『7』


「馬鹿な!!歪みだと!!?」
「早く逮捕者を車に乗せろ! 鬼が出てきたら、私達では守りようがない! 逮捕者を食
 われたりしたら、首が飛ぶだけでは済まないぞ!!」

 そんな警官隊の混乱ぶりの中で、藤田巡査長はテキパキと指示を与え、気絶した暴漢達
を慌ただしく運びだしていく。
 そんな間にも、紅桜は、まるで何かに怯えるかのように震え続け、それに呼応するかの
ように、歪みは大きくなっていった。

「大丈夫! こんな時のために……!」

 そう水波は言うと、両足を交互に、一定のリズムで刻みながら、社の前で呪文を唱え始
めた。
 すると、社の前の広場のあちこちに、四角い光が現れ、それが一定の感覚をおいて、ま
るで網目模様の壁のように形成されていく。
 その網のような光が地面にその姿をしっかりと表したその時、地面が揺れて大きな風を
産み始めた。
 光の壁は、そのまま光の筋となると、歪みに対してそれを保護するかのように四角く覆
いかぶさった。
 水波は、顔の正面で、清明桔梗印(せいめいきっきょういん)……五芒星を刻むと、

「五行相生!」

 そう叫んで、刻んだ星を、歪みに打ち込む。
 そうすると、歪みが、一定の感覚を保ったまま、その拡大を止めた。

 おおっ、と、警官隊から、安堵のため息がもれる。
 そんな中、

「何をしている! 今だ! 早く運び出せ!」

 そう藤田巡査長が一括する。
 はっと我に返った警官隊達は、急いで、逮捕者を車に乗せていく。

「よ……よかった……これで、安心ですね。」

 そう、一生が言うが、誠は険しい顔で、首を横に振る。

「これは、あくまで応急処置。もし強力な鬼が潜んでいた場合、どこまでこの結界が持つ
 かは分りません。水波! どうだ! 持ちそうか!」
「だめ! 地相がすっごい悪すぎ! 結界が強くならない!! しかも、蠱毒(こどく)
 の気配がどんどん濃くなってる! ……歪みから、もしかしたら鬼が来るかもしれない!」

 そう言いながらも、水波は、五行印を刻みながら、歪みの封印を行っていた。

「鬼……だと? ちっ、全く、今日は色々な事が起こるな!」
「陽さんも、早く非難して!」
「あ〜、「さん」とか敬語とか苦手なんだ。普通に喋ってくれ!」
「……わ……分かった。陽、とにかく、この場を離れろ! 一生さんも!」
「ちょ、ちょっと待て。あんた達は……やっぱり残るのか?」

 そういう陽の顔には、明らかに不満の表情があった。一緒に行こう、という事だろう。

「これが、俺達の仕事なんだよ、陽」

 そういう誠を、今更ながら驚いたように見ると、

「……わかったよ。しゃあない。その代わり、全てが終ったら、武勇伝を聞かせろよ。」

 そう言って、陽は人なつっこく笑った。
 その笑いに笑顔を返す。
 陽は、一生を伴い、階段下へと急いで駆け下りた。そして、水波の方を振り替えると、
水波は誠に叫びかけた。

「来るよ、誠!」

 そう言った瞬間、禍々しい瘴気が、歪みから吹き出し、虫や陰獣が怨霊と化した蠱毒が
歪みからざわざわと溢れだす。

「いや〜〜ん。これやっぱり気持ちわる〜〜い! ウザいーキモいー!」

 と、水波はぶるぶると印を組んだまま、気持ち悪さに震える。
 蠱毒とは、いわば、ムカデや、カエル、クモ、ゲジゲジといった類いが怨霊化したもの
だ。
 極限ま飢えさせた虫を箱に閉じ込め、共食いまでさせて残った一匹を呪いに使うのが蠱
毒である。その生き残るために動物界のルールを破った怨霊の力は想像をはるかに超える。
 それが、水波の作った結界の中で、気持ち悪く蠢いていた。

(……来るか)

 誠は、左腰あたりにある、刀止めの金具に、刀を固定すると、そのまま刀の鯉口に左手
をあてがい、半身になって、いつでも飛び込んで、抜刀できる体制を整える。
 その動作が終ると同時に、誠が、体を屈めると、

 りん

 と、誠の胸のあたりで何かが鳴った。
 誠は、一瞬だが、その音に気をとられる。
 そして、あの富士山麓での戦い……よく思いだせもしない、あの戦いに思いを巡らせる。

 お前が持っていけ。

 そういって渡されたもの。
 もう既に、この世にはいない、仲間達から渡された形見。
 無造作に投げつけられたものもあれば、大事そうに手渡されたものもある。
 誠にとって、唯一残る、仲間との『絆』である。

「俺は借りただけなんだがな。誰も取りに来ない。まったく、世話の焼ける連中だ」

 誠は、そう独り言のように言ったものだ。
 今それらは、糸に通され、誠の首にぶら下がっている。
 その音を聞いて、誠の心から、動揺と緊張が消えた。

 結界を、強く叩き付ける衝撃音が響き渡った。それに怯えるかのように、蠱毒達がわら
わらと歪みの中に消えていく。
 そして……

 禍々しい狂気を身にまとい、『鬼』の浅黒い手がその姿を表した。
 凶暴な爪が、歪みの縁を捕らえて押し広げようとしている。

「誠!!」

 そう叫ぶ水波に頷き、誠は歪みの前に踏み出す。

「……結界を解放するよ! そうしないと、今以上に強力な結界を作れないから!!」

 そう叫ぶと、水波は、

「五行相剋!!」

 そう叫んで、結界を解き放つ。光の筋が、幾重にも重なり四散する。
 それを待っていたかのように、鬼の頭が現われた。
 鋼と鋼が擦れ会うような音が、弾けて音をたてる霊気と共に、歪み一体に満たされる。
 鬼の赤い髪は風にかき乱され、その瞳は物凄い形相で二人を睨みつける。
 その瞳に、「理性」や「感情」は見られない。あるのは、強大な食欲と性欲、破壊欲の
み。
 その額には、一本の巨大な「角」が、まるで霊気が帯電したかのようにスパークを繰り
返していた。

 鬼はそのまま歪みから這い出すと、誠に視線を向けた。
 陰陽師として存在している水波よりも、与し易いとふんだのだろう。

 三メートルはあるだろうその巨体が完全に、この世界に姿を現した。
 浅黒い肌、血のように赤い髪。そして同じように赤光りする眼光。その圧倒的な存在感
を持つ鬼は大気を震わせるかのような咆哮をあげて、誠に向かって駆け出した。
 鋼ののように輝く爪が誠に襲い掛かる。
 誠はそれを垂直に刀を抜刀し、その刀に鬼の爪を滑らせていなす。
 そして、抜刀の勢いそのままに上から振り下ろす。

 ずどん!!

 何か硬いものを叩き斬るような音と共に、鬼の右肩から胸あたりがぱっくりと裂けて赤
黒い体液が飛び散る。
 悪寒のするような強烈な叫び声をあげて、鬼は再び腕を振り回す。
 誠は鬼を斬ってからもその場に留まる事をせず、ヒット・アンド・アウェイの要領で巧
みに攻撃を躱していく。

 典型的な、「鬼」。
 だが、その力と大きさは、「あの時」よりも、かなり小さい。いける。

 誠がそう思い、鬼に向かって再び踏み出そうとした時、また、「あの気配」が現われた。
 誠達の近くに、その者は何の前触れもなく現われたのだ。
 白い着物に、その肌もまた絹のように艶やかで白い女性。そして、その長く黒い髪の毛
は、美しくたなびいている。
 驚きで目を丸くする水波を無視して、女性は、誠に話しかける。

「そのまま……刀をお納めください」

 綺麗な声だ。……そう、誠は素直に思った。

 現れた女性は、すっと、誠の前に立つ。

「あとは、私達にまかせて……」

 私「たち」?
 そう疑問をもつ誠に対して、白い女性は、静かに、歪みと鬼に対峙した。

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 同刻・光基神社。

「いらっしゃい。よく来たわね。
 まさか……あなた達ほどの人物が日本にいるなんて、思ってもいなかったわ」

 日も暮れて、いくらかたった頃、撚光は、二人のある人物を、光基神社に迎え入れてい
た。
 だが、その者たちは、まるで、撚光に友好的がどうかが分らなかった。
 何故なら、彼らは、白銀の鎧に身体を固め、その上から白のローブを纏い、顔にはマス
クを冠っていたからである。
 そして、そのローブには、三本の剣の交差した深紅のエンブレムにナンバリングが刺繍
された紋章がきらびやかに輝いていた。
 ローブの隙間からは、西洋風の剣が見え隠れしている。

「分かったわ。その件については、こちらも探してみる。だからあなた達は、天水村へ急
 いでくれる?」

 それを聞いた、二人は、頷く仕種を見せると、撚光と何やら言葉を交わしたようだ。
 そして、話が一段落したのか、そのまま、一礼して去っていった。
 彼らが去った後、撚光は、ふう、とため息をついて言う。

「相変わらず不気味な連中……まるでロボットみたい。あれが……シヴァリース。ヨーロ
 ッパ最強……いえ、崑崙(クンロン)と実力を二分する、世界最強の器使い……。クル
 タナの短剣を授かり、三本剣の紋章を背負う事を許されたキャメロットの円卓の騎士達。
 あのナンバーはおそらく、ガウェインとパーシヴァルね。……でも変ね、二人だけで独
 立して行動しているの? 基本的には単騎で動くとは聞いてたけど……ランスロットも
 ガレスも、トリスタンさえも来てないなんて。……という事は、『彼』も来ていないの
 かしら……」

 彼らとは、誠と同じく、富士山麓の戦いで共闘している。であるから、ある程度信頼し
てもいいはずなのだが、彼らのそのいでたちが、撚光に全幅の信頼をおく事を拒否させて
いた。顔も見せず、ただ淡々と鬼を殺しまくる様は、見ていてかなり不気味だったのだ。

「感情を、あえて殺しているの? ……何故……」

 そう思ったが、こればかりは考えても詮無き事だ。こちらはこちらですべき事がある。

「誠ちゃん……水波ちゃん……、増援は送ったわ。頑張って……」

 そう言うと、撚光は、光基神社の中へ、小走りに消えていった。

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「そう、あの包みを、私の所に持ってきてください」
「……しかし、あれは何なんですか? 藤田さん」
「あれですか? あれは、私が過去、幾多の試練を共にした相棒ですよ」
「相棒……ですか。」

 警官隊の一人が、大事そうに、布で包まれた細長い棒のようなものを藤田に差し出す。
 警官は、それを木刀か竹刀だと思った。

「ありがとう。では、君たちは、先に帰っていてください」

 そう言って、にっこり微笑む藤田巡査長に、警官隊達は、動揺の色を見せた。


「何をするおつもりですか、藤田さん! 鬼の事は彼らにまかせて、私達は私達の本分を
 全うしましょう!」
「そうですよ! そんな棒切れでは、相手になりませんよ!」

 そう警官隊の隊員は口々に抗議する。

「だからですよ。大丈夫、無理はしませんから」

 そういうと、藤田は彼を案ずる他の同胞たちを、先に帰らせてしまった。

「相変わらずこういう時になると血が騒ぐようですね。『斎藤さん』」

 その声は、いきなり藤田の頭上から聞こえてきた。

「やはりいたんですね、山崎君。どうですか? 上の状況は?」
「鬼が出現し、柊さんとやりあってますが……どうもそれだけじゃなさそうです」
「やはりあそこは、ただ歪んでいる……というだけではないようですね」
「ええ、そうなります。失踪事件の真相は、鬼、という訳ではないかと。どうします?
 屯所に報告に戻りましょうか?」
「では、本部の近藤局長と山南さん、源さんには、報告をよろしく。……沖田君と藤堂君、
 永倉さんは?」
「今の所待機、という事で話は通してあります」
「では、そのまま待機を。それと……土方さんと、左之助君には後で知らせましょう」
「また、それはどうして……?」
「だって、喧嘩屋のあの二人の事です。知らせたら、嬉々として飛んでくるに違いありま
 せんからね。結果だけ報告します」
「それで許してもらえますかね。お菓子を横取りされた子どものように怒ると思いますよ、
 二人とも」

 声しか聞こえないが、「影」が、くすりと笑ったような気がした。
 それに応じて、藤田も、にや、と笑う。

「そういえば、斎藤さん、どうでした? 柊 誠という人物は?」
「そうですね……『なかなか興味深い』……そう報告しておいてください」
「了解」

 そういうと、藤田……斎藤の頭上から、気配が気えた。

「さて、お手並拝見といきましょうか、柊君」

 藤田は、くるまれた布を取り去り、鞘に黒漆が輝く日本刀を腰にぶら下げて階段を登
り始めた。


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