「わたしね、ずっと片思いしてたんだ。
その人はね。わたしが小さい頃に山で車がエンストした時、困っていたわたしたちを助けてくれた人なんだ。
その人は自衛官でね。わたしが自衛官になった理由に、彼にもう1度会いたかったってのもあったんだ」

「それで、その人には会えたんですか」

「うん。
会えた時は涙が出るくらい嬉しかった。
でも、その人はわたしのことなんて覚えてなかったけどね。
でも仕方ないよね。あの時のわたしは、まだ10歳の小学生だったし・・・。
それからあの人と一緒に仕事をするようになって、ますます好きになっていって・・・。
そして何時かはこの想いを告げようって思ってた」

「それで、想いは告げられたんですか?」

「・・・・・・わたしって恋愛事には慣れていなかったから。
‘振られたらどうしよう’とか
‘告白した途端、今の関係まで壊われたらどうしよう’とか
‘嫌われるくらいなら、いっそこのままの方がいい’とか
なんだかんだと自分に理由つけて、ずっと告白を先延ばしにして・・・。
そうしたら、その人。
わたしが何も言わないうちに、後輩の子と結婚しちゃった・・・」

「えっ・・・」

 その言葉を聞いた途端、今まで興味深げだったターニャの表情が曇る。

「だからさ・・・わたしの想いって今でも宙ぶらりんのままなんだよね」

 しかし由子はそんなターニャの様子には気づかないのか、虚空を見たまま話を続ける。

「断られても、嫌われても、あの時キチンと告白していればって、今なら考えちゃうんだ・・・。
だから、わたしから言える事は、
ターニャは決して間違った事はしていない。
ずっと想いを胸に溜めておくより、たとえどんな結果になっても自分の気持ちを相手に伝えた方がきっと良い結果つながる。
と、わたしはそう思うよ」

「でも、秋吉さんにははやかが・・・」

「・・・・・・ターニャ。アナタが今1番恐れてる事って何?」

「えっ?」

「たぶん、今のアナタたち3人の関係が壊れてしまうことじゃない」

ドクン

(!!)

 由子の言葉がターニャの胸にするどく突き刺ささり、呼吸が一瞬止まる。

「自分が告白した事で2人との仲がぎこちなくなったり、その友達から嫌われたりすることが恐いんでしょ」

「それは・・・」

 そんなターニャの様子に構わず話を続けてくる由子に対して、ターニャは何も言葉を返す事ができない。

「でもね、考えてみて。
アナタはさっき言ったよね‘誰が見ても、理想のカップル‘って。
それが本当だったら・・・。残酷な言い方になっちゃうけど、ターニャが告白したからって2人の仲が揺らいだりはしないと思
う。
それと、次は逆に考えてみて。
もしターニャの方がその秋吉くんと付き合っていて、葉野香ちゃんが秋吉くんに告白したとする。
その時ターニャは葉野香ちゃんのことを嫌いになる?」



 ターニャはその問いに対して思いをめぐらせてみる。
 何度も、いくつもの想定を考えてもみた。
 しかし、どれも同じ結果が出てくる。

「・・・・・・いいえ。はやかを嫌いになることなんて絶対ありません」

「うん・・・。それだけ言えるならわたしから言うことはもう何もないね」

 由子は満足そうに微笑むと表情を緩めた。
 それにつられてターニャの表情も自然と緩んでくる。
 そして、心がずいぶんと楽になっていることが分かった。

「はい・・・。ありがとうございました」

「じゃ、わたしはそろそろ行くね。
 あっ、そうそう、言い忘れてたよ。
 医者の話だと、しばらくは入院することになるかもしれないらしいよ」

 由子は丸イスから立ち上がると、頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。

「それと・・・」

 由子はメモを取りだしサラサラと何かを書くと、それを破ってターニャに手渡してくる。

「はい、これ、わたしの携帯の番号。また何か困った事や相談したい事があったら気楽にかけてきてよ」

「いいんですか?」

「あはは。いいの、いいの。仕事中は出られないけど、それ以外の時ならたぶん大丈夫だから」

 ターニャはメモを受け取りながらも戸惑った表情をしていたが、由子は笑いながら手をひらひらと振ってくる。

「はい・・・。今日は色々と本当にありがとうございました」

「ううん、気にしないで。それじゃあ、またね。バイバイ」

 そして由子は笑顔で手を振りながら病室から出ていった。

「はい、さようなら」

 ターニャも微笑みを浮かべながら小さく手を振って見送った。
 そしてドアが閉じると同時に、急に部屋に静けさが戻ってくる。
 ターニャはその静けさに少し不安を覚え、辺り視線をさまよわせた。
 すると、近くの台の上に自分のバックがあった。
 ターニャはバックを引き寄せると中を開けて探ってみると、なくなっているものは何もなく元のままだった。
 そして1枚のプリクラが目に止まる。
 ターニャはおもむろにそれを取り出してみた。
 そこには笑っている3人の姿が映っている。

(秋吉さん・・・。困らせるようなことを言ってしまってごめんなさい。
 はやか・・・。私のこと、嫌わないでいてくれますか・・・。
 こんな風にまた3人で笑い合えるようになれますか・・・)

 ターニャはそのまま見ているとまた涙が溢れてきそうになった。
 だから、そうなる前に目元を拭うと、プリクラをそっとバックの中へと戻した。
 そして身体の力を抜いてベットに身をまかせる。
 それから由子から言われた事について思いを巡らせようとした。
 しかしベットに横になって気を抜いたせいか、眠くなってきて頭がうまく回ってくれない。
 だからターニャは考える事を止めそのまま、まどろみに身をまかせることにした。
 出来れば夢を見ずに眠れますようにと願いながら。



 次の日、昨日の願いが通じたのかターニャは夢を見ることなく目を覚ました。
 そして午前中に検診を受けたターニャは念のためもう一日入院するようにと医者から申し渡される。
 仕方なくターニャは午後はベットに横になって過ごしていた。
 といっても、何もない病室内で出来る事などたかがしれている。
 眠るか、窓の外を見るか、考え事するか、ぼーっとするかのいずれかであろう。
 ターニャは窓からの景色を眺めながら考え事をすることを選んだ。
 考えなければならないことは山ほどあるはずだから。
 病室の窓からは病院の庭が見えた。
 その庭には病院を取り囲むように桜の木が植えられている。
 満開の時期を少し過ぎている今では、しきりに桜の花びらが宙を舞い踊っていた。
 考え事をしようとしていたターニャであったが、その景色の目を奪われてあまり頭は働いてくれない。

(日本の桜は本当にキレイです・・・。でも最近の私はそんな桜の花に目をやる余裕すらなくしていたんですね)

 本当は毎日でも見ていたはずの桜の花。
 でも今日初めて咲いている事に気づいたようであった。

コンコン

 そんなターニャの耳にノック音が飛び込んでくる。

「はい、どうぞ」

 おそらく医者か看護婦がやって来たのだろうと思って、ターニャは返事を返した。

ガチャ

 しかし、そこには息をきらしながら心配そうな顔をしている葉野香の姿があった。

「えっ!?」

「ターニャ!」

 ターニャが目の前の光景が信じられず呆然としていると、葉野香が駆け寄って抱きついてくる。

「よかった〜・・・。心配したんだよ、ターニャ・・・」

「はやか・・・」

 そこでようやく葉野香の事をちゃんと認識できたターニャは優しく抱き返した。

「ごめんなさい、はやか。心配かけて・・・」

「ホントだよ。ホントに心配したよ〜。でも思っていたよりも元気そうで、安心した」

 ターニャから身を離した葉野香の目は少し涙目になっていたが、顔には安堵の表情が浮かんでいる。

「でも、どうしてここに?」

「ん・・・」

 葉野香はその問いにすぐには答えず、まず近くにあった丸椅子を引き寄せて腰掛けた。

「昨日の晩、ターニャの携帯に電話したんだけど、全然繋がらなくってさ。不思議に思ってたんだよ。
それで今日工芸館に電話したら、入院したって聞いて。すぐに駆けつけて来たんだ」

「そうだったんですか。ごめんなさい、実は・・・」

 ターニャはそこまで言ってから言いよどむ。
 ちゃんと説明するには、昨日の秋吉との事を言わなければならなくなる。
 しかしその事を言えないターニャには葉野香にどう説明していいか分からない。
 何か言わないと、頭では思っているのだが、うまく思考がまとまってくれない。
 焦りのためかターニャの視線がうろうろとさ迷い出す。

「ターニャ・・・。言わなくていいよ。もう全部知ってるから」

「えっ!」

 葉野香の言葉にターニャの身体がビクリと震える。
 そしてターニャは葉野香を凝視したまま動けなくなった。
 ターニャの瞳には誰の目にも明らかなほど動揺と困惑の色が浮かんでいる。

(はやかに知られてしまった?何故?どうして・・・?まさか・・・!?そんな・・・)

 葉野香はそんなターニャの瞳から彼女の考えを読み取ったかのように話し出す。



「でも誤解しないでね。耕治さんが話したんじゃないんだよ。
今日、耕治さんにターニャと連絡がつかないこと話したら、途端に様子がおかしくなって、
それで何か知っているようだったから、あたしが無理やリ聞き出したんだ」

「・・・」

 ターニャは葉野香の顔を見ていられなくなって視線を下に落とした。
 それでも構わず葉野香は話し続ける。

「最初は・・・やっぱり驚いた。
‘耕治さん、いったい何言ってんだろ’って、自分の耳が信じられなかったよ。
でも、耕治さんの表情を見て、ホントの事なんだって分かった。
それから・・・何だか頭の中が訳わかんなくなっちゃって‘とにかくターニャを探さなきゃ’って。
その時はそれしか思い浮かばなかったよ。
だからすぐに運河工芸館に電話したんだ。
そうしたらターニャは病院に入院したって聞いて、
あたしまたびっくりして、
それで急いでここまで駆けつけて来たんだよ」

「そうだったんですか」

「うん・・・」

 そこまで話し終えると2人は黙り込んでしまう。
 ターニャはうつむいたままシーツをじっと見つめ続けている。
 知らぬ間にターニャはシーツをぎゅっと掴んでいた。
 葉野香はターニャの顔から視線をそらしてベットの脇のカーテンの方を見ている。
 部屋の外からはガラガラというカートを押す音と看護婦らしい人の話声が聞こえてくる。
 壁越しには微かにテレビのものらしい音もする。
 窓もカタカタと風に押されて小さく音を立てている。
 しかし、それらの物音など掻き消すような重苦しい静寂が部屋を包んでいた。

「・・・・・・ごめんなさい、はやか」

 そんな静寂をターニャの方から無け無しの勇気を振り絞って破った。

「えっ?」

「私のこと・・・軽蔑しましたよね」

「そんなこと!!」

「いいんです。
私は嫌われても仕方ないようなことを仕出かしてしまったのですから、それが当然です。
 でも、私・・・ずっと辛かった。
 秋吉さんに惹かれ始めて、好きになって。でも、はやかの事も大好きで。
 だから秋吉さんのことは諦めようと思って・・・。
 でも、そう思ったらもっともっと苦しくなって・・・。
 でも私、絶対2人には嫌われたくなかった!!
 嫌われてしまうのが怖かったから。
 またひとりぼっちになるのが怖かったから。
 だからずっと・・・ずっと我慢していようって・・・。
 私が我慢してさえいればみんな幸せでいられるって・・・。
 なのに私・・・私・・・」

「ターニャ!!」

 葉野香はターニャの頭を引き寄せると自分の胸へと掻き抱いた。
 抱きしめたターニャの身体は細かく震えていて、その振動が葉野香にまで伝わってくる。

「もういいよ、ターニャ。もう話さなくてもいい。ごめんね、ターニャ」

「どうしてはやかが謝るのですか?悪いのはわた」

「あたし・・・ターニャが何かで悩んでた事には気づいてたけど、その理由までは分からなかった。
 だから・・・。何であたしに相談してくれないんだろ?って、ずっと思ってた。
 あたしってターニャに信用されてないのかな?って、友達だって思われてないのかなって・・・。
 そんな事考えたりして、実は落ち込んだりもしてた。
 でも・・・・・・言えないよね。言えなくて当然だよ。友達だったらよけいに・・・。
 なのに、あたしったら・・・」

「どうして・・・」

「え?」



「どうして怒らないんですか?どうしてそんなにはやかは優しいんです!?
 はやかは・・・はやかは優しすぎます!!
 はやかも秋吉さんもとっても優しいから・・・。それがよけいに辛くて・・・苦しくて・・・」

 ターニャは葉野香の胸に抱かれたまま戸惑いを多分に含んだ声をあげる。
 その声は最初ははっきりしていたが最後の方には涙まじりの振るえた声になっていた。

「違うよ。本当に優しいのはターニャだよ」

「そんな・・・そんなこと・・・」

「ターニャが1番優しいから。こんなにいっぱい苦しんで、傷ついて、1番辛い思いしたんだよ」

「うぅ・・・ひっく・・・うぅぅ・・・」

 そしてついにターニャの瞳からぽたぽたと涙の雫がこぼれ始める。

「泣かないでよ、ターニャ。あたし・・・好きな人にはいつも笑っていて欲しいからさ」

 しかし、そう言う 葉野香の目にも少し光るものが浮かんでいた。

「ひっく・・・。まだ・・・私のこと・・・ひっく・・・好きだと言ってくれるんですか?」

「当たり前だろ。あたしがターニャを嫌いになるなんてありえないよ」

「うぅ・・・うわぁ〜〜ん、はやか〜〜!!」

 ターニャは感極まったような叫びをあげると、葉野香に力いっぱい抱きつき、子供のように泣きじゃくる。
 葉野香もそんなターニャを抱き返しながら、ターニャに気づかれないように瞳をうるませていた。


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