『3』

「ふええええん、ごめんなさい〜〜〜! あ〜ん、遅れちゃった〜」

 少女はそう言うと、ふうふうと息をきらしながら、中に入ってきた。白い着物に、赤い
袴姿。
 どこからどう見ても、巫女さんである。しかし、袖を振りながら、とてらとて、と歩く
様は、どこかペンギンのようである。
 そして、何ごともなかったかのように彼女は誠の横にちょこんと座った。

 一瞬、何ごとが起こったか理解不能な誠を後目に、撚光は、彼女を紹介する。

「ああ、この娘ね、楠 水波ちゃん、って言うの」
「くすのき……みなみ……?」
「そう。覚えてない?あなたが、まだ境界の前線でドンパチやってた四年前に鬼から助け
 た女の子よ。ぴちぴちの十七歳〜♪ 誠ちゃん、手ぇ出したらダメよん。」
「いや〜〜ん、おじさまったら〜〜」
「お姉様よ〜〜ん」
「きゃはははは」

 そんな二人の馬鹿騒ぎを後目に、誠の心は、過去の記憶を探っていた。

(四年前…俺がまだ十七の頃か…………そうか…あの時の娘なのか……)

 そういって、誠は、水波をまじましと見つめた。
 見つめられた水波は、何を勘違いしたか、

「ふにゃははは〜〜」

 とか、意味不明な笑い声で照れながら両手で顔を押さえ、上半身をぶんぶんと振った。
 長い髪の毛も一緒にふりふりと揺れる。

 四年前。
 誠は、富士山境界から大量発生した「鬼」を駆除するために、最前線にでばっていた。
境界から這い出る「鬼」には、E〜A〜SSまでのランクづけがされている。この時這い出
てきたのは、平均してB〜Aという、今までにない苦戦が強いられた。本来、「鬼」とい
えどもBランク以上は人間並みの知能を持ち、不必要な干渉は避けるというのが今までの
認識だったが、それらはその時に簡単に覆された。

 「富士山麓決戦」と銘打たれたその戦いでは、全「器使い」のおよそ半数が参戦、世界
中のトップクラスまで出撃し、多くの犠牲者を出し、町中にまで被害が及んだ。
 この戦闘で富士樹海は、半分ほど消失してしまっている。
 近代兵器が全く通用しない『化け物』には、「器」を使った肉弾戦を挑むしかなく、こ
れが被害に拍車をかけた。
 自衛隊は民衆の先導に従事するしかない、という屈辱にまみれた。
 器を改良した銃砲が、ほとんど効果を発揮できなかったのだ。
 この地獄のような戦いで、誠は自分でも想像以上の力を発揮して戦績を上げた。
 それは十七歳の少年には苛酷すぎる状況が、少年に我を忘れさせた結果であるともいえ
た。
 そして…そこで彼は一人の少女を守った。
 誠自身、それがどんな女の子だったのかは覚えていない。自分がどう守ったのかさえ、
実は分からないのだ。
たくさんの悲鳴と、仲間の返り血、瓦礫の山と真っ赤に燃え上がる空を背景にして、その
少女の怯えた瞳だけが、何故か鮮明に記憶に残っている。

 その瞳を見た瞬間、誠はこの少女を守りたいと思った。
 誠は、鬼や魔獣を切り飛ばしながら、その少女を連れて鬼の群れを突っ切った。
 強く握り締めたその暖かい手の感触だけが、少女が生きている事を証明してくれた。

 誠はこの戦いで相当の評価をうけた。「鬼切り」という異名で呼ばれ、そして、この
「鬼切り」という誠の異名が、いまの「鬼切役」の名称となっているのだ。
 誠は、「鬼切役」ができた時に、鬼切役の筆頭となった男……蒼真 武(そうまたけ
る)より幹部への参加を要請された。
 この歪みは、もともと我々人間が生み出したもの。その責任をとるためにも、鬼を殺
すだけでは何も解決しない。この世界に存在すべきではない鬼を全て送り返して、歪み
を閉じる必要がある。その大業に、力を貸して欲しい、と。
 だが、誠は町中を監視する「見廻り役」を希望した。

 多くの仲間を失い、今は組織の強化が大切だという事も良く分かっていた。
 だが、あの時の孤独な少女の怯えた瞳が、偉くなってただ指示を出すだけの立場への
反発を産んだのだ。
 大義名分に酔っぱらっている間も、あの娘のような孤独な人間は、生まれ続けている
のだ、と。
 無論、心が弱かった自分をごまかし続ける自身がなかったのも確かだったのだが……。

 そして…。
 四年の月日が流れた。

「あの〜〜……誠ぉ?」

 そう水波から言われ、誠ははっと我に帰った。目の前に、くりくりとした大きな水波
の目が現れて、慌てて背筋を伸ばす。

「全く、完璧にタイムスリップしてたわね」

 ふふ、と撚光が笑い、つられて水波も笑い出した。

「もーー、まことってば、ちょっとぼーーっとしてるんじゃないの?しっかりしてよね。
 私、場所も任務の事もよく分かってないんだからさっ」

 ばんばん、と背中をたたかれ、はは、と笑いながら、ふと不自然な感覚を覚える。
 ほとんど面識もないうちから、いきなり呼び捨て?
 あまりにも人なつっこすぎる水波の態度に少々困惑しながらも、誠はぽりぽりと煎餅
をかじり出した水波に、今までの話と、これからの事について説明した。

「ふ〜〜ん、そこに鬼がいるんだね」
「違うってば。失踪の原因を探しにいくの。鬼かどうだかはわかんないの」
「あ、そうなの? じゃあじゃあ、なんで警察が捜査しないの?」
「警察が出てこられないワケでもあるんだろう。だから俺達が行くんだよ」
「ふ〜〜ん、何だか「鬼切り」のお仕事じゃないね」
「いや、だから、俺達じゃないとダメかもしれないからね……」
「え〜、……なんで?」
「だから、失踪については警察が……」

 ……と、少々手間取りはしたが。
 撚光はというと、そんな誠に助け船を出すでもなく、にこにこと二人のやりとりを見
つめていた。
 ……どうやら、楽しんでいるらしい。

 そうして、ある程度事情が飲み込めた水波と共に、誠は外に出る事にした。彼らが出
てきた場所……光基神社は、登り切った太陽の木漏れ日に照らされて、涼やかにたたず
んでいた。

「誠ちゃん、水波ちゃん、もうお昼近いから、ちょっとごはん食べていかない?」
「え〜〜、いいんですか〜!?」
「そりゃあ、もう。食事は多い方がいいわ。大歓迎。腕によりをかけちゃう」

 そういって、撚光は、逞しい力こぶを作ってみせる。

「わーい。ねえねえ、誠もいいよね!」

 そういって、誠の腕に腕をからめてくる。

「ん? ああ、じゃあ、そうしようか」

 その言葉を聞いて水波は、「お手伝いします〜」と、うきうきと神社の中に消えてい
った。
 のたくたと走る様は、やはり一生懸命走る子ペンギンのようだ。その姿を見ながら、
撚光は誠にそっと近付く。

「あの娘、孤児でしょう。でもね、その孤児が、あなたの面影だけを支えに生きてきた
 事は確かなのよ」

それを聞いて、誠は意外そうに撚光を見遣る。

「俺を……ですか?」
「そう。あの時、全てを失ったあの娘にとって、あの時助けてくれたあなただけが、唯
 一の命のつながりのように思えたんでしょうね。辛い事があっても、あの時のあなた
 を思い浮かべて、頑張ってきたらしいわ。だから、あなたの事は、あなたが水波ちゃ
 んを認識している気持ち以上に、身近に感じているのよ」

 ……そうか、それで、いきなり呼び捨てだったのか。
 そう思いながら、誠は、撚光と共に、神社内へと足を進めていった。

「水波ちゃんのこと…よろしく頼むわね。あの娘、まだ過去のトラウマから、しっかり
 立ち直った訳じゃないから……。必ず、何処かでタガがはずれる…そんな危うさも持
 ってる気がしてならないの。あの娘を、あなたの側に置くのは、あの娘のためでもあ
 るのよ。誠ちゃん、それだけは忘れないで」

 撚光は穏やかに言う。だが……

「……でも……俺は、彼女が考えているほど、強い男じゃないですよ……」

 誠は、我を忘れて暴れた「あの時」を思い出して、少し自虐的になる。
 四年の間に、誠もずいぶんと力をつけた。
 幾度となく「鬼」と接触を図る事でその瘴気に触発され続けたからか、身体能力は通
常の人間の数倍にも高められていた。おそらく、今ならどんな相手でも簡単に負ける事
はないだろう。だが、その自分の強さは、自分が「鬼」に変化しているような錯覚すら
感じる。
 そんな彼の心は、未だあの「地獄」から抜け出せずにいた。

「それでも、あの娘の瞳には、強い男に見えたのよ」

と、そこで、ふっ、と表情を緩め、撚光は誠に微笑みかける。

「本当は……鬼退治なんか、させたくなかったんだけどね……」

 と、そこまで撚光が言った時、中の台所と思わしい所で、何だか景気の良い破壊音が
聞こえてきた。それを聞いて慌てて駆け出す撚光を見ながら、誠は思う。

 しかたない、向こうが飽きるまで付き合ってやるか。

 光基神社を囲む緑は、これからの季節を歓迎するかのように緑に色付き、木漏れ日が
木々の間で光のダンスを踊る。そんな、穏やかな季節の中で、空は、これからの彼らを
浄めるかのごとく、どこまでも青く澄み渡っていた。

 


←『2』に戻る。 『4』に進む→
↑小説のトップに戻る。