友達の基準  椎名薫編


 お昼休み。
 食事を終えた私が本を片手にお気に入りのその場所までやって来ると、

「えっ?」

 意外な事に先客がいた。
 大学病院と隣の大学のちょうど境界にある人気のないベンチ。
 お昼の短い休みをここで過ごすのが私の日課であり楽しみであったのに、
 そこに今日は他人がいる。
 正確にいえば、その人はベンチに座っているわけじゃない、
 少し離れた所の芝生に寝転がっているだけれど。

「もう、いったい誰かしら」

 それでも、ひどく気分を害された気になる。
 この場所はあっちこっちを歩き回ってようやく見つけた安らぎの場所なのに。
 簡単に他人に荒らされてほしくはない。とっとと出て行ってほしいものだ。
 と、いっても、ここは私の私有地というわけじゃないのでそんな事は無理な話。

「はぁ・・・」

 現実の壁の前に、つい溜め息が漏れる。
 仕方なく別の所に行こうかとも考えたけど、ここを見つける時だって何日もかかった。
 次の場所がそう簡単に見つかるとも思えない。
 ともかく、事の原因である侵入者の事を調べてみる事にした。
 近寄ってみても、その人は動く様子はなく、完全に寝入っているみたい。
 性別は男性。
 年の頃は20才前後。 
 今までここに現れたところを見た事がない事から推察して、おそらく隣の大学の新入生なのだろう。
 彼の傍らには教材と、おそらくお弁当が入っているであろう包みが置いてあった。

「どうしよう・・・」 

 起こして何処かに行ってもらう。
 と、いう事を考えもしたけれど、私にそんな事をいう権利などありはしない。
 結局、私は彼の事は気にせず読書をする事に決めた。
 寝ているのなら邪魔される事もないだろうと思って。
 もし、起きて何か言ってきたら・・・。
 その時はその時で何か考えよう。



ピピ

 いつものように時計の電子音で休憩の終わりを知り、本を閉じる。
 そして辺りを見渡してみると、例の男の姿はなくなっていた。
 おそらく私が本を読んでいる間に目覚めて何処かに行ったのだろう。
 読書の邪魔をされなかったのは僥倖ね。
 できれば明日はいないでほしいわ。
 ここは1人でゆっくりとしたい場所なのだから。
 そう思いながら私は病院へ戻った。



 そして翌日。
 昼食を食べ終えた私がそこへ行くと、

「くー・・・」

 残念な事に昨日の男は安らかな寝息をたてながら気持ち良さそうに眠っていた。
 今日も傍らには教材と弁当の包みが置いてある。
 おそらく、ここでお昼を食べた後、残りの時間で昼寝をむさぼっているのだろう。
 ま、そんな事が分かったところでどうしようもないのだけれど。

「はぁ・・・」

 思わず溜め息をこぼした私だが、結局今日も気にせずそのまま読書に励む事とした。
 
 

ピピ

 そして、今日も電子音と共に読書の終わりがやってくる。
 そして辺りを見渡してみると、やはり例の男の姿はなかった。
 明日もいるのかしら?
 そんな事を考えながら私は病院に戻った。



 そして翌日。
 やはりあの男はそこで眠っていた。
 そして私が本から顔を上げる時にはいなくなっている。



 そんな日々を1週間程すごした。
 その間、私は彼が起きている姿を一度も見る事はなかった。
 そして彼の方も私が読書をする姿以外見た事がないだろう。
 私たちはそんな風にすれ違いながらもお昼の一時を共に過ごしていたのだった。



 そんなある日。
 私は一冊の本を読み終えた。
 表紙とタイトルが気に入ったのでなんとなく買った本ではあったが、これが思いの他おもしろかった。
 久しぶりに本当に面白いと呼べる本に出会った気がする。
 この作者も今度からお気に入りにしておこう。
 そんな風に心地よい読後感に浸りながら辺りを見渡していると、

「あら?」

 私の目に例の男の姿が飛び込んでいた。

(珍しいわね)

 そう思って時計を確認すると、いつもの時間の2分前。
 いつも彼が何時いなくなっているのか知らないけれど、やはり珍しい事なのではないだろうか。
 そのまましばらく男の姿を眺めていると、

ピピ

 電子音が鳴り、いつもの時間が来た。
 しかし、男は今もそこに寝転がったままだ。

(まだ眠ってても平気なのかしら?)

 普段の私ならほんとんど見知らぬ他人の事など気にしないのだろうけど、
 今までの日々で彼になんとなく親近感みたいなものを感じていたせいか、
 それとも本を読み終えて気分が高揚していたのか、
 理由は分からないけれど、気がついた時には私は彼を揺り動かして起こそうとしていた。

「もしもし、まだ眠っててもいいのかしら?もう起きた方がいいんじゃない」

「うぅ・・・」

 私が肩揺すって声をかけると、彼はゆっくりと目を開いた。
 そして、私の顔を見て不思議そうな顔をする。
 まぁ、いきなり知らない人に起こされたら不思議に思うでしょうね。

「目が醒めた?もうすぐお昼が終わってしまうけれど、まだ眠っていてもいいのかしら?」
 
「えっ?」

 彼はぱっと身を起こすと自分の左腕の時計に目を走らせた。
 
「12時半・・・?いや、違う・・・秒針が動いてない」

 彼はそう呟くと、しばらく身動きを止める。

「あの・・・今何時ですか?」

 そして、ギギギといった感じで私の方に首を回すと堅い表情で恐る恐る時間を聞いてきた。

「もうすぐ2時になるかしら」

 私は自分の時計を見ながら教えてあげると、

「・・・・・・・・・・・やっばい!!遅刻しちまう!!!」

 彼は慌てて教材を引っ掴んで立ち上がった。
 そして駆け出そうとしたのだけれど、

「あの、ありがとうございました」

 一瞬だけ立ち止まり、私に礼を言ってから走って行った。

「ふぅ・・・慌しいわね」

 私はだんだんと小さくなる彼の後姿を見送りながら、
 ‘私は何故こんなお節介をやいていたのだろう?’
 と、自分で自分の行動を不思議がっていた。
 しかし
 ‘ま、そんな日もあるわよね’
 と、単純な理由をつけて自分を納得させた。
 悪い事をしたわけでもなし、それでいいだろう。

 そして私は病院に戻ろうとしたのだけれど

「ん?」

 彼が寝ていた辺りである物が目に止まった。
 それは、お弁当が入っているであろう包み。
 どうやら彼はそれを忘れて行ってしまったらしい。
 すぐに彼が走って行った方を見たが、すでに彼の姿は見えなくなっている。



「・・・困ったわね」

 私はしばしお弁当を前にして頭を悩ませた。
 気づかなかったのなら仕方がないけど、気づいてしまっては無視する事も出来ない。
 だからといって彼に届けてあげる事も出来ない。
 なぜなら彼の名前も学部も何も知らないのだから届けようがない。
 このまま置いておけば彼が気づいて取りに来るかもしれないけど・・・。
 その確証がない以上、放っておく事はなんだか後ろめたい。

「仕方ないわねぇ・・・」

 結局私はそれを一時自分で預かる事にした。
 どうせ明日もまたここで会えるのだからその時渡せばいいだろう。
 そう思って。



 
 そして翌日。
 今日は昨日拾った包みを持ってその場所へ行くと、例の学生は予想通りそこにいた。
 しかし、今日は眠ってはおらず、芝生に這いつくばって辺りをきょろきょろと見渡している。
 おそらく、この包みを探しているのだろう。

「もしもし、もしかしてこれをお探しですか?」

 私は彼の側まで近づくと、包みを差し出しながら声をかける。

「えっ・・・。あっ!それは!!」

 すると、彼は包みを見ると目を丸くして驚いた。
 やはり、これを探していたらしい。

「昨日、ここに落ちてましたよ」

「いやぁ〜、ありがとうございます。いくら探してもないから、おかしいなと思ってたんです」

「ごめんなさい。余計な事をしてしまったかしら?」

「いいえ。僕も昨日家に帰ってからない事に気づきましたから。預かっててくれて助かりましたよ」

「そう、ならいいのだけど」

「あっ。そういえば、あなたは昨日僕を起こしてくれた人じゃ・・・」

「ええ、そうよ」

「うわっ。これは重ね重ね。どうもすみません」

 彼は小さくなってもう一度頭を下げてきた。

「いいのよ、別に。それよりあなたっていつもそこで寝ている人よね?」

「はい。そこに大学の1年で、秋田公一っていいます。
そういうあなたはいつもそこのベンチで本を読んでいる人ですよね?」

「そうよ。そこの病院の研修医で椎名薫」

 こうして私たちはお互いの存在を知ってから10日という時を挟んでようやく名を知り合った。
 思えば不思議な縁である。
 彼がお弁当の包みを忘れなければ、ずっと知り合う事もなかったかもしれないのだから。



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