そんな秋吉の態度に安堵を憶えたターニャは少しずつ心臓が楽なってくるのを自覚した。
どうやらこの苦しさは精神的なものだったようで、発作ではなかったようだ。
「お見せしましょうか」
そして秋吉の軽い口調に安心感をおぼえたターニャは話をするだけの余裕を取り戻せていた。
「えっ?」
ターニャは父から貰った夕焼けの赤のペンダントを取り出すと、彼に眼前に吊るして見せた。
「へぇー・・・。これが夕焼けの赤か・・・」
秋吉は好奇心いっぱいの顔でペンダントをしげしげと見つめた。
「キレイな色だね」
秋吉は素直に思ったことだけを伝えた。
もっと気の効いたことを言いたかったのだけれど、この言葉の他には浮かばなかったのだ。
「はい、私の1番好きな色です」
それでもターニャは十分にうれしかった。
笑顔でそう言ってくれた秋吉を見て、ホントにそう思ってくれていることがちゃんと心に伝わってきたからだ。
「でもこれはどうしたの?」
「これは父が作ったものなんです」
「お父さんが?」
「はい、ツヴェト・ザカータ。夕焼けの赤はもともとは父が最初に作りだしたものなんです。
ロシアでガラス職人をしていた父はある日、
『ターニャ!ついに出たぞ!これが夕焼けの赤だ!』
そう言って大喜びしながら私に小さなベネチアン・グラスを見せてくれました。
当時の私にはそれがどれだけすごいことなのか分かりませんでした。
けれど出来あがったグラスの見事さと父の笑顔がうれしくて一緒に大喜びしました。
私のとってこの色は父の笑顔の色なんです。
でも父はこの製法を誰にも伝えないまま病気で他界してしまいました。
だから私はどうしても夕焼けの赤を作りたかった」
秋吉は真剣にターニャの話に耳を傾けた。
そして彼女がいかに父親のことを想っていたか、
そして夕焼けの赤が彼女にとって、どれほど大切な想いの詰まったものであるかを知った。
そして目の前の小さく可憐な少女がこれほどまでに強い想いを持っていることの驚き、同時に感動にも似た思いを彼女に抱いた。
(私は何故彼にこんな話をしているのでしょう?今まで父の事は誰にも・・・はやかにさえ言った事はなかったのに・・・)
ターニャは自分の口がつむぎ出す言葉を耳にしながら、ふと考えた。
しかしターニャの思いとは裏腹に彼女の口は止まることなく次の言葉をつむぎ出していった。
「でも・・・私はもう夕焼けの赤を作るのをやめるかもしれません・・・」
しかもそれは、自分の1番弱い部分をさらけ出す言葉だった。
「ええっ!!どうして?お父さんの形見の色なんだろ!?」
それは、さっき自分を感動させた少女と同じ人物が言った言葉とは秋吉には信じられなかった。
だから彼は強い口調で問い返した。
その言葉はターニャにとって、うれしい言葉ではあった。
しかしその言葉では彼女の心の闇を払うだけの力はなかった。
「私は今日、夕焼けの赤を出すために作った自分の作品を床に叩き付けて割りました。
そんなことは今まで1度もしたことはなかったのにです。
何故だか分かりますか?」
ターニャの語る言葉はたんたんとしていて冷たく、
まるで感情がない人形がしゃべっているようにも聞こえた。
「えっ!?それは・・・」
そんな突然のターニャの変貌に驚いた上、突然思いもかけないことを問われて秋吉は口篭もった。
「ガラスを叩きつけた時、2つの感情が私に生まれました」
「・・・」
秋吉はターニャの持つ奇妙な雰囲気に飲まれて言葉を発する事が出来ない。
「‘怒り’と‘憎しみ’です」
「えっ?」
「‘怒り’は夕焼けの赤を作り出せない未熟な私自身に向けられました。
そして‘憎しみ’は・・・夕焼けの赤自体に向けられたのです」
「・・・どういうこと?」
ターニャの独白に軽い混乱を起こしていた秋吉には彼女の言葉が理解できずに尋ね返していた。
「・・・・・・そのままの意味です。
私はあの時、たしかに何時までたっても自分の思い通りにならない夕焼けの赤に憎しみを覚えたのです。
その結果が、床に叩きつけるという行動です。
あの時のモノは一瞬の衝動でしたが、このままでは本当に憎むようになってしまうかもしれません!
私は・・・夕焼けの赤を嫌いにはなりたくない・・・。
だから・・・もうやめるのです・・・」
最初は能面のようだったターニャの顔も、話すにつれて苦渋と悲しみの色が現れてきた。
そうなると顔をまともに上げておく事が出来ず、だんだん頭が下がってくる。
そして何時しか目には涙が溢れてきて、ターニャの視界を歪ませていった。
「ターニャ・・・」
秋吉さんは何か言おうとしたが、ターニャの名前を呼ぶだけで次が続かなかった。
ターニャの耳にも彼の言葉はちゃんと聞こえてはいない。
「もう・・・疲れてしまったんです」
それは、全てを諦めきってしまった者の心を奥底の暗い部分から滲み出る言葉だった。
ポタ
とうとうまぶたに留まり切れなくなった涙は膝へと落ちた。
ポタ ポタ
そうなると、次から次へと零れ落ちてゆく。
ターニャはそのまま零れ落ちるにまかせていた。
「ターニャ!しっかりして。ここで諦めちゃダメだ!!」
秋吉はターニャの涙を見た途端、彼女の肩を掴んで顔を上げさせると、険しい表情でそう言った。
(!)
タ−ニャはあまりに突然のことだったので、一瞬驚きのあまり呆然としてしまった。
しかし驚いていたのは、そう言った秋吉本人も同様だった。
今の行動も言葉も意識して出てきたものではなかったからだ。
ただ言葉が勝手に口から滑り出してきたのだ。
「お父さんのことが大好きだったんだろ。だったら嫌いになんかならないさ。
今までがんばってきたんだから、ここで諦めちゃいけないよ」
だから今度は出来るだけ優しく語りかけた。
しかし今のターニャにはその優しさに気づいて、受け入れるだけの心のゆとりを持ち合わせてはいなかった。
「アナタに私の何が分かると言うんですか!私のことはほおっておいてください!!」
そのため、ターニャは自分の肩を掴む秋吉の手を振り払った。
すると、その拍子に彼女の手に握られていた夕焼けの赤のペンダントがスルリと手から抜け出した。
「あっ!」
ペンダントは驚く彼らを尻目に真っ直ぐ地面に向かって行き。
パリン
という小さな音を残してあっけなく砕け散った。
「ああっ・・・」
ターニャは慌てて駆け寄って拾い集めた。
けれど彼女の掌には夕焼けの赤の破片と、中に収められていた金のハートが残るだけだった。
しかしそこで彼女は変な事に気がついた。
彼女の掌には何故かハートが2つあったのだ。
「なぜ・・・ハートが2つに?」
よく見てみると2つになった訳ではなく。もともとハートは2つに開くようになっていたようだ。
そしてハートの裏にはターニャ父親の執筆で書かれた文字が
「これは!夕焼けの赤の成分表!!」
「ええっ!!」
ターニャの隣で鎮痛の思いで立っていた秋吉も、ターニャの驚きの声で我に返り、彼女の掌の中を覗き込んだ。
「ホントだ、何か書いてある」
それは秋吉には何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。
しかしターニャの表情を見る限り、夕焼けの赤の成分表に間違い無いのだろうとおもった。
「・・・そうか。ハートを開くと成分表が出てくるようになっていたのか」
「ハートを開く・・・あっ!」
ターニャは秋吉の言葉を聞き、遠い昔の父の言葉を思い出した。
それはまだターニャが小さい頃の、ナホトカで父親と暮らしていた頃の懐かしい思い出。
「アクトロイ スワヨー セルツェ・・・。そうだったんだ・・・」
そしてすべてを理解したターニャのは目からは再び涙をこぼれ落ちた。
でも今度は悲しみの涙ではなく、うれし涙であった。
「ど、どうしたの!ターニャ?」
しかし秋吉はターニャが突然泣き出してしまったので狼狽してしまう。
「すみません。突然泣き出してしまって・・・。父の言葉を思い出したんです」
「お父さんの言葉?」
「はい」
ターニャは涙を拭うと秋吉の目を見ながら語った。
その目には、もう涙は光ってはいない。
「アクトロイ スワヨー セルツェ・・・。オープン ユア ハート・・・。心を開いてごらん・・・。
身体が弱くて、引っ込み思案だった私に父がよく言ってくれた言葉でした。
すべての答えはそこにあったんです。
父の作品は全てなくなってしまいましたが、父の想いはずっと私の中に残っていたんですね」
「うん。そうだよ、ターニャ」
そう言うターニャの表情は晴々としており、その瞳もとても澄んだ色を湛えていた。
それは迷いの消えた、とてもいい顔だった。
「はい。私さっそく明日のでもこの成分表をもとに作ってみます。夕焼けの赤を・・・父の笑顔の色を・・・」
「うん」
「今日はありがとうございました。もし今日秋吉さんに会えていなかったら・・・私・・・どうなっていたか・・・」
そう言うとターニャの瞳がまたうるみだしてしまった。
「ターニャ・・・」
ターニャに秋吉から再び気遣わしげな視線が向けられた。
(いけない、これ以上泣いちゃ)
その目を見たターニャは秋吉にこれ以上心配をかけまいと、涙をぐっとこらえた。
「大丈夫です、秋吉さん。私、もう泣きませんから。それじゃあ、さようなら」
そして秋吉に別れを言って背を向けた。
ここからは秋吉には頼らずに自分の力で成し遂げなければならないことなのだ。
「ターニャ!」
「はい?」
それから歩き出すと、すぐに呼びとめられたので振りかえってみると、
「がんばれよ!」
笑顔で手を振って自分を見送っている秋吉がいた。
「はい!」
ターニャも笑顔を見せ、元気よく返事をしてから手を振ると、木漏れ日のさす木々の下を駆け出した。
一路、工芸館を目指して。
<つづく>
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