第4話 こぼれ落ちる想いの行く先は


 その日、ターニャは1人札幌駅で壁に身を預けて立っていた。
 その表情は暗く、時節溜め息まで漏らしている。

 ターニャは昨日、葉野香からの誘いを断る事が出来なくて、今日とうとう会う約束をしてしまった。
 それが、今ターニャの顔を曇らせている原因だ。
 今立っている場所は葉野香と待ち合わせをする時のいつも使う所。
 ここに着いてからすぐに辺りを見まわしてみたが葉野香の姿はなく、どうやらターニャの方が先に着いたようだ。
 時計を見ると針は1時45分をさしている。
 待ち合わせの時間は2時。

(早く来すぎてしまったでしょうか?)

 ターニャは壁にもたれたまま、目の前を行き交う人の流れを見ながら葉野香を待つことにした。

「ふぅ・・・」
 しかし、どうしても待つ間に溜め息がこぼれてしまう。
 葉野香に会った時、どんな顔をすればいいのか?ちゃんと目を見て話せるだろうか?何を話せばいいのか?
 そんな事を考えていると不安で堪らなくなる。
 緊張のためか心臓の鼓動がいつもより早い。 

 そんなターニャがふと見上げた空は曇り空。
 まるで彼女の心を映すかのように。
 そんな曇り空から何か白く小さなものが降ってくるのが見えた。

(何?)

 拾ってみようと、手のひらを差し出してみたけれど、うまく手にのったかどうかは分からない。
 手のひらの上を見てみると、そこには水の雫が一粒乗っていた。

(雪・・・だったのでしょうか?)

 もう一度空を見上げてみても雲間に青い空が覗いているのが見えるだけで、もう何も降ってくる様子はない。

(たった一片だけの雪・・・。本当なら誰にも知られずに消えてゆくはずの雪だったのでしょうね)

 空から手のひらに視線を戻して雫を眺める。

(私の想いも、この雪のように誰にも知られず、ただ消えてなくなってくれれば・・・)

 ターニャは雫に乗った手をきゅっと握り締めてからもう1度空を仰ぐ。
 そして再びターニャは葉野香を待つため壁に身を預けた。



 しかし、いくら待っていても当の葉野香はなかなか姿を見せず、時間ばかりが過ぎて行く。

 そしてとうとう2時になってしまった。

(はやか・・・どうしたのでしょう?)

 今まで葉野香は1度も待ち合わせに遅れた事はなく、たいてい5分前には来ていたからだ。

 そして時間はさらに10分経つ。
 この頃にはもうターニャも緊張感を持続させ続けている事が出来ず、今はかわりに不安と焦燥感を抱いていた。

(はやかが遅れてくるなんて・・・。何かあったのでしょうか・・・。
はやかの家はたしかすすきのですから地下鉄ですよね。
でも地下鉄が遅れているとは聞いてませんし・・・。
はっ!まさか地下鉄に乗る前に何か事故にあったのでしょうか?
だとしたらどうしましょう・・・・・・。
1度携帯電話で連絡してみましょうか)

 そう思ってバックを探ろうとした時、
 ターニャの目が人ごみの中からこちらに向かって駆けて来る葉野香の姿を捉えた。

(はやか!!あぁ・・・よかった)

 しかし安堵したのも束の間、ターニャはすぐに驚きで目を見開いた。

「おはよう、ターニャ」

「おはよう、ターニャ。ゴメン、遅れちゃって・・・」

 なぜなら葉野香の隣には、すまなさそうな顔で謝っている秋吉の姿があったから。

ドキン

(何故秋吉さんがここに・・・?)

 ターニャは意外な人物の登場に動揺して声も出ない。
 ただ、心臓だけはうるさいぐらいに反応をしめしていた。
  
「ターニャ、ホントゴメン。耕治さん迎えにいったら、この人まだ寝てたんだよ、信じられる!!
だから急いで起こして用意させてたら、こんな時間になっちゃって・・・」

「いや、ホント・・・。言い訳のしようもないです。はい・・・」

 そんなターニャの態度を怒っていると思った葉野香は慌てて説明し始め、隣では秋吉が小さくなって謝ってばかりいる。
 ターニャにはそんな秋吉の姿がなんだか可愛く見えて、可笑しかった。

「ふふっ、秋吉さん、私怒ってないですよ」
 そんな2人の様子があまりに自然体であったためか、ターニャはようやく普通に話せるようになった。

「えっ!ホント!?」

「ターニャ、こんな奴に気を使う事ないんだよ。怒ってるなら、バシッと言ってあげなきゃ」
「いいえ、はやか。ホントに私怒ってませんから・・・。少し心配はしましたけど・・・」

「ありがとう・・・。ターニャは優しいなぁ〜。でもゴメンね。心配かけて」

「えっ、いえ、そんな・・・」

 ターニャは秋吉に笑顔を向けられると、急に恥ずかしくなって口篭もった。
 そうなると、さらに心臓がドキドキしてきて、顔も熱くなってくる。

(いけない。はやかの前なのに・・・)

 しかし、そう思っても頬の火照りはなかなか治まってくれそうになかった。



「じゃ、そろそろ行こっか」

「あっ!はやか。ちょっと待ってください」

「何?ターニャ」

「あの・・・秋吉さんも一緒なのですか?」

 ターニャは歩き出そうとした葉野香に駆け寄って引き止めると、秋吉から少し遠ざけるようにして小声で尋ねた。

「えっ!?」

「あたし、耕治さんも来るって言ってなかったっけ・・・」

 すると、葉野香も声を潜めて怪訝そうな顔で聞き返してくる。

「はい、聞いていません」

「うわっ、ゴメン、イヤだったかな?」

「いいえ、そんなことないです。(でも・・・)」

「そっか、よかった」

「何、2人で内緒話してるんだ?」

「うわ!」

「きゃ!」

 後ろからいきなり秋吉から声をかけられ、飛び上がる様に驚く2人。

「あっ、いや、何でもないよ。女の子同時の秘密の会話だよ。なぁ、タ―ニャ」

「えっ?あっ!はい、そうです。秋吉さんが気にするような事は何も話してませんよ」

 2人は慌てて笑顔をつくると、そう弁明した。
 しかし、その表情はどことなく引きつっている。

「・・・・・・ま、いいけどね。それより早く行かないか、場所はもう決めてるんだろ?」

 秋吉はそんな2人の態度から何かを隠していることは分かったが、あえて聞こうとはしなかった。
 ただ、なんとなく自分の事を話していただろうと、思ってはいたけれど。

「あっ、うん。じゃあこっちだからついて来て」

 そんな秋吉の態度に落ち着きを取り戻した葉野香は2人を促し札幌の街へと足を踏み出した。




「ターニャ・・・。ほんっっとーに、ここでいいの?」

「はい」

 葉野香の力を溜め込んだ問いに対して、ターニャは笑顔で簡潔に答えた。

 3人が今いるのは、ごく普通の喫茶店である。
 テ−ブルを挟んで手前にターニャ、奥に秋吉と葉野香の2人が座っている。

 本当は葉野香はもっと高級な店にターニャを連れて行くつもりであった。
 しかしターニャは店の前で気後れして、中には入ってくれなかったのだ。
 しかたなく葉野香が店のランクを下げてゆくうちに、この店の決まったのだった。 

「でも・・・。ホントいいの?この600円のケーキセットで?」

「はい、私はこれで十分です」

 葉野香はテーブルの上に並んでいる3人分のケーキセットを見ながら今度は探るように問い掛けた。  
 が、やはりターニャは今度も笑顔を返してくる。
 しかも、その笑顔は本当に満足げでうれしそうに見える。

(ま、いっか。本人が喜んでいるんなら、それが1番だしね)

 だから葉野香もそう思って、これ以上は何も言わない事に決めた。


「じゃ、あらためて」

「「夕焼けの赤、完成おめでとう、ターニャ!」」

 秋吉と葉野香は声をハモらせて、ターニャに祝いの言葉を送る。
 すると、ターニャはうれしさと気恥ずかさで頬を赤らめながらもにっこりと微笑んでくれた。

「ありがとうございます。でも・・・こういうのはなんだか・・・恥ずかしいです」

「まぁ・・・そうだね・・・。でも気にしない気にしない」

 先ほどから3人は周りからお客と店員から奇異の視線を感じてはいたが気にしない事にした。

「でも、ホントによかったね、ターニャ。ついに夢が叶ったんだから」

「はい・・・。本当に長い道程でした。
 ですが、これも二人が力を貸してくれたおかげです。本当にありがとうございました」

 ターニャはそう言って2人に小さく頭を下げる。

「大袈裟だよ、ターニャ。あたしはべつに何もしてないよ」

「そうだよ。ターニャが今までがんばってきた成果だよ。」

「いいえ。
もし私がはやかに出会っていなければ、
きっとこの日本での生活に馴染めず、誰も信じられず、もしかしたらロシアに帰っていたかもしれません。
秋吉さんに出会っていなければ、きっと夕焼けの赤を作る事は諦めていたでしょう。
2人が私を支えていてくれたから、夕焼けの赤を作り上げることが出来たんです。
決して大袈裟ではありません。
ですから本当に2人には感謝しているんです」

 2人は今まで誰かからこれほどまでに深く感謝をされた事なんてなかった。
 だから2人はターニャの話が終わってからも、どう返事を返したらよいのかが分からずにうろたえてしまう。
 しかし、それは2人が黙ってしまうこととなり、ターニャを不安にさせてしまう。

「あの・・・私、何か変なことを言ってしまってでしょうか?」

「あっ、ううん。そんなことないけど。でも、その・・・そんな風に言われると・・・何だか照れくさいよ」

「あたしたちは友達だろ。友達が困ってるなら助けるのは当たり前だよ」

「友達・・・ですか?」

 ターニャは少し探るような目で秋吉に問い掛ける。

「ああ、そうだよ」

 その答えを聞いて、ターニャは一瞬だけ目を伏せて顔を曇らせた。
 しかしそれは本当に一瞬であったため、秋吉も葉野香も気づかない。

「・・・・・・そうですね。でも、ありがとうは言わせてください」

 そして次に瞬間には笑顔を2人に向けていた。

「うん・・・・・・。じゃあ、ほら、そろそろケーキ食べようよ」

「はい」



「さて、これからどうしよっか?」

 喫茶店から出てきた葉野香は軽く身体を伸ばしてほぐしながら2人に尋ねる。

「そうだなぁ〜・・・。ここからなら須貝ビルが近いから、『須貝二段活用』といきますか」

「『須貝二段活用』って何ですか?」

「ああ、ターニャは知らないか。
須貝ビルで、まずゲームセンターで遊んでからカラオケに行く事をそう言うんだよ。葉野香は知ってるよな」

「ううん。あたしもそんな言葉初めて聞いたけど」

「えっ?そうなの。(もしかして大里高校限定の言葉なのか。いや、もっと狭くて琴梨ちゃんと鮎ちゃん限定かも)」

「ま、とりあえず須貝ビルに行こうか」



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