最終行程〜釧路を後に
 道東紀行もそろそろ終盤に差し掛かってきた。いよいよ東京に
帰らなければならない。正直言って帰りたくないのだが、生活の
基盤は向こうにあるので、帰らざるを得ない。
 帰りの汽車も特急の座席を転用したものだった。発車前に改めて線路の終端に目を向ける。
「昔はここから更に先へ根室拓殖鉄道というのが
出ていたのだが・・・」と思い出した。しかし鉄道は既に過去のものとなり、会社は「根室交通」
というバス会社となっている。
だからここが今の鉄道の「東の果て(イースト・エンド)」なのだ。
 汽車はがら空きで根室を発車した。今度は各駅停車なので、一駅ずつ
丹念に停車していく。快速では見落とした駅も見ることが出来た。
 昆布森を出たあたりで霧に包まれたが、厚岸に着く頃には日が差していた。
だが釧路に帰りつくとまた曇り。根室本線沿線も結構天気が変わりやすい。
 釧路に着いてもしばらくは席を立てなかった。今度乗る「スーパーおおぞら」で、
本当に釧路を去らなくてはならないのだ。
寂しさがこみ上げる。北海道の旅の終わりと言うものは本当に未練が残るものだ。
 それでも乗り継ぎ待ちの間に時間があったので、駅前に集うバスを
撮影しておく。今回の旅は本当にバスの世話になった。北海道のバスは
道が広いこともあって伸びやかに走っている印象だった。その姿を記録
しておきたかった。
 やがて時間がきた。特急「スーパーおおぞら」はエンジンの轟音をあげて釧路を発車した。
いよいよ釧路ともお別れだ。でもPMでの鮎ちゃんの一言
「これで今生の別れって訳じゃないんだから、そんなに悲しそうな顔をしないでよ」
が聞こえてきた。そう。帰ればまた来ることが出きるのだ。また退屈・憂鬱な日々が続くだろうが、
またここに来られることに希望を託して、しばしの別れとしよう。
 汽車は白糠・池田・帯広・新得と思い出を刻んだ駅を駆けていく。車販が回ってきたので
ビールを買い、呑むことにした。
呑みながら今回の旅を回想する。実に思い出深い道中だった。4日間とはいえ、かなり密度
の濃い旅だった。また、ここに来よう。
 新得を過ぎ、トンネルに入ったとき眠り込んだ。車内放送で目を覚ますと南千歳の手前だった。
次は夜行急行「はまなす」だ。

終 幕
 南千歳から夜行急行「はまなす」に乗り継ぐ。これに乗れば明朝5:18に青森に着く。
本当に北海道とお別れだ。
 今回乗車した「はまなす」は指定席。グリーン車の座席を転用した
リクライニングシートの「ドリームカー」だ。本当はカーペットカー
にする予定だったのだが、車両検査のため欠車。かわってこの座席車に
なった。でも座席が深く倒れるからよしとしよう。
 指定された座席に着いてからしばらくは起きていたのだが、程なく眠りに落ちた。
しかし函館でまとまった乗車があり、一度眠りを破られる。
午前2時というのに乗る人がいるのだ。
 次に目覚めたのは「おはよう放送」だった。函館で方向転換したために汽車は後向きに
走っている。寝台車だとどちらでもいいのだが、座席だと「あれ?」となる。
それでも特に違和感は感じなかった。他の乗客も同様で、座席を転換した人はいなかった。
 後向きで青森に到着。ここからは特急「はつかり2号」に乗り継いで
盛岡へ。青森を出ると、次第に北海道が遠ざかっていくことを実感した。
 盛岡からは「MAXやまびこ38号」で上野へ。これが本当のラスト・コースになる。
次第に遠ざかっていく北海道に後ろ髪を引かれつつも、私はまた現実の世界に戻ってきた。
上野で下車して、終着駅東京へ向かう「MAXやまびこ38号」を見送ると、私の旅は終わった。
長いようで実に短く、同時に「濃い」旅になった。旅の余韻を引きずりながら自動改札を抜け、
家への道についた。

    〜〜〜〜〜〜専務車掌の爆笑道中記 完〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

あとがき
 今回は巡礼を意図しない、純粋な北海道紀行になりました。
初めての街、初めての駅、そして10年以上訪れなかった街・・・・
本当に楽しく、充実した行程でした。また道東へ行ってみたいものです。
 帰る時は、本当に寂しくなりましたが、何時も北海道から帰る時に
浮かぶ言葉があります。それを記して今回の結びとします。

 「帰ろう。帰ればまた来ることができる」
     (大日本帝国海軍 第一水雷戦隊司令官 木村昌福少将)
 

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