7/4 釧路を発つ。
5:55に釧路を発車する快速に乗車するつもりで、携帯のアラーム
をセットし、そしてそれで目は覚めたのだが、ぼんやりしてまどろんでいたら、
何時の間にか時刻は5:45!
「ゲゲッ!間に合わん!」と思いつつも取敢えず荷物をまとめてホテルを出る。
この後の汽車で行けるところまで行こう。
釧路駅前に来たとき、本来乗る予定だった快速がエンジンを唸らせて発車していった。
あ〜あ。
次は厚岸行きの汽車があるから、それに乗ろう。今日は霧多布と納沙布岬を回る
ことにしている。霧多布へは浜中からバスに乗る予定だが
これで間に合うかな?
厚岸行きの汽車も単行の気動車だった。ガラガラで釧路を発車。
乗降も殆どないまま走る。沿線は人家もまれな地域。駅も今では
大半が無人駅だ。「旅客営業成り立つのかいな」と心配になる。
途中、上尾幌で釧路行きと行き違う。ここも人気は殆ど無かった。
次の尾幌で通学生を乗せて厚岸到着。ここで次の根室行きを待つ。
ただ、この根室行に乗っても浜中でバスに乗れるかどうかが分からない。
今回は時刻表を現地調達するつもりで居たが、時間が取れなくて
時刻表が買えずじまいになっていた。だからこうして予定が狂った時は
困る。
厚岸駅前からバスが出ているようなので、時刻表を見たら、霧多布まで
行くバスは無い。また本数も少ない。
霧多布を諦めて根室に直行しようかとも考えたが、待合室の売店に
「道内時刻表」があったので、まずはそれを買い、乗り継ぎ時間を見る
ことにした。
すると、何たる天佑!次の根室行きでも当初の予定にある霧多布行き
のバスに乗り継げることが判明した。とはいえ、綱渡りでもある。乗り
継ぎの時間がたった1分しかないのだ!浜中駅が橋を渡って改札を出る
ような造りになっていたら間違い無く「アウト」である。しかしこれに
乗れば当初の予定に復帰できるのだ。この1分に賭けてみよう。
そう決心してまたノートの整理をしていると、目当ての根室行きの改札
が始まった。今度の汽車も単行ワンマン。
ところがこの気動車、乗ってみて驚いた。座席が特急型のものに交換
されている。そしてお互いに中央を向くように配置されていて、中央は
大テーブルがある4人がけの席になっているのだ。
私は進行方向に背を向けた席に着いた。そうした席しか空いてなかったから。
霧多布訪問。
厚岸を発車した普通列車は海沿いを進み、湿原をかすめて走る。途中
の湿原では鹿の親子が走っていくのが見えた。
いよいよ浜中だ。何としても1分の乗継をクリアしないと予定が滅茶苦茶になる。
そう思うと気が気ではなかった。浜中到着の放送が流れるとすぐにデッキに立ち、
ダッシュの姿勢をとる。運転士が扉を開けたら、切符を見せて飛び出すのだ。
浜中到着。扉が開くと同時に運転士に切符を見せて飛び降りる。ホームの目の前
は駅待合室でバスが指呼の間に止まっている。全速で走った。もたもたしていると
目の前で扉を閉められて置いて行かれかねない。夢中だった。
そして無事バスに乗車。少し間を置いて発車した。バスは駅を出ると
山を降りるようにして霧多布市街地へ向かう。
バスは山道を降りると広い道を淡々と走る。空いているからと言って
飛ばしたりはしない。停留所が次々と現れるが乗降は全く無い。
バスは浜中町役場の前(本当に正面)に立ち寄るが、ここでも乗降
無し。余りの乗客の無さに背筋が寒くなった。役場前を出てからは
上り坂にかかり、山の上に向かう。そして保養施設の前で終点となった。
終点のバス停は「霧多布温泉ゆうゆ」。初めて見る施設だ。こんなのがあるとは知らなかった。
ここで1時間ほど取ってある。霧多布岬らしい方角に見当をつけて歩くことにするが、
徒歩では岬に行けそうも無い。レンタサイクルに乗った人がすれ違ったので、私も自転車を
借りることにした。再び「ゆうゆ」に引き返す。この駐車場の1角にレンタサイクルの事務所が
あった。扱っているのは、何とここまで来たバス会社。自転車が1台だけあったので、
申し込もうと中に入る。中にはさっき乗ってきたバスの運転士が休憩していた。
用件を告げて申し込み用紙に記入して自転車を借りた。1時間300円で、最初に1時間分
を前金で支払う。
さて、自転車に乗って霧多布岬へ行こう。谷を上下して進む。途中の
標識には「霧多布岬まで2km」とあった。
自転車を運転していたら、沿道に牧場が現れた。馬が何頭か草を食べている。
自転車を止めて写真を撮っていたら、放牧されていた1頭が近寄ってきた。
柵越にじっとこっちを見ている。
やがて立ち去ろうとすると馬が名残惜しげに2.3歩ついてきた。
「さよなら」と手を振って別れ、再び自転車を走らせる。
やっと霧多布岬の駐車場に到着した。しかし車もまばら、人影も無い。
でもこっちの方が落着いて歩ける。
自転車を降りて岬へ向かうとものすごい霧が出てきた。海が霞んでしまっている。
断崖から海を見ようにも視界が利かない。
7月だと言うのに気温も低く、この霧に閉ざされた海を見ているうちに恐怖を感じた。
断崖の遊歩道を上がって自然のままになっている草地を歩いてみると、石碑が1つ立っていた。
近寄って見ると「海難者慰霊の碑 浜中町長 喜島賢吾」とある。どうやらこの近海で遭難し、
亡くなった犠牲者を弔うために建てられたらしい。姿勢を正して海軍式の敬礼をし、そして頭を下げる。
このあたりで遭難した人達はさぞかし苦しい思いをしただろうなあ。霧で視界は利かない、海は冷たい。
海の霧ほど恐ろしい物は無い。完全に方向感覚を奪うからだ。
海難者の慰霊碑を後に、またバス停に戻る。バスの発車までには着かないと。帰り道にも放牧の
馬が何頭かいた。
下車した「霧多布温泉ゆうゆ」バス停から、またバスに乗って浜中駅に向かう。
これで当初の予定に復帰した。次は根室だ。
根室へ。
浜中駅に戻ると、今度は快速「ノサップ」で根室へ。
汽車は人家の少ない原野を飛び跳ねるような速度で走る。快速だから
途中の駅は幾つか通過。しかし通過したのもわからない。駅が見えないのだ。
途中の落石で釧路行きと交換して、再び発車。すると沿線に牧場が現れた。
それもかなり大規模でまとまった数である。こんなところに牧場があるとは知らなかったので、
驚いた。牛、馬が悠然と草を食べている。見るだけでは勿体無いと車窓越しにシャッターを切った。
ようやく人家が見えてくれば根室は近い。
根室に到着した。ここは日本の東の果ての駅。線路はホームの先で終わっている。
ここからはバスに乗り換えて納沙布岬を目指す。歯舞群島が見える
というが、どうなんだろう。
人家がだんだんと減り、海が間近になったところが納沙布岬バス停。
終点である。降りてみて、かなり気温が低いことを悟った。念の為に
上衣を着ていたのだが、それで丁度いいのだ。
なお、ここではバスで一緒になったお爺さんと見て歩くことになった。何でも山口県の
萩から航空機を乗り継いで来たという。昔語りを聞きながら岬を回った。
さて、この納沙布岬からは歯舞群島が見えるということだが、今日は濃霧に閉ざされていて
島は全く見えない。崖の下に海面が波打っているだけだ。それでもここに来てみると、
大東亜戦争末期に起きた地獄絵図と、当時のソビエトのやり方に対して憤懣やる方なし、となってくる。
1945年8月15日、戦闘停止という命令が出されていて武装解除を受けるばかりになっていた
日本軍を奇襲し、樺太南部を強奪、そしてこの千島も奪い取った。この無法振りは歴史から
消すべきではないと痛感した。
ここには、「祈りの鐘」がある。北方4島が帰ってくることを祈念してのものだ。
大東亜戦争末期にこの地域で命を落とした日本人に対する慰霊の思いを込めて鐘を2度鳴らす。
霧に閉ざされた海に響き渡った。
それにしても、何時になったらこの問題は解決するのだろうか。霧の海を見ながらやりきれなくなった。
この後は、バスの時間まで資料館を見学する。千島列島の立体図や、千島の歴史資料など、
貴重なものを見ることができた。
再びバスに乗って根室駅へ戻る。来るときと同じバスだった。バスに乗ろうとした時、霧の一部が
消えて海の向こうに島らしきものが見えた。同行していたお爺さんにもそのことを告げると、
お爺さんは運転士にあれは島かと聞いた。運転士からは「あれが歯舞群島の1つです」というこたえが
帰ってきた。あれがそうだったのか。本当に手を伸ばせば届きそうなところだ。
こんな目の前に奪われた島があるとは・・・・
帰り際に、少しだけでも島を見せようと言う天の配剤だろう。
バスは再び根室駅前目指して発車した。あらためて沿道を見ると、
「島は奪われた」という看板が点点と立っている。ここの人達にとっては切実な問題なのだろう。
バスは順調に走って根室駅前に着いた。お爺さんとはここでお別れ。
私は普通列車で釧路へ戻るのだ。
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