『5』


誠は、昨日の……いや、厳密には、今日の朝の出来事に、ふと思いを巡らせていた。
 寝付かれずに、夜桜を見に出かけた事。
 そして、咲耶と出会い、彼女と語り合った事。
 そんな事を考えていた彼は、知らず知らずのうちに、咲耶をじっと見つめてしまってい
たようだった。

「あらいやだ、照れますわね」

 と、わざとらしく恥ずかしそうなフリをして、咲耶が頬に手をあてて、おほほ、と微笑む。
 その咲耶の言葉に、夜の事をあれこれ考えていた誠は、ふと、我に返る。

「ああ、すみません、咲耶さん。別に他意はないんですけど」
「あら、残念。ロマンスはまだ先におあずけなのですね。もう、知らない間柄じゃありま
 せんから、敬語などお使いになる事などありませんのに……」

 などとまぜかえすものだから、余計に水波がムキになる。
 だだ、っと誠に駆け寄って、

 がし

 と、誠の腕を、まるでぶら下がるかのように両腕でわしづかみにする。
 本来なら、柔らかいものが腕に、という所なのだろうが、誠には、何だか柔らかいまな
板のようなものを押し付けられたような気がした。

「……何だ、一体どうした」
「ふんだ。誠って鈍感だからイヤ」

 ぷん、とすねながら、それでもその状態のまま、水波は誠に語りかける。

「ねえねえ誠、今度、月に行ってみない?」
「つきぃ〜?また、なんであんな所に行きたいんだ?」
「だって、『ムーンウォーキング』に、いいお店が出てたんだもん」
「誠、俺は、月より火星がいいなあ。「フレア・パーク」てのができてるみたいだぜ。今
の時期なら、高速交通で3日で行けるってよ」
「あら、火星なら、行った事がありますわよ。何だか、変な所でしたわね」
「ええ〜? 月だよ〜。美味しいミルフィ〜ユが食べれるんだよ〜?」
「う〜ん、あそこって、空気悪いからなあ。地震も火星以上に多いし」

 ……忘れている方も多いと思うので確認するが、この物語の舞台は未来である。
 誠は、つい数カ月前に、『ようこそ30世紀・年忘れ忘年会』を、鬼切役懇親会で行っ
て、ビールでかんぱいをしたばかりである。

 二十七世紀も終わりに近いた頃、地球の資源は、確実に枯渇していた。
 ガソリン車も、この時代には存在しない。
 人類の数は、際限なく増え続け、人口は、百五十億人を突破する勢いだった。
 そんな中、人類は、月や火星の移住計画を日本、中国、アメリカ、欧州連合などの共同
開発により進め、三十世紀に入った時には、月と火星を合わせて、約五十億の人口が地球
以外の場所に、故郷を求めていた。
 工業だけなら、木星の衛星圏にまで及んでいる。
 「マーズ・テラ・フォーミング計画」は、二十世紀の終わりにはもう計画立案がなされ
ていたものであったが、実際に着手されたのは、30世紀が近付いてからだ。
 『気象コントロールシステム』の開発が遅れたためだった。
 そしてこの時代、そういった事業を行う上で、画期的な開発だったのが、『高速交通網』
である。
 これは、およそ光の速さに近い速度で移動できる、超高速のケーブルカーを走らせる、
宇宙間交通ラインの事である。
 ケーブルといっても、実際にケーブルラインがある訳では無く、小形衛星を線状に並べ
て、それが惑星の自転と公転に合わせて、コンピューター制御を行い臨機応変に動いてい
る。
 この衛星ライン上を、直径三十メートル、長さ百五十メートルの「ケーブルカー」が高
速移動している。
 時と場合によっては、火星や木星と地球が、太陽を挟んで物凄く離れてしまう場合があ
るが、光速に近い速さであるため、数日遅れる程度での移動で大丈夫だ。
 なお、この交通は、全て系連…『国際太陽系連合』の管轄で、先進国の投資により行わ
れている。
 最近、光速を超える超高速ケーブルシステムが開発されたが、光の速さを超えて空間に
歪みが生じ、そこから鬼があふれ出したのは、前述の通り。
 これにより、ケーブルカーは現在、光速以下にまで、そのスピードを下げている。
 さて、この交通システムが開発されて、先進国がまず始めたのは、自国が打ち上げた衛
星のゴミを回収する事だった。
 回収コストが格段に下がったため、回収、再利用のメドがついたためだ。
 じつは、ケーブルカーの殆どは、このゴミ衛星のリサイクルで生まれたものであったり
するが、誠達にはどうでもいいことである。
 ……まあ、そう言う事で、「月に行ってどうのこうの」という水波たちの会話は、
『隣街に、美味しいケーキの出る喫茶店ができたから、行ってみない?』
『う〜ん、ちょっと遠くない?こりゃ、電車だなあ』
 という程度のものなのである。

「月って今や、物凄い工業圏じゃないか。……まあ、十分の一は、日本領だから空気が悪
 いのは、日本の責任ではあるけど。」
「私、月は嫌いですわ。だって、あのごつごつした岩肌を見ていると、どうも気分がすぐ
 れませんわね」
「火星は、かなり緑化も進んでるようだな。けど、「火星風邪」が今年も流行してるって
 話だから、今は行かん方がいいかなあ……どう思う? 誠」
「火星風邪はやっかいだな。まあ、月に行くなら、それでもいいか」
「やったあ〜!みっるふぃ〜ゆ♪ みっるふぃ〜ゆ〜♪」

 本当に仕事をしているのか分らなくなる会話を続ける彼らであるが、さて、火星風邪、
とは何か。
 これは、火星圏で発見された、未知の生物『だった』ものである。
 火星の研究が進むにつれて、火星には、水が流れている事が分かったのだ。
 火星は、夜は、マイナス50度を超えるが、昼間は30度近くまで温度が上がる。従っ
て、氷が溶けて流れ出す事があったのだ。
 こういったものが、氷と岩との間や火山の近くなどでは水として留まり、そこで生物が
発生した可能性がある、と考えられている。
 それが、人間が地球から持ち込んだ細菌と反応して珍妙なウィルスになり、それが人体
に影響を及ぼした。
 これが、火星風邪の正体である。
 まあ、それも、ヒトゲノムの研究が終了しているこの時代では、大した問題にもならな
かった。
 数年で特効薬が発見されて、十年で「タダのハライタ」並みの病気に成り下がった。こ
れだけに関して言うなれば、確実に人類の勝利である。

「……ひさしぶりに、月の鬼切役本部に顔を出してみよう。まあ、勧誘があるのは我慢だ
 な」
「月に行くのって、私も久しぶりなの〜。ねえ、みんなも行くの?」
「私は、そうですわねえ……考えさせてくださいな」
「俺は行ってもいいぜ」

 などと、まるで大学生のお昼休みの会話みたいなものをしていると、ひょっこりと一人
の青年が、顔を見せた。
 誠は、この顔に見覚えがあった。

「あ! ヒイラギさんじゃないですか〜!」

 その言葉に、村の住民の視線が、ざわっ、と、誠に集まる。
 斎藤の宣伝効果はバツグンのようであった。
 青年は、誠にだだだ、と近寄ると、にこにこと笑いながら、いきなり『激写!』とか叫
びながら写真を撮った。訳が分からない

「いや〜、こんな所で、かの有名な『鬼切役』の方々にお会いできるなんて〜。僕は幸せ
 ものですよ、えへへへ」

 彼は、ミハイル・クライス。昨日の夜、誠と温泉に浸かって話をした、あの若者であっ
た。
 こうやって、間近で見ると、本当に少女のように美しい顔だちをしていた。
 美少年、という形容が、物凄くあてはまる、そんな青年であった。
 二十歳を過ぎている筈のその顔には、シミひとつ見当たらず、まるで少年のようだ。
 しかし、いきなり激写、とは。
 そんな行動をとっていて、よく今までトラブルが無かったものだ、と誠は半分呆れ返っ
た。

「……おい、誠、何だこれは?」

 と、陽が、ミハイルを指でびすびすとこ突きながら言う。

「ああ、この人は、ミハイル・クライス。こうやって写真を取りながら、英国からずっと
 この日本まで旅行をしてるんだそうだ」
「えへへ、ミハイル、って呼んでください。よろしく」

 と、ミハイルは、その場にいた者と、一人一人、握手を交わした。
 水波と握手した時に、二人ともが、広い野原で同族に会った猫のような反応を見せ、お
互いに距離をおいたのを、誠たちは見逃さなかった。

「何か、似てねえか」
「似てますわね」
「うん、雰囲気が」

 なんて事を言われている事も知らずに、水波とミハイルは、ぶんぶんと握った手を振り
回していた。

 さて、そんなこんなで、最初この村に来た時にはたった二人だった誠と水波は、今では
陽、咲耶、ミハイル、そしておそらく昼から合流するであろう一生という、4男2女の大
所帯へと変ぼうしていた。
 昨日の戦いを知っている人がいるのか、誠に差し入れを持ってくるおばさんなどもいて、
誠達は、それなりに気持ちの良い思いをしていた。
 それだけ、期待をされている、という事で、身の引き締まる思いでもあったが。

 しかし、そんな良い空気を冷ますかのように、村の人間の視線が、一点に集中した。

 その視線の先にいたのは、白いローブに、フ−ド付きマスク、白銀の鎧を身にまとった、
「シヴァリース」の面々であった。
 彼らは、誠達を、見つけると、正面からそのまま対峙するように制止した。


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