『18』


 時は、まだ昼過ぎ。

「いや〜、面白くなってきましたね」

 そう言ったのは、斎藤……いや、藤田巡査長である。
 藤田巡査長は何故か上機嫌である。
 斎藤は、ただ鬼が出てきた事が面白かった訳ではなく、芹沢と新見が生きていた事、
鷲王と呼ばれる、強い力を持った、おそらく第三種の鬼が現われた事、そして、歪みか
ら現われた、鬼と思われていた者が、人の言葉を喋り、鬼ではなかった事実。
 これから、何だかややこしい事になりそうなので楽しみなのだ。
 しかし、誠にとっては、全然楽しくなかった。当然である。
 誠は本来、一生の依頼を受けて、紅桜と、失踪事件の真相を調べに来ていたはずだ。
 しかし、いつの間にやら、誘拐事件にでくわしたあげく、芹沢や新見といった元同胞
と戦うハメになり、鬼まで出てきた挙句に鬼だか人だか分からない「存在」を確認して
しまった。

 今、誠達が戦った場所には、多くの警察官がうろうろと動き回っていた。
 鑑識員も来て、トラックやら何やら写真に撮っている。
 人語を喋った鬼のような者だった物が出現した場所は、写真に撮られた後、残った肉
片と思わしき物を、鑑識員が悪臭に鼻を曲げながら回収していた。
 誠達も、鬼切という事で、多少の遠慮はあったものの、事情聴取に長々と付き合わさ
れた。
 しかし、それも斎藤が担当したため、誠達との会話は、聴取、と言うものよりも、ど
ちらかというと作戦会議に近かった。
 誠は今、天水村警察署の尋問室に、斎藤と二人きりで座っていた。
 そこで、斉藤の先ほどの言葉である。

「全く面白くないですよ、藤田さん。何で俺が尋問されてるんですか? 俺は、早く元
 の依頼の仕事に戻りたいんですが」
「まあまあ、そういらいらせずに。あ、カツ丼食べます?」
「いりませんよ」
「そうですか……残念。ここのカツ丼、結構美味しいって、身内では評判なんですよ」
「カツ丼なら、ちゃんとした店で食べるから心配いらないですよ」
「そうですか。水波ちゃん、物凄く喜んでましたよ。じゃあ、まあお茶でも」
「あの馬鹿、何食ってんだ。いただきます」

 お互いに、お茶をひとすすりすると、斎藤が誠を前にして、ずずっと顔を寄せてきた。

「いや、あなたを尋問するようなお馬鹿な真似はしませんよ。だいたいの事情は、楠さ
 んや、御月さん、木乃花さんから聞いていますから。その証言が一致している事から、
 あなたは無罪放免ですよ。……まあ、この尋問室って、密室な上に、外から見えない
 から、密談するのに最適なんですよ。結構いいでしょ、ここ」
「この時代に、こんな古風な部屋が残っていたんですね。今では、容疑者だけを、二メ
 ートル四方の狭い部屋に押し込んで、精神的圧迫を与えながら、尋問官はマイクで語
 りかける。でも、中の様子は、マジックミラーで丸分かり、っていうのが主流なのに」
「ほう。良くご存じで。しかし、ものは考えようです。むさ苦しい警察官と二人きりで
 夜寝ずで尋問されるのも、十分地獄ですよ、これ」
「基本的人権にひっかかりませんかね」
「その基本的人権を踏みにじった犯人さんに、そんな事を言う権利はないですよ」

 警察官とは思えない台詞をしれっと言い放つと、席から立ち上がり、斎藤は目を細め
た。

「さて、今回の事件、どう思います? 率直なご意見をお聞きしたいですね」
「その質問は、警官として、ですか?」
「新選組としてですよ、もちろん」

 顔は相変わらず笑っているが、斎藤の目が、人のいいそれから、色を変えて鋭さを
増した。

「さあ……。どうでしょうね。俺には、まだ何が何だか分かりません」
「芹沢と新見は、何故木乃花さんをさらったりしたんでしょうね」
「それも分かりませんね。ただ、彼等にとって、彼女が必要か、邪魔な存在だった事は
 確かなようです。……しかし、芹沢の態度からして、重要人物というような扱いは受
 けていなかったようですけどね……」
「あの馬鹿者は、たとえそれが重要人物であっても、自分が気に入らなければ乱暴を振
 るいます。そういう奴なんですよ。だから、木乃花さんが無傷だった事に、私は驚い
 ているんです」

 斎藤は、煙草に火をつけると、思いきり吸い込んで、嫌な思いででも思い出したか、
眉をしかめながら、思いきり吐き出した。
 そして、にやりと微笑むと、誠に話しかける。

「木乃花さんは、あなたの恋人なんですか?」
「なんでそういう話になるんですか」
「いや、トラックの荷台で、芹沢を目の前に見せつけていたじゃないですか」
「あの人は……、何というか、不思議な人ですね。好意があってやってるのか、ただ単
 にからかわれているのか、全く分かりませんよ、俺にも」
「じゃあ、心を許して何でも話してくれてる、という訳ではないんですか?」
「全く。肝心な事はさっぱり。……というか、どこかずれてるんで、話しがうまく繋が
 らないんですよ」
「困りましたねえ……私としては、あなたから何か聞き出せるとばかり思っていたので
 すが」
「……俺から、何を聞き出すつもりだったんですか?」
「それはもちろん、木乃花 咲耶の正体についてですよ」
「……正体?」
「ええ。芹沢もただの馬鹿ではないですからね。何か裏に含むものがあるはずです。し
 かも、鷲王なる者や、『御方』と呼ばれた存在、ケイという騎士……。彼等が、木乃
 花 咲耶を、何とかして手に入れようとしたのは確かです」
「咲耶さんが、鬼と何か関わりがあると?」

 ここで誠は、咲耶が鬼と人のハーフである事を思い出したが、あえて伏せておく事にし、
斎藤の様子を伺う。

「あなたが調べている失踪事件とも……何か関わりがあるかもしれませんよ。何せ……、
 芹沢達が消えた同じ歪みから、鬼のような人みたいなものが出てきたんですから」
「どういう意味ですか?」
「……これは憶測に過ぎませんけどね、あれ、失踪した人かもしれない、と、私は踏んで
 いるんですよ」
「……」
「どうやら、同じ事を柊さんも、お考えだったようですね。だとしたら、やはり今回の事
 件は面白い事になりそうだ」
「面白いですか?」
「失踪した人間は、どこでいなくなったか。そして、そのいなくなった場所に誰がいたか。
 何故、芹沢達は、木乃花嬢が必要だったか。そして、歪みから出てきた人のような者が、
 あの失踪事件でいなくなった人達だとしたら……」

 そこまで言って、斎藤は、にやりと口の端で笑い、言葉を続ける。

「……柊さん、面白いと思いませんか?」

 誠はその時、斉藤の目が、狼のように鋭くなっていく事に気付く。
 それはもはや、警官のものではなかった。

「鑑識の結果が出てみなければ分かりませんが、おそらく、人間の遺伝子配列が出ると思
 いますよ。……そして、たぶん、失踪した方の一人と一致するはず……さあ、どうしま
 しょうかね」

 椅子に座り直して、誠にささやくように、斎藤は語りかける。

「柊さん、あの木乃花という女性はまだたくさんの事を隠している。それは、あなたも良
 く分かっているはず。持ちつ持たれついきましょう。警官であり、器使いでもある私を
 便利に利用しない手はないですよ」

 そこまで言って、誠は解放された。
 新選組を、どこまで信用していいものか。誠には掴みかねていた。
 彼等が動いている理由すら、誠には分からなかったからだ。
 誠も、完全に咲耶に心は許していない。しかし、咲耶は、あの夜、
「失踪事件をどうにかしたい」
 ……そう言った。誠は、その時の咲耶の言葉と表情を信じたいと思った。
 結局、防衛庁がからんでいる事も、誠は斎藤には言わなかった。
 下手に話して、警察が圧力をかけてきたり、非協力的になられるとやっかいだったから
だ。
 まあ、斎藤がそんな事を話すヤボな人間でない事は分かっていたが、保険という意味も
あり、誠は応えるのを避けたのだ。
 何にしても、咲耶は、一度光基神社に連れて行こう。
 誠はそう思い、警察署を後にした。



「柊さ〜〜ん!」

 そう行って駆けてきたのは、ミハイルである。
 ばたばたと駆け寄ってくる彼を見ながら、
 ……やっぱりどこか水波に似てるな。
 そんな事を考え、誠はミハイルを出迎えた。

「柊さん! 今ならまだ間に合います! 自首しましょう!」

 すぱこーん

 景気の良い音をたてて、誠はミハイルの頭をシバく。

「いきなり何を言うんだ?俺が何をした!?」
「だって、警官に連れられて、尋問されたんでしょ?」
「あのね……。」
「ああ、僕のフレンズは、悪い人じゃないんだ。僕はちゃーんと分かってますよ! 出
 来心だったんでしょ!? ええ、そうですとも! 僕からもできる限り、フォローし
 ますから、しっかりと罪を償って……」
「ええい、うるさい」
「……あひゃひゃひゃ、いひゃいれふ」

 誠はミハイルの頬ををぎゅう、と引っ張って無理やり黙らせた。

「俺は犯人じゃないって。ただ、ちょっと厄介事に巻き込まれんで、参考人として事情
 聴取を受けていただけだよ」
「……な……な〜んだ、そうだったのかあ。僕はてっきり、柊さんが食い逃げでもした
 のかと思いましたよ」
「食い逃げごときでそこまで騒がんわい普通」
「え! じ……じゃあ、やっぱり……」
「しとらんちゅうに!」

 昨日出会ったばかりなのに、何故か古い友人のように親しく話す二人だったが、誠も
何の違和感もなく、普通に話せるのが不思議だった。
 ミハイルは、頭を掻きながら、あはは〜、と、気の抜けた笑顔で、気まずそうに頭を
掻いた。

「ところで、みんなは何処に行ったのか知らないかな、ミハイル」
「え?みんなですか? さあ、僕がこっちに来るまでには、会いませんでしたね。でも
 多分、中町商店街でしょう。あそこも、桜並木の観光スポットですから」
「そうか……ありがとう。じゃあ、そっちを探してみるよ」
「あ、どうせだから、僕もご一緒しますよ。一人じゃつまらないですしね」

 男二人は、そう話しながら、警察署を後にした。
 その後ろ姿を見ながら、斎藤と、もう一人の男が会話を交す。

「これからどうしますか、沖田君。局長からの支持は、柊 誠をスカウトする事だった
 んじゃないですか?」
「……う〜ん、まあ、そうだったんですけどね。……さあ、どうしましょう」

 そう言って、沖田は屈託のない笑みを、斎藤に投げかけた。

「全く、あなたに笑われると、毒気を抜かれますね……」
「斎藤さんの笑顔も、十分気合いが削がれますよ」

 お互いに、似たもの同士の笑顔を相手に向けて、向き直る。

「今回の騒動で、藤堂さんは、一度本社に戻ると言ってました。調べたい事があるそう
 です。永倉さんは、一杯ひっかけてくるそうですよ」
「……永倉さんも、相変わらずですねえ。昔、酔った勢いの喧嘩で、危うく人を殺しか
 けた事がありましたけど……これ以上、鬼切役に睨まれるのは避けたいですね、沖田
 君。」
「それは、俺も同じ意見ですよ。一応、東は鬼切、西は新選組、という事で落ち着いて
 いるんですから、静かにいきたいもんですね。それに、もし騒動が起きて、副長のお
 耳に入ろうものなら、騒動が大事件に発展してしまいますよ」
「左之助君と、土方さんには知らせていないはずですが……」
「しっかりと情報は掴んでいるでしょうね、土方さんなら」
「こちらに来ていると思いますか?」
「絶対に来てますよ、『鬼の副長』がね」

 そう言って、にっこりと笑った。
 斎藤は、それに含みのある笑みを返しただけだった。
 

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