◯鬼切役奇譚〜くれないざくら〜◯
『プロローグ』

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『紅桜は魔性の桜

 紅桜は血吸いの桜

 魔性の色は人を呼び、魔性の匂いは妖(あやかし)呼ぶ

 妖流したる人の血が

 桜の花の糧となり、紅桜の花ひらく

 紅桜は魔性の桜

 紅桜は魔性の森の道標(みちしるべ)

 踏み込むものを魔性に誘い、桜は血色に花ひらく……』

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ふうん。

 と、伝承を聞いていた少女が言う。
 白鞘の刀を胸に抱き、青年の話を聞いているが、まるで興味がなさそうだ。
階段に腰掛けた足をぱたぱたとさせて、心ここにあらずといった感じである。
 白い着物に紅の袴、長い黒髪を紅のリボンで結ぶその様は、一見清らかな『巫女』を思
わせる姿だが、袴をくしゃくしゃにして階段に座っているので、まるで巫女らしくない。
 それに加えて、華奢な体と幼顔が、より「少女」の印象を強調している。

「なんだ、興味がなさそうだな」

 話していた青年が、思った事を口にする。

「だって、『血吸いの桜』なんて、まるでおとぎ話じゃない」

 階段に座ったままで、ついっと、少女は振り返る。

「だから、おとぎ話なんだって」

 青年は、鳥居の近くにひっそりと立つ木の幹を、いたわるようになで付ける。
 その木は2m半ほどあるのだが、その青年の長身のそばにあるせいか、少し貧相な趣を
みせる。彼の左手には、黒鞘の、刀身が1m近くある太刀が握られていた。

「何だかな〜。誠(まこと)って、そういう話信じてるの?あたしはマユツバだなー」

「信じるも信じないも……俺達は、それを確かめにここに来てるんだろう、水波(みなみ)」

 誠と言われた青年は、そうやって、水波と呼んだ少女の方に向き返る。
 ここは、「天水(あまみ)村」の神社のある丘の上。
「小真(こま)神社」と呼ばれるその建物の周りは、はいずる虫、飛ぶ鳥さえも見当たらず、
まるでそこに来るであろう者を拒むかのごとく、赤い鳥居が鎮座している。
 丘には桜の花が咲き乱れ、本来ならば花見の客が一人くらいはいてもいいはずなのだが、
まるで誰も近寄る者がいない。

「はあ〜、せっかくガッコーが休みなのに、何でまたこんなめんどくさいものの調査なんて
 やってるのよ、私。やっぱり、ただの旅行じゃ終らなかったか〜。ねえねえ誠ぉ、もー何
 もないんだからさ、かえろーよー。で、桜見物しよ♪」

 ぶるっとひと震いした水波は、この丘の静けさに居心地の悪さでも感じたのか、誠にそう
嘆願する。

「俺達は、遊びに来てるんじゃないんだぞ。俺だって、こんな静かすぎる所、早く戻って、
 桜見物としゃれこみたいさ。だけど……」

「仕事ですからな」

 階段下から聞こえた声に、水波は目を向け、そして思い付いたように、「ばっ!」と足を
閉じる。

「大丈夫だ、お前のそんなものを見たって、誰も特はしないさ」

「あのね、誠!」

 ぶう、と膨れる水波を無視して、誠は水波の横に歩み寄る。
 その下には、一人の初老の男性が、二人を見上げていた。

「どうも、一生(いつき)さん」

 誠に一生と呼ばれた男性は、軽く会釈をして、二人に笑みを見せた。
 一見無骨に見えるが、その目は穏やかである。
 階段を登りながら、一生は二人に話し掛ける。

「この桜には、妙な噂が絶えんのです。いや、噂だけならまだしも、実際に、その噂が現実
 になってしまっていますからな」

「『神隠し』…ですか」

 階段を登り終えた一生は、ふう、と一息つくと、二人を見遣る。

「馬鹿な話とは思うのですが……。警察にも失踪届けは出しているものの、まるで梨の礫で
 すよ。 私も、オカルトなどは信じていないが、実際に人がいなくなっている事は確かで
 す。……それに、この神社には、無気味な伝承もありますし。」

 そう言うと、一生は二人を正面に見据え、そして言葉を告げる。

「だからこそ、あなた方二人にお願いした次第です。光基(みつき)神社鬼切役のお二人に。」

 鬼切役(おにきりやく)

 現代文明が、自分の複製を制作する事に条件付きながら合法のサインを出してから、は
や300年が過ぎた時代。もう神話や伝承はおろか、信仰さえも途切れかけ、西暦が、何
を基準に定められたかしっかりと答えられるものがいなくなった時代である。増え過ぎた
人々は、他の惑星への移住を求め、新天地を開拓し、アメリカは「第二のフロンティア」
と騒ぎ立て、多くの人間が月や火星に故郷を求めた。だが、この時代にあっても、神話や
伝承は生き続けていた。
 いや、これらは、「人間が気にとめなくなった」というだけで、ずっとそこにあったの
である。
 空間転移や、亜光速まで達した人間の文明は、他方で空間に歪みを与え、それによって
違空間に潜む『鬼』をこの世界に呼び込む事になってしまった。神話に伝えられる化け物
を、人間の欲望が呼び寄せてしまったのだ。だが、日本剣士が『飯綱(いづな)使い』と
恐れられた時代とは違い、人間は弱くなりすぎていた。
 酒呑童子を倒した血筋も今は衰え、銃火器はこの世で最強の兵器となった。
 しかし、文明が作り上げた兵器が通用しない化け物には、人間はなすがまま食われるし
かなかったのである。自らを磨く事を忘れ、他に頼り切った人は、『鬼』にとって格好の
「餌」だったのだ。

 だが、その化け物に対等の力を振るう者が、世界各地に現れるようになる。彼らは、召
還士、騎士、そしてサムライなどと呼ばれるようになった。

 そういった者達を、一つに束ね、一つの組織を作り上げ、『鬼』に対抗する手段をとり、
そしてできあがったもの…その日本での呼び名が『鬼切役』である。

 

「『鬼』が、この事件に関係している、と?」

 誠…鬼切役のサムライの言葉に、一生はただ黙って頷く。

「で、なければ…説明がつきません」

「でも、ここって、凄く見晴しもいいし、桜だって凄く綺麗だし…とても人がさらえるよ
 うなとこじゃないんだけどなあ。」

と、水波が辺りをちょろちょろと走りまわりながら言う。

「鬼にそんな理性や知性はないさ。食いたければ食う。それが『鬼』だ」

「でも、だーれも、『鬼』を見てないんでしょ?それってやっぱりヘンだよ〜」

 そんな二人のやりとりを見ながら、一生は少し苦笑する。

「ここも、昔は春になると賑やかな所でした。この丘の見事な桜を見るために、花見の客
 が遠方からも来たものです。しかし、『鬼』の噂が立ってからというもの、あの喧噪が
 まるで嘘のよう……」

 ……と、そこまで言った一生の顔が、一点を見つめ、みるみる凍り付いていく。
 その目線の先を追った誠と水波は、この世で絶対に見られない光景を目にしてしまう。

 桜が咲いたのだ。
 つぼみができ、花がひらく。その早さは、まるで開花する様を撮ったビデオテープを早
 送りしているかのごとくであり、その花びらは、まるで血のように赤かった。

「く……紅桜が……咲いた……」

 一生は震えながらそう呟くと、その場にへたりこんでしまった。
 誠と水波は、その赤い桜を見ながら、言いしれぬ寒気を覚えた。

 その赤い花びらは、まるで地獄の鬼を誘う道標のごとく、艶やかに色付いていたのであ
る。


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