友達の基準 川原鮎編(1) 「琴梨ちゃん、琴梨ちゃーん」 テニスの部活中、不意に琴梨を呼ぶ声がコートに木霊した。 最近聞きなれたこの声の持ち主は・・・。 嫌な予感を覚えつつも振り返ってみると、そこには、 「琴梨ちゃ〜ん」 予想どおり、里中先輩がこちらに向かって駆けてくる姿があった。 私たちの1年先輩の幽霊部員、里中梢。 最近まで部活中はほとんど姿を見なかったんだけど、ついこの間、ふらりと部活に顔を出しにきた。 でも、2年や3年の先輩からは相手にされず、1年もどう扱っていいか分からず戸惑っているばかりだった。 けれど、なぜか琴梨だけは先輩に気軽に話しかけ、テニスのレッスンまで始めたのだ。 後輩にレッスンを受けるのもどうかと思うんだけど、 里中先輩は気にした様子もなく、うれしそうに琴梨から手ほどきを受けていた。 琴梨の方も実に楽しそうにしていたので私たちは何も口出しできなかったのだ。 それ以来、里中先輩は以前よりかは頻繁に部活に顔を出すようになった。 しかし、部活に来ても大抵は琴梨としゃべっているだけで、練習なんてしてないんだけど。 どうやら里中先輩はあれ以来、琴梨が大のお気に入りになったらしい。 「あっ、里中先輩。おはようございます」 琴梨も先輩に気づいたようで、うれしそうに顔をほころばせた。 あんな先輩に会って何がうれしいのか私にはさっぱり分からないんだけど、 琴梨は先輩の顔を見ると、いつもうれしそうにする。 以前、先輩の事をどう思っているか琴梨に聞いた事があるんだけど・・・。 「えっ?里中先輩。うん、一緒にいると楽しいよ。 先輩ってとっても頭がいいの。私が知らないような事いーっぱい教えてくれるんだ。 知的な感じでちょっと憧れるよね」 琴梨にとってあの先輩は知的で憧れの対象になるらしい。 とても信じられないけど。 悪い人じゃないっていうのは、ここ最近琴梨と一緒に付き合ってみた感じで分かるんだけど。 でも、私はどっちかというと苦手だな。 そんな事を考えている間に先輩は琴梨のすぐそばまでやって来て話しかけていた。 「もぅ、梢でいいって言ってるのに、いつまでもそんな他人行儀な」 いや、他人でしょうが。 「でも、先輩は先輩だし・・・そんな呼び捨てなんて・・・」 琴梨はちょっと困った顔をしながら照れくさそうに答えた。 当然の反応よね。 「う〜〜、もう!琴梨ちゃんったら、いつも可愛いわぁ♪」 「きゃあ!」 「ラブラブ」 何を思ったのか先輩は唐突に琴梨を抱き締めると、すりすりし始めた。 この行動はさすがに周りの目を引いたらしく、あたりから好機の視線がビシバシと突き刺さってくる。 中にはこっちを見ながらクスクス笑っている人までいるし。 「あの、先輩、ちょっと、止めてください」 さすがにこれは琴梨も嫌だったらしく、恥ずかしそうにしながら先輩に腕に中でもがき出す。 だから、仕方なく先輩は残念そうにしながらも琴梨を解放した。 「も〜。琴梨ちゃんって照れ屋さんね」 いや、本気で嫌がってたと思うよ。 「ふ〜・・・」 先輩から解放された琴梨は少し頬を赤らめながら大きく安堵の吐息を吐き出している。 災難だったね、琴梨。 でも、先輩はいったい何をしに来たのだろうか? テニスウェアは着ているけど、どうせ練習しに来たわけじゃないんだろうし。 「ところで、今日は何の用なんですか?先輩」 その疑問を解消すべく、私が声をかけると、 「あっ!鮎ちゃん。おっはー」 先輩はようやく私がいる事にも気づいたのか軽い口調で挨拶してくる。 呆れた。どうやら琴梨しか目に入っていなかったみたい。 「そうそう。あのね。今日は聞きたいことがあるんだけど」 「えっ。なんですか、先輩?」 「琴梨ちゃんって、彼氏と同棲してるってホント?」 【・・・・・・・・・・・・・・・ええっーーーーーーーーーー!!】 ことさら大きな声で言ってくれたこの言葉には、その場にいた全員が度肝を抜かれた。 「え」 あまりに衝撃的な質問だったため琴梨は小さく声を漏らした姿のまま硬直して身動き一つしない。 周りのみんなも絶叫した後は呆気にとられたまま動きを止めている。 ポン ポン ポポン ただ、テニスボールだけが地面を跳ねて皆の後ろを転がってゆく。 「どうなの?ホントなの?」 「あっ、あっ、あの・・・」 琴梨は先輩の声でようやく硬直が解けたのかシドロモドロに話し出した。 しかし、その口は金魚のようにパクパクと動くだけで、まともな言葉は何一つ吐き出さない。 しかも、真っ赤になったその顔は言葉よりもはるかに雄弁に事実を肯定していた。 「やっぱりそうなのねぇ〜」 「ええっ!あの、その・・・」 妙にうれしそうな先輩の言葉を聞いて、琴梨の顔が耳まで真っ赤になる。 琴梨、それじゃあ肯定してるのと同じだよぉ・・・。 ザワッ そして、先輩の言葉と琴梨の態度で、周りの皆がざわついてきたのが感じ取れた。 マズイなぁ。このままじゃ琴梨が晒し者になっちゃう。 「琴梨!!」 私は友人を危機から救うため、琴梨の側まで駆け寄るとその腕を取った。 「先輩!!」 そして先輩の腕も同時に取る。 「えっ?」 「どうしたの鮎ちゃん?」 「こっち来て!!」 ズザザザザザザザザザザザザザ そして、2人を半ば引きずるようにしてその場を一目散に走り去った。 残されたみんなは奇異な目をして私たちを見ていたけど仕方がない。 強引だったけど、これしか方法が思いつかなかったんだもん。 「ちょっと、鮎ちゃん!いきなり何なのよぉ?」 引きずっている最中、先輩が文句を言ってきたが構っていられない。 それに、いきなりなのはそっちの方だ! 「はー・・・はー・・・ぜー・・・ぜー・・・」 そして、校舎裏まで2人を連れて来た時には私の息は切れきれになっていた。 さすがに2人分の体重をここまで引っ張ってくるのは骨が折れたわ。 「もー・・・。靴の踵が磨り減っちゃうじゃない。どうしたのよ鮎ちゃん?」 「どうしたも、こうしたも・・・」 この人は自分が何をやったのか本当に分かったないのだろうか? そんな気配はまったく見せず、先輩は不満そうに顔を曇らせながら、しきりに靴を気にしている。 「はー・・・。鮎ちゃん、いきなり走り出すんだもん。びっくりしたよ」 琴梨の方はこの逃走劇の間に落ち着きを取り戻したのか、普通に話せるようになっていた。 「で、同棲してるんでしょ?」 なのに、先輩が話を蒸し返したせいで琴梨の顔はまたすぐに茹で上がった。 「ど、どど、同棲じゃないですよ!ど、同居です。お母さんも一緒に住んでます!」 でも、今度はちょっと言葉につまりつつも、ちゃんと言い返している。 「同居ねぇ・・・。でもそれって一緒に住んでる事には変わりないと思うけど」 「あぅぅ・・・」 「それに、琴梨ちゃんのお母さんって仕事でよく家を空けるんでしょ。その時はやっぱり2人っきりよね」 「そ、そうですけど・・・」 「じゃあ、やっぱりその・・・あれよね。色々・・・その・・・経験してるわよね」 いつもズバズバとものを言う先輩が珍しく口篭もった。 さすがの先輩もこういう話題には慣れていないらしい。 ちょっと意外かも。 「え?何の事ですか?」 しかし、鈍い琴梨には何の事だか分からなかったみたい。 キョットンとした顔で先輩を見つめ返している。 「だから・・・」 先輩はバツが悪そうにしながら琴梨の耳に口を寄せるとゴニョゴニョと何か囁いた。 何を言っているかは私には聞こえなかったけれど、 湯気が出そうなほど真っ赤に染まってゆく琴梨の顔を見ればだいたい予想はついちゃう。 下世話な事を聞くなぁ・・・。 と、思ってはみたものの。実は私も興味があったりする。 琴梨にはそういう事をなんとなく聞き難いから今まで聞けなかったけど。 でも、まぁ・・・。あの2人の事だから、だいたい答えは分かってるんだけどね。 「し、してないですよ。そんなことぉ!!!」 琴梨はぶんぶんと両手を振りながら力一杯否定した。 やっぱりね。 「そうなの?意外ねぇ・・・。 こ〜んなに可愛い琴梨ちゃんと1つ屋根の下で暮らしていたら、私なら絶対押し倒してるよ」 おいおい。 「ぁ・・・」 ほら、琴梨もちょっとひいちゃってるし。 「あ・・・。あはは、冗談よぉ〜。やだなぁ琴梨ちゃん。ほんの冗談だってば」 琴梨がひいているのに気がついたのか先輩が笑ってフォローをいれてきたんだけど。 先輩、顔が引きつってるし、わざとらしいよ。絶対本気で言ってたでしょ。 「でも、キスぐらいはしたことあるでしょ」 「あ・・・・・・・はい」 懲りずに尋ねてくる先輩に琴梨は消えそうなくらい小さな声で答えた。 「そうよねぇ〜。やっぱりしてるわよね、で、何回ぐらいしてるの?」 「えっ?何回って・・・」 「やっぱり、おはようからおやすみまで、お出かけとお帰りも合わせて1日4回は基本よね」 それって基本なの? 誰が決めたのそんなこと? 「そんな!!してない!そんなにしてないですよぉ!!」 「してないのぉ?じゃあデートの時限定にして焦らしてるのね。琴梨ちゃんってばテクニシャン」 テクニシャン?あの琴梨が?それはないな。 「してないです」 その質問にも琴梨は小さく答えた。 「えっ?じゃあ、いつしてるの?」 「一回しか、したことないです」 あれれ、これは私も意外。 さすがにもっとしてると思ってたけど、2人ともそこまで奥手だったんだ。 「じゃあ、そのファーストキスの時の話を聞かせてほしいなぁ〜」 「あの・・・えっと、その〜・・・」 琴梨はもともと赤かった顔をさらに赤らめ、指をもじもじとさせ始めた。 私は以前に聞いたことがあるけど、その時も琴梨は恥ずかしそうにしてたなぁ。 その時、琴梨には‘絶対秘密にしてね!’って約束させられたんだけど。 「ぅ・・・」 あっ、琴梨が母犬にすがる子犬のような目で私をちらりと見た。 ‘助けて鮎ちゃん。シクシク・・・’と、でも言っているようなあの目。 私、あの目に弱いのよねぇ。 しょうがない、助けてあげようかな。 先へ進む→ |