『8』

 ここは、京都の前川邸。
 一見しただけでは、大きな邸宅としか見受けられない高い門構えのお屋敷である。
 奥に剣道場でもあるのか、気合いの入った叫び声が聞こえてくる。
 ここに、何故かその場に不釣り合いな少女が二人、門の側に立ってただ一方を見つめて
いた。

「……ん、どうした、譲ちゃん達」

 そこに、大きな体格をした、なかなかに整った顔だちの赤髪の青年が声をかける。
 長い棒のようなものを左肩にかけて、右手のタオルで汗を拭っている。

「……あ、左之助さん……何だか……、すごく気味が悪いの」
「……何か、感じるのか?」
「うん……なんかねぇ……とても嫌な感じだよ……」
「……でも、何だか、不思議な感じもしてるの」
「あん? 不思議?」
「うん、気持ち悪いのと、気持ちの良いのが、交互に感じられるような、変な感じ」

 三人は、そこまで言うと、ただ静かに、立ち尽くした。
 紅の桜の咲く、天水村の方向をただ見つめながら。


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 歪みは、水波が結界を解いた事により、今までに増して大きくなろうとしていた。
 水波は、護符を数枚取り出すと、それを空中に放り投げる。

「南無光明天皇ソワカ 南無五大力尊 バン・ウン・タラク・キリク・アク!!」

 晴明桔梗印を刻みながら、そう唱えると、先ほどよりも規模も光りも強力な霊気が護符
 を包み込み始めた。

「……って、ちょっと、そこの人! どいてどいて〜〜!!」

 水波はそう叫ぶが、水波と歪みとの間に立ちはだかった女性は水波を一瞥しただけで、
その場を離れようとしない。
 そのままの姿勢で、右腕を静かに前に出す。
 すると、突然に辺りの空気が騒ぎ始め、地に落ちていた桜の花びらが舞い始める。

「……そのままで。集中力を切らせてはなりませんよ」

 首だけで水波のほうに振り替えると、女性は水波に声をかけた。

「あ? え? ……なに? なんなのぉ??」

 水波はただきょときょとと周りを見ながら混乱するばかりだが、それでも、結界をしっ
かりと保っている所はさすがであった。
 そんな二人がやりとりをする間にも、鬼はその角に霊気をまとわせ、まるで鋼が擦れる
かのような不快な音をたてながら、目の前の『餌』を睨み付ける。
 そして、そんな鬼が、黒髪の女性を目にとめた。
 鬼が咆哮をあげる。
 その声は、精神の弱いものであれば、気絶したであろう、すさまじい大きさと迫力を備
えていた。

「うひゃあ」

 水波が、その声に驚いて叫び声をあげた。
 辺りの空気が、びりびりと揺れ、それに伴い、桜の花びらが散る。

「一体、何を考えているんだ!?」

 誠が、鬼と女性の間に割り込もうとする。
 だが、女性は、そんな誠を目で制すると、目の高さまで上げた右腕を、さらに上へと上
げる。
 それに呼応するかのように、誠たちを囲む、社の周りの地面が音をたてて揺れ始めた。

「……!何だ!?」

 誠はそう叫びはしたが、様子を見る他はなかった。
 鬼の身体は、今にも女性に触れようとしている。
 唸り声をあげながら、女性を掴もうと手を伸ばす。
 誠が女性の制止を無視して、鬼との間に割り込もうとした瞬間、鬼の腕に何かが巻き付
いた。
 凄まじい力で「それ」に腕を締め付けられた鬼は、再び唸り声をあげながら「それ」を
ふり解こうとする。
 その鬼の動きに呼応するかのように、再び地面が揺れた。
 その直後、誠達は、信じられないものを目にする事となった。
 ごう音をあげながら、地面が崩れたかと思うと、そこから何本も、木の幹のようなもの
が飛び出したのだ。
 鞭のようなしなやかさで、女性の周りを、庇うかのように漂うそれはまさに意志を持っ
たかのようだった。

「木の幹……いや、これは……根か!」

 そう誠が判断したその時、木の根は、鬼と女性の間に、まるで網を張り巡らすように割
り込んで、鬼を歪みへと押し戻し始める。
 鬼の身体に、幾重にも、木の根がまとわりつく。
 鬼の力は人間の想像をはるかにしのぐ。小さな鬼でも、片手を振り上げただけで軽自動
車くらいなら軽々と吹っ飛ばせるのだ。
 それだけの力を持つ鬼を、それ以上の力で木の根は押し戻していた。
 鬼が、この世に未練を残した亡者のような形相で、根をかき分けようとするが、幾重に
も重なった根が、それを許さなかった。

「……あなたは……この場にいて良いものではありません」

 そう女性が叫ぶと、数本の根が鬼と垂直に、まるで槍のように突き刺さった。
 その衝撃に耐えられず、鬼は悲鳴に似た咆哮をあげて、歪みの中に押し戻された。

「さあ!今です!」

 そう水波に向かって、女性が叫ぶ。

「あ? え? はにゃ?」

 とか、ばたばた慌てながら、それでも、水波は清明印を刻んで、歪みに対峙した。

「五行相生!!」

 そう水波が叫ぶと、光を伴った数枚の護符が、五芒星の形をとりながら水波の目前に制
止する。
 金剛界の五人の如来を司る梵字を星型の隙間に刻み、五芒星の中心に右手人さし指と中
指をあてて、

「悪鬼封印!」

 そう叫ぶと、五芒星の形を伴いながら、護符が歪みに対して、まるで大砲の弾のように
打ち込まれた。
 星型の護符が、そこから幾重にも光の筋を生み出し、それが編み目状に立方体を成して
歪みを囲んでいく。
 護符が歪みを覆うと同時に、木の根がするすると鬼と歪みから離れていく。
 鬼が護符に体当たりをしようとするが、平安の時代より伝えられた鬼封じの護符は逆に
鬼を吹き飛ばす。
 歪みは、護符による結界に囲まれる事で、その拡大をやめた。
 未練がましく咆哮をあげていた鬼だが、護符の前に成す術をなくしたか、その気配を消
していった。

「……終った……のか?」

そういう誠の言葉に対して、

「ええ……終りました」

 とだけ言うと、女性は、紅桜にしずしずと歩き始める。
 そんな女性の周りから、木の根が、するすると遠ざかり、地面の中へと消えていく。
 根が出現した穴も、まるで何もなかったかのように綺麗に閉じられてしまった。
 鬼の凄まじい瘴気や、木の根と鬼との攻防などがまるで嘘だったかのように、辺りには
再び静けさが訪れようとしていた。
 張り詰めた空気が柔らかくなり、春の穏やかな風が彼らの間を吹き抜けていく。
 そんな穏やかさに、誠はやっとその女性を冷静に見られるようになった。

(一体……何者なんだ)

そんな誠の思いを知ってか知らずか、水波が女性につかずかずかと近寄り、着物の袖を引
っ張って声をかける。

「ねえねえ、おねえちゃん、誰?」

 非常に端的な、的を得た質問である。
 その答に、すぐに女性は答えず、紅桜を一撫でして、そのまま、二人に向き返る。

「私は……サクヤ。 木乃花 咲耶(このはなさくや)」
「木乃花 咲耶……」

 誠は、その名前が、日本書紀に登場する事を思い出したが、さして、問題視はしなか
った。
 しかし、桜の名のもととなった、富士山の女神と同じ名前とはな。
 そう誠は、思い、紅桜に寄り添う彼女を見据える。
 ふと、誠は、先ほどの木の根の事を思い出した。

「木乃花さん、とおっしゃいましたね。俺は、柊 誠、こちらは、楠 水波……」
「ええ、存じてますよ。……ずっと、見ていましたから」

 そういうと、女性は、紅桜を再び撫で付ける。
 ずっと見ていた?
 誠はその言葉にひっかかりを覚える。

「あなたに幾つか質問をしてもいいですか?」

 その誠の問いに、女性は静かに誠に振り向いて口を開く。

「ええ、なんなりと。人知ならざる者を切る力を授けられた者に、私が抗う事などできま
 せん。それに……」

 女性は、紅桜から誠の方に歩みを進めると、言葉を続ける。

「あなた方のおっしゃりたい事はだいたいは理解できています。この桜と歪み、鬼との関
 係……でしょう?」

 その通りだ。桜を通して見ていたというが、一体何者だろう……。
 もし、歪みがこの桜と関連性があるのであれば、是非とも知りたい。
 そして、一連の失踪事件と、この桜や歪みとが何か関係しているのか。もしかしたらこ
の女性は何か知っているかもしれない。そんな思いを誠は抱いていた。
それを、女性がすっかりと代弁してくれたようだ。

「私も、それを知りたいですね」

 いきなり背後、石段の辺りから聞こえた声に、一瞬誠は肝を冷やす。
 まるで気配を感じさせない歩き型で近付いてきたのは、藤田巡査長だった。

「藤田さん、まだここにおられたんですか。てっきり、非難されているとばかり思ってい
 ましたが……。」

そう言う誠に、藤田巡査長は、不敵に笑みを返す。

「鬼がでてきたのでしたら、私が帰る訳にはいきませんよ。なにせ……」

そう言って、にこやかに微笑みながら腰に下げた刀を見せて、誠たち三人に言う。

「私も同業者ですから」

 驚く水波、何かを探ろうとしている視線の誠、涼やかに見つめる女性。
 三者三様の視線を浴びながら、藤田巡査長、いや、斎藤 一(さいとうはじめ)は、た
だ微笑むだけだった。


鬼切役奇譚 
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