『5』

「何だお前ぇらは。もうすぐ暗くなるんだ。さっさと帰りたいんだけどな」

 最初に口火を切ったのは、若者の方であった。
 若者は、長い髪の毛をかき上げると、暴漢であろう一人を睨み付ける。
 なかなかに鋼の心臓を持っているようだ。見上げたものだ、と誠は思ったが、その誠達
は、さらにその上をいっていた。

「わざわざこんな時間に、こんな所までどうもお疲れさまな事で」

 そう言うと、誠は、平然と軽くお辞儀をしてみせた。
 そのふてぶてしい態度に、暴漢達の回りに動揺の空気が流れた。
 威圧的な態度が通用しない。こんな相手は彼等にとって初めてだった。

「もう暗くなるって言うのに、そんな目立たない趣味の悪い出で立ちで危ないぞ。車に轢
 かれたら親が無くぞ親が」
「あ、ネクタイ曲がってるよ。きゃはは」

 水波が、刀で暴漢の一人の顔ををさしてけたけたと笑い始める。
 それを見て、若者は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに愉快そうに、声を殺して笑っ
た。

 そんな3人に、暴漢の一人が、本来なら睨んだだけで泣く子が本当に黙るような表情で
話しかけてきた。
 その頬の肉はぴくぴく痙攣している。

「おとなしく去れ。そうすれば、手足の2〜3本折るくらいで勘弁してやる」

 結構ドスの効いた声である。
 相手の言い分を聞き入れても暴力を振るわれるのだから、誠達が受け入れる事など絶対
にない要求だった。
 これが一般人であれば、恐れ入って腰を抜かしたかもしれないが、誠はというと、いち、
にい、さん、と暴漢の数を数え始め、水波は、

「いやああん。怖いわ、まことおん」

 と、誠にわざとらしく寄りそう。
 若者はというと、鼻の穴に指を突っ込んだりしながら、面白くなさそうにぼけっとして
いる。

 ここまでやられて、「おちょくられた」と思わない者がいたとしたら、よほど心が広い
か、聖人君子か、それか馬鹿のどれかだろう。

 だが、この暴漢たちは、心が広い訳でも、まして聖人君子でもなかった。
 怒りで顔を真っ赤に痙攣させた暴漢の一人が、凄まじいスピードで、静から動へと移っ
た。
 さすがはプロの暴力家、と言わんばかりの早さだった。
 一瞬に間合いを詰め、中腰の状態から腰をひねり、遠心力と助走の効いた拳の一撃を、
この愚かな小僧のみぞおちに突き立てようとする。
 胃液を吐き散らし、喚くに違いない、自分の愚かさを恨め、とそこまで暴漢が思った時。

 誠はため息をつきながら、右手甲で、しかも凄まじいスピードで暴漢の右頬を払った。

どばあん!!

 と、物凄い音がしたかと思うと、誠に突っ込んできた暴漢はまるで、竹とんぼが飛ぶか
のように、両腕をぐるぐると回転させながら、宙を舞い、石畳の上にもんどりうって鼻か
ら突っ込んだ。

 無様な喚き声を上げ、尻だけを突き出した状態で痙攣を起し、鼻血とよだれを撒き散ら
して暴漢は動かなくなってしまう。
 そのほお骨は、完全に砕かれているようだった。
 この間、わずか一秒。
 凄まじいスピードで動いた暴漢も凄いが、誠はさらにその上だった。

 若者も水波も目を丸くして驚いたが、残された暴漢達は言葉を失い息を飲んだ。
 おちょくられた怒りで、赤くなっていた顔は、突っ込んだ暴漢をありさまを見て黄色く
なり、誠を再び見て青くなった。まるで信号機だ。

 もともと、「鬼切役」が戦っている「鬼」には、通常兵器がまるで通用しない、神代の
化け物である。そんなものと対等に戦える者が、ただ「器」に頼っているだけ、と考える
事自体がそもそも間違っているのだ。
 誠は、以前、自分が鬼に近づいている、と思った事がある。
 多くの鬼と対峙する度に誠はそう感じていた。
 強くなってはいるが、その力は、人間の常識を超え始めていたのだ。
 これが何故なのか、いつか、これも解明しないといけないだろうな。
 そう誠は思いながら、暴漢達に向き直る。

 暴漢達は、明らかに怯んだ。だが、もうここまできては、もはや引くことはできなくな
っていた。
 手ぶらで帰るわけにはいかない。
 暴漢達は、誠以外に標準を定めたようだった。
 当然のごとく、水波に対して、数人が襲いかかる。

 後の者は、残された若者に襲いかかった。

「うわ! 俺もかよ!」

 そう言いはしたものの、かなり場数を踏んでいるとみえ、ひょうひょうと攻撃を躱し翻
弄し始める。
 暴漢の一人が若者と間合いを詰めて、にやり、とほくそ笑むが、その瞬間に彼の額に、
何か冷たいものがごりっと突きつけられた。
 オートマチック型の拳銃であった。
 その筋ではプロの彼等ゆえ本物と偽物の区別はしっかりとつく。
 日本人が本物の拳銃を携帯しているなんて聞いていない。そう思ったがもう遅かった。
 一瞬にして血の気が引き固まる暴漢に対して、そのまま若者は、にた、と笑うと……

「ばん!!!!!」

 と大声で銃声の真似事をしてみせた。
 情けなく、暴漢は悲鳴をあげ、よろめいた。
 その隙を若者は見逃さず、そのまま、銃のグリップでしこたま後頭部をしこたま強打し
て、意識を失わせる。

「ま、殺す訳にもいかんわな」

 そう言って、指で、拳銃をくるくると回しながら、誠に微笑みかけた。
 危ない事この上ない、暴発するぞ。
 そんな若者に対して、誠も奇妙な連帯感を感じながら、注意を水波に向けた。
 さすがに、水波に対して、束でかかられるとまずい。

「水波! 俺のそばに来い!!」

 そう叫ぶと、水波に寄ろうとする。
 水波は、

「ふえ?」

 と、きょとんと誠の方を振り向いたが、そんな二人の間に、残りの暴漢達が襲い掛かっ
た。

 誠は、顔への一撃目を上体を屈めて躱し、太刀袋から刀を出しその柄で顎を思いきりか
ちあげた。
 暴漢はそのまま、血を吐いてのけ反りよろめく。
 そのがら空きになった腹に、鞘の先で強打を打ち込むと、今度は胃液を吐きながら地面
に転がった。
 そのまま体を反回転させると、ナイフをひらめかせながら、もう一人が襲いかかる所だ
った。
 ナイフの柄尻を押さえて体当りしようとする暴漢を、その鞘の先でナイフを押さえて動
けなくさせる。
 そのまま、鞘を引くと、簡単に暴漢のバランスが崩れた。
 前のめりになったその後頭部を、誠は思いきりかかと落としの要領で踏みつけた。
 蛙の泣き声のようなうめき声をあげて、暴漢はそのまま動かなくなる。

「くそ……ふざけやがって! ぶっ殺してやる!!」

 我を忘れた暴漢達はクライアントの要求を忘却して、ステレオタイプな脅しを口にする
と、黒い固まりを胸元から取り出した。
 黒い銃口を誠に向けて、下品に笑う。
 この至近距離なら絶対に外さないと確信しているのか、妙にニヤつきながら引き金を引
き、そしてハンマーが落ちる。
 だが、弾丸が発車される爆音と同時に、誠は

ひょい。

 と顔を傾けると、黒い死神は誠の顔のすぐ横を風をまとい通り過ぎしてまった。
 こいつ、今確実に「弾を見切って避けた。」
 暴漢はそう感じて、恐怖に支配されて動けなくなる。
 そんな暴漢に凄いスピードで近づくと、銃を刀の鞘で払い、柄で、強烈な一撃を顎に食
らわした。
 たまらず、うめき声をあげて、暴漢が白目をむく。

「ひゅう〜〜、すげえ!」

 と、若者が髪の毛をかきあげた時に、怒号をあげて、生き残った暴漢が、若者に襲いか
かった。
 突っ込んできた拳を右に躱すと、その腹に、膝蹴りをくらわせる。
 苦悩の表情を浮かべた相手の顔を銃で2回ほどはたくと、そのまま動かなくなる。

「おーい、こいつら、めちゃ弱ぇぜ! わはははは!!」

 げしげしと倒れた暴漢を踏みつけながら青年が語りかける。
 いや、お前等が強すぎる。
 と、暴漢が思ったかどうかは知らないが、男二人に全くかなわないと思った生き残り達
が、今度は水波に襲いかかった。

「水波!!」

 誠が叫ぶが、一瞬遅かった。
 水波の体の上に何人も暴漢が覆いかぶさる。
 一瞬、血の気が引いた誠だが、それは、ほんの一瞬でしかなかった。
 覆いかぶさった暴漢達の体のすき間から無数の光の筋が見えたかと思うと、大きな音を
あげて、暴漢達は何メートルも弾かれて飛んでいった。
 水波が陰陽師の力を使って「自分に」結界を張ったのだ。
 桜の花びらが宙に浮き、それぞれが光の線で結ばれている。
 狂暴な人食い鬼を封じ込める結界を自らに使えば、それは鉄壁のシールドとなるのだ。

「ふう、やっぱり、あの時桜の花びらを拝借しておいてよかった〜〜」

 水波は昼に社を調べた時に、桜の花びらを数枚取っておいたのだ。それを護符の代わり
に使った、という訳だ。
 鬼が出るかもしれないという都合上、そうそう有限な護符を使う訳にはいかないからだ。
 花びらゆえにそれ程強力ではないが、それでも人間相手では十分だ。
 弾かれた暴漢はしたたかに体中を強打され、そのまま意識を失ってしまった。

 またもや暴漢達は、色を失い、立ち尽くし、ついには混乱の中にたたき込まれた。
 こんなに常識の通じない相手など初めてだ。何なんだ、こいつらは。
 そんな事を思った暴漢達と水波の目とがばちっ! と合う。
 そのまま水波が獲物を見つけた猫のように

「にひ」

と笑う。
 暴漢達の血の気が見る見る内に引いていく。
 これはやばい! 逃げなければ殺される! そう思ったがすでに遅く、そのまま水波は、

「うおりゃ〜〜〜〜!!!」

と残りの暴漢にばたばたと走りながら突っ込んだ。

「ぎゃああああああ!!」
「ひいいいいいいい!!」
「誰かああああああ!!」

 と、涙を流して、必死の形相で逃げ惑う暴漢(?)達。
 本来、自分達がいつも言わせている言葉を、今は自分が発している事にすら気付いてい
ない。

「まてええええええ!!」

 と楽しそうに追いかける水波。
 全くシュールな状況に、誠も若者もあっけにとられて言葉を失う。
 本来は、全く逆であろう立場のはずなのだが、暴漢達は喧嘩を売った相手が悪すぎた。
 水波は、陰陽師としての苦しい修行に耐えるだけの精神力と体力を兼ね備える。
ゆえに、その脚力、走力は、尋常ではない。
 簡単に言うと、恐ろしく走るのが速いのだ。
 まるで、猫が鼠を追い込むかのように、あっという間に、隅に暴漢を追いやる。
 暴漢達は、息も絶え絶えだ。
 そのまま水波は、

「ひーっさーつ!!」

 と叫んでぴょーーん、と哀れな集団に飛び込んだ。

「あんぎゃああああああああ!!」

 と、暴漢達が悲鳴をあげるが、もう、どうしようもない。

「みなみちゃんアターーーック!」

 水波の結界に触れた暴漢達が、まるで除雪車に撒きあげられた雪のように宙に
舞う。衝撃で、地面に敷かれた桜の花びらも、共に舞い、中々の見ごたえである。

「ふっ、つまんないものを吹っ飛ばしてしまった……」

 水波はかっこつけて、そんな事を呟く。

「おー……」

 誠と若者。観客と化した二人は、何故か感嘆の声をあげてしまう。

 その横に何人もの暴漢が降ってきては、したたかに石畳に頭から突っ込んで意識を失う。
 何人か、誠達二人に突っ込んできたが、二人が手や足で払うと、そのまま方向を変えて
桜の木々に突っ込んだ。まさに泣きっ面に蜂である。

 ……戦いは終わった。と言うか、戦いだったのだろうか?
 そもそも、「器使い」に喧嘩を売る方がどうかしているのである。
 まあ、今回は、暴漢達は知らなかったのだろうが……。
 若者が、

「おつかれさん」

 と言って、手を出してくる。
 誠はそのまま、苦笑いすると、そのまま、その手を握りかえした。

「あ〜〜、私も握手〜〜」

 と、水波が『結界を張ったまま』、駆け寄ってくる。

「あ! ちょっと待てみな……」

 という、誠の言葉も遅く、その結界に、何人かの不幸な暴漢が撒き込まれて、

「ぎゃいん」

 という叫び声をあげて、再び宙に舞った。

「あ」

 と、水波は言いはしたが、まるで気にもとめずに、二人に近寄った。
 彼等の周りには、血や胃液を吐き、苦痛に呻く暴漢達が、敗北者よろしく積み重なって
いた。

 


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