『4』



 鬼と幾度となく対峙しながらも、よく考える事がある。
 鬼という存在とは、人にとって、なんなのだろう。
 人を食らい、害をなす存在の事か。
 しかし、「器」という、霊力の詰まったものを与えて、人間に反抗の機会を与えてくれ
たのも、「鬼」と言われる存在だ。
 太古の昔より、人と鬼とは、密接に関わりあいを持っていた。
 人と妖精、天使、悪魔、神。
 それらの関係は、たまに男女の関係、子を宿すまでに至るものもある。
 そんな関係は、神話や伝承になって、今に伝わっているが、それは、全て、歪みとそこ
から現われた「存在」と、人間との営みの歴史なのではないか……。

 石段をひとつひとつ登りながら、誠はそんな事を思っていた。
 こんな事を、改めて考えてしまう原因は、一つしかない。

 咲耶という女性が、「鬼」ではないか、という事。

 誠は、まだ、今回歪みから這い出ようとしたような鬼しか見た事がない。
 もし、彼女が鬼であれば、歪みの向こうにどんな存在があるのか、もしかしたら応えて
くれるかもしれない。
 何故知りたいか、と言われると、誠は、少し反論に窮するが、それでも、これからの自
分のありかたを模索するためにも知りたいものだ。
 鬼を殺し、送り帰すだけの今の自分ではなく……人と鬼との間で自分が何ができるのか
が分かるかもしれない……。

 と、そこまで考えた時、誠の視界が開けた。

 桜が満開に咲き乱れる社。
 所どころ、石畳が剥がれたり、土がえぐれているのは、夕方の戦いの名残である。
 その戦いに思いを巡らしていると、ふと、誠の右手より、視線を感じた。
 その方角に視線を向けると、紅桜が目に飛び込んできた。
 ……また、花が咲いている。
 そして、その咲き乱れる花の下、垂直に近く曲がった幹の根元に、女性が一人座り込
んでいた。

 木乃花 咲耶。

 誠がその名前を、頭の中で再確認をしたその時、咲耶が口を開いた。

「また、訪ねてくださいましたね。嬉しい」

 そういうと、すっと立ち上がり、臆する事も、怪しむ事もない様子で、誠の方に、静々
と近づいてくる。
 そんな遠慮のない行動に、誠の方が驚いて、少しあとずさる。

「せっかく来て下さったのに、私の事があまりお好きでないようですね」

 そういうと、咲耶は、くすくすと笑う。

「ここに来られたのは、私に用があるからなのでしょう?まさか、あの桜を見に来た、と
いうだけなのかしら?」

 誠は、そんな彼女に対して、上手い会話が切り出せず、ただ閉口してしまう。
 ここまで、積極的に話を切り出されるとは、以外だった。
 そんな誠を見ながら、咲耶は、面白そうに、くすくすと笑っている。
 何だか遊ばれているような気がして、誠はちょっと情けなくなってしまう。
 ふう、と一息つくと、誠は自分のペースを取り戻そうと努力する。

「こんな夜中に、まさかお一人でこんな所にいるとは思ってなかったので。ちょっとびっ
 くりしました」
「あら、女性だからといって、夜中出歩くのはだめ、なんていうのは、遅れた考えですわ」
「しかし、危険だとは思いますけどね」
「そうかしら?私がただ襲われるだけの女性でない事は、あなたも良くご存じだと思って
 ましたけど?」

 そこまで話すと、咲耶は社の方へと歩き、その石段に、そっと座った。

「さ、こちらへどうぞ。」

 と、言い、石段の空いた所を手で示す。
 誠は、その誘いのまま、咲耶の隣の石段の空いた所に腰を下ろす。
 そんな二人の前を、桜の花びらが舞い、それが月明りに照らされて美しく映える。
 誠は、そんな中で、無駄話をやめて、単刀直入に尋ねる事にした。

「あなたは……何者なんですか?」

 その言葉に、ただ咲耶は舞う花びらを見ながら、黙っている。
 そんな沈黙が、数分は続いた後、彼女はそっと口を開く。

「私は、桜のそばでなければ生きられませんの」
「桜のそば……?」
「桜、というのは、ちょっと誇張かもしれない……。自然の生気のない所では、私は寿命
 を縮めてしまうのです」
「やはり、こっちの世界の人ではないんですね」

 その誠の言葉に、ふっ、と微笑んで、咲耶は話を続ける。

「でも、私は人の子でもあるんですよ……」

 鬼と人とのハーフ……そうなのか??

 誠は、その可能性もあるとは思いながらも、それを肯定できずにいた。
 鬼イコール、人を食らう悪鬼、というイメージしかない誠にとって、それは、人が犯し
てはならない、禁忌のように感じられていたからだ。
 しかし、彼女は、その禁忌の末に生まれたという。

「そんな目で見ないでください……落ち込んでしまいますわ」

 そういうと、咲耶は少し、苦笑いの表情を作って見せる。
 誠は、自分の心の中にある禁忌を目の前にして、表情が変わってしまっていたようだ。
 急いで、表情をとり繕う。

「すみません、そんなつもりでは」
「いえ、いいんです。私が疎まれる事は、今に始まった事ではありません」

 そう言うと、咲耶は、舞い散る花びらに、再び目をやる。
 そっと額に手をあてる咲耶は、誠の目には桜の女神のように見える。

「だから私は、この村にきた。父と母が結ばれたここで、静かに余生を送っていきたかっ
 た……でも」

 咲耶は誠を見つめて言う。

「そういう訳にもいかなくなりましたわ」

 そんな咲耶の黒い瞳は、誠の気持ちを引きつけるのに十分だった。

「咲耶さん、教えてください。あの桜は、何なんですか?あなたは、あの桜とどんな関係
 で、歪みとはどんな関連性が……」

そうまくしたてる誠の唇を、人さし指でそっと押さえると、

「そんなに一遍におっしゃられても、お答えできません」

 と、微笑んで言う。
 誠は、自分がここまでペースが掴めない事に、少し驚いていた。
 咲耶という女性は、おそらく過去に色々な事があったのだろう。だからこそ、ここまで
相手を穏やかに見つめられるのだ……。
 咲耶は、誠を見つめながら言う。

「今は、まだ言う訳にはまいりません。あなたには知ってもらわないといけない事がたく
 さんある……」

 そこまで言うと、咲耶は、すっと石段を立ち上がり、石段を降りようとした。
 が。
 バランスを崩して、その場に倒れてしまいそうになる。
 誠は、慌てて右腕を差し伸べて、彼女の体を受け止める。
 軽い。
 誠はそう思った。まあ、女性を抱き上げる経験など、そうそうあるものではないから、
妙に意識するのも、仕方のない事ではあるが。
 咲耶を正面に受け止めると、ちょうど咲耶の頭の先が、誠の鼻先に近づく。
 甘い花の香りが鼻腔ををくすぐった。

「あら……すみません、私とした事が」

 咲耶は、落ち着いてそう言うと、静かに誠から離れた。

「どうも、歪みが大きくなるにつれて、私も体力が落ちているみたい」
「何かあったんですか?」
「鬼が、度々ここに現われていたのは、事実ですのよ。でも、それを私は殺す術を持た
 ない。……出てくる鬼を、ただ追い返すだけ」

そういうと、誠に向き直る。

「……今日、あなた方を襲った集団。今日の朝より、また動き出すかもしれません。…
 …彼等を防げるのは、「器使い」だけ」
「……? 彼等?」
「……防衛庁の関係者と……それを操る者がおります。」
「やはり……一体、何のために……?」
「彼等の思惑は、私も良くは存じません。ですが、私がこの場にいない時にここに来て
 は、何やら行っていたようす。それからです。人がいなくなる事例が増え出したのは」

「一体、何をしてたんですか?……何を企んでいるんだ?」
「私は知っています……でも……言えません。……私には、言えない理由がある。……
 私は、人が消えるのを、幾度も阻止し損なってしまった……また、止められなかった
 ……。私からは今は何も言えませんが、それでも、私は今のこの状況をどうにかした
 い」

 その目は、誠に何かを訴えていた。

「私は、この社の裏手に、居を構えておりますので、そちらにおいでくだればまた、あ
 なたがたに協力いたしましょう」

 なんと、社の裏手に、そんな建物があったのか?
 誠は少し意外に感じて、表情を変えた。しかし、これは誠にとっては願ったりである。
 誠は、撚光から受けた支持を簡単に咲耶に伝えた。すると、彼女は。

「あら、それは面白そう」

 といい、では、明日から一緒におりますわね。
と言い出し始めた。
 ちょっとまて。目だって行動してはまずいのではなかったのか?

「大丈夫ですわ。あなた方の『名前』が、隠れみのになってくれますから」

 と、彼女は言った。
 なるほど、斎藤 一の時と同じか。
 身分や名前は使いようである。こそこそと怪しげに動き回るよりも、堂々と行動した方
が、相手の目をくらませる事もできる時がある。彼女からは、詳しい話をそうそう聞き出
す事はできないだろう。
 だが、「鬼切」の名で、拘束という形は取る事ができる。それによって、陰にいる者達
が色々と行動を起こすかもしれない。言わば、『咲耶拘束』はオトリである。
 せいぜい、目だって行動してやろう。俺達は怪しまれても、咲耶は、そう怪しまれる事
はあるまい。

「しかし、俺達と行動を共にすると、いろいろと疲れるかもしれませんよ」
「あら、どうして?」

 誠は、どたぱたと暴れ回る水波の事を考えて、色々と思案する。
 そんな誠を見ながら、咲耶は、ふっと微笑んで言う。

「大丈夫ですわ」
「しかし、体力が落ちているのではなかったんですか?」
「体力を回復させる手だては、あるのですよ」

そう言うと、咲耶は、すっと、誠によりそって、首筋に唇を寄せ、

「大した事ではありません……血を少々」

 ……そう言った。
 『血吸いの桜』の伝承を思いだし、ぎょっとして、咲耶を見る誠の表情を見ながら、咲
耶は、面白そうにくすくすと笑うと、誠から離れる。

「冗談ですよ。では、明日より、よろしくお願いしますわね。あと……、私には、これよ
 り敬語は無用ですわ。名前も、咲耶と、お呼びくださいな」

 そう言うと、咲耶は、誠に別れを告げ、社の裏へと消えていった。

「全く、ペースをここまで乱されるなんてな。初めて撚光さんに出会った時以来だ」

 と、一人ごちると、ちょっと軽率だったか、と自分を冷静に分析し始めた。
 さっきまでは、見事にペースを崩されたが、しかし、これで本当によかったのか。
 もしかすると、腹背に敵を作る結果にもなりうるかもしれない。
 咲耶が、敵でない事を祈りながら、これからの行動計画を立てるしかないな。

 と、そんな事を考えながら、誠は一つ苦笑いをし、そのまま、石段を降りていった。
 明日からは、色々と動きがありそうだ。だが、今日は、もう眠ってしまおう。
 そう思う誠の心には、何故か、落ち着きが戻りつつあった。

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