『2』


「失礼します」

 歯切れの良い話し方で、一人の青年が障子を開ける。と、そこには、肩幅の広い、大きな
存在感のある男が、白い着物姿で座布団の上に鎮座していた。

「あ〜〜ら、いらっしゃい、誠ちゃん。よく来たわね」

……いや、男と形容するのは、この場合は正しくないのかもしれない。

「ほらほら、何突っ立ってるのよ。ささ、お茶も用意してあるわよ〜〜」

 その大きな肩幅を揺らしながら、男は座布団とお茶を、青年に勧める。

「お菓子は…何がいい?和三盆糖とか? あ、そうそう、おはぎとかも作ったのよ」

 ……やっぱり苦手だな……、何と言うか、この人の本音が見えない。
 誠は、そう思いながら、刀を自分の右側に柄を手前にして置き、進められるがままに、
座布団に腰を落ち着けた。
 時間は、十一時すぎ。そして、誠たちが天水村に向かう、数日前である。

「どうにかならないんですか、その仕種と言葉遣い」
「もう、失礼ね。これは私のファッションなんだから」
「ファッション……ねえ……。それが神主のお言葉ですか?撚光(よりみつ)さん」
「神主だって、一人の人間よぉ。それに、私は自分をオトコだと思っていないわよ」
「(性同一性障害か……)」

 性同一性障害。
 外見と中身の「性」が一致しない、精神的な病、と言われているものである。
 火星や月への移住が本格的に始まった今になっても、人間の心は解明されていない。
 水無月 撚光(みなづき よりみつ)。彼も、その障害者の一人だ。
 彼は、そんな障害者、という扱いを、快く思ってはいない。

 誠はそう思いながら、撚光と呼んだ男の顔を見る。どう見ても男としか思えない彼
の仕種は、まさに女性そのものである。しかし、その瞳には鋭い眼光がたくわえられ、目
鼻すじも、掘りが深い、野性的な美男、といった風ぼうである。がゆえに、非常にシュー
ルな雰囲気が漂っていた。

「今日もご苦労様。それで、どう?何か進展はあったかしら、誠ちゃん」

 そう言いながらお菓子を誠に勧める。

「いや、今日も、何もありませんでしたね。少なくとも、『境界』以外の場所では、鬼の
 存在は確認されていません」

 無遠慮にお菓子に手を伸ばしながら、誠はそう答える。

「因果なものなのかしらね、文明って。これって、もっと人に有益なものを与えるものだ
 ったはずよね」
「でも、それが、人以外には災い意外でしかなかった、という事なんでしょう」
「そうね。しかしまさか、光の早さを超えただけで、空間に歪みが生まれるなんてね」
「本来、この世界にいるものは、光の早さを超えてはいけないんですよ。ブラックホール
 をみてください。「あれ」が、この世界の法則を逸脱した結果です」


 十数世紀前、アインシュタインという物理学者が「相対性理論」を発表した。
『物体が引き合う重力というものは、「引き合う」のではなく、その質量によって空間が
歪む事によって生じるものであり、そして時間や空間という概念は、質量やエネルギーの
影響を受けて変化する、相対的なものである。』
というものだ。
 つまり、不変と思われてきた、空間も時間も、大きなエネルギーをかけられると変化し
てしまい、時間は遅くなったり、空間は歪んで物体が真直ぐ通過できなくなる、という事
である。
 宇宙は光の速さ(秒速30万キロ)で膨張していると言われている。そして「宇宙の中」
の我々は、不変である光速を破る事は、事実上不可能だ。
しかし、ごく稀に、その法則を逸脱するものがある。
 それがブラックホールだ。
 本来恒星は、膨張して、その後に縮んで死に、白色矮星となる。
 が、太陽の数百倍という超巨星の場合、その縮小のパワーが凄まじいため、「スーパー
ノヴァ(超新星爆発)」を起こして爆散する。
 しかし、縮小して白色矮星なるはずが、小指大で数兆トンという非現実的な質量のせい
で、その引力とそれに反発する力のバランスが保たれず、破たん、崩壊し、中性子やクォ
ークすらも押しつぶして三次元空間をも突き抜けてしまい、物理量が無限大になり特異点
まで超重力で全てを吸い込むようになるものがある。
 そしてその結果、3次元の法則を逸脱した星……ブラックホールが誕生するのだ。

 それと同じ現象が、光の速さを超える事で起こってしまった。何度も何度も三次元の法
則を無視する事で、徐々に空間が歪んでいったのだ。
 光の速さをも超えるそのエネルギーは、空間や時間を極度に歪ませるには充分だったと
言える。
 そして、それは、古の昔に閉じたはずであったパラレルワールドの扉を、再び開いてし
まったのだ。


神が住み、魔獣が蠢く神話の故郷への扉を。


「まあ、何にしても、鬼がいないのは良い事ね。「彼ら」には、この世界の兵器が一切効
 かないもの」

 ぱりぽりと和菓子を食べながら話す様は、そんな世界の大きな移り変わりを、まるで無
視したかのようだ。

「そうですね」

こちらもばりばりと煎餅を食べている。

「『向こう』の手助けがなければ、我々は牛が食べる雑草同様ですからね」
「私たちが、『鬼切役』を作り、まとめあげる事ができたのも、『向こう』の手助けのお
 かげね」

 彼らの言う『向こう』とは、「歪み」の向こうから、こちら側に色々と助けをくれた者
達の事だ。
 神話の世界では、「英雄」、「竜」、「神」とされているが、正体ははっきりとしてい
ない。が、歪みが発生したのを待っていたかのように、彼らはこちら側に協力的に手を差
し伸べてくれた。
 だが、彼らは基本的にこちら側には、例外はあるが、基本的には干渉しない立場を取っ
ている。
 そのため、人間の力で、「鬼」を追い払えるように、力を貸してくれた。
 それが、「器(うつわ)」と呼ばれる、霊力の詰まった塊である。

 彼らのもたらした「器」を元に、様々な兵器が開発されたが、それらは神話の時代より
密接にかかわりを持つ民族にしか扱えないものだった。
 器を元にした兵器には、人間の霊的エネルギーを注入しなければならず、それを行って
戦える者は、非常に数が限られていたのだ。

 中国、日本、インド、EUなどは、いち早くそれに対応したが、内戦にあけくれてい
たアフリカやイスラエル、アラブ諸国はそれらに遅れをとり、本来扱えるはずが、独自に
自警団の組織を余儀なくされた。
 アメリカとオーストラリアは、何故か器を扱う者そのものが、一切登場しなかった。
 移民の国からは器使いは生まれない……。
 アメリカにとってこれは大変ショックな出来事であった。
 そしてこれら「器」は、使えるものが非常に少なく、世界中でも、一万人にも満たない。
 単純計算で、器使いが生まれる確立は、全人口の五十万分の一である。
 そして日本において、それら「器」を改良、兵器として扱える者たちを集め、組織した
ものが、『鬼切役』と呼ばれる、超法規的活動の許された者たちだ。
 彼らの兵器は、主に刀や槍、鉄甲などに改良された。扱う者の霊的な力が直に兵器に連
動したまま攻撃した方がより鬼に効果がある事が分かり、銃や巨大砲台の制作がストップ
された結果だ。
 無論、弓や銃なども存在はしているが、その数はまるで比にならないほどに少ない。
 直に銃弾に触れながら発射する事が困難なため、攻撃力が持続しないのだ。

「正宗の切れ味が試せなくて、ちょっと欲求不満じゃない?」
「そんな事ありませんよ。世の中平和が一番。まあ、少しは運動しないと、体が鈍ります
 けどね」

そう嘯くと、誠はお茶をずずっと咽に流し込んだ。

「そう、それなら、ちょっとひとつ頼まれてくれないかしら。ええと……ああ、あったあ
 った」

 がさがさと、机の上の書類をあさり、一つの手紙を、誠に差し出す。
 差出人は、『一生 正臣』となっていた。

「いっせい……?」
「いつきまさおみ、って読むそうよ。で、その一生さんのいる所なんだけどね、天水(あ
 まみ)村っていうんだけど、そこにちょっと飛んでいってくれないかしら」
「天水村、ですか……。そこに何かあるんですか?」
「ううん……いや、鬼に直に結びつく、って訳ではないようなんだけどね…。何か……ち
 ょっとひっかかるのよ」
「ひっかかる?鬼が出てきた訳ではないんですか?」
「うん、まあ、ぶっちゃけた話、「失踪」「蒸発」ってやつが多いって事なんだけど」

 誠は、あきれたようにため息をつき、撚光に言う。

「それなら、警察の仕事でしょう。俺達がでしゃばると、逆に迷惑をかけませんか?」
「うん、ただの「失踪事件」なら、私達がどうこう言う事じゃないのね。私たちは、法律
 や国際規約すら超えた行動が可能だから、動くにも、かなり神経を使わないといけない
 しね」
「「消」されないためにも、ですか」
「そうよ」

 彼ら、「器」の使い手は、その力の強大さと、強大な権力を使えるがゆえに、厳重な監
視体制を敷かれる場合がある。
私利私欲のために使ったり、鬼に荷担すれば、同じ使い手から消される事もある。それ故、
彼らはその存在や肩書きを隠し、普通の人間として生活をしている。

「でもね、今回は、私達が出なければならないかもしれないの」
「それは…鬼に関係した「何か」があるって事ですか?」
「今回の事件ね、警視庁、さじ投げたのよ」
「は?」
「ついでに、公安や、防衛庁も総スカン」
「やれやれ、そうですか…そうなれば、話は別、ですね」

 誠は、前髪をかきあげながら天井を仰ぎ、ふう、とため息をつく。
 警視庁だけでなく、公安や防衛庁が撤退するとなれば、ただ事ではない。それに、た
かが失踪事件で防衛庁まで乗り出していた事も、誠には驚きだった。
 コトが、それだけ重大だという事だ。
 誠は、お菓子を頬張りながら、それを確信していた。

「そうね。それに、防衛庁なんて、ご丁寧に、調査を打ち切りました〜、なんてメール
 までよこしてきやがったのよ。「何かありますよ〜」って、言ってるようなもんじゃ
 ない。それに、天水村って、妙な伝承があるのよね。それ、季節を無視して、何度も
 桜が咲く、そして、その時には、必ず「神隠し」が起こるってやつなんだけど、何か
 空間の歪み臭くない?」
「行かざるを得ませんね、そうなると」
「わあ、さすがは誠ちゃん!そう言ってくれると信じてたわぁ!!」

 そう言って抱き着こうとする撚光を慣れたようにいなし、畳に顔から突っ伏した撚光
に誠が冷ややかに言う。

「男に抱き着かれて喜ぶような趣味はないんですけど」
「ヒドイわ! 人を外見で判断しないでよね」
 しなを作ってイヤイヤをする撚光を、うんざりしながら睨み付ける誠。
 この撚光という人は、高校の進路指導でまじめくさった顔で、わたし、『スチュワー
デス』か『保母さん』になりたいの、と言い、進路指導の先生が泡を吹いて倒れたとい
う、筋金入りである。

「そういえば、今回は、俺だけですか?その天水村に行くのは?」
「ん? ああ、違うわ。あと一人……ちょっと危なっかしい子だけど、一緒に連れてい
 ってもらえる?」
 畳跡のついた額をさすりながら、そう誠に言う。
「危なっかしい?」

 と、そう誠が疑問を差し挟もうとした時、障子がすぱーん!と、物凄い勢いで開けら
れた。

 


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