『7』



 誠が一生からの携帯への連絡を聞いている同じ時間。

 薄暗い部屋に、丸い頭部が、闇に浮かぶ風船のようにゆらゆらと揺らめいている。
 その幾つかからは、煙草の紫煙らしきものがたゆたっていた。

「まるで役に立たなかったではないか」

 その風船……もとい、男の一人が語りかける。

「そう言うな。まさか、あそこまで強いとは思わなかったのだ」

 また一人の男が、そう語りかける。

「どうするのだ?鬼切の幹部連中が動き出した。
 それだけならまだしも、新選組や欧州の鎧連中まで騒ぎだしたぞ」
「崑崙山など他国の連中はどうだ?」
「今の所静観をしているが、鬼切役が召集をかければ、どうなるか分からん」
「まったく、もう少し使えると思ったのだがな。とるに足らんチンピラとはいえ、奴らに
 払った金額は数百万単位ではないぞ」

 その場所は、会議室のようにも思える、三十畳ほどの空間。
 そこに置かれた円卓の周りに、均等間隔でスーツに身を固めた男達がそれぞれ不満そう
に腕を組んでいた。

「余計な事を喋られてはかなわん。一体何のために「彼」に投資したと思っているのだ。
 あのチンピラどもは何か口を滑らせる事はないのか?」
「奴らも、そんな事をすればどうなるかはよく理解しているはずだろう」
「……まあ、そうだな……。こんな事なら、防衛庁の人間を動かせばよかったか」
「そう言うな。うちもそう人員を自由には動かせん」
「しかし、どうする。『あれ』が連中の目に触れる前に、どうにかした方が良いのではな
 いか? カムフラージュされているとはいえ、器使いのカンの鋭さは物凄いと聞いてい
 るぞ」
「……実験のスケジュールの期日を早めるしかないか。……彼は?」
「あの村で監視と実験を続けている。あの女も、いずれ桜から遠ざけると言っている」
「鬼切は、あの女を重要人物としているようだな。そのまま連れ歩かせていいものかどう
 か……」

 再び、煙草の紫煙が、天井に向けて漂う。

「どうせあの女も、いずれ我々の礎となってもらう。それまで束の間の自由を楽しめばよ
 かろう」
「いや。もう、もうそんな事など言っていられなくなった」
「……どういう事だ?」
「先ほど、鬼切役幹部が、あの女……木乃花を保護するという話が出ている」

 撚光のホットラインは、完璧にハッキングされていた。

「……どうする? あの女がいなければ、桜を操る事はできん。」
「心配は無用だ。手は打っておいた。うちの者を、天水村に向かわせてある」
「さすが、対応が早いな。誰を向かわせた?」
「……芹沢と新見だ」
「……あの二人か……」

どこか、不満、といった空気が、その円卓に漂う。
「あの女は乙女として手に入れねば意味がない。傷ものにされてはどうにもならん」
「……元器使い、新選組の嫌われ者。だが、粗暴な猛獣でも、飼い慣らせば使えるものだ」
「……使い捨てか。酷い男だな」
「もともと遊ばせても、『器使いの掟』によって始末される身だ。彼等も死にたくはある
 まい」
「監視役にケイを付けておこう。……まあ、奴もはぐれ者だがな」

 くぐもった笑い声が、あちらこちらから起こる。
 そんな笑い声に、煙草の煙が揺らめいた時、一瞬にして辺りの空気が変わった。
 揺らめいていた紫煙が、何処からとなく吹いた風にかき消されると、そこにいる人間の
全てが、あっという間に凍り付いたように動かなくなる。
 一人は、煙草を持った手が震え、一人は冷や汗に体をにじませ、一人は、まるで人形の
ように動かなくなってしまった。

 そんな彼等の座る円卓の上座……
 そこに姿なき『影』が音もなく現われると、その場に集っていた者達が一斉に椅子を外
して、土下座するように床に平伏した。

「ま……まさか、おいでになられているとは、思っておりませんでした」

 平伏した一人が、先ほどの横柄さはどこ吹く風か、怯え切った野良猫のようにかすれた
声で、やっとのこと言葉を発する。
 影がゆらめくと、一人は床に頭を押し付けたまま、がさがさとゴキブリのようにあとず
さる。

 恐怖。

 そこにあるのは、まさにそれだった。

「申し訳ございません! 必ず目標の数は確保致します! ええ! それはもう!」

 テレパシー。
 影は、彼等の心に直接語りかけているようだ。

「……は? 鷲王様を? おお! これは、願ってもないお助けでございます。鷲王様の
 ご助力が得られようとは、まさに、鬼に金棒といった所でございます!! ははあっ!!」

 ぐりぐりと、額を床のカーペットに押し付ける。
 今まで全てを動かしているかのような態度であった彼等は、今では完璧に支配される者
へと変貌していた。
 その影が消え去った後も、平伏した者達は、そのまま動こうとはしなかった。
 いや、動けなかったのだ。
 恐怖と圧倒的な力が、彼等を完璧に支配しているようであった。

 誠の直感の通り、嫌な予感は的中しそうである。
 大きな権力と力が、大きな意思により動かされている。
 そして……

 人間同士の戦い。

 これが、その大きな力によって巻き起こされようとしていた。


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「あの〜、誠さま?」
「え? あ、はいはい」

 咲耶に「さま」づけで呼ばれて少し戸惑いながらも、誠は返事をかえす。

「私、車というのは、どうも苦手ですわ」
「それはまたどうして。乗ったことがないわけではないでしょうに」
「それは、宇宙間航行のケーブルカーにも乗った事がありますけれど、あの息苦しさとい
 ったらなかったですわねえ」

 口に手をあてながら、咲耶はふう、と一息つく。

「ふうん、そんなものかなあ」
「そうです。あんな冷たい鉄の箱に入れられるだけで、息がつまるような気がしますの」

 う〜ん。
 今さらそんな事言われてもなあ、と、ちょっと誠は困った。
 撚光の元へと送るための車は、既に村に到着している。
 今さら嫌と言われても、まさか誠が担いでいくという訳にもいかない。

「あ、どうせなら歩いていきましょうか。のんびりと羽を伸ばすのもいいかもしれません
 わよ」

 ぽん、と、にこやかに両手を合わせて、凄い事を言い出す。
 無茶言うな。
 ここから光基神社まで、一体何十キロあると思っているのだろう。
 車でなら、数時間だが、歩きとなると、2泊3日の立派な旅行ができてしまう。
 まあ、ここは、咲耶に我慢してもらう以外にないだろう。
 と、そんな事を考えていた誠の前に、藤田巡査長…新選組三番隊組長、斎藤 一が姿を
現わした。

「どうも、皆さんお揃いで。ご機嫌いかがですか?」

 藤田巡査長は、にこやかに片手を振りながら近づいてくる。

「さい……藤田さん。どうですか? 捕まった連中は。何か白状しまたか?」
「いや〜、それが、全くです。どんなに飴と鞭を使っても、全く口を割らないんですよ。
 ……まあ、職業的な暴力家なので、それくらいは予想してましたけどね」
「それで、これからの行動はどうされますか?」
「まあ、気長にやっていきますよ。警察官の仕事というのは、ミスの許されない、根気の
 いるものですからね。相手がギブアップするまで、じっくり攻めていくつもりです」

 そこまで言って、思い付いたようにぽん、と手を打って、話を続ける。

「ああ、そうそう、先ほど、社の辺りに、大きなトラックが一台停まってましたよ。あれ、
 あなた方の使いの車ですか?」

 社の車……そういえば、一生さんがそんな事を携帯で言っていたな。と、誠は思い直す。

「なんだか、空気がぴりぴりしてましたねえ。何か中に詰まってるんですかねえ。銀色を
 した、いかつい車でしたよ」

 いかつい……?
 その言葉に、少しひっかかりを感じながらも、撚光の手配したものであると思い、斎藤
に礼を言い、誠はその方角に歩き出す。
 そんな誠達を見送りながら、斎藤は
 にっ
 と微笑んで、誰もいないはずの空間に言葉を投げ掛ける。

「出番ですよ、山崎君」

 その言葉に、何もないはずの空間から、声がした。

「斎藤さんもお人が悪い。何故『偽物』だと教えなかったんですか?」
「決まってるじゃないですか」
「まったく、血の気の多い人だ」
「別に問題が生じるのを喜んでいる訳ではないんですよ。
 ただ、昨日見損ねたものを見たいと思っているだけです」
「それを血の気が多いって言うんですよ。昔のクセが抜け切ってないみたいですねえ。い
 たずらに人を斬ったりしないでくださいよ、斎藤さん」
「どう言う意味です、まったく……?」

その斎藤の問いかけをくすくすと笑いながら無視して、山崎は言葉を続ける。
「私も暴れてもいいみたいですね、久しぶりに」
「まあ、ほどほどにやってください。しかし、そう暴れられるとは思いませんよ。……来
 てるんでしょう?…あの3人が」

その言葉に、少し笑い声がする。

「沖田さんや永倉さんがマトモに暴れたら、私の役目など無くなってしまいますよ」
「ほう? では、脇から攻めるんですか?」
「ええ、正面から威嚇するのは、彼等にお任せしましょう。私は……」

そう言いながら、斎藤の側から気配がだんだんと遠ざかる。

「……奇襲、と行かさせていただきますよ」

 そう言い終わった時には、斎藤のそばからは、完全に山崎の気配は消え去っていた。

「奇襲ですか。ふふふ、面白いですねえ」

そう斎藤は呟くと、自らが所有しているバイクにまたがって、とある方角に走らせた。

「芹沢……新見。まさか、生きていたのか……」

斎藤は再びそう呟くと、バイクのアクセルを思いきり蒸かした。


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