『8』



「ふう、いかついんですか……」

 と、そんな言葉を咲耶はぼそぼそとつぶやく。
 どうも、斎藤の言葉で、動物運搬用の鉄かご車を連想したらしい。

「できれば、オープンカーがいいですわ。風にまかせて車を走らせると、さぞ楽しいでし
 ょうねえ。走らせながら両手を広げると、まるで空中を疾走しているみたいに感じるは
 ずですもの」

 そのまま飛ばされるか落ちるかして「失踪」するんじゃないのか?

 と、誠は思ったが、とりあえず言葉には出さずにおいておく。

「まあ、撚光さんが手配したものだから、まさかオープンカーという訳にはいかないだろ
 うな」

「……十分ありえる! だって、撚光さんだもん」

 と言う水波に、苦笑いして、誠は言葉を続ける。

「咲耶さんの重要性を考えれば、そういう事も止むを得なかったのかもしれない。まあ、
 窮屈かもしれないけど、宇宙間航行よりは遥かにマシだと思うから、数時間我慢してく
 ださい、咲耶さん」

 そういう誠に、つつつ、と近づいて、

「もう、敬語なんてよろしいと言ったではありませんの」

 と人さし指を誠の唇に近づけて寄り添おうとする。
 そこに、凄まじい早さで水波が割り込んで、ふうふう、と息を荒げながら仁王立ちする。

「あら、どうしました?」
「どうしたもこうしたもないんですわよっ! ぷんぷん!」

今にも火を吹きそうな勢いで、そでをぱたぱた振りながら咲耶にがお、と噛みつく水波。

「あら、怒ると、脳細胞が物凄い勢いで死滅するそうですわよ。怒るより笑いましょ。あ、
 牛乳飲みます?」
「ぎゅうにゅうはけさ1パっクのみましたですわもん!」

 ……何だか日本語が変である。

「じゃあ、足りないんですわね。あ、私、買ってまいりますわ」
「牛乳飲むだけで、感情がいちいち変わるかい。っていうか今から買いに行くな。おい、
 誠この人どうにかしろ」

 なんだか、高校生の修学旅行の付き添い教師、な気がして、
 はあ。
 と、誠はため息をつく。
 そんな誠達の前に、一人のスーツ姿の男が姿を現わした。
 誠と目が合うと、一礼して、つかつかと近づいてきた。

「柊 誠様ですか?撚光様の言いつけで参りました。車を、あちらに回してありますので、
 ご同行を願います」

 そういうと、くるりと方向を変えて、すたすたと歩き出す。
 そんなそっけない態度に、陽は少し嫌な顔をするが、誠はそこにいる者を促して、その
男の後を追う。

「誠、ごめん、俺、先に抜けさせてもらうわ」

 と、いきなりそんな事を言って、陽が商店街へと歩き始める。

「あ、おい、陽?」
「ここに来る途中の空き地に車置きっぱなしなんだ。その車をちゃんとしたとこに停めて
 おかないといけないんだわ。あ、何かあったら、このケータイ番号に電話してね」

 と言い、陽は携帯番号を記した紙を渡してすたすたと帰ってしまった。

「ふう、だったら最初に言ってくれれば良かったのに」

 とは思ったものの、ただ送り届けるだけと思い直し、誠はそのまま再び男を追い始めた。
 陽が窮屈なものを嫌う性格だという事は、誠も分かり始めてていたからでもあった。

 さて。
 木星にまで生存圏を広げた人類であるが、この時代にあっても、「空中に浮く車」は、
まだ開発されていない。
 惑星の重力というものは、人類の想像をはるかに超えるほどに大きいのだ。
 ただいたずらに「浮く」というのは、実はなかなかに難しいものだ。
 光を超える速さを持つほどに発展した人類だが、それを可能にしたのが核融合の実用化
と、惑星新規開発により見つかった、新物質によるものだ。
 しかし、その技術が、車を浮かせるようになるまでには、まだ数十年の月日が必要に思
われた。

 男は、銀色の車に前まで、誠達を案内し、そのまま咲耶を車の方に促す。
 その車は、乗用車、と言うよりは、斎藤の言うようにトラックに近いものだった。
 荷台にあたる部分は、メタリックに輝き、自然とは反する空気を発散していた。
 それが、村はずれ、舗装されていない、幅6メートルほどの道に停まっている。この道
は、確かに、光基神社に向かうのに適した道だ。
 しかし、何かおかしい。
 そう誠は思った。
 彼等は何者なのか、全く分からない事もあるが、果たして本物かどうか。
 しかし、撚光が車を回してくる事を知っているのは、誠達と、撚光だけだ。
 そうなると、この車は、撚光が手配したものだ。
 どこかしっくりしないものを感じながらも、誠は咲耶を車へと促す。
 そんな誠に対して、咲耶はあからさまに嫌々をしてみせる。

「誠さま、何か変ですわ。私、この車には乗りたくないんですけど……」
「う〜ん……しかし、撚光さんの車には間違いないみたいだしなあ。数時間だけ、我慢
 してくれませんか?」
「う〜〜〜〜ん。あ、そうですわ」
「ん?」
「敬語使うのやけて頂けたら、乗ってあげてもよろしくてよ」
「……は??」

 この人は。

「敬語、やめてくださいまし。」
「あ……いや……しかし、別にことさら気にするものでもないでしょうに」
「親しい方から必要以上に襟を正されると、窮屈ですの」
「はあ……陽と同じ事を言うんですねえ」
「あら、陽さんも、そんな事おっしゃってました?」
「ええ、まあ」
「なら、陽さんと同じです」
「はあ、分かりました」
「分かった、でしょ?」
「はあ……。わかった。じゃあ、乗ってくれ。とりあえず、数時間寝てれば着くと思うか
 ら、それまでの辛抱だ」

 誠は、幾分居心地が悪そうに言う。
 まあ、いきなり普通に喋れ、と言われたのだから無理はないが。

「はい、分かりましたわ」

 咲耶はというと、そう言うと、笑顔ですたすたとトラックに近付く。
 スーツの男が荷台のドアを開けると、そこには、見事な部屋が作られていた。
 外を見るための窓は大きく、ソファと、机、冷蔵庫、観葉植物まで置いてある。

「まあ」
「ほう」
「わあ」

 と、三者三様の受け答えをする。

「これなら、まあ、我慢できますわね」

 そう言って、中に乗り込む咲耶。と、そこで、ふと振り返って、

「誠さま方は、まだここにおられますの?」

 と言う。

「まあ、まだ全てが解決した訳じゃないからなあ。とりあえず、咲耶さんが言っていた、
 【俺が知らなければならない事】から見つけてみますよ」

 咲耶はにっこりと微笑むと、中のソファに、ゆっくりと腰を落ち着けた。
 スーツの男がゆっくりとドアを閉めると、誠達に一礼して、足早に運転席へと乗り込ん
だ。
 そして、トラックは動き出した。トラックは、鋪装のしていない道を、がたがたと車体
をゆすりながら、誠達の前から遠ざかる。
 それを見送りながら、ぼおっと咲耶の事を考えていた誠と水波の耳に、けたたましいブ
ザーが鳴り響いた。
 それは、水波が、撚光との連絡に使うために持ってきた携帯端末からだった。
 水波は、慌ててそれを取り出すと、メールを受信する。
 すると、そこには……

『ごめえええん!! ハッキングされちゃった! 緑のワゴン以外には、咲耶さんを乗せ
 ちゃだめよ!』

 と書かれた文字が、水波が好みで付けた猫の壁紙の前で、静かに横たわっていた。

 遅いわオカマーーーー!

 誠と水波は、自分の血の気が一気に引いて行くのを、肌で感じて戦慄した。
 水波は、目に見えて顔が青ざめた。
 なぜ、あともう少し早く連絡がなかったのか。
 いや、そうじゃない。
 変だと思った時点で、自分から、撚光に連絡を入れるべきだったのだ。
 そう誠は考えて、自分に対して、言い様のない怒りを感じて歯がみした。
 彼女は、一体誰に、どこへ連れていかれようとしているのか。それを考えると、誠は気
が気でいられなくなった。


「ま……まことお、どうしよう〜。ううう〜どこに連れてかれちゃったの〜?」

 泣きそうに、誠の裾をつかんで引っ張る水波の肩に手を置ながら、誠は必死で考えを巡
らせた。
 落ち着け……考えろ……冷静でなくなったら終わりだ。
 そうやって考えている誠がポケットに手を入れた時、一枚の紙が、がさりと手に触れた。
 それは、陽が誠に渡した、携帯の番号だった。

『ここに来る途中の空き地に車置きっぱなしなんだ』

 その言葉を思い出した誠は、泣きじゃくる水波をなだめて、携帯のボタンを凄まじい速
さで押す。
 呼び出し音がもどかしい。
 そんな誠達の様子など知らない陽が、4度めの呼び出しで出た。

『はいはい〜、陽くんですよー』
「陽か、俺だ! 誠だ!」
『おおぅ、まこっちゃん。お疲れさまでした。どう?変な車じゃなかった?」』
「それがビンゴだよ、変な車だったんだ! すまない、至急、車でこっちに来てくれない
 か?」
『お……おいおい、一体どういう事だ?ちゃんと送り届けたんじゃないのか?』
「事情はおって説明する! だから……」

 ……と、そこまで言った誠の手から、携帯をもぎ取って、水波が怒鳴り付ける。

『さっさと来ないと、痛みが無くなるまで噛み付くわよっ!!』

 受話器からは、ひええええ、という情けない悲鳴が聞こえた後、大きな声で、
『り……了解!!』
 と聞こえてきた。
 陽が車を持ってきてくれる。後は、それで追いかけるだけだ。
 車を待つ間、二人の時間は、まるで止まったかのように遅く感じられた。

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 中は……なかなか過ごしやすいですわね。

 そう思いながら、きょろきょろと荷台の中を見回す咲耶。
 たまに大きな揺れが来るものの、中は、エアコンも効いている事もあって、かなり快適
だった。
 しかし、やはり、奇妙な間隔は抜けなかった。
 確かに自分は、色々な意味で保護されるべき人物だ。
 特に今回は、誠に自分はたくさん隠し事をしている。後ろめたいけど、しかたないこと
だ。
 でも、この車は、何かおかしい。雰囲気が…まるで鬼切役が持つ洗練されたものではな
い…。
 そこまで咲耶が思った時、咲耶しかいない筈の部屋の一部が空き、そこから一人の男が
姿を現した。
 まるで猪のようにいかつく、頬はたるみ脂ぎり、腹は何かが詰まり過ぎたかのように出
っ張っていた。
 その男を見て咲耶は、

「なんて嫌な空気……」

 と、悪寒に体を震わせた。と、同時に、自分が大きな過ちを犯した事に、少しづつ気付
き始めた。
 それでも、できる限り冷静を装って、咲耶は男と対峙する。
 男は、いやらしくにやりと笑うと、咲耶をじろじろと値踏みし始めた。

「なかなかいい女じゃのう……。どうじゃ、ワシの愛人にならんか」

 そう言いながら、咲耶を見る嫌らしい目つきをやめようとしない。
 そんな態度に、激しい悪寒を感じながらも、気丈に咲耶は耐えてみせる。
 そして、男に言い返す。

「あなたは、何者ですか」

 その言葉に、再びにやりといやらしく笑うと、自分ではカッコイイと思っているポーズ
をとって、男は、こう言い放った。

「ワシこそが、器使いで最強の、新選組を震撼させた男!『尽忠報国の士』、芹沢 鴨
 (せりざわかも)よ!」

 咲耶は、そんな男の表情に、再び激しい悪寒を感じた。
 この男は危険だ。
 そう思わせるのに十分なほど、悪意がこの男からはみなぎっていた。


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