『2』


「どうだ?」

 と誠が問いかけるその膝元には、水波がうずくまって、なにやらごそごそとやっていた。
 が、

「う〜〜〜〜んにゃあ!」

 と、奇妙な叫び声を上げて、すくっ、と立ち上がる。

「あ〜〜、だめ! わかんない! この桜、なにも感じない」

 水波は、べしっ、べしっ、と桜の木を平手で叩く。

 ここで、歪みが生まれたのが、今から数十分前。
 その後、歪みは、まるで何事もなかったかのように、誠達の前から霧のように惚然と消
えてしまった。

 誠と水波は歪みを生じさせたと思われる、紅桜の一帯をうろうろと調べ回っていた。
 といっても、誠は、実際に歪みの前兆や鬼の残した気配、などというものを辿る事はで
きない。
 こういう調査は、鬼切役の諜報機関ともいえる【陰陽寮】の専売特許となっているのだ。
 と、いう事で、誠は、必然的に水波に頼る以外術がなくなっていた。

 水波はというと、あ〜でもないこ〜でもない、ここ違う、あ、こっちかな、と、うろち
ょろと子犬のようにせわしなく動き回っていた。
 誠は、そんな水波の後ろを散歩中の子犬の飼い主のようにただ付き添うだけ。
 そんなやりとりが歪みが消えてからの十数分、ずっと行われていた。
 一生は、腰を抜かして動けなくなっていたので、誠と水波が社の陰に運んで休ませてい
た。
 さすがに退屈しかけていた誠だったが、水波の様子がおかしくなった事に気がついた。
何故かうつむいて、ぶつぶつと、何か言い始める。
 気分でも悪くなったのかと、誠が声を掛けようとしたその時、

「ほりゃ」

 と、いきなり水波は、足踏みをはじめたかと思うと、何やら奇妙なダンスを踊り出す。
 いきなりの出来事に、思考停止を余儀なくされた誠を後目に、水波はあ、ほい、とりゃ、
と、一歩一歩踏み出す事に、妙な掛け声をあげてぴょんぴょんと飛び回る。
 そして、たまに両手を組んで、何やらぶつぶつと独り言を言い始める。

「おい・・・・・・ナニ踊ってる、水波。それは何の冗談だ?」

 そう言われた水波は、それは心外、といった表情で、誠を睨み付けた。

「あ〜〜っ、ひっどいなあ。これ、『反閇(へんぱい)』って言うんだよ。」
「テンパイ?」
「・・・それ、ワザと言ってない? へ・ん・ぱ・い! 別名、歩行呪文。平安の時代にも、
 かの阿倍清明(あべのせいめい)が天皇の行く道にでてくる鬼を祓うために行ってるや
 つなんだよ。」

 と言いながら、またぴょんぴょんと飛び回る。

 『反閇』とは、右足と左足の出し方、または一定の歩数ごとに唱える呪文の組み合わせ
で、物の怪や怨霊を防ぐ結界を作り出す陰陽道の呪術のひとつである。

 しかし、なんちゅうブサイクな踊りだ。……見てるだけで呪われそうだ。
 と、誠は思った。
 阿倍清明と水波を比べるのは、阿倍清明に失礼というものだが、彼ならもっと上手に足
踏みをし、速やかに呪文を唱えただろう。あれではどう考えても新興宗教のアヤしい踊り
にしか見えない。

 おそらくは、歪みも見つけられない、鬼も出てこない、となっては対策の取りようがな
いので、とりあえずは結界を張っておき、鬼の出現に備えよう、という所なのだろう。
 社を中心に結界だけでも張っておけば、再び歪みが生じた時に、ある程度は防御できる。
 しかしこれも、再び現われた歪みが、社と紅桜のそばであれば、の話だが。

 水波は、相変わらず酔っ払いが千鳥足で歩いているかのような奇妙なダンスを踊り続け
ている。
 そこへ、一生がショックから立ち直ったのか、誠に近づいてきた。

「あの……柊さん、あれは何をなさっているんですか?」

 一生は、しごくもっともな質問を、誠に投げかける。
 誠は、相変わらずほりゃほりゃと踊り続ける水波を見ながら

「気にせんでください。あいつ、三時のおやつが近づくと、我慢できなくなっておかし
 くなるんですよ」
 
 とんでもない事を言う。

「それでは、お茶菓子でも用意すれば、少しは治まりますかな?」

 と、一生もやり返す。
「三時のおやつ」という呪文が効いたのか、水波は、誠達の方へと駆け寄ってきた。
 一生懸命に走ってくる様は、やはり子犬のようだ。

「終わったよ、誠。ここらへん一帯に、一応結界を張っておいたから、もし、歪みが生
 じても大きくはならないし、鬼も出て来られないと思う」

 そういうと、水波は、う〜ん、と一つ背伸びをする。

「来られたばかりで、お疲れでしょうに、いきなりとんでもない事に巻き込んでしまい
 ましたね。申し訳ないと思っております。お客様に、お荷物を置く暇もなく働かせる
 とは……」

 そう言って頭を下げる。

「いいんですよ、これが、俺達の仕事ですから」

 そういって言葉を返す誠に、一生は、階段の方に手を伸ばす。

「さ、落ち着ける部屋を、用意してあります。とりあえずは、そちらでお寛ぎください」

 誠達は、一生に誘われるまま、階段を降りようとした。
 が、その時、誠は今までにはなかった気配を感じ、社の方に振り返った。
 ……しかし、そこには何もなく、ただ桜が紅の花を付けているだけだった。

「……気のせい……か?」

 そういって階段を降りる誠達3人の後ろに、一つの気配が現われた。
水波にも、その気配を悟られなかった、その者は、長く美しい黒髪を風になびかせながら、
誠達三人を、ただ見つめるだけだった。



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