鬼切役奇譚第三章 〜社の美女と鬼切と〜


『1』

 日はまだ東から登って数時間。
 天水村で、誠と水波が、咲耶に出合ってから、ちょうど12時間。
 爽やかな風が吹く度に、りん、りん、と、貝殻の風鈴が鳴り、そこは穏やかな春の空気
に覆われていた。
 そこに、どすどすと足音を鳴らしながら、肩幅も顔幅も大きないかつい男が、その穏や
かな雰囲気を壊しながら入ってきた。

「……おい、さんなん、歳(とし)はどうした?」

 と、野太いが明るい口調の声が、部屋の中に響き渡る。

「ん?土方(ひじかた)くんかい?……さあ、どこにいったんだろうね」

 和室には不釣り合いな、茶色いソファの上に寝そべったまま、『さんなん』と呼ばれた
男は、気の抜けた声で答えた。

「ふう、あのな、さんなんよ、俺たちは一応、仕事中なんだぞ。あまり気を抜き過ぎると
 もしもの時に、しっかりと対応できんぞ」

 あきれたように、野太い声の持ち主はそう言うが、さんなんと呼ばれた男は、まるで意
に介した様子も見せない。
 手に持った本を、再び顔の全面に置きながら、

「まあ、いいじゃないか。向こうには斎藤君がいるし、いざとなれば、沖田君も永倉君も、
 藤堂君だって向こうで待機している。それに、その『もしも』が近ければ、山崎君が飛
 んでくるはずさ。急いては事を仕損じる……という事もある。局長としての仕事に責任
 を持つのはいいと思うが、そう力を入れすぎなくてもいいよ。でないと、いざという時
 に力が出せなくなるよ、近藤さん。」

 と、答え、にっと微笑む。

 彼に呼ばれた男……近藤 勇(こんどういさみ)は、またひとつため息をつくと、苦虫
を噛み潰したような表情で、どかっ、と、そばにあった座布団に腰を下ろす。

「まあったく、歳どころか、左之助までおらん。あの二人また『さぼりに』出かけたのか?」
「こんな待機なんて退屈な仕事、僕だけで十分だよ。近藤さんも出かけるかい」
「冗談にしては笑えんな」

 そんな会話を二人が続けるこの空間は、12畳の和室が二つ、そこに大きい障子。
 それを開けると縁側があり、そのすぐ上の屋根の部分には、春には不釣り合いな風鈴が
涼しげに音を鳴らしていた。
 事務所、本部……言い方は様々だが、ここは、彼らの仕事場でもあるのだ。

「はい、局長、お茶」

 そう言って、一人の少女がお茶をお盆に運んできた。
 その後頭部には、ポニーテールが揺れている。かなりの長髪のようだ。

「ああ、すまんな」

 そういって、近藤は湯のみを一つ取る。

「あ〜、沙耶香(さやか)ちゃん、おはよー。こっちにも一つお願いね〜」
「働かざるもの、食うべからず、ですよ、山南さん」

 寝そべったまま、ふらふらと手を振る男、山南 敬助(やまなみけいすけ)に、沙耶香
はつん、とそっぽを向いてしまう。

「あら〜、これでも、総長として一応報告書には目を通してるし、いつでも出かける準備
 はできてるんだけどねえ」

 そういう山南に、しょうがないなあ、と、沙耶香はお茶を彼に手渡す。

「まったく、いつもながら気の抜けた男だなあ、お前は」
「ああ、井上さん。どうもどうも」

 そう言って、山南は自分に声をかけたその男に手を振る。初老の男だが、その目は実戦
を積み究めた者に宿る鋭い眼光が光っていた。
 そこにもう一人、少女が入ってくる。

「おっはよ〜う、みなさん!」

 そういうと、元気良く、右手を上げる。
 沙耶香、と呼ばれた少女と、まるで瓜二つ。違いは彼女が髪の毛を肩のあたりで揃えて
いる所くらい。おそらくは双子の姉妹なのだろう。

「おはようございます、源三郎おじさん。おはよう、穂野香(ほのか)」

 そういう沙耶香に、その男、井上源三郎(いのうえげんざぶろう)と穂野香は、おはよ
うと言い、にっこりと微笑み返す。

「私、朝ご飯作るの手伝うね」
「あ〜、助かる、穂野香」

 そう言うと、二人の少女は、きゃいきゃいと廊下の向こうへと消えていった。

「まったく、若いってのはいいな源さん」
「局長、何を年寄りくさい事を」
「ははは、まあ、そう言うな。……いい所にきてくれた。話があるんだが」

 そう近藤は言うと、源と呼んだ男に座布団を勧める。

「山崎君から、連絡は一応届いている。鬼が出たんだって?」

 近藤の問いかけに、井上は頷く。

「ついでに、絶世の美女もな」
「ほう?」

 そう会話を交しながら、井上は座布団に座り、沙耶香の出してくれたお茶を二人して一
つすする。

「歪みは今の所治まり、鬼も退治されたが、念のために、沖田を動かす事にした。永倉と
 藤堂は待機だが、いつでも動かせる。また、斎藤も、いいタイミングで巡査長として向
 こうに赴任している。山崎も、天水村に張り付かせてある」
「一番、二番、三番、八番隊か。ふむ、彼等なら、何の心配もないな。しかし、歳三も左
 之助も相変わらずおらんな。全く、首輪でも付けておかんと、あの二人は何処へ行くか
 分からんな、局長」
「鬼切役になった者達と袂を分かって、はや4年か。あの二人はそんな俺達のなかでも一
 番、鬼切役にはそぐわん男達だな」

そんな会話を交しながら、近藤と井上は、苦笑いする。

「しかし、鬼が出るから、というだけでうちの看板を3人も天水村に向かわせた訳ではあ
 るまい?」

 そう言う井上に、近藤は一瞬真顔になって、口を開く。

「柊 誠くんを覚えているか、源さん」
「ん? ああ、あの地雷のような少年か。よく覚えているぞ。何せ、米軍の誇る戦車部隊
 と特殊部隊を根こそぎ壊滅させ、鬼も人間もあたり構わず攻撃しまくっていた少年だか
 らな。しかし、最後には何故か冷静に戻り、凄まじい気組みで鬼の群れを切り崩してみ
 せた。混乱している無様さと、鬼を切った時の清廉な気が対称的で、とても印象に残っ
 ている」
「その男が、今天水村にいるそうだ」
「……一体、何を企んでいるんですかな局長。人間同士で、あまり無茶な事をさせないよ
 うに、お願いしますぞ」
「大丈夫だ。そんなんじゃない。彼が、あれからどのように成長したか、俺はただそこに
 興味があるだけさ。それにだ、彼に一番会いたがっていたのは総司の方さ。できれば、
 上手に話をつけてくれるといいがな」
「……それは、うちに引き込む、と言う事かな?」
「うちは元々、何の関連性もないごろつきの集まりだ。どんな奴でも拒まん。剣術流派に
 しても、何でもかんでもごった煮にしたような感じだしな。俺と、総、歳、そして源さ
 んは天然理心流、山南と藤堂は北辰一刀流、斎藤は無外流、永倉は神道無念流、左之助
 は種田流槍術。しかも、どいつも目録授与、免許皆伝の腕前ときている」
「まったく、にぎやかな事だ」
「うちは、一人でも有能な武(もののふ)が欲しい」
「たとえそれが、袂を分った鬼切役であっても……か」
「今は滅んだ夢想神伝流を使うとされ、そして直新陰流をも取り込んだ彼の剣術。やはり
 魅力的だな」
「ふむ……」
「それに、今回、彼らが調べている失踪事件……。どうも、歪みが関係している訳ではな
 さそうだ」
「……どうも、ややこしい話になりそうだな、局長」

 そんな二人の会話を聞きながら、山南は、いつの間にか寝いってしまっていた。

「おじさんたち!朝ごはんできたよ〜」
「おお、朝飯ができたか。まったく、助かるな、あの娘達は。私達だけではこんな清潔に
 事務所を保てんぞ……よっこらしょと」

そう言い立ち上がる井上に、近藤は、苦笑いしながら言う。

「【あの出来事】は、彼女達にとっては不幸だったかもしれんが…、それでもいつも笑み
 を絶やさず、そして素直だ。全く、俺達の方が元気づけられるよ。……ほら、起きんか、
 さんなん」
「……んあ??」

 まだ眠そうな山南に、あきれたような顔で井上が続ける。

「全く、お前は逆に、うちにはそぐわん男だなあ」
「まあ、そう言うな源さん。うちは、関連性のないごろつきの集まりといったろう?」
「ごろつきの集まり、か。ふむ、まるで、我らが組の名前にもそぐわんな」

 その井上の言葉に、一つ笑みを返して、近藤は答える。

「『新選組』の名前にか?」

 ふらふらと起き上がった山南を連れ、3人は、のそのそとダイニングルームに向かう。

 春眠暁を覚えず。
 そんな事を思い起すかのように、穏やかに日は登り始めていた。
 だが、天水村では、昨夜の騒動により、穏やかとは到底思えないような混乱が起きてい
るのだった。


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