第3話 赤い花に映る人は
ターニャが運河工芸館へ戻ってくると、職場の皆は一様に驚きと困惑の表情を浮かべた。
しかし、ターニャの表情が出ていった時のものが嘘の様に明るくなっていたことが、皆を安堵させた。
そして次々とターニャには気遣いの言葉がかけられた。
それらに対してターニャはふかぶかと頭を下げて謝罪すると、すぐにでも作業を再開したいと申し出た。
しかし、それに対しては店長から1日ゆっくり休むようにと申し渡されてしまったため叶わなかった。
ターニャとしてはすぐにでも夕焼けの赤に取り組みたかったのだが、自分が仕出かしたことを思うと引き下がるしかなかった。
仕方なくターニャは夕焼けの赤のための材料をそろえる事だけ終えると、寮に帰って早く寝てしまうことに決めた。
しかし布団にもぐりこんでも昔の事、父の事、今日の事、秋吉の事、明日の事などが脳裏によぎるため、なかなか眠れなかった。
そして翌日
ターニャは工芸館の開店時間よりもずっと早くに出勤した。
さすがにその時間では誰も来てはおらず、まだ扉の鍵は閉まったままだ。
ターニャは店長から預かっている鍵を取り出し鍵穴に入れようとしたが、気が急いているせいかうまく入らない。
なんとか鍵を開け、工芸館の中に入るとすぐにターニャは身支度を整えて工房へと向かう。
そして炉に火を入れ、さっそく作業に取り掛かったのだった。
そして作業開始から数刻が経ち
「できた・・・」
ターニャの前には1つのベネチアン・グラスが誕生していた。
それは何度となく夕日を眺め、網膜へと焼き付けた色。
ターニャが長く待ち望んでいた。
夕焼けの赤を湛えていた。
「ツヴェト・ザカータ・・・。父の笑顔の色・・・」
ターニャは満ち足りた表情に微笑みを浮かべながらその色に見入った。
そうすると、脳裏に今までのことが次々と浮かんでは消えてゆく。
(お父さん・・・・・・)
すると急に視界が歪んでベネチアン・グラスが見えにくくなってきた。
自分でも意識していないうちに涙があふれてきたらしい。
(うれしいはずなのに・・・どうして涙が・・・)
ターニャが涙を拭おうとしたその時、
「ターニャ」
突然後ろから声がかけられた。
驚いて振り向くと、そこには彼女の同僚の姿があった。
「ターニャ?どうしたの、泣いてるの?」
その同僚は昨日のターニャの姿も見ていたため、今のターニャの様子を見て心配そうに尋ねた。
「あっ、いえ、なんでもありません」
ターニャは慌てて涙をぬぐって笑顔をみせる。
「そう、ならいいのだけど」
ターニャの笑顔に暗いところがなかったため、同僚の不安はすぐに拭い去られた。
「それよりアナタに会いに来たって人が来てるわよ」
「あっ、はい。(いったい誰でしょうか?)」
ターニャに人が訪ねて来ることなどは滅多になく、彼女には誰が来たのか検討もつかなかった。
職員専用の工房を出てゆくと、そこには思いもかけない人がいた。
「秋吉さん!?」
「おはよう、ターニャ」
「お、おはようございます」
驚きも束の間、秋吉が笑顔で挨拶してきたので、ターニャも慌てて挨拶を返す。
「でも、どうしたんですか?」
「ん・・・。ターニャのことがちょっと気になって、来てみたんだ」
秋吉はそう言うと、少し照れくさそうに笑った。
「えっ!私のことが・・・ですか?」
ターニャはその予想外の返事に動揺してしまう。
「・・・うん」
でも秋吉はその時ちゃんとターニャの顔を見ていなかったので、そんな彼女の態度には気づかなかった。
「あ、ありがとうございます・・・」
ターニャはうれしさを感じると同時に、照れくさいような恥ずかしいような気持ちになった。
そして心臓の鼓動が早くなってくるし、顔も何故か火照ってくる。
「ところで夕焼けの赤はどうなったの?完成した?」
「はい!そうなんです!さっき出来あがったんですよ。見てくださいますか?」
ターニャは表情を輝かせると、勢い込んで言ってきた。
「もちろん」
「では、少し待っていてください」
ターニャは工房まで引き返すと、ベネチアン・グラスを手に急いで戻ってくる。
「見てください!これが私が初めて作った夕焼けの赤です」
ターニャは息をはずませたまま、手に持っていたベネチアン・グラスを秋吉に差し出した。
秋吉はそれを受け取りと子細に眺めた。
「・・・うん。おめでとう、ターニャ。ついに夢が叶ったんだね」
「ありがとうございます!これも・・・きっと秋吉さんのおかげですね」
「そんな・・・僕は何もしてないよ。ターニャが今までがんばってきたからだよ」
「いいえ。秋吉さんがいてくれたから出来たんです。そうさせて下さい」
「・・・うん、分かったよ。ターニャがそれでいいって言うなら・・・」
「はい」
秋吉はターニャに眩しいほどの笑顔を向けられるのがなんだか照れくさかったので、もう1度視線をベネチアン・グラスに戻した。
「・・・これがターニャの夕焼けの赤なんだね」
秋吉がそう言うとターニャは少し表情を曇らせた。
「いいえ。これは父が残した成分表をもとに、昔父が作ったグラスを再現したものですから・・・。正確には私の作品ではありません」
「そうなんだ・・・」
「はい。ですから私はこの夕焼けの赤を使って、自分の初めての作品・・・スズランの花を作ってみようと思います」
「スズランの花?」
「はい。スズランの花言葉は『幸福が訪れる』。
持っていると幸福になれるような。そんなスズランのアクセサリーを作りたいんです」
「うん・・・。すごくいいと思うよ」
「ありがとうございます。秋吉さん、今から作るつもりですので、出来上がるまで見ていてくれませんか?」
「ああ、いいよ。僕も見てみたいからね。ターニャの作ったスズラン」
「ありがとうございます。では、ついて来てください」
ターニャは秋吉を伴って工房まで戻って来た。
「ここって関係者以外入っちゃダメなんじゃ・・・」
秋吉は不安そうに辺りにある様々器具などを眺めながら尋ねた。
「本当はそうなんですけど・・・。今日は特別です」
ターニャはいたずらっぽく笑うと、作業に取り掛かった。
秋吉はターニャの後ろで黙ってそれを見守っている。
ターニャが馴れた手つきでバーナーを操ると、みるみるうちに赤いスズランが出来あがってゆく。
その光景は秋吉にはまるで魔法でも使っているかの様に見えた。
「出来ました!夕焼けの赤で作った『赤いスズラン』です」
そしてターニャが秋吉の方に振りかえった時、そこには見事な赤いスズランが咲いていた。
「これが赤いスズランか・・・。可愛らしくて、清楚で、暖かみのある作品だね」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、とてもうれしいです。
スズランの別名は『君影草』・・・愛しい人の面影を映す花です・・・」
(愛しい人か・・・意味深だな。ターニャにもそんな人がいるのだろうか?)
秋吉はターニャの話を聞いて、そんなことを思った。
「私、この赤いスズランを店長に見せてきます。お店に置いてもらえたら素敵ですよね」
「うん、そうだね。きっと置いてもらえるよ」
「はい。では、行ってきます」
ターニャは大事そうに赤いスズランを持つと店の奥へ入っていった。
そして秋吉がターニャの成功を信じてそのまま待っていると、
さっきまでの明るい笑顔が信じられなくなるぐらい暗い表情のターニャが戻ってきた。
「どうだったの?」
秋吉はそんなタ−ニャの表情にイヤな予感を感じながらもあえて尋ねた。
「・・・・・・店長に言われました。スズランは赤くないって・・・。
そんなことは私だって分かっています。でも私はどうしても夕焼けの赤を使ってスズランをつくりたかった・・・。
幸せを呼ぶ花は暖かな赤い色に咲いて欲しかったんです。
でも店長は言いました。もっと分かりやすい商品を作らないと売れないと・・・」
「そんな・・・」
「仕方ないですよ・・・。店長の言う事も正しいですから・・・。また・・・がんばります・・・」
そう言って秋吉から視線をそらすターニャは涙を流さずに泣いているように見えた。
「ターニャ・・・」
「秋吉さん・・・。これはアナタに差し上げます」
そう言って顔を上げると、ターニャは秋吉に赤いスズランを手渡した。
「えっ!そんな。こんな大事な物貰えないよ」
秋吉は手渡された赤いスズランを返そうとした。
しかしターニャは差し出された手を押し返した。
「それは・・・秋吉さんがいなければ決して生まれなかった作品です。ですから秋吉さんに受け取ってほしいんです」
「・・・・・・うん、ありがとう。それじゃあ受け取っておくよ」
秋吉はしばらく迷ったが、ターニャの目が真剣に何かに訴えているような気がしたので、結局受け取ることにした。
そして秋吉が手を引っ込めると、ターニャはまだ少し暗い影を残しながらも、うれしそうに微笑んだ。
「それじゃあ、私はこれから仕事に戻りますので・・・行きますね」
「うん。またね、ターニャ」
「はい。さようなら、秋吉さん」
ターニャは秋吉に背を向けると、店の奥へ行こうとした。
「ターニャ!」
しかしその背中があまりにも小さく、儚く見えて、秋吉は思わず呼び止めていた。
「はい、何ですか?」
ターニャは振りかえると不思議そうな顔で秋吉を見た。
「あっ・・・」
しかし呼びとめたものの、秋吉は何と言ってあげればいいのか分からなかった。
今のターニャには‘気を落とすな’とも‘がんばれ’とも言えない気がしたからだ。
「赤いスズラン・・・大切にするよ」
だから秋吉の口から出た言葉はこんなものだった。
「はい。大切にしてあげてください。私が夕焼けの赤で作った最初の作品ですから」
でも、その言葉はターニャを微笑ませるだけの力は持っていたらしい。
「うん、約束するよ」
だから秋吉も笑顔を返すことが出来た。
←ひとつ前へ
続きへ→
SSのトップに戻る。