『25』


「天水村は、今のような、見栄えのする村ではありませんでした……」

 咲耶は、ゆっくりと、何かを確かめるように言葉を紡いでいく。

「田園風景が広がり、あぜ道と水路の奥に、民家が点々としている……私が最初に見た村
 の記憶です」
「桜って、もともとあったんじゃなかったっけ?」

 水波が、ちょこん、と小首を傾げる。

「いや、水波、お前も一昨日あの村へ行った時に、一生さんから聞かされただろう。あの
 村の桜は、一生さんをはじめとした大勢の人々の力であそこまで根付かせたという事を」
「……あ、そか」

 咲耶は、落ち着いた面持ちで、再び言葉を紡ぎ出す。

「一生 正臣という男性が、始めて天水村へ来たのは、今からおよそ十八年前……二十八
 歳のとき……」
「……そんな昔から、一生さんはあの村に……」
「そして、彼は、二人の連れがいました。一人は、二十七歳女性と、そして、六歳になる
 小さな女の子。三人は、身を寄せあうようにしてこの村へと辿り着き、そして細々と生
 活を始めました……それが……私があの村で記憶している、生活の始まり……」
「え? ちょっと待って。咲耶さんって、もしかして」

 水波がずいっと顔を咲耶に近付ける。

「……そうです。私の本名は一生 咲耶。木乃花は、母である真緒の名字です」
「……そうでしたか……」
「あまり……驚かれませんのね」
「……驚いてますよ、でも、今落ち着きがなくては、これから話を冷静に聞いてあげられ
 ないですからね」
「えーーーー! 一生さんって、咲耶さんのお父さんだったの!?」
「言ったそばから取り乱すな」

 びすっ。

「んにゃ〜〜……」

 誠のちょっぷが、水波の頭にヒットする。
 誠と水波の漫才ツッコミを見て少し微笑んだ咲耶だったが、すぐに顔を引き締めて話を
続た。

「父の一生は、藤堂グループという大きな企業共同体の社員兼研究員として、藤堂グルー
 プの医学・製薬部門の責任者として働いていました」
「そこに、真緒さん、っていう、咲耶さんのおかーさんもいたんだね。いいなー、社内れ
 んあい♪」
「……いいえ……母は、そこの研究員ではありませんでした」

 誠の目が細くなる。

「どういう事です?」
「母は……あの実験施設で使われていた、《実験体》だったのです」
「実験体……? 咲耶さん、あなたは以前、鬼との間に自分が産まれたといった話をされ
 てましたね」

 咲耶は、少し間を置くと、誠を見つめて話し出す。
 
「……そうですね、その通りです。母、真緒は……鬼です」
「……」

 誠も水波も、静かに咲耶の言葉に耳を傾ける。

「しかし、父、正臣は、ある時、母を実験施設から連れ出し、その際、実験施設を守るシ
 ークレットサービスと騒ぎになりました。制止を振り切って逃走しようとする私の両親
 と彼等は戦闘になり、父は、そこで母もろとも死んだ事になっています」
「……逃げられなかった……いやしかし……」
「ええ、現に私がいます。父が死ぬような事をするとは思えません。……おそらくは、父
 はクローンを使ったのだと思います……」
「クローン……」
「一生 正臣の名は、あのグループでは、細菌、遺伝子研究の権威として知られており、
 ナノマシンや、そのさらに下をいく、ピコマシンの研究にも、余念がなかったとされて
 います。父が……自分と母のクローンを作り、それを身替わりとして、シークレットサ
 ービスに殺させた、という事は、安易の想像ができます」

 水波が、また小首を傾げて言う。

「ん? 鬼のくろーん、なんてできるの?」
「……そのための母だったのです。ナノ・フュージョン・プロジェクトは、その延長線上
 にあるものなのです」
「鬼を……人工的に複製しようとしていたのか……!」

 咲耶は、少しだけ目線を下げる。

「人間とは……恐ろしいものです。あの当時、まだ歪みは完全に認識されておらず、鬼の
 存在は、一部権力者と有力者にしか分からないものでした。だから、人知を超えたもの
 を自分の意のままに操り、兵器として転用しようとするのは……人間の性として当たり
 前の事だったのでしょう……ダイナマイトしかり……核兵器しかり、ですわ……」
「だが……歪みと鬼の存在が、一般の人々にまで分かるものになってしまった」
「そこで、切り札として、母は兵器研究の対象にされる所でした……しかし、父は、研究
 者として母の身近にいて……情が芽生えてしまったのでしょう……母は、外見は……い
 え、内面も、普通の女性となんら変わらなかったのですから……」
「……鬼と人間には……そんなに違いがない……」
「鬼と人間の遺伝子は、ほぼ同じ……違いがなかったのです」
「……なんだって」
「つまり、異世界から来た……いえ、帰ってきたもうひとつの進化の軌跡を持つ《人類》」
「……まさか……」

 誠が、身を乗り出す。

「あの鬼と、俺達が、変わらないというんですか」

 咲耶は、慌てて首を振る。

「いいえ、そうではありません。人とほぼ同じ人類の遺伝子であるのは、あなた方が言う、
 第二種、第三種です。第一種は、私達でいう、チンパンジーくらいの差がある、別の生
 き物です」

 チンパンジーと人類の遺伝子はほぼ同じと言われてきたが、2005年の研究では、かなり
の違いが確認されているようだ。

「……」
「ただ……一つだけ、向こうの人類は、私達と違う事ができました」
「……違う……こと?」
「次元を超えた、高位の波動を、その体に宿らせる事ができるという事です」
「………………んにゃ?」

 水波が目を点にして、首を右へ左へ交互に傾ける。

「……器使い……」
「……はい。第二種はその角を、そして、第三種は、ある物体を媒介しして呼び込みます」
「え? じゃあ、誠は、向こう側の人間なの???」

 水波は、本当に訳が分からなくなったらしい。

「いいえ。誠さまは、完全にこちらの人間ですわ……ただ……御先祖様に鬼がいる事を除
 いては……」
「……な……ん……だって……?」
「そして、歪みの向こうの世界より渡って来た、未知のウィルスの影響ね」
「……撚光さん!」

 撚光は、誠を見下ろすと、目を潤ませて……

「まっこっとっちゃぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜ん! 元気になってよかったわぁぁぁん!!」

 ……ダイブした。

 ひょい。

「うわちゃちゃちゃちゃーーーーーー」

 誠にあっさりいなされ、畳に顔面を擦りながら壁に激突する撚光。 

「前にも言いましたが、男に抱き着かれても俺は嬉しくないんですよ、撚光さん」
「うふん、イケズぅ」
「イケズでも生け簀でもカワズでもなんでも構いません」
「もう、なんとか言ってよぉ、リチャード」

 撚光の醜態を見ながら、なんとか笑いを堪えている外国人に話をふる。
 外国人は、ひとつせき払いをして、誠に向き直り、そして微笑みながら言った。

「……どうやら、回復してきたようだね」
「あ、おいしゃさんだー」

 水波がびっ、と指をさす。

「ところで撚光さん、その、ウィルス……って」
「咲耶ちゃんが言ってた、御先祖様……そう、昔から、歪みはあちこちにあったのよね。
 そして、それらから出てくる魔物を退治したり、逆に向こうの者が味方をしてくれたり
 ……人間の歴史はね、人間だけで担って来た訳ではないの」
「向こう側の人間が、こちら側の人間と交わり……そして、俺達にその血が引き継がれて
 いた……」
「……そうね……でも、それだけで、器使いは生まれなかった。遺伝子の奥底に眠ったそ
 の器使いの記憶を呼び覚ましたのが……ウィルスよ」
「……ウィルスが?」

 ここで咲耶が口を開く。

「父が言っていました。進化の過程において、ウィルスが大きな役割を果たしてきた可能
 性は捨てきれない、と」
「器使いが現れた時期と、歪みが大量発生する時期は重なっている……まあ、武ちゃんの
 ように、かなり早くから覚醒する子もいたけど」
「……そうか……それで……」

 誠が咲耶を再び見つめる。

「それらの可能性を兵器転用される事を恐れた一生さんは、あなたのお母さんを連れて逃
 げた」
「はい……そして、母は、天水村についた時に、一本の桜の苗木を植えました」
「紅桜……」
「はい……そして、父は、その桜をカモフラージュするために、あの村を桜でいっぱいに
 し、観光地として人々を呼び込んで、それで自分や紅桜を守る事にしたのです……でも
 ……それでうまくいったのは……ほんの数年でした……」

 咲耶は、視線をさらに落とす。

「……鬼が頻繁に現れるようになって……あの村が少なからず被害を被った時がありまし
 た。……そこで……母は使ってしまったのです……波動の力を……」
「……最悪の時期ね……あの当時、人々は、未知の生物に対して、アレルギーかヒステリ
 ーにも似た症状を見せていた……差別されて追いやられたでしょ、おそらく……」
「はい……私達は、村の隅に追いやられ、私も酷い差別にあいました……」

 水波が咲耶の額を見て、ちょっと悲しそうな顔をする。

「そして……自然の恵みなくしては生きられない程環境変化に弱かった母は……私が九歳
 の時に……原因不明の病で……」
「……それはいいから……」

 撚光が咲耶の言葉を遮る。

「ありがとうございます……父は……それから変わってしまいました。何か研究を始め、
 そして私が十二の時、父が鬼と共に何かをしている所を、見てしまったのです」
「一生正臣と鬼の繋がりは、そこが原点、ね」
「私は、その後、里子に出され、父との接点は……そこでなくなりました。たった一人の
 弟もいたのですが……」
「弟?」
「御月 陽……間違いありません……あれは……私の弟です……十二の時に見たあの顔…
 …そして、プレートに刻まれた『陽』の文字……良かった……強く……生きててくれた」
「ひゃー、陽さんが、おとうとぉ??」

 水波は、ぱくぱくと口を動かして驚きを隠せないようだ。
 誠は、大きくため息をついて、頭の中を整理していた。
 器使いが、鬼の子孫である事、そして、ウィルスによりその力が開眼した事。そして、
一生正臣が、鬼の遺伝子の兵器活用に携わり、鬼の複製を恐れ、真緒を連れ出し、そして
咲耶が産まれた事……そして、真緒が死に、一生は変わってしまった事……。御月 陽が、
どうやら咲耶の弟である事……。

「一生さんは……一体何をするつもりなんだ……」

 咲耶は、誠を見つめて、静かに言う。

「父の狙いは……鬼の世界とこの世界の融合です」
「なんですって!?」

 撚光が、身を乗り出す。リチャードがその横で、難しそうな顔で、唸っている。

「母が鬼として差別された事が……どれだけ父を苦しめたかは想像は難くありません。そ
 して、最近、草木の便り……紅桜を使うようになって分かった力ですが……その便りに
 よると、父が歪みを発生させる何らかの方法を編み出した可能性があるのです。父の側
 で、あの桜は頻繁に歪みを感じるそうです」
「……それで、鷲王の時、あんなに簡単に歪みが現れたのね……」

 咲耶は、誠に向きなおると、そのまま指を揃えて、深々と頭を下げた。

「誠さま……どうか……父を止めてください……誠さまのお力なら……私は信じて託す事
 ができます……」
「……しかし……なぜ俺なんだ……俺は……」

 誠は、昔の事を思い出して目を逸らせてしまう。

「誠さまは……あの時私を助けてくださいました……だから、私はあなたを信じられます」
「あたしも信じる! だから、天水村へ行こうよ!」

 水波も、咲耶に加勢して誠をせかす。

「しかし……俺の刀は……折れて使い物にならない……」
「折れた刀なら、また打ち直してもらえばいい」

 新たに現れた声に、全員がその方角へ向く。
 そこには、武と美姫、渡辺が立っていた。

「美姫、刀が折れてしまった事だし、一度行くか」
「そうだな……そういう約束でもあるし……」
「よし、決定だ。誠君、行くぞ」
「ど、どこへですか、蒼真さん」
「君の産まれた家……あの夢想神伝流・柊道場へと帰るんだ。まずはそれからだ」
「父さんと……母さんの所へ……」

 誠は、まだ理解出来ていないようだったが、その武の瞳は、自信と優しさに満ちていた。



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