『34』 「さあ、ここに座ってね、ななちゃん」 誠が八面鬼と一騎討ちをしているその時、撚光は神を祀る台座に、ななを座布団に座ら せていた。 猫娘が座布団に鎮座するその様は、まるで招き猫だ。 「さ、酒呑ちゃんも、はやくしてね」 「何があるんだよ、一体。なな座らせて、何企んでんだ?」 撚光の後ろから、酒呑童子少年が語りかける。 「……日輪機を目覚めさせるわよ」 「は? ちょっと待て。あんなポンコツを復活させて大丈夫なのか? 制御不能になった から、封印したんだろう」 酒呑童子は驚きを隠さず詰め寄る。 そんな彼に、撚光は顎に右手を当て、落ち着き払って言う。 「原因がさっぱり分からなかったからね。でも、最近ようやくそれを突き止めたのよ」 「なんなんだ、それは」 「ナノマシン級に微少な【鬼】が潜んでいたの」 「は?」 「鬼っていうと、みんな人間より巨大なものを想像するわよね。でも、そうじゃない鬼も いるのよ」 「……信じられねえ話だな……」 「スクナヒコナって神様、知ってる? 日本神話の」 「いや……」 スクナヒコナは、日本神話に出てくる大変小さな神様だ。 彼は、スサノオの子孫であり土着の神を束ねたオオクニヌシの友人としても知られてい る。 またこの小さな神様の逸話は、そのまま一寸法師の昔話にも引き継がれていく。 ある時、オオクニヌシが海を眺めていると、海原の向こうから、何かがやって来た。 それは大変小さな船で、そこに何やら小さい生き物が乗っている。 それが、スクナヒコナだったのだ。 オオクニヌシはその小さな神様を摘まみ上げて、「何者だ」と問う。 その言葉にスクナヒコナは怒り、「小さいとは失礼な」と逆に言い返す。 小さいなりに剣を腰に帯び、立派な着物を着て威張るスクナヒコナをおかしく思い、オ オクニヌシは笑ってしまう。 それに再び怒ったスクナヒコナはオオクニヌシの頬に噛み付き、それを払おうとしてオ オクニヌシが手ではたくと、彼はオオクニヌシの鼻に入ってしまう。 その拍子に出たくしゃみで、どこかにスクナヒコナは飛ばされてしまう。 スクナヒコナに興味がわいたオオクニヌシは、高天原の神産巣日神(カミムスビノカミ) に問いただし、彼の息子のスクナヒコナだと知る。 これより、再び再開したオオクニヌシとスクナヒコナは友情を交わし、共に日本の国土 を豊かにしていくのだ……。 「というように、小さな神様なんて日本でも存在する。……鬼だって、例外じゃないの」 少々長い撚光の話にうんざりしながら、酒呑童子は問いかける。 「……で、そのバイキン鬼をどうにかすることができたのか?」 「大変だったわ。空気中に拡散されるとシャレにならないから、宇宙の真空中でのナノマ シン注入になったのよ。少なくとも、大気のない場所では人間への被害は細小に抑えら れるし、何より鬼の活動は低下してる」 「……なるほどな。で、直った日輪機全部降ろすのか?」 「いえ、今回はミストラルだけ。あとのは遠慮してもらうわ」 「また、なんで」 撚光は苦笑いしながら言う。 「目立ち過ぎるのよ、【あの子達】は」 「……なるほど……で、ななは、今回はどのあたりで活躍するんだ?」 「今回の出番は、これから分かるわ」 「へえ」 撚光は、座布団の上でちょこんと正座しているななの頭を撫でる。 「この子は、いわば触媒なのよ。この子が歪みを探知できる事は知ってるわよね」 「ああ」 「つまり、歪みに敏感だということ。こういう体質の子には、ある特徴があるの」 「?」 「歪みを起こす要因となるある種の【力】を収束させる力があるということ」 「そんな力があるようには見えねえけどな」 酒呑童子は、ななの頭をぐりぐりと撫でる。 ななは、気持ちよさそうに目を細める。 「もともとそういう力があるから、逆に自分の近くに表れる歪みに敏感にならざるをえな いのよ」 「なるほどね」 「ななちゃんを触媒にして私達の力を増幅させ、日輪機の封印を解く鍵をつくるわよ」 「おーけー」 ななを神座に座らせて、撚光と酒呑童子はその目前で祝詞を唱え始める。 「天津神、国津神、この世におわします八百万の神々集い給ひ。 あめつちの始めたる日元の国の、主人の元を白き剣に知らしめさん。 その剣、その仇なす悪鬼なるものを祓えやれと宣る。 天津、降り、国津、登るかの地より、タケミカヅチの雷光を放ちて、その目覚めを聞こ しめさむ。 現世を虚に返したまう黄泉軍(よもついくさのかみ)を、戻しやれと宣る」 撚光と酒呑童子が息を合わせてそう唱えると、その瞬間、ななの体が白い光に包まれる。 それと同時に、酒呑童子の角も白い光を放ち始め、神前はまばゆい光で満たされた。 ななはきょとんとしていたが、急におちつきがなくなったかと思うと、にゃあにゃあと 鳴き声を上げて、天井に手を伸ばし始めた。 すると、光の輝きに反応するかのように歪みが現れ、その向こうに大きな大地が見えた。 巨大なクレーターが数多く点在し、その巨大クレーターの中には、これまた巨大なドー ムがいくつも点在している。 ここは、まぎれもない月であった。 そしてその月の映像が急速に動きを早めて、場所を移動させたかと思うと、宙に浮かぶ 巨大な【棺】を見つけた。 それは何かを固く封印しているかのようで、巨大な鎖で縛られ、その中央には大きな菊 の紋章があった。 なながそれを見つけて、再び手を上げたかと思うと、酒呑童子の角から放たれた光が一 気にななの体に収束する。 「天津神、国津神、黄泉より出ずる魔を祓えと言依りさ奉りき。その天の沼矛の白刃にて、 高天原の剣を解き放ちやれと宣る」 撚光がそう言い終わると同時に指を組みななの眼前に突き出すと、ななに収束していた 白い光が空間を超えて、宇宙に漂う棺の中心にある菊の紋章に突き刺さる。 その瞬間、巨大な鎖が砕け散り、中から人のようなものが姿を現した。 酒呑童子は、それを見た事があった。 白い鎧に身を包み、背に自らの全長を超えるかという巨大な二つの輪を背負った、身の 丈二十メートルはあろうかという巨大な人形兵器。 日輪機・ミストラルが、棺の封印から解き放たれたのだ。 その鋭い眼光に光が灯る。 そしてそれは急速に方向を変えて、地球のある場所へと直進していった。 轟音を上げながら猛進するその様は、まるで、高天原から落とされたスサノオのように、 雄々しく、そして恐ろしさをも感じる迫力であった。 「お疲れさま、もういいわ」 撚光がそう言うと、ななが欠伸して、その場に丸くなる。 そうやら、光を集めた事による精神的、肉体的ダメージはないようだ。 「すげえな、あの日輪機ってバケモノは……ところで、さっきの話だけど」 酒呑童子が足を崩しながら訪ねる。 「ん?」 「ナノマシン級の小ささの鬼なんて、どうやって倒すんだよ俺達。いつでもナノマシンを 持ってる訳にはいかないだろ。それとも、注射器でも持ち歩くのか」 「そういうのに対応した子がいるのよ」 撚光も、足を崩し、ななを抱き上げながら応える。 「え、そんな子がいるのか? って「子」ってなんだよ」 「誠ちゃんが話してたあの子……奈々美って女の子……あの子がそのナノマシンの集合体 なのよ」 「……マジか」 「一生が持ち出したナノマシンデータは、その殆どが藤堂グループのもの。その延長線上 にいるのは、私達鬼切役の陰陽寮とスヴァリースのティル・ナ・ノグよ」 「……ナノマシン技術を使って、人間一人作ったってのか……あいつこそ、鬼だな」 「それだけじゃない。彼女の血、いや汗一滴だけで、やりようによっては人間ひとり殺せ るわ」 「……シャレニならねえ……」 酒呑童子は、寒気で体をぶるっと震わせて呟く。 「だから、誠ちゃんには、二人を一生から必ず奪回する必要があるの」 「ふたり?」 「御月 陽。彼も、その手術を受けてるわ」 「マジか……」 「いや、正確には、日輪機に乗り込んだ全てのクルーが、その手術をうけてる」 「……」 言葉もない酒呑童子に撚光は言葉を続ける。 「だから、鬼切役、そしてシヴァリースは日輪機に関わった組織として、彼等を保護下に おき、監視する責務があるの。他国の政治・軍事に利用されないためにもね」 「一生のやつ……ナノマシンでどうするつもりなんだ……」 「ミクロでマクロを征する事はできるのよ。言ったでしょ、奈々美ちゃんは、【集合体】 だって……」 「ナノマシンを集めて、日輪機みたいなもんを作れば、それに使われてるナノマシンを放 出するだけで……って訳か……」 「そのためにも、日輪機を使って、彼の施設はその全てを破壊、もしくは封印しなければ いけないの。日輪機には、今回アンチナノマシンナノマシン……ANNを注入してあるし」 「誠さんたちは、大丈夫なのか……」 腕組みして眉間に皺を寄せて唸る酒呑童子。 「さあ……でも、ナノマシンウィルスは彼がついている陣営の鬼にも効いてしまうから、 よほど叩きのめされない限り、いきなり使う事はないはずよ。自殺行為だもの」 「今回は、それに加えて、特殊部隊までが出ばってきてやがるのか……」 「めんどくさい事になりそうね」 「俺も行かないと……」 すっくと立ち上がると、酒呑童子は神座のある社から出ようとする。 その背中に撚光が声をかける。 「今回の戦いは、四年前とは違うわよ。モンゴル騎馬兵みたいに突っ込めばいいというも のではないわ。……関わる全ての器使いが、その属する組織と、自らの特徴をふまえて 計画的に行動しなければ……混乱に乗じて、村の人たちが皆殺しにされてしまう」 「……大丈夫なのか、意思疎通は。ただでさえ、新選組とはウマがあわないのに」 振り返り、心配そうに眉を顰めて酒呑童子は呟く。 「だからこそ、さっきの言葉通りよ。【その属する組織と、自らの特徴をふまえて計画的 に行動】する。そのために色々と【おしらせメール】は送ってあるわ」 「そうか」 「あとは、彼等が、私達の意図に賛同してくれるだけ。でないと、今回の敵は……大嶽丸 には……絶対に勝てない……」 「撚光さんにそこまで言わせるなんてな……何者なんだ、その大嶽丸って」 撚光は、すこし間をおいて低い声で呟くように言う。 「鬼神よ……まさに、鬼の神……そして、彼を倒せるのは、誠ちゃんか……神の時代から 連なる血縁の者のみ……武ちゃんや美姫ちゃん、シヴァリースならアーサー王級の騎士。 そして、崑崙の神仙……そんなとこね。まあ、彼等だって百パーセント勝てる訳じゃな い……と私は踏んでる」 「誠さんの血縁って……」 「ああ、言ってなかったわね。それはね……」 「……………………」 驚きで酒呑童子が固まる 「鬼切役が総出で背中を押す価値のあるコよ、誠ちゃんって」 「……誠さんって、一体……」 「……そうね、彼もまた、鬼神なのかもしれないわね……」 撚光はななの頭を撫でながら、静かに呟いた。 $ 撚光と酒呑童子が、ななの力を借りて棺から白い剣を叩き起こしたのと同時刻。 誠は、柊家の道場にいた。 八面鬼との戦いからまだ時間も経っておらず、岩戸の内部での精神的な戦いも相まって、 誠の疲労は彼自身にも分かる程に溜まっていた。 彼が道場に入ると、一人の男が、胴着袴姿で正座をし、静かに黙想をしていた。 誠の気配を感じ、男が目を開く。 「来たか、柊君」 男はそう言うと、すっと立ち上がり、誠を見据える。 「遅れてすみません。父から話を聞きました。ここでお待ちという事でしたので参りまし たが、なんのご用でしょうか、卜部さん」 誠にそう尋ねられて、卜部はにやりと唇の片端を上げる。 「君も、胴着袴で来たんだ。何をするかは、分かっているだろう?」 そう言うと、卜部は木刀を誠に投げてよこした。 「さあ、上がってきなさい。私が少しお相手しよう」 誠に木刀を投げ、話しながら歩くその姿のどこにも、誠は隙を感じられなかった。 受け止めた木刀を握りしめる拳に、汗が滲む。 「木刀で試合となれば、お互いに防具を着けないと……」 「無用。私にそのようなものは必要無い」 「しかし、卜部さん」 「君に、私を打ち付けることはできるのかね」 卜部の挑発的な台詞に、誠の表情が変化する。 誠は岩戸で過去に決着をつけ、自分なりの答のもと八面鬼を倒した。 その心技が、自らには及ばないともとれる言葉に、誠の胸中は穏やかではないのも当然 のことであった。 「では、俺も防具はいりません。お互いにこのままで試合(やり)ましょう」 「ははは、若いな。しかし、度胸と若さだけでは、私は倒せぬぞ」 誠は、いままでヘラヘラ笑っていただけのこの男がただ者ではないという事くらいは見 抜いていた。 宮司とは思えない身のこなし。八面鬼が召喚した鬼を打ち捨てられた、錆びた刀で討ち 倒す剣の技と力。 そして、自分の両親の知り合いであり、武や美姫とも友好関係がある。なにより、器使 いがなんたるかを知っている……。 「誠君。君は岩戸から出てきて見違えるほど強くなった」 誠を正面に見据えて卜部は語りかける。 その声は、道場に響く程に通った声だった。 「だが、今のままではまだ青い。人を救うという事と、倒すという事は同義ではないのだ。 君は、鷲王を救うという、だが、あの男を倒さねば、勝った事にはならん」 「母から聞きました。刃舞は、人斬れぬ剣だと。俺は、鷲王にまだ人の心が残っていると 信じます」 「……人であるから殺さずに済む、と? ……青いな。あの男は鬼だ。心が鬼となった者 に、器が反応しない訳がなかろう」 誠はその言葉に、正面から卜部を見据えて、はっきりと言い切った。 「俺が、鷲王を、鷲尾 常也に戻してみせます」 その言葉を聞き、卜部はにやりと笑うと言った。 「いいだろう。君にその力があるか否か。この私が試験をしてやろう。遠慮はいらん。さあ、 思いきりかかってくるが良い。私を組み伏せられれば、彼と話す余裕も生まれる実力があ るという事になろう」 卜部は、正面に木刀を構えると、誠を見据える。 その目は、すでにあのスケベオヤジと水波に蹴られたあの卜部のものではなかった。 そう、まるで鬼と例えても不思議ではないほどの、歴戦の猛者の眼光が、そこにあった。 |
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