『3』


 誠にとって、今回の仕事は、どうも奥歯にものがはさまったような、不快な気分が抜け
ないものであった。
 暴漢を蹴散らして鬼を撃退したこの夜から、どうもむずむずとした気持ちが誠の心に張
り付いて取れない。
 それは、その日の夕食の時も、そうだった。

「どうかされましたか、柊さん?」

 そう一生は問いかけた。
 一生は、せめてもの労いに、と、夕食に招待したのだ。
 この場には、陽の姿も見える。
 すでに、事に巻き込まれた陽は、積極的に事件に関わろうとした。
 誠は、そんな彼に危険だ、として協力を断わろうとしたのだが、自分の故郷を自分で守
れないでどうすると、半ば強引に協力をしようとしてきた。
 咲耶同様、こっちも誠にくっついて離れてくれない。
 これは、陽自身に、戦闘などになっても十分対応できるだけの自信があるからでもある
のだが、誠にとっては良い迷惑である。
 しかし誠も、好き勝手に動かれてめんどうを増やされても困るとして、陽の協力を渋々
承認したのだ。
 誠も、陽が一般人ではない事をうすうす気づいていた事もあるが。

「……なんだか、うかない顔だな。一生さんが心配してるぜ?」
「え?ああ、何というか、奇妙な事が多いから」

 その誠の言葉に、いぶかしげに一生が再び問いかける。

「と、言いますと?」
「鬼が出てきた、という事は、間違いなく俺達の仕事の範疇ではあるんですが、暴漢に襲
 われた、という事実は無視できません。向こうは、完全にこちらの事を知っているよう
 でした」
「……ふむ」
「そういや、さっさと帰れ、みたいに言ってたな確か」

 ここで、誠は、夕食に集った者達を見、一息ついて続ける。

「つまり、失踪事件と、鬼、桜などに関して、俺達に関わられるとまずい人間がいる、と
 いう事です」
「それに、あの咲耶って女の人、何なんだろうね、気になるね」

 水波は、目の前にある鍋で煮込まれた肉やら野菜やらをどんどん口の中に放り込みなが
ら言う。
 水波も今は、可愛らしい水色のワンピースに着替えていた。
 一生は、食事に鍋料理屋を選んだのだが、鍋を囲んで話す様はまさか、鬼やら暴漢やら
の台詞が飛び交っているとは思えない、家庭的な雰囲気だった。

「あと、ここで一番大切なのは、失踪事件と、歪みとは、一切関連性が見られない事です」
「鬼がいる事が分かって、しかも、行方不明者は皆あの社でいなくなってんだろ? じゃ
 あ、キマリじゃねえか。あ、それ俺の肉」
「いや、確証がもてない。それだと、俺達を邪魔しに来た一団の説明がつかない」
「偶然、誰かと間違われたとかないの?誠?」
「こんな小さな村でか? ……あ、失礼、一生さん。最近この村に、観光以外で来たのは、
 俺達だけだそうだ。あれは、どう見ても、観光客相手の強盗には見えなかった。つまり、
 俺達を確実に標的にしてた、って事だ」
「う〜〜〜ん、なんでかな? ……あぐ。もぐもぐ」

 いやな予感がする。
 誠は、そう思った。もしかすると、人間同士で戦う事になってしまう可能性もあるから
だ。
 器使いの前では、特殊訓練を受けた暗殺者であっても、龍の前の蟻に等しいのだが、そ
れでも、人間同士でやりあうのは、誠にはもうごめんだった。あんなのは、富士決戦の時
だけでいい。

 水波は、足りない頭を、口一杯に豚肉を頬ばりながら、一生懸命ひねっている。
 そんな水波を無視して、誠は話しを続ける。

「それと、あの女性については、とりあえず今上司と連絡を取り、それから支持を仰ごう
 と思っています」

 と、答え、撚光のうほほほほほ、と微笑む顔を思い出して、ぶんぶんと首を横に振った。
 誠のの予想通り、その夜に、極めていいかげんな支持を仰いでしまうのだが、ここでは
まだ、それは未来の話。

「紅桜にしても、どうもただの植物ではなさそうです。……まるで、動物のような……」
「動物ですか……う〜む、と、味噌だれが足りませんかな。おおい」

 厨房の奥で、はあい、と店員の声がする。

「あの桜が、歪みや鬼を呼んでる、って訳じゃないのか?誠」
「さあ、どうだろう。その可能性も無い訳じゃないけど……、あの時、桜の木は歪みから
 出てきた鬼を間違い無く攻撃していた。歪みとの関係は否定できないが、でも、鬼を呼
 び寄せている、という雰囲気ではなかったな」
「やっぱり、あの女の人に聞いて見ようよ。イチバン怪しいもん、あの人」
「俺も同感だ、誠。とりあえず、話をつけてみようぜ」
「そうですな、そうしませんか、柊さん」

 と、皆の意見は、桜の社に現われた女性を重要人物として認識する事でまとまりつつあ
った。
 誠も、ここで反駁するのも意味のない事なので、

「分かった。じゃあ、明日、水波と一緒に、またあの社へ行ってみる事にするよ。……会
 えるかどうかは分からないけど」

 そう言い、その日の会議は幕を閉じた。
 後は、目の前にある大量の野菜と肉を始末するだけだ。
 4人は、仲の良い家族のように、鍋を囲んで語りあった。


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 山の夜は、更けるのが早いという。
 この天水村もまた、他聞に漏れず、日の落ちるのは早かった。
 誠は、露天風呂につかりながら、今日一日の出来事について、思いを巡らした。

 撚光に呼び出された事、そこで、失踪事件のあらましについて聞かされた事、防衛庁や
公安が乗り出していたという事実、そして、水波に出会った事。

「なんだか、昔からの知り合いのようにうちとけているな、俺達」

 と、誠は改めて思った。
 水波と、まともに話しをし始めたのは、今回が初めてのはずだ。
 だが、水波のあまりにも、馴れ馴れしい態度や、突飛な行動に振り回されるうちに、い
つのまにか親密になっていたようだ。というか、慣れたのかもしれない。
 明日も、今日以上に大変だろうな、と思う誠の頭の中では、首輪をつけたまま
誠を振り回す、『犬ミミ水波』が、尻尾を振りながらへっへっ、と走り回っていた。

 と、そこに、一人の成年が、新たに湯船に入ってきた。
 金髪。そして、透けるような白い肌。
 誠は、一瞬女性かと思い、ぎょっとするが、すぐに男の子とわかり、ガラにもなくほっ
とする。

「えへへ、どうも」

 と、照れながら流暢な日本語で成年は言い、あちちち、と言いながら湯船につかる。

「ぷあ〜〜……あなたも、観光客ですかぁ?」
「まあ、そんな所だけど……日本語お上手ですね」
「僕、ニッポン好きですから。トーダイジダイブツデンとか、空から、
 ゼンポーコーエンフンとかも見たんですよ。あ、もちろん富士山も。すごく大きいです
 よね」

 と、いかにも観光客の感想を述べるかのごとく、あさっての方向を見つめながら話す。

「ここの桜も、なかなかいいですねー。 桜って、いいですね。他の花にはない魅力があ
 りますよね!」

 どうもこの成年は、かなり感激屋であるらしく、いままでの観光についてこと細かく語
りだす。
 そうやって話しをしている時、

「あ、うお、とっとっと……うきゃああああ〜〜!」

 という声と、どっぱあん、という跳ね上がる大きな水飛沫の音が、女湯の方から耳に飛
び込んできた。
 からからから、と石鹸の転がる音が、その後に空しく響く。

「あ〜〜、ニッポンの女性は、家庭的で、落ち着いていて、しかも、おしとやかでないと
 いけませんよねえ」

 と、誠に同意を求めてくる。
 声の主が誰かはすっかりと分かっていた誠であったが、ここは分からないふりをして、
そうだねえ、と相槌をうった。
 まあ、日本の女性の理想など、誠には分からなかったのだが。

 そうやって、ハダカの付き合いで意気投合でもしたのか、男二人は仲良く湯船を出てい
った。
 成年は、自分を
『ミハイル・クライス』
と名乗った。アイルランド人である。
 二十三歳の若者でありながら、欧州や、アラブ諸国、アジアを一人で回り、写真を撮り
ながら旅行を楽しんでいるのだそうだ。
 家が結構な富豪のようで、お金の心配はないのだという。
 それよりも、生活習慣や価値観の違いの方が、お金よりも怖いんですよ、と言い、濡れ
た頭をがしがしと拭きながら、えへへ、と、苦笑いした。
 その笑顔には、今までの一人の旅行の苦労がにじみ出ているような気が誠にはした。

 ミハイルと別れて部屋へ戻った誠だったが、どうも寝付かれない。
 いろいろと気になる事がありすぎるからだろうか。
 そう思った誠は、少々運動しようか、と、旅館を出ようとした。
 そっと、水波の部屋を襖を少し開けて覗いてみると、ぐちゃぐちゃに乱れた髪の毛、見
事な大の字、浴衣からはみだした白い足、の、色気より食い気、な、ひどい寝相の水波が
視界に飛び込んできた。
 誠は、やれやれ、と布団を掛け直して、そっと出ていこうとした。
 まるで、妹の行く末を案ずる兄貴のようである。
 が、その時、

「まこと!!」

 と、大声で呼ばれてぎょっとする。
 夜ばいなどと勘違いされては、後々めんどくさい事になる。
 そっと振り向くと、右腕を寝たまま天井にぶんぶんと振り上げながら、

「……それ!・・・あたしのおはぎぃ……」

 と、しかめっつらで何かをわしわしと掴もうとしている。
 そこまで聞いて、誠はあほらし、と一言つぶやいて、襖を閉め、旅館を後にした。

 あの社に行ってみよう。
 何となくそう思い、夜桜のトンネルを通りながら、とぼとぼと社を目指す。
 春といえども、まだまだ夜は冷える。羽織った上着をしっかり着直しながら、桜を堪能
する。
 そして、小真神社の石段の真下まで来た時。

 いた。

 上を見上げると、あの時の女性が、白い着物に、黒髪をなびかせながら、誠を見つめて
いたのだ。
 ふっ、と微笑むと、女性は、社の方へと消えていった。
 誠は、彼女を追うように、石段を登り始めたのだった。

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