅茶苦茶になる。そう思うと気が気ではなかった。浜中到着の放送が流れるとすぐにデッキに立ち、ダッシュの姿勢をとる。運転士が扉を開けたら、切符を見せて飛び出すのだ。 浜中到着。扉が開くと同時に運転士に切符を見せて飛び降りる。ホームの目の前は駅待合室でバスが指呼の間に止まっている。全速で走った。もたもたしていると目の前で扉を閉められて置いて行かれかねない。夢中だった。 そして無事バスに乗車。少し間を置いて発車した。バスは駅を出ると 山を降りるようにして霧多布市街地へ向かう。 バスは山道を降りると広い道を淡々と走る。空いているからと言って 飛ばしたりはしない。停留所が次々と現れるが乗降は全く無い。 バスは浜中町役場の前(本当に正面)に立ち寄るが、ここでも乗降 無し。余りの乗客の無さに背筋が寒くなった。役場前を出てからは 上り坂にかかり、山の上に向かう。そして保養施設の前で終点となった。終点のバス停は「霧多布温泉ゆうゆ」。初めて見る施設だ。こんなのがあるとは知らなかった。 ここで1時間ほど取ってある。霧多布岬らしい方角に見当をつけて歩くことにするが、徒歩では岬に行けそうも無い。レンタサイクルに乗った人がすれ違ったので、私も自転車を借りることにした。再び「ゆうゆ」に引き返す。この駐車場の1角にレンタサイクルの事務所があった。扱っているのは、何とここまで来たバス会社。自転車が1台だけ あったので、申し込もうと中に入る。中にはさっき乗ってきたバスの 運転士が休憩していた。用件を告げて申し込み用紙に記入して自転車を 借りた。1時間300円で、最初に1時間分を前金で支払う。 さて、自転車に乗って霧多布岬へ行こう。谷を上下して進む。途中の 標識には「霧多布岬まで2km」とあった。 自転車を運転していたら、沿道に牧場が現れた。馬が何頭か草を食べている。自転車を止めて写真を撮っていたら、放牧されていた1頭が近寄ってきた。柵越にじっとこっちを見ている。 やがて立ち去ろうとすると馬が名残惜しげに2.3歩ついてきた。 「さよなら」と手を振って別れ、再び自転車を走らせる。 やっと霧多布岬の駐車場に到着した。しかし車もまばら、人影も無い。でもこっちの方が落着いて歩ける。 自転車を降りて岬へ向かうとものすごい霧が出てきた。海が霞んでしまっている。断崖から海を見ようにも視界が利かない。7月だと言う のに気温も低く、この霧に閉ざされた海を見ているうちに恐怖を感じた。 断崖の遊歩道を上がって自然のままになっている草地を歩いてみると、石碑が1つ立っていた。近寄って見ると「海難者慰霊の碑 浜中町長 喜島賢吾」とある。どうやらこの近海で遭難し、亡くなった犠牲者を弔うために建てられたらしい。姿勢を正して海軍式の敬礼をし、そして頭を下げる。このあたりで遭難した人達はさぞかし苦しい思いをしただろうなあ。霧で視界は利かない、海は冷たい。海の霧ほど恐ろしい 物は無い。完全に方向感覚を奪うからだ。 海難者の慰霊碑を後に、またバス停に戻る。バスの発車までには着かないと。帰り道にも放牧の馬が何頭かいた。 下車した「霧多布温泉ゆうゆ」バス停から、またバスに乗って浜中駅に向かう。これで当初の予定に復帰した。次は根室だ。 |
├根室へ。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:03:04 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 19:03:04 | |
根室へ。 浜中駅に戻ると、今度は快速「ノサップ」で根室へ。 汽車は人家の少ない原野を飛び跳ねるような速度で走る。快速だから 途中の駅は幾つか通過。しかし通過したのもわからない。駅が見えないのだ。 途中の落石で釧路行きと交換して、再び発車。すると沿線に牧場が現れた。それもかなり大規模でまとまった数である。こんなところに牧場があるとは知らなかったので、驚いた。牛、馬が悠然と草を食べている。見るだけでは勿体無いと車窓越しにシャッターを切った。 ようやく人家が見えてくれば根室は近い。 根室に到着した。ここは日本の東の果ての駅。線路はホームの先で 終わっている。 ここからはバスに乗り換えて納沙布岬を目指す。歯舞群島が見える というが、どうなんだろう。 人家がだんだんと減り、海が間近になったところが納沙布岬バス停。 終点である。降りてみて、かなり気温が低いことを悟った。念の為に 上衣を着ていたのだが、それで丁度いいのだ。 なお、ここではバスで一緒になったお爺さんと見て歩くことになった。何でも山口県の萩から航空機を乗り継いで来たという。昔語りを 聞きながら岬を回った。 さて、この納沙布岬からは歯舞群島が見えるということだが、今日は濃霧に閉ざされていて島は全く見えない。崖の下に海面が波打っているだけだ。それでもここに来てみると、大東亜戦争末期に起きた地獄絵図 と、当時のソビエトのやり方に対して憤懣やる方なし、となってくる。 1945年8月15日、戦闘停止という命令が出されていて武装解除を 受けるばかりになっていた日本軍を奇襲し、樺太南部を強奪、そして この千島も奪い取った。この無法振りは歴史から消すべきではないと痛感した。 ここには、「祈りの鐘」がある。北方4島が帰ってくることを祈念してのものだ。大東亜戦争末期にこの地域で命を落とした日本人に対する 慰霊の思いを込めて鐘を2度鳴らす。霧に閉ざされた海に響き渡った。 それにしても、何時になったらこの問題は解決するのだろうか。霧の 海を見ながらやりきれなくなった。 この後は、バスの時間まで資料館を見学する。千島列島の立体図や、千島の歴史資料など、貴重なものを見ることができた。 再びバスに乗って根室駅へ戻る。来るときと同じバスだった。バスに乗ろうとした時、霧の一部が消えて海の向こうに島らしきものが見えた。同行していたお爺さんにもそのことを告げると、お爺さんは運転士にあれは島かと聞いた。運転士からは「あれが歯舞群島の1つです」というこたえが帰ってきた。あれがそうだったのか。本当に手を伸ばせば 届きそうなところだ。こんな目の前に奪われた島があるとは・・・・ 帰り際に、少しだけでも島を見せようと言う天の配剤だろう。 バスは再び根室駅前目指して発車した。あらためて沿道を見ると、 「島は奪われた」という看板が点点と立っている。ここの人達にとっては切実な問題なのだろう。 バスは順調に走って根室駅前に着いた。お爺さんとはここでお別れ。 私は普通列車で釧路へ戻るのだ。 |
├最終行程〜釧路を後に 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:20:46 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 19:20:46 | |
最終行程〜釧路を後に 道東紀行もそろそろ終盤に差し掛かってきた。いよいよ東京に 帰らなければならない。正直言って帰りたくないのだが、生活の 基盤は向こうにあるので、帰らざるを得ない。 帰りの汽車も特急の座席を転用したものだった。発車前に改めて線路の終端に目を向ける。「昔はここから更に先へ根室拓殖鉄道というのが 出ていたのだが・・・」と思い出した。しかし鉄道は既に過去のものとなり、会社は「根室交通」というバス会社となっている。だからここが 今の鉄道の「東の果て(イースト・エンド)」なのだ。 汽車はがら空きで根室を発車した。今度は各駅停車なので、一駅ずつ 丹念に停車していく。快速では見落とした駅も見ることが出来た。 昆布森を出たあたりで霧に包まれたが、厚岸に着く頃には日が差していた。だが釧路に帰りつくとまた曇り。根室本線沿線も結構天気が変わりやすい。 釧路に着いてもしばらくは席を立てなかった。今度乗る「スーパーおおぞら」で、本当に釧路を去らなくてはならないのだ。寂しさがこみ上げる。北海道の旅の終わりと言うものは本当に未練が残るものだ。 それでも乗り継ぎ待ちの間に時間があったので、駅前に集うバスを 撮影しておく。今回の旅は本当にバスの世話になった。北海道のバスは 道が広いこともあって伸びやかに走っている印象だった。その姿を記録 しておきたかった。 やがて時間がきた。特急「スーパーおおぞら」はエンジンの轟音をあげて釧路を発車した。いよいよ釧路ともお別れだ。でもPMでの鮎ちゃんの一言「これで今生の別れって訳じゃないんだから、そんなに悲しそうな顔をしないでよ」が聞こえてきた。そう。帰ればまた来ることが出きるのだ。また退屈・憂鬱な日々が続くだろうが、またここに来られることに希望を託して、しばしの別れとしよう。 汽車は白糠・池田・帯広・新得と思い出を刻んだ駅を駆けていく。車販が回ってきたのでビールを買い、呑むことにした。呑みながら今回の旅を回想する。実に思い出深い道中だった。4日間とはいえ、かなり密度の濃い旅だった。また、ここに来よう。 新得を過ぎ、トンネルに入ったとき眠り込んだ。車内放送で目を覚ますと南千歳の手前だった。次は夜行急行「はまなす」だ。 |
├終幕 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:32:28 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 19:32:28 | |
終 幕 南千歳から夜行急行「はまなす」に乗り継ぐ。これに乗れば明朝5:18に青森に着く。本当に北海道とお別れだ。 今回乗車した「はまなす」は指定席。グリーン車の座席を転用した リクライニングシートの「ドリームカー」だ。本当はカーペットカー にする予定だったのだが、車両検査のため欠車。かわってこの座席車に なった。でも座席が深く倒れるからよしとしよう。 指定された座席に着いてからしばらくは起きていたのだが、程なく眠りに落ちた。しかし函館でまとまった乗車があり、一度眠りを破られる。午前2時というのに乗る人がいるのだ。 次に目覚めたのは「おはよう放送」だった。函館で方向転換したために汽車は後向きに走っている。寝台車だとどちらでもいいのだが、座席だと「あれ?」となる。それでも特に違和感は感じなかった。他の乗客も同様で、座席を転換した人はいなかった。 後向きで青森に到着。ここからは特急「はつかり2号」に乗り継いで 盛岡へ。青森を出ると、次第に北海道が遠ざかっていくことを実感した。 盛岡からは「MAXやまびこ38号」で上野へ。これが本当のラスト・コースになる。次第に遠ざかっていく北海道に後ろ髪を引かれつつも、私はまた現実の世界に戻ってきた。上野で下車して、終着駅東京へ 向かう「MAXやまびこ38号」を見送ると、私の旅は終わった。長いようで実に短く、同時に「濃い」旅になった。旅の余韻を引きずりながら自動改札を抜け、家への道についた。 〜〜〜〜〜〜専務車掌の爆笑道中記 完〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |
├あとがき 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/08 19:38:22 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/08 19:38:22 | |
あとがき 今回は巡礼を意図しない、純粋な北海道紀行になりました。 初めての街、初めての駅、そして10年以上訪れなかった街・・・・ 本当に楽しく、充実した行程でした。また道東へ行ってみたいものです。 帰る時は、本当に寂しくなりましたが、何時も北海道から帰る時に 浮かぶ言葉があります。それを記して今回の結びとします。 「帰ろう。帰ればまた来ることができる」 (大日本帝国海軍 第一水雷戦隊司令官 木村昌福少将) |
└読ませて頂きましたよ。(^-^) 久保 真@ターニャ王朝後方支援部隊長 2002/07/09 06:51:40 ツリーに戻る
Re: 専務車掌の道東爆笑道中記。 | 返事を書く ノートメニュー |
久保 真@ターニャ王朝後方支援部隊長 <hfejhxlrim> 2002/07/09 06:51:40 | |
読ませて頂きましたよ。(^-^) 今日は、久保 真です。(^-^) うわぁ〜・・・これはまたとても読みごたえある旅行記ですね。 実際4時間程掛かりました。(笑) なんていうのか、とても詳しく状況が書き込まれている為に、その場の 風景・状況が良く解りました。 しかし・・・ よくもまぁ、2度も乗り過ごしてしまったにもかかわらず修正する事が 出来ましたね。(^^; 道東なんて、列車の本数が極端に少ない訳ですから普通ひとつでも乗り 過ごしたら、即致命処になりかねないのに本当運が良いですよ。(笑) 青函連絡船・・・あれって台風による遭難事故でしたっけ? あれは、人為的判断ミスでもあるようですが、悲惨な事故でした。 はつかり・・・あれってなくなってしまうのですか!!? 残念ですね・・・ わたしは何時も『寝台特急ゆうずる』を使っていたのですが、一度だけ はつかりを使った記憶があります。 一度だけとはいえ、お世話になったものがなくなってしまうのは寂しい 限りです。 北方領土・・・これは、本当に切実な問題ですね。 この時の悲劇は、樺太でもありました。 樺太から引き上げて行く非戦闘員乗り込む客船がソビエトの軍艦より攻撃 を受け沈没。 まだ幼い子供達を乗せていたというのに。 これを護衛していた日本海軍駆逐艦は、何の抵抗もせずにその場を去っ て行った・・・と、記憶しています。 他、虎頭要塞での闘いとか。 こういった悲劇をどれだけの人達が記憶しているのでしょうか・・・ 海軍式敬礼・・・ははは。またマニアックですね。(笑) 確か、狭い艦内でも行えるようにと脇を締めて額の横でちょこんと行う 敬礼でしたよね。 でもこの旅行記、聖地以外の状況も良く解りまして良かったですよ。 車掌さんのマニアックさも再度確認出来ましたし。(^o^)/ 最後に木村少将が出て来た時は、意表を突かれたと共に思わず『にやり』 とほくそえんでしまいました。 いや、わたしも『そのへん』に関してマニアですから。(笑) 寂しい・・・ まったくもってその通りだと思います。 わたしも北海道から内地に戻る時は、何時もそうでした。 名残惜しいのです。本当に。 それでは、読みごたえある書き込み、ありがとうこざいました。 久保 真でした!!(^o^)/ |
└ありがとうございます。 専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 2002/07/10 15:58:59 ツリーに戻る
Re: 読ませて頂きましたよ。(^-^) | 返事を書く ノートメニュー |
専務車掌@日本国有鉄道北海道総局 <sqtnezvpex> 2002/07/10 15:58:59 | |
ありがとうございます。 お読みくださいましてありがとうございます。m(__)m いやあ、今回は今までの「巡礼」とは違って、殆ど自分の 意思で回ったものですから、かなりの長編になりました。 まだまだ書き足りないことも一杯あります。 北方領土に関して、樺太での悲劇も思い出しました。 樺太では、久保さんの仰る通り、脱出しようとした避難民の 輸送船がソ連潜水艦に撃沈された他、真岡(当時)の電話局で 女性交換手がソ連軍の侵攻をまえに持ち場にとどまりつづけ、 ソ連軍突入を察して「これが最後です。皆さん、さようなら」と 発信して全員が命を絶ちました。これは「9人乙女の悲劇」として 稚内のノシャップ岬に慰霊碑が建っています。 また戦闘停止後の軍事行動を止めようと、現地の陸軍指揮官は 自衛の戦闘を継続しつつ、軍使を2度派遣したのですが、2度とも 射殺されてしまっています。これはソ連が「樺太占領の既成事実」を 作ろうとしたものだとされています。 霧の向こうにあるであろう歯舞群島を目の当たりにしてそうした 歴史を改めて思い出しました。虎頭要塞の激闘も含めてそうしたことは 一切教科書に出て来ませんから、記憶している人はもう少ないでしょう。(特に虎頭要塞は通信不良のために戦闘停止も知らずに闘い続け、 脱出できた生存者が極めて少ないと言われていますから) |