『20』


 喧嘩の騒動は、当然誠の耳にも入って来た。
 ……というか、わざわざ音源を探さなくてもいいくらい騒ぎが大きくなっていたのだ。

「おやおや?何だか大きな騒ぎになってますね〜、柊さん。ちょっと覗きに行きましょう。
 酒と喧嘩は祭りの花、って言うでしょう?」
「……言ったかなあ、そんな事……」

 なんだかミハイルに乗せられているような感覚を感じながらも、ミハイルに背を押され
て誠は騒動が起こっている方角に足を向けた。

 騒動の中心にいたのは、やはり、水波達3人である。
 だが、妙に楽しそうにしているので、誠にとって異様な光景である事は確かだった。水
波などは、うおー、とか、やれー、とか騒いでいる。

「……あいつ、何楽しんでるんだ……」

 そう呟いた時、一人の男が、騒動の輪から弾き飛ばされてこちらに向かってきた。
 手にナイフを閃かせていたので、適当に躱すと、首筋に平手打ちをたたき込んで静かに
させた。
 そして、中央で戦っているのが、水波達ではない事を確認する。

「……あ……あれは……土方さん……?」

 誠は、土方 歳三を知っていた。
 そして、彼が、新選組で副長を勤めている、という事も。

「わ、あの人、強いですね! おー!!すごい〜〜!!」

 ミハイルにとって、喧嘩は、いいイベントだったのかもしれず、妙にはしゃぎながら、
写真に撮っていた。
 誠は、そんなミハイルを放っておいて、騒動の輪に近付いて行く。

 最後の一人を片付けた土方は、誠の方を振り返って、意味ありげににやりと笑った。そ
して、誠の目をまっすぐに見ながら、話し始める。

「よう、久しぶりだな、柊。残念だったな。お前の分け前は残ってないぜ」
「お久しぶりですね、土方さん。陸自の部隊でご一緒した時以来ですね。お元気そうで何
 よりです」
「ふふん、相変わらず他人行儀だな。俺とおめえは、全く知らない間柄じゃねえんだ。も
 っと砕けていいんだぜ」
「それでも、あなたは俺の上司でしたからね」
「ふっ、いつも真面目なおぼっちゃんだねえ」

 そこまで会話を交わすと、土方は、木刀を、誠に投げてよこした。

「こっちに斎藤も来ているはずだろ。あいつにこの騒動の始末はまかせる、とそう言って
 おいてくれ。永倉ー、隠れてないで出てこい、行くぞー」

 そう言いながら、誠の肩を叩いて隣を通り過ぎる。
 それに付き添うようにしていた、ワンピースの女性が、誠に近付いて来ていきなり抱き
締めた。
 ムンクの叫びのような表情を見せる水波をよそに、誠はなぜかケロっとしている。

「お久しぶりねえ、誠くん。あ、少し大きくなったかな?」
「やめてくださいよ、雪乃さん。俺はもう子供じゃないですよ」
「おっ、お約束の包容がでたぞ。誠、弟役が結構似合ってるな」
「やめてくださいよ、土方さんまで」

 雪乃は誠から離れると、誠をまるで弟を見るかのように微笑み、これもお願いね、と、
木刀を渡して土方と共に去って行った。

 相変わらず変わって無いな、二人とも。

と、そんな事を思いながら、誠は二人の背中を見つめ続けた。

と。

そこに、水波が突っ込んできた。

「まこと〜〜こわかったよ〜〜う」

 嘘つけお前。

 そこにいた誰もがそう思ったが、あえて口にはしなかった。

「どうやら、とんでもない事に巻き込まれたみたいだな。何ともないか?」
「うん。あのひとが来てくれなきゃ、危なかったんだ」

 あのパンチはなんだ。

 倒れていた者達はそう思ったが、やはり口にしない。
 この騒動では、やはり警察が動かざるを得なかったが、一方的に叩きのめされた男達と、
土方の事を聞いて、斎藤はちょっと目を丸くした。

「……やっぱり来ていましたか。……しかし……ふう。あいも変わらず、喧嘩が好きです
 ねえ、あの人も……」

 どこか、昔を懐かしむかのように微笑むと、斎藤は、きびきびと働いて、倒れた男達は、
病院へと送り込まれていった。
 さて、ちょっとした騒動があったものの、無事に水波達と合流を果たした誠は、ホット
ラインにハッキングをしてきたという重要な事実もあって、水波にすぐさま携帯端末を使
わせて、撚光に連絡を取ろうとした。

 ……が。

 水波は、相変わらずはしゃぎまくっていて、手がつけられない。
 誠は桜の木に登ろうとしている水波をシバいて引きずり下ろして歩かせる。
 かと思うと顔の部分に穴があいた記念写真用の看板に顔を突っ込みはじめて、慌てて引
っ張っていく。
 土産物屋に入って物色し始めたので、誠が何とか連れ戻すと、次は勝手に路地裏に消え
て野良猫を連れて戻ってきたのでまたシバく。
 それを誠が取り上げて路地裏に連れ戻しているその隙に、桜の周りを走り回って、また
土産物屋に突っ込もうとしたその時。

 ごすっ。

 と、誠の刀の鞘が、水波の頭にめりこんだ。
 誠が、重力にまかせて、刀の鞘部分を、水波の頭に落としたのだ。

「ふぬうううう……。」

 水波は、いきなり頭の上に降ってきた「おもり」に、頭を抱えてしゃがみ込んで悶える。
 ……相当痛かったらしい。

「な……何するのよう!!痛いじゃないの〜!!」
「お前がもう少し大人しくせんからだろ。楽しむのは構わんが、あまり暴れ過ぎるとまた
 さっきみたいな騒動に巻き込まれるぞ」
「だって〜。ちょっとくらいいいじゃない〜」
「ええい。さっさとやらなければならん事を終らせんか」
「……? 何、それ?」
「こら。お前、携帯端末を持ってたろ? あれで、連絡しておけ」
「……でも、またハッキングされるよ?」
「かまわん。この際だ。『ハッキングされないようにセキュリティあげとけ』とか、撚光
 さんにクレーム出しとけ。相手への警告にもなる」
「ほいほ〜い」

 水波は、携帯端末をかたかたと打ち込むと、撚光に連絡した。
 すぐに、返事が返ってきた。

『ごめんなさいね、迷惑かけて。咲耶ちゃんにもそう言っておいて。そうそう、セキュリ
 ティに関しては、任せておいて。もう、あんな失態はやらかさないわ。まかせてね!!
 うほほほほほほほほほ!!』

 と、要約すると、こんな感じのメールだった。
 撚光のメールには、相変わらず余計な文字が多かった。

「ところで、誠、お前、あの二枚目知ってるのか?」

 そう語りかけてきたのは、陽である。

「ああ、昔、俺が十六〜七くらいの時、俺の先輩として戦い方を教えてくれた人だよ」
「へえ、でも、喧嘩の仕方は、教わらなかったみたいだな」
「……どういう意味だ?」
「いや、お前は喧嘩を楽しんだりしないが、あの男は喧嘩を楽しんでいた。おそらくこの
 騒動も起きるのを知っていて、あえて起こさせてから喧嘩に割り込んできたんだろう」
「……そんな人だよ。全く、変わってないな」
「そういえば、あのグレーのワンピースの方とも、お知り合いのようでしたわね」

……どこか咲耶の声のトーンが低い。だが、誠はそれに気が付かなかった。

「ああ、あの人は雪乃さんっていって、俺と知り合った時から、土方さんと付き合ってる
 人だよ。俺にとっては、姉のような人だった」
「へえ、お前の姉さんねえ……。しかし、下品な言い方だけど、『いい女』だったな……」
「陸自でも、評判の美人だったよ」
「羨ましいですわね……何だか。私には、あんな魅力はないですしね」

 咲耶には、咲耶の魅力があるのだが、彼女はまだそれに気がついていない様子だった。
 そんな会話を聞きながら、水波は三人に背を向けて、自分の胸をぺたぺたと触り、はあ、
とため息をひとつ。
 ケイに「小娘」扱いされたり、雪乃や咲耶と比べて、自分が子供っぽい事を自覚したら
しかった。
 そんな水波に気がついて、誠は水波の耳もとで囁く。

「大丈夫だ。人間、二十五歳くらいまでは成長するらしいから」

 それを聞いて、水波の顔が、ぼっ、と赤くなる。そして、

「うううううう〜〜!」

 と顔を赤くしながら、誠の背中をぽかぽか叩き始めた。
 そんな二人を見ながら、陽は、咲耶に話し掛ける。

「さて、これからどうするんだい?」
「まあ、ゆっくりやりますわ。だって、戦いは、始まったばかりですもの」

 そう言って、咲耶は、陽ににっこりと微笑みかけた。
 その言葉が、どういう意味を表すのか、陽はあえて問わなかった。


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 闇が広がる。

 生きる者が暖かさを得るには、それが夢としか思えないような場所。
 そこに、一つの赤い影が現れた。
 赤い陰は、松明の明りに照らされて輝いている。
 その膝元には、怯えたような影がふたつ、ぶるぶると震えていた。

「……以上が、彼等の仕事の結末です」
 そう赤い影が語りかけた。その赤い影は、さらりと吹いた風に靡き、それが「髪の毛」
である事を周りに主張していた。

「も……申し訳ございません! こ……今回は油断してしまいましたが、ワシは、きゃつ
 らめの弱点を知り尽くしております!!ぜ……是非とも、ワシらに今一度、機会をお与
 えくだされませ!」

 そんな事を叫ぶ者を、明らかに下に蔑みながら、赤い髪の男は、再び語りかけた。

「……いかがいたしますか? ………紅葉(くれは)様……」

 その言葉に答えるかのように、蝋燭の火が、ぽつ、ぽつ、と付き始め、円形に灯を点し
ていく。
 そして、その円形に点った蝋燭の中央に、一つの影が現れた。
 影の周りは、社があり、その前には、まるで能楽堂のように広い木像床の空間が広かっ
ていた。
 その影は、まるで音のないかのように、しずしずと、赤い髪の男の方に近寄った。

「ごくろうであったな、鷲王」

 そう、赤い髪の男……鷲王を労うと、鷲王は、恭しく頭を垂れた。
 その足元には、跪いて震える、2つの影があった。芹沢と新見である。
 それを見下したその存在の姿が、蝋燭に照らされる。

 絶世の美女。

 と形容してもいいような、妖艶な女性が、黒い長い髪の毛を垂らし、体は、真紅の十二
単と思しき着物に覆われていた。
 着崩している姿が妖艶な姿をさらに際立たせる。
 そして、その頭の頂点から少しずれた位置から、左右一つづつ、白い「角」が、体の前
方に向かって突き出ていた。
 その角には、きらびやかな黄金の飾りがつけられ、まるで王冠のように輝いている。

「この者達……お前なら、どう使う、鷲王」

 鷲王に、紅葉は静かに語りかける。

「もう一度だけ、機会をくれてやりましょう。我らにとって、脅威となる鬼殺しの器。そ
 れを使う者を少しでも減らせるというのであれば、もう少し使ってやってもいいでしょ
 う……」

 表情も変えずに、鷲王は、呟くように言う。

「……分かった。この者達の処遇はお前に任せる。……芹沢、新見。お前達に今一度機会
 を与えてやろう。必ず、咲耶を連れてくるのだ。……よいな」

 芹沢と新見は、床にごりごりと頭を擦り付けると、逃げるようにその場を去っていった。

「私はどうすればよろしいのかな? 紅葉殿」

 そう言って現れたのは、ケイであった。
 相変わらずの横柄な態度は、紅葉や鷲王を前にしても変わらない。

「お前には、円卓の騎士の内状を探ってもらう。奴等に目立って動かれるとやっかいだ」

 鷲王のその言葉を、一瞥して聞き流すと、

「ふっ、承知した」

 そう言って、その場から消えていった。

「ふん……堕落者風情が……」

 紅葉は、まるで虫でも扱うかのように、3人の消えた方角を見遣ると、視線を鷲王に移
す。

「鷲王……お前も優しい事よの」

 その言葉を聞いて、鷲王が、唇の端を釣り上げて笑う。

「優しい……? 誤解めされるな。私は、『使ってやる』と言ったまで。信用しているな
 どと、噫にも出して言った憶えはございませぬ」

 その言葉を聞いて、紅葉も可笑しそうに笑う。
 鷲王は言葉を続ける。

「しかし、ゆめゆめ油断などなされませんように……」
「何の事か」
「あの実験体の事です。やはり、まだ「出す」には早すぎたのではございませぬか」
「妾はそうは思わなんだがな……。何にしても、所詮はヒトであったという事か。……そ
 れについてだが……あの者達はどうしておる?」
「今回、出した物が早すぎた事もあって、その調整に余念がありません。……しかし……
 如何せん、【数】が足りないものですから、これ以上、結果を早めていく事は困難かと」
「そのために、あの社の女が必要なのだ……。あの女が、妾の「もの」になれば……それ
 こそ……余るほど数が集まるわ。あの【桜】は、それほどの価値がある」

 そう言って、声をたてて紅葉は笑った。
 とても美しいのだが、そこには悪寒のするような冷たさがあった。

「どちらにせよ、このようなお戯れは、お控えくださいませ」
「妾の行いが戯れ、と申すか」
「鬼切役だけではなく、円卓の騎士率いる【シヴァリース】までもが動き出しております。
 【崑崙】は静観しておりますが、ここに【輪転王】や【梁山泊】が加わるとやっかいな
 事に……」
「鷲王」
「……は」
「妾に意見する気か、うぬは」
「……いえ。そのような事は。……出過ぎた事を申しました。」
「……分かればよい。まあ、今回は、妾も少し結果を焦り過ぎた……。今度からは、お主
 らの言葉をもっと聞こう。そんなに怒るな、鷲王」
「は。勿体無いお言葉にございます、紅葉様」
「もう少しで、大嶽丸(おおたけまる)様もなし得なかった、器を破る軍勢が出来上がる
 のだ。……くくく……踊れ……全て妾の手の平で踊り狂うがよい……。人も……器使い
 も……そして……きゃつらめも……!」

 紅葉の表情は、まさに「鬼」を思わせるように歪んでいた。
 その狂った美しさを見ながら、それでも鷲王は、表情を変える事はなかった。

                   $

 鷲王は、紅葉との面会が済んだ後、『御寝所』と言われた場所から、建物の通路を歩い
ていた。
 そこに、数人の影が近寄ってくる。

「お前も大変な仕事を任されたものだな、鷲王」

そう言ったのは、身の丈2m半はある巨人であった。勇壮な赤い鎧に陣羽織を纏い、そし
てその腰には、その長身に負けない、巨大な大太刀が下げられている。
 そしてその巨漢の隣には、鷲王と同じ程の身長……百九十センチほどはあるかという長
身の第二種の鬼が、鷲王を見据えている。
「熊武(くまたけ)か」
「何にしても、御方は、焦っておられる。功を焦るのは危うい兆候ではあるが、それでも
 急いだ方がよかろうな……伊賀瀬も、すでに向かっておる」
「分かっている」

 そう言って、そのままその場を通り過ぎようとした時、今まで寡黙を守っていたもう一
人の男が、鷲王に声をかける。
 着物を羽織り、腰に日本刀を下げ、その頭には、二本の角が、真直ぐに上へ向かって伸
びている。

「鷲王……」

鷲王は、立ち止まり、首だけ回して、後ろを横目で見遣る。

「なんだ?鬼武(おにたけ)」
「真緒(まお)の二の舞いにだけはなるなよ。我ら紅葉四天……大嶽丸様の悲願成就のそ
 の日まで、この結束……崩す訳にはいかぬのだ」

 そのまま、二人はにらみ合うかのように見つめ合い、鷲王から視線を外した。

「無論だ……心配は無用」

 それだけ言うと、二人の前から、鷲王は姿を消した。

「相変わらず、暗い男よ……。そうは思わんか、熊武」
「もともと奴は人だ。人であるが故だろう」
「そうだったな。四年前までは、奴は、確かに人間だった。……しかし……変われば変わ
 るものなのだな」
「変われるのが、人間なのだ、と、以前奴から聞いた事がある」
「……、同族殺しか……」

 それだけ言うと、二人の鬼は、鷲王が消えた暗闇を、だた凝視するだけだった。


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