翌日
検査を終えて、退院を言い渡されたターニャは病院の玄関をくぐり外に出た。
外はよく晴れており、病院の蛍光灯の光に慣れたターニャの目には少し眩しいくらいだ。
そして、そんなターニャの瞳に穏やかな春の日の光をうけながら立つ1人の青年の姿がうつった。
「退院できたんだね。おめでとう、ターニャ」
「秋吉さん!?えっ!?どうしてここに・・・」
意外な、そして予想外な人物の登場にターニャは目を白黒させて驚いた。
「お見舞い、に来たんだけど・・・。一足遅かったかな」
「えっ?あっ、はい。そう、かもしれませんね・・・」
まだショックから立ち直りきっていないのか、ターニャのセリフはどこかたどたどしい。
それはターニャ自身が秋吉に会うための心積もりをまだ何もしていなかった事が大きいのだろう。
「でも・・・。よかったら、少し一緒に歩かないかな?」
「・・・はい」
それでもどうにか気を持ち直すと秋吉の誘いに素直に従った。
そしてターニャは秋吉に歩み寄ると肩を並べて桜の並木道へと歩き出す。
2人の間には友達以上、恋人未満といったような微妙な距離を保ちながら。
「ここの桜って綺麗だね」
「はい、私も昨日見てそう思いました。日本の桜ってとても綺麗です」
歩き出すと、2人はすぐにそう会話を交わした。
しかし2人会話はそれっきりで、後は2人とも舞い散る桜を眺めながらただ歩く。
そして桜を数本こえたあたりで秋吉は不意に立ち止まった。
そのため秋吉を置いて少し先行してしまったターニャが振りかえると、秋吉は神妙な顔をしていた。
「秋吉さん?」
「・・・・・・今日は、本当はあの時の返事をしに来たんだ」
「えっ!?」
突然の言葉にターニャは言葉を失って、まじまじと秋吉を見つめる。
秋吉の方は真剣な表情でターニャを見つめ返してくる。
「あの時はちゃんと返事が出来なかったから」
「あっ・・・」
ターニャはあの日の事を思い出した。
たしかにあの時自分は秋吉が何か言おうとしたのを一方的に遮って、逃げ出すように走り去ったのだ。
あの時のことは今思い出しても、まだ胸が苦しくなる。
あれからずいぶん日がたったようにも思えるが、まだ2日前のこと。
‘思い出’と言うにはまだ新しすぎる出来事だ。
「いいかな?」
ターニャは少しうつむくと目を閉じ、胸に手を当てて深く深呼吸をする。
心を落ち着かせ、心に準備をさせるために何度も何度も。
それから顔を上げ、真っ直ぐに秋吉の目を見詰め返した。
「はい。返事を聞かせてください」
「うん・・・。正直に言うと、あの時はホントに驚いた。そして困った」
そう聞かされてターニャの胸にチクリとした痛みが走る。
「ターニャに告白されて・・・自分がターニャの事をまったく意識していなかった訳じゃないって、気づかされたから」
「えっ!!」
「だから困った・・・。それでずっと考えていた。
でも・・・、どんなに考えても出てくる答えはいつも一緒だった。
僕にとって一番大切な人は・・・やっぱり葉野香なんだって」
ターニャは秋吉が言い終えると辛そうに顔を伏せた。
秋吉の方も困ったような辛そうな顔で視線をそらす。
そして2人はそのまま黙りこんでしまう。
しばらくそのままの状態が続いた後、ターニャがポツリと呟くように口を開いた。
「秋吉さんは・・・ひどい人です」
(!!)
ターニャの一言が秋吉の胸に鋭く突き刺さる。
ある程度は覚悟していたとはいえ、こんなにストレートな言葉がくるとは予想していなかった。
そのため秋吉の胸に深い罪悪感がこみ上げて来る。
しかし、何故かその言葉を発したターニャの瞳には涙が浮かんでいた。
「こういう時はもっとキツイ言葉でふってくれた方がずっと楽なのに・・・。
こんな優しい言葉を・・・。
これじゃあ私・・・・・・もう、我慢出来ないじゃないですか!!」
ターニャはいきなり秋吉に抱きつくと、自分の顔を秋吉の胸に押し付けた。
「ターニャ?」
秋吉は突然のターニャの行動に驚き戸惑う。
そして、どうすればいいのか分からず、自分の手をターニャの肩の上ぐらいでふらふらとさせる。
「ごめんなさい・・・しばらく、こうさせてください・・・」
秋吉はその声を震わせながらしがみついてくるターニャの言葉でようやく落ち着きを取り戻せた。
「うん・・・」
そして優しく抱き返す。
すると、ターニャは抱きつく腕にさらに力をこめ、そして声を殺して涙を流し始めた。
そんな2人の頭上から桜の花びらが1枚、また1枚と舞い降りてくる。
そして2人の頭や体に少しづつふり積もっていった。
桜の花びらが頭に積もる前にターニャの涙はおさまったが、ターニャは秋吉から離れようとしなかった。
それからまた少し時がたち、ようやくターニャは秋吉から身を離すと、恥ずかしそうに顔を伏せる。
その拍子にターニャの頭に乗っていた桜の花びらの何枚かが舞い落ちる。
「ごめんなさい。服・・・濡らしちゃいました」
視線を下げて見てみると、たしかに服には丸い染みが2つ出来ている。
「ああ・・・これぐらい平気だよ」
秋吉は笑って許しあげながら、ターニャの頭の上の桜の花びらを取ってあげた。
しかしターニャは恥ずかしそうに顔を伏せたままだ。
「もう何を言われても泣かないって、そう決めてたんですけど・・・。ダメですね、私」
ターニャはそう言って顔をあげるとぎこちなく微笑んだ。
「でも・・・。約束、守ってくれなかったですね」
「えっ?」
秋吉はその‘約束’が何のことなのか分からず、間の抜けた声をあげる。
「すぐに忘れてくださいって、お願いしていたのに・・・」
そう言われてようやく秋吉はあの日に言われた事をようやく思い出す。
「あっ、ん・・・ごめん」
しかし思い出したところで、バツの悪い顔で謝ることしか出来なかったけれど。
「いいえ、いいんです。本当は忘れられる方がずっと辛かったと思いますから」
ターニャも別に何かを期待して言ったわけではないようで、気にしている様子はなかった。
「でも秋吉さん・・・。もう1度、今度は別の約束してくれませんか?今度のは絶対に守ってほしいことなんですけど」
「えっ、うん。いいよ、何?」
秋吉はターニャの雰囲気から少し緊張した面持ちで返事を返す。
ターニャは秋吉の返事を聞いた後、胸に手を置き、一拍おいて心を落ち着かせた。
「また・・・この間みたいに、秋吉さんとはやかと私と3人で遊びに連れて行ってください。
今は、まだ秋吉さんと一緒にいるのはちょっと辛くって無理なんですけど・・・。
きっとまた2人の前でも笑えるようになりますから・・・。
だから、約束してください」
「うん、約束するよ。何時でもいい。また3人で遊びに行こう」
「ありがとうございます。うれしいです」
そこでターニャは今日初めてターニャらしい笑顔を見せてくれた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに何かが咽の奥でつかえて苦しいような、複雑で少し歪んだ表情を見せる。
そして何度か何かを言おうとしては躊躇した後にようやく口を開く。
「秋吉さん。もし・・・・・・」
しかし、そこまで口に出しただけで、結局は口篭もってしまう。
「なぁに?ターニャ」
「・・・いえ、やっぱり何でもありません」
そんなターニャを秋吉は優しく促したのだが、結局ターニャははぐらかして何も言わなかった。
秋吉はターニャの言葉が気になってはいたが、辛そうなターニャの表情を見ていると追求は出来なかった。
「今日はまだ一緒に帰ることは出来そうにありませんから、ここでお別れです」
代わりにターニャの口から出てきたのは別れの言葉。
「うん。ターニャ、またいつか」
「はい。ダスヴィダーニャ 秋吉」
ターニャはどうにか笑顔を作りあげると小さく手を振って見送った。
「ダスヴィダーニャ ターニャ」
秋吉も笑顔を作って手を振り返すと背を向けて歩き出す。
それでもターニャは秋吉の背中に手を振りつづけている。
そして秋吉の姿が見えなくなり、ようやくターニャは手を下ろした。
しかし視線は秋吉が消えた先を見続けている。
やがてその瞳から一筋の涙がこぼれ落ち。
「ダスヴィダーニャ・・・ダスヴィダーニャ リュビームイ」
その口から小さく言葉が紡ぎ出された。
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