北へ。Wing Owners
6.

 「正直ラ・コンテ・ブル(注1)って言われてもわからないけどさ。フランスでも一流のとこなんだよね。それってチャンスなのは
確かだよ。」

 「うん。それはわかってるんだけど…」

 久しぶりの親友からの電話だった。琴梨は、それでも今ひとつ楽しい気分になれなかった。

 「けど、フランスなんだよ。英語だってあまり通じないし…それに私、フランス料理なんてほとんど食べたことも無いよ…」

 「でもさ琴梨、そのフランスの先生が琴梨を弟子にしたいって言うんでしょ。やっぱそれって才能だよ。フランス行ったら朝、
昼、晩フランス料理ばっかなんだから、今食べたこと無くてもすぐにフランス料理通になっちゃうんじゃない?」

 数ヶ月前、琴梨は母親の連れてきたフランス人に夕ごはんをご馳走した。セボン、セボン(注2)と言って帰っていったその人が、
有名なフランス料理の先生だというのは後で母から聞いたのだ。フランス料理の修業をしないかという誘いとともに。琴梨にとって
想像もしていなかった一大事であり、相談できる人はそう居なかった。その筆頭が、川原 鮎だった。さすが自分の才能を信じて成功
した鮎の言うことは、ポジティブで説得力もあった。

 「私なんか別に魚好きってわけでもないんだけど、寿司屋の娘だからさ。仕事の関係でお寿司食べ行くと、ネタの良し悪しもなん
となくだけどわかっちゃうし。ああ、それとよ、鮎が魚をバクバク食べるとか笑われるんだよ。失礼しちゃうよね。けどホント、母
さんが止めてくれなかったら、お父さんったら寿司ネタから名前とるとこだったんだって。参っちゃうよ。私はサザエさんじゃない
っての、まったく。」

 「はは、サヨリちゃんとか、かわいいんじゃないかな。」

 「うわ、サユリならよくいるけどさ。それってないんじゃない。」

 二人は声を立てて笑った。

 「まあ、なんだ。結局決めるのは、琴梨なわけだし、そういう悩みだったら和也さんにも相談してみたらどう。」

 「うん…そうなんだけど…最近お兄ちゃん、凄く忙しいみたいなんだ。連絡来たとおもったら、酔っ払って倒れたお友達を泊めて
くれ!だって。」

 「なにそれ、その人もパイロットの人?日本の空は、大丈夫なのかな。そんなんで。」

 「そうなんだけど、すごく気にしちゃってちょっとかわいそうなくらい。」

 「ふ〜ん。今度の新曲、かなりかっこいいんだけど。ちょっとイメージ狂っちゃうな。」

 鮎の新曲、マックス・ターンは戦闘機パイロットをイメージした曲だと琴梨は知っていた。

 「この前、お詫びにってお茶をご馳走になったんだけど、やっぱりかっこいいって雰囲気じゃないかも。」

 「あはは、琴梨もひどいじゃん。」

 「あ、そんなつもりじゃないよ!面白い人だったよ。それにすごく美味しそうにご飯食べるの。」

 「う〜ん。それってフォローになってんのかな?まあ、琴梨らしいけどさ。そういえば、和也さんもなんでも美味しく食べちゃう
よね。琴梨ってば食いしん坊好き?」

 「う〜、そんなことないんだけど。自分が作ったお料理を美味しそうに食べて貰えるとうれしいからかな?美味しくてうれしいっ
て顔、好きなのかも…」

 「フフ、琴梨はマンジャーレ、マンジャーレ!、マンジャーレ!!って感じだね。私はマンジャーレ、カンターレ!までは行って
るから、一歩リードかな。」

 「え。鮎ちゃん、それどういう意味?」

 「イタリア語だよ。意味は自分で調べてみて。まあそれはそうと、琴梨はやっぱり和也さんに相談したいよね。」

 「うん…お兄ちゃんには、話、聞いて貰いたいな…」

 「よし、親友の頼みだ!和也さんと琴梨を二人っきりで会わせてあげる。」

 「え、鮎ちゃん、忙しいんだし…」

 「まあ任せておきたまえ。千歳の新曲発表会、琴梨も来るよね…」

 それから数十分、ひそひそ声のやりとりが続いた。ネコのぬいぐるみが「それ、携帯でないかい?」と突っ込みを入れられるよう
になるのは、まだまだ先のことになるだろう。

(注1)ラ・コンテ・ブル:ル・コント・ブルーをもじってみた。なんでも有名な料理学校らしい。ここのブランドアイスは、最近
の筆者のお気に入りだ。なかでもマロンとプリンが好きらしい。

(注2)セボン:まあフラ語で美味いって意味だと思います。ちなみにボン・カレーのボンはセボンのボンならしいです。カレーは
印→英→日と伝わったからフラ語の入る余地は無いと思うんですが、仏だろうが英だろうが洋食と一括りの時代があったってことで
すな。


7.

 千歳基地のエプロン、その中心に本格的なステージが設置され、巨大な音響機器が思い思いのノイズを響かせていた。

 「なんかちょっとやりすぎなんじゃない、由子さん。」

 ライトに輝くステージ、その中心を舞うように歩き回っている女の子を見上げ、鷲頭はあきれた声を漏らした。

 「なに言ってんのよ。札幌の産んだ今をときめくアーティスト、その新作発表会なのよ。うちの予算内で、やりすぎるなんてこと
出来るわけ無いでしょ。」

 川原 鮎か…うむ、テレビで見るよりかわいい。ステージで音合わせを続けている鮎の顔は、真剣そのものだった。普段の鷲頭だっ
たら、同乗者として願っても無いと思っていた筈だった。

 「お、もう鮎ちゃん来てるのか。」

 春野の小さな声が、背中に聞こえた。鷲頭と春野は、訓練空域から戻ったばかりだった。

 「も、遅いのよ和也は。鮎ちゃん、来てすぐあなた探してたんだからね。」

 由子が、肘で春野のわき腹を突付く。

 「OK! 後は、明日のリハで詰めよう。今日は解散!みんな私の故郷を楽しんできて。あ、お寿司なら澤登だかんね!」

 ウイ〜、お疲れ…ステージの電源が思い思いに落ちていく。

 「お、和也さんだ!久しぶり!」

 鮎がこちらに手を振り、目の前でステージから飛び降りた。

 「久しぶり。遅れてごめん。」

 「うむ。まあオン・タイム川原が待たされるのは、何時ものことですから。」

 「はは、せっかくマッハで帰ってきたんだけど、隊長に引き止められちゃって。」

 春野がうれしそうに応じる。鮎もクスクスと笑っていた。

 「あ、こちらの方は?」

 鮎がこちらの顔を振り向いた。春野が、腕をふる大げさなジェスチャーで鷲頭を示した。

 「ああ、こちらは鷲頭 二尉殿。僕がいつもコンビを組まして貰っているんだけど、ここでも凄腕と呼ばれてるパイロットだよ。」

 鷲頭は、頭を掻きながら会釈した。まあ、腕にはそれなりの自信があるのだが、こんな紹介はこそばゆい。

 「え! あなたが鷲頭さんですか? お噂は、聞いてますよ。」

 鮎の言葉は、語尾の方でしのび笑い変わっていた。鷲頭は、春野を冷たく睨んだ。あること無いこと吹き込んでいるに違いない。
しかし、睨みつけられた春野も面食らった顔をしている。

 「あ、残念。私そろそろ行かなくちゃ。ラジオのお仕事入っちゃってて、カプチーノ・ブレイクってやつなんだけど、良かったら
聞いてね。積もる話は、明日空の上でってことで、楽しみにしてるからね。」

 「あ、ゲートまで送るよ。」

 春野が応じると、鮎はうれしそうに首を振った。

 「もうそこに車来てるから、いいよ。じゃ、明日よろしくね。」

 エプロンに止められた高機動車では、運転主が首を長くしてこちらを見つめている。手を振り小走りに去っていく鮎の背中を見な
がら、鷲頭と春野はため息をついた。飛行前に、鮎に話をつける最後のチャンスが失われたのだ。ウゴ…両者のへこんだみぞおち
に、由子の肘が刺さる。

 「ほ〜ら、今更悩んでるんじゃないわよ!さ、明日の打ち合わせだよ。フライト・プラン、鮎用のをコピって来たから、それ覚え
てもらわないと。」

 ああ、どうせなら琴梨さんと航空祭を廻りたかったな…由子に引きずられながら、鷲頭はもう一度ため息を付いた。

8.

 晴れた空の下、ジェットエンジンの轟音が轟く。ヴィクトルはSu-27のコクピットから空の色をボンヤリと眺めていた。ヘルメッ
ト・サイトシステムによるR-73ミサイルの試射(注1)。傍受によってもたらされた奥尻レーダーサイトがメンテナンス中との情
報。神の配剤とは、このことを言うのだろうか…

 「スミノフ・ブラック、離陸を許可する…」

 管制塔の呼びかけが、ヴィクトルを現実に引き戻した。

 「ブラック了解、離陸する。」

 スロットルを押し出すと、背中が押さえつけられるようなGが強まっていく。フランカーのパワフルな加速に、背筋にゾクリと快感
が走る。脚が地を離れ、機体はさらに加速していく。地上から解き放たれたヴィクトルを白い光が、包み込む。

 「こちらブルー。ブラック、少し飛ばしすぎだ。速度を絞れ…」

 「了解、ブルー。」

 そう応じつつも、ヴィクトルは多目的ディスプレーのチェックをこなしていた。美しいカラー・ディスプレー、信じられない技術
革新だ。次々、表示を切り替えていく。ふとヴィクトルは、手を止めた。フランカーの機体を描いたパネル、翼に重なるように二本
の赤い線が光っている。ヴィクトルには、その赤が酷く毒々しいものに見えた。

 「こちらブラック、この高度で訓練空域に進出する。仕事が済んだら、少しばかりあの島に近づいて帰るとするか。」

 「ブルー了解。たまには覗いてやらないと、あちらさんも退屈するだろうからな…」

チェイサー役ブルー、セルゲイの陽気な笑い声に、ヴィクトルは唾を飲み込んだ。大丈夫だ。上手くやれば、何の問題も無い。

(注1)ヘルメット・サイトシステムによるR-73の試射:R-73ミサイルは推力方向(つまりロケットの噴射方向)を変えることで高
い機動性を持つミサイル。ヘルメットに表示式の照準システム、ヘルメット・サイトシステムを用い、パイロットの頭を敵に向ける
ことで、従来考えられない角度の敵が攻撃可能。ロシアではミサイルもラケーテ(ロケット)と呼ぶので、たぶんRはラケーテの頭文
字だろうと思う。


9.

 千歳基地のエプロンは、既に人で埋め尽くされていた。ステージの両側には、各種航空機が並べられ、あちらこちらにあちらこち
らでカシャ、カシャというシャッター音が響いている。フライト・ジャケットの上半身をはだけたTシャツ姿に、航空ファンたちは道
を開けてくれる。鷲頭の目指すT-4(注1)は、もうすぐそこにあった。あれなら女の子でも気に入ってくれるに違いない。実際、機
体の反対側ではWAFの格好をしたメガネの女の子がポーズを取って記念撮影をしている。これならいける筈だ。

 「こっちです!小鳥さん。」

 振り向くとTシャツに短めのスカートの琴梨がすぐ後ろにいた。ワンピースがイメージだったが、これもまたいい。鷲頭は少し赤く
なった。

 「あ、これホントにかわいいです。」

 小さな飛行機を見た琴梨の顔が、少し輝いた。鷲頭は、なぜか前あった時以上に緊張している琴梨を喜ばせようと必死だった。

 「こいつがT-4です。愛称はドルフィン。ぴったりでしょ。」

 全体に丸みを帯びた小さな機体は、鮮やかな青と白に染め上げられ、まさにドルフィンというのに相応しい愛らしさを持ってい
た。

 「これは僕たちパイロットが、ひよこ時代に必ずお世話になる飛行機なんです。役目も小鳥さんにぴったりですよ。」

 それを聞いた琴梨は、クスクスと笑いだした。

 「あ〜、鷲頭さんは私の名前、小さな鳥って書くって思ってますね?」

 「え、違うんですか? 失礼しました!」

 鷲頭は慌てた。せっかく気の利いたことを言ったつもりが、大空振りか!

 「フフ、確かにお父さん、そういう意味を込めて付けてくれたみたいなんですけど。でも、漢字は楽器の琴に果物の梨って書くん
です。」

 「あ、なるほど、そう書いて琴梨さんなんですか。」

 琴梨の言葉にホッとしつつ、鷲頭は頭を掻いた。琴梨は、飛行機の周りを歩いて下側を覗き込んだりしていた。どうやら本当にT-4
が、気に入っているようだった。

 「この飛行機が、航空祭の最後にすばらしいショーを見せてくれますから、是非見ていって下さいね。」

 そう言いながらも、鷲頭は残念でならなかった。影武者役で琴梨といられるのは、鮎のコンサートまでなのだ。その開演時間もも
うすぐそこに迫っている。

 「はい。楽しみです…」

 鷲頭は、琴梨の声がまた少し暗くなったような気がした。

 「鷲頭さん、そろそろ鮎ちゃんに会いに行きましょう。」

 「そうですね。付いてきてください。こちらに抜け道があります。」

 鷲頭は立ち入り禁止のロープを持ち上げ、琴梨を通した。

(注1)T-4:純国産のジェット練習機。本文中のように丸っこく小さい愛嬌ある飛行機。戦闘機パイロットが始めて乗るジェット機
が、このT-4である。空自の誇るアクロバットチーム、ブルーインパルスの使用機体でもある。ドルフィンはブルーインパルス機を特
別に指す愛称かもしれない。信頼性、飛行の安定性ともに高い機体だが、諸外国のこの手の機体が武装可能であることを考えると評
価が下がる。質的優勢を必要とする自衛隊にとって、軽攻撃機など無用なのかもしらんけど。


10.

 「目標捕捉!発射予定距離まで60秒。」

 ヴィクトルの眼は、少し右下の空に浮かぶ小さな点を睨んでいた。その点は、Mig-21を無人標的機に改造したものの筈だ。耳元で
ビーというトーンが、高まっていく。(注1)

 「30…」

 銀色の鉛筆のようなMig-21の輪郭が既にはっきりと判る。どんどん大きくなる。

 「15…10、9、8、7…」

 耳障りな音が、速く撃てと絶叫していた。

 「3、2、1、発射!」

 誰も乗っていないのが判るほど、接近したMig-21のコクピットを睨み、操縦桿上のスイッチを押した。ほとんどすれ違わんばかり
のタイミング、ミサイルは発射されたというより切り離されたという感じで消えていった。

 「こちらブルー。命中だ!こいつは凄い!まさかホントに当たるとは思わなかったよ。」

 セルゲイの興奮した通信に、ヴィクトルも今日始めての笑みをこぼした。そう、これならいける。あとはセルゲイと自分の腕前に
掛かっている。

 「こちらブラック。よし、馴染みの店に顔を出しにいくとするか。」

 「そうだな。手隙の時に覗いてやるのが、ホントの上客ってもんだしな。」

 どうやらセルゲイも気が大きくなっているようだ。これなら事を起こす前にゴールに最大限近づける。任務を終えた筈のヴィクト
ルの手に、新たな汗が滲みだしていた。

(注1)耳元でビーというトーン:赤外線ミサイルのロックオンを知らせる音。音が大きく切れ目がないほど、しっかりと目標がロ
ックされている。


11.

 「北から、東の空へ…走る飛行機雲と…」(注1)

 ステージの上で、鮎が両手を広げた。静まり返る観衆の中、最前列の琴梨は親友を仰ぎ見ていた。少し前まで雑多な騒音に包まれ
ていた筈の会場が、今や鮎だけに支配されている。気持ちを開放するように歌う鮎の顔は、琴梨の眼に雄々しくさえ映っていた。

 「力貯めた、爪先は…」

 鷲頭は、琴梨の横顔を見ていた。ここは、黙って退出する方がいい…身をかがめ、小走りで移動する。ステージ裏には、由子と愛
車が待機していた。

 「ほい。これ。和也のメット。」

 ポンと手渡されたヘルメットを被る。

 「もうすぐ待機所に入る頃だよ。急いで!」

 由子に背中を叩かれつつ、愛車TREK(注2)に跨る。無音、無公害?、一人力の頼れる奴に一蹴りをくれる。重いギア比で一気に
踏み込む。

 背後で歓声が挙がった。ちらりと時計に目をやる。作戦は、予定どおりのタイミングで進行していた。

(注1)「北から、東の空へ…走る飛行機雲と…」:先に題名マックス・ターンとか書いてある鮎の新曲。実はLW社の第2作「カル
テット!」挿入歌「虹の彼方へ」の歌詞をかってにいただいている。本来「北から南の〜」なのだが、南に飛ぶと太平洋、「北から
更に北の〜」はダメダメってことで、「北から東の〜」とした。「力貯めた、爪先は…」は原曲まんま。「虹の彼方へ」は「大好
き」とは比べ物にならない曲であり、鮎の成長が伺える。

(注2)TREK:自転車。北海道に自転車は、やっぱりいい組み合わせだと思う。DDの移動手段が、自転車だったら凄かったかもしれ
ない(立ちコギは連射、バ〜イ・ハドソン!←琴梨CM風に)。果鈴に手術を受けさせるのなんか、相当根性いっただろう。なにせ景
色のいいとこ=高いところだから。あ、病気なおって一緒にサイクリングなんてのはいいか。う、冬の北海道をサイクリング、有り
得ない!

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