『35』


 誠と卜部が道場で木刀を交えて、数分が経った。
 そう、数分である。
 それなのに、誠の胴着は、至る所に裂傷ができて切り裂かれていた。
 紙一重で誠が避けているからであるが、それでも衝撃で胴着が切り裂かれたのである。

「どうした、柊君。私はほんの数回、木刀を振り回しただけだぞ」

 そう言い、卜部はにこりと微笑む。

(……強い……いや違う……あまりにも……速い!!)

 誠は、剣技では十分に卜部とやりあえると思っていた。
 卜部がただ者ではないと言う事はよく分かっていたが、それでも、ここまでの速さだと
は想像以上だった。
 誠が受け流そうと木刀を動かす前に、既に相手の剣が自分を捉えていた。
 受け流してのカウンターを取る事ができず、誠はその攻めを、ただ紙一重で避ける事が
やっとだったのである。
 誠は、受けるのをやめ、責めに転じた。
 床を踏み締めると、大太鼓を叩いたかのような音が道場に響き、あっという間に卜部と
の距離が詰る。
 まずは上段からの打ち降ろし。そこから素早く刃を返し横薙ぎ。その切っ先が卜部の鼻
先三寸をかすめ、誠の剣は、そこから突きへと転じる。
 あっという間の三連撃を、全て卜部は一切剣を交える事なく交わしていた。
 そして突きから剣を引き、誠は再び上段へ構える。
 一気に間合いを詰め、卜部を打ち据えるかという寸前、誠は剣を止め、その勢いのまま
卜部の側面に移動。
 そのまま体を遠心力で回転させながら、卜部の背を狙う。

 夢想神伝流・虎巻

 卜部の背を、誠の木刀が捕らえるかと思ったその瞬間、物凄い轟音と共に、卜部の体が
回転した。
 そして、彼もまた遠心力のまま剣を横薙ぎにすると、誠の木刀は卜部の木刀に弾かれ、
そして乾いた音と共に砕き割られた。

「……速い……!」
「よい剣筋だ、柊君。だが、その程度の速さと強さでは、私の体を捉える事はできん」
「く……」
「さあ、どうする!」

 卜部は上段から容赦なく誠を打ち据えようとする。
 誠は折れた木刀で身を守るようにする。
 卜部の剣が、折れた木刀を捕らえた瞬間、誠はその攻撃力を下へと受け流した。
 打ち据えた木刀が誠にいなされる事で、折れた木刀共々床を叩き割り埋まる。
 誠は卜部が持ったままで埋まっている木刀に片足を乗せたかと思うと、卜部の顔面めが
けて回し蹴りを食らわした。
 卜部はその足を、木刀から手を離して両腕で防御するも、数歩後ろに後ずさってしまう。
 誠はその瞬間を見逃さなかった。
 床に埋まった木刀を取り上げると床から引き抜き、両腕で視界が遮られた隙を狙って突きを放
つ。
 しかし卜部も冷静だった。
 木刀の剣先を見切ると躱しながら突進、誠の腕をとって思いきりぶん投げた。
 誠は体を床に叩き付けられる瞬間に木刀を捨てて床に両手を突きバク転。壁まで後ずさると、
そこに立て掛けてあった木刀を取り、再び構え直して対峙する。
 その呼吸には、双方とも一分の乱れもない。

「ふむ……私を捉えたか。……これは、手を抜くと失礼というべきだろう」

 卜部は床に転がっていた木刀を拾い上げ、構え直しながら微笑した。

                   $

 誠が道場で卜部と対峙しているその時、柊家、縁側。
 水波と咲耶が、夕方も近くなった空を見ながら言う。
 柊家の庭は広い。辺りを森に囲まれている所は光基神社と変わらないが、庭の広さのた
めにほとんど窮屈な感覚がない。
 空は、そんな庭先を明るく照らし、縁側の二人の左側に陰を作る。

「咲耶さん、あたしね、あの赤と黒のおっさん達と戦ってた時になんか見えちゃった」

 ぽつりと呟く水波に、咲耶が優しく応える。

「何が見えたんですの?」
「んとね、まことの心の中、ちょことっとだけ」
「……どんなものが見えましたか?」
「……たぶんね、まこと、あのとき暗いトコで戦ってたんだと思うんだけど……凄い綺麗
 な女の子がね、まこととずっと一緒にいたの」
「……」

 二人は少しだけ黙り込んでしまう。
 そんな二人の頭上で、雀が可愛らしい鳴き声を上げて飛び去る。

「まことね、なんか満たされてた。あの女の子がいたからだと思うんだ」
「水波ちゃん……」
「……はあ、かなわないなぁ。まことの中、まだあの女の子でいっぱいだもん」
「……大丈夫ですよ」

 咲耶は、膝を抱えて丸くなっていた水波を、そっと抱き締める。


「私にも見えましたもの。誠さまの刀を打ち直しているその時、トランス状態になったそ
 の一瞬、あの女の方の姿が……」
「見えたんだ……」
「大切な人を失うというのは、とても悲しい事……誠さまは、それを必死に隠してきた…
 …もう、失いたくなかったんでしょうね、何も」
「まことを立ち直らせたのは、あたし達じゃなくて、あの人なんだよね」
「さあ……けれど、誠さまの心が、あの方に再び出会って変わったのは確かですわね」
「やっぱりかなわないなぁ……」
「水波ちゃん、亡くなった方と張り合おうとしても、絶対に適いませんよ。相手は、もう
 ここにはいないのですから」
「咲耶さん……」
「私達にできる事は、できる限りその方に近付く事……そして、今度は私達が誠さまを満
 たしてあげられるように頑張る事……」
「うん、そだね……」
「ふふ、かわいいわね、水波ちゃんて。子犬みたい」

 ぎゅっと水波を抱き締める咲耶。

「もがが、さ、咲耶さん……」
「なあに?」
「……なんか焦げ臭いよ」
「あら、そういえば、鍛冶場から出てきてそのままでしたわね……」

 うふふ、と照れ笑いする咲耶。

「あら……二人とも、ここにいたの?」

 文が静かに近付いてくる。
 彼女からは、風呂上がりの石鹸の香りがした。

「はい、少しここで休ませて頂いていました」

 咲耶が丁寧に受け答えるする。

「あらあら、ふたりとも煤だらけ泥だらけね。お風呂空きましたから、入ってちょうだい」

 優しく微笑むと、文は彼女達から離れて行った。

「ねえねえ、お風呂いこ。誠が帰ってくるまでに、お風呂空けとこうよ」
「そうですわね……行きましょうか」
「なんだ、風呂か……私も混ぜてくれ」
「あ、美姫さんだ」

 美姫もまた、あの八面鬼との戦いの折の戦闘で、無傷だが泥だらけである。

「うん、三人で入ろ」

 水波は、二人を急かすように、小走りに風呂場の脱衣所へと消えて行く。

「まったく……立ち直りが早いな、あの娘は」

 そういう美姫に咲耶は苦笑いを返しながら、そんな水波を追って行く。
 風呂場の脱衣所に入った時、しっかりと

【女性陣入浴中】

 という立て札をドアノブにかけ、内側から鍵をかけた。

「……なんでこんなのあるんだろ」
「この柊家は客が多いんだ。男も女もな。なので、数年前、家を改築した際に、風呂場も
 リフォームして広くし、立て札も作ったらしい」

 水波の質問に、美姫が答える。

「私もこういうのがなければ、さすがに他人の家の風呂には中々入れん」
「綱とか卜部さんとかスケベオヤジがいるからねえ」

 きゃはは、と笑いながらぽいぽい、と着物を脱ぎ捨てて、さっさと水波は風呂場に入っ
て行く。

「まったく、成長せんな、お前は。ほれ、ちゃんと体を洗ってから浸かれ」

 美姫と咲耶も風呂場に入ったはいいが、水波をあやすのに大変で中々寛げない。
 二人がやっと自分の体に取りかかれたのは、水波の体を洗って湯舟に放り込んでからで
あった。
 三人とも髪の毛が相当に長いため、恐ろしく風呂に時間がかかる。
 もちろん、シャンプーやリンスの消費も物凄い訳だが、そこは柊 文と言うべきか、そ
れらが大量に風呂場に並べられていた。

「ふにゅうー、いいきもちー」
「明日にはまた天水村だぞ水波。今日はゆっくりと休んでおけよ」

 湯舟の縁に顎を引っ掛けて惚けている水波に、美姫が語りかけた。
 それに、咲耶が髪の毛を丁寧に流しながら言葉を返す。

「やはり、今日向かう訳ではありませんのね」
「うむ、本格的に事が動き出すのがおそらくは明日の夜。明日夕方までには向こうへ着き、
 それと同時に行動開始だ。その他雑事は今日の夜、そして各々の詳しい役回りは盗聴を
 警戒し移動中の車内で言う。それに……」

 美姫は少し間をおいてから、再び語りだす。

「まだ柊君にやる事が残っている……」

 そう言って窓から外を見ると、桜の花が数枚風呂場に入ってくる。

「ねえねえ、美姫さん。あの卜部って人、偉い人なんでしょ?」
「……なんだ、気付いていたのか」

 スポンジで腕を洗っていた美姫はその手を止め、意外そうに語りかける。

「うん、なんかねえ、さっきの戦いでね、ちょっとだけ人間の中身が見えるようになっち
 ゃったの」
「……そうか……それで、あの卜部殿に何を見た」
「うーん」

 水波は少しだけ考えて、きっぱりと言った。

「東大寺の仁王さまが、ふんぞり返ってた」
「……なるほど」

 ふっと微笑むと、美姫は止めていた腕を再び動かし、腕を丁寧に洗う。

「誠さまは、何に見えました?」

 咲耶の言葉に、水波はまたまたウーン、と唸ると、またまたきっぱりと言った。

「虎が歩いてる! ……とねえ、ドラゴンがね、ストーキングしてる」
「……なるほど」

 美姫は苦笑いである。

「虎と竜、戦ったらどちらが強いと思う? 水波」

 またまた水波はうーん、である。

「わかんない。でも、どっちかが勘弁してあげればいいんじゃない?」

 これには美姫と咲耶、二人して苦笑いである。

「仁王さまになら、虎が頑張れば勝てるカモよ……」

 半分のぼせて呟いた水波の言葉に、美姫の眼が丸くなる。

「……柊 誠が……剣聖に勝るというのか?」
「……ん?」
「……いや、なんでもない」

 少しだけ考えるように、風呂椅子に座ったままで顎に手を当てる美姫。
 そんな美姫を水波はじっと見つめて、ぽつりと言った。

「……でっかいねえ……」
「……羨ましいか」

 勝ち誇るかのようににやりと微笑む美姫。

「うん、咲耶さんも美姫さんも、いいよね、それー」
「……ちょっと……そういう言い方は恥ずかしいですわ」

 咲耶が美姫とは対称的に照れながら水波に背を向けた。

「でもあたしの方がぴちぴちだから、いいんだもーん」
「言ったな、子娘。悪いのはこの口か」
「みゅー、いひゃーい」

 美姫は湯舟に使った水波のほっぺたを伸ばしたり縮めたりしている。
 そんな水波を見、咲耶も楽しそうに微笑む。
 その笑い声に呼応しているかのように、道場からは心地よい木刀の混じりあう音が響い
ていた。


←『34』に戻る 『36』に進む→
UNDER CONSTRUCTION!
小説のトップに戻る。↑