『9』



 ちりん

 軒下につり下げられた明珍火箸が、澄んだ音色を奏でる。
 もう日は高くなりつつある。
 穏やかな風が室内に吹き込み、火箸の音と重なって、心地よい空間を演出していた。
 しかし。
 そんな空間には全く不釣り合いな、大きくいかめしい顔が机に向き合って頬杖をつき、
さらにその眉間にしわを寄せて、何やら書類に目を通していた。

 ここは、京都の前川邸。
 新選組の、通常「屯所」と呼ばれる所だ。
 この「屯所」という呼び名は、新選組の中でも結構もめた経緯を持つ呼び名である。
「いいじゃねえか、組事務所で」
 と言ったのは、新選組で一番の問題児、原田 左之助である。
 しかし、この呼び名は、「俺達はヤクザか。」という、副長、土方 歳三により有無を
言わさず却下された。
 たかが呼び名に、何をもめるのかと、旅館の者は不思議に思ったものだが、彼等にとっ
ては、これからの自分達が勤める所の呼び名だけに、適当にしておく、という訳にはいか
なかった。
 事務所だの本部だのと、くだらない事でもめていた彼等だったが、結局、旅館の女将ま
でが割り込んできて、
「いつまでごちゃごちゃもめてんだい。屯所にしな。これで終い! さあさ、お客さんが
 詰んでるんだ。仕事仕事!!」
 との鶴の一声で、すんなり決定してしまった。

 新選組が、鬼切役設立時に分かれた時、その本部と言える場は近代的なビルではなく、
老舗旅館の一部を改装したものであった。
 ここまでに至る経緯には、沙耶香、穂野香姉妹の親戚の家である事が大きく関わってい
るのだが、その事情については、おいおい説明する事になるだろう。
 京都観光のためにこの旅館を利用する客は年間で結構な数になり、新選組は、この旅館
の従業員として、鬼を斬る傍ら、接客、掃除、風呂炊きにと、日々こき使われている。
 さらに彼らは、試衛館という道場を営んでいるため、結構忙しい。
 鬼というものは、人間の犯罪のように、いつもどこかに現われているという訳ではなく、
何の前触れもなくいきなり現われ、大きな被害をもたらしていく。
 かと思えば、何カ月も、まるで現われず、平和な日々が続いたりする。
 これは、「歪み」が、現われたり消えたりして一定せず、その歪みも、必ずしも鬼の棲
息地域と直結していないからだ。
 まあ、そんな訳で、二足、いや三足のわらじは、以外とすんなりうまくいっていた。
 器使いは、「出来高制」で報酬を受け取っている。
 彼等は、公務員でもなく、軍人でもない、「鬼退治のエキスパート」として、かなり不
思議な立場にいる。
 国からの援助もない訳ではないが、鬼退治の時以外は、それぞれがあった職場を探して、
日々の糧を稼いだりする。
 ……まあ、この「出来高制」で器使いに支払われる報酬は、一匹数百万から数千万と高
額なため、鬼と歪みがある限り、そう日々の糧に困る事はないので、本部に居座って、情
報収集に目を光らせている連中もいる。
 近藤などは、そんな連中の一人だ。

「何を見ているんですか?近藤さん」

 そう言って、沙耶香がお茶を運んできた。
 近藤は受け取りはしたものの、今だ眉間に寄せられたしわは、深いままだ。
 不思議そうに顔色を伺う沙耶香に、近藤ははたと顔をあげ、気がついたように言う。

「ああ、いつもすまんな。そういえば君達、学校の方はいいのかい?」
「今、ちょうど春休みで講義もないんですよ、うちの大学」
「そうか、私達の事はいいから、少しは羽を伸ばして、遊びに行ってきなさい」
「でも、私達も、一応「器使い」みたいだし」
「はは、そうだったかな。でも君達は、器使いというより、陰陽師に近い感じがするね」
「陰陽師……ですか?」
「ああ。器を使わずに、鬼を撃退する力を持つ者の事だ。主に、少女が多いが。」
「ふうん。じゃあ、私、何かおふだとか「ばーん」ってかざして、呪文とか言わないとダ
 メかなあ」

沙耶香は、右手を前に差し出してポーズをとって見せる。

「いや……、どうだろう。それは、陰陽師に尋ねてみるのがいいだろうね。私はその辺に
 は、あまり詳しくないんだ」
「そうですか……まあ、どうでもいいんですけどね。私も、なんで『あんな力』が使えた
 のか、よく分からないんです」
「そうか……いずれ、君たちのその力も、どこかで必要になるやもしれん。私の知り合い
 が保護している娘に、陰陽師がいたはずだ。また、二人で話を聞きにいくといい」
「そうですね。また、訪ねてみる事にします」

 そんな会話のあと、山崎から送られてきた書類に目を落とした近藤は、再び、眉を顰め
た。

「……まさか、生きていたのか。芹沢……新見……。あの時、確かに奴らは始末したはず
 だ。死体もこの目で確認している。……それが……どういう事だ……?」

 そうつぶやいた近藤の声に、友好的な感情は、一切含まれていなかった。

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 咲耶が入れられたトラックは、だいたい4畳ほどある。
 その狭い空間に、咲耶以外に、幅の広い男が陣取って、嫌な空気を放っていた。
 その男は、咲耶をじっと見つめて、にやにやとうす気味悪い笑顔を向けている。

「あの……。」

 口火を切ったのは咲耶だった。

「あなたは何者ですか?」

 当然の質問を、男に行う。
 男は、にやにやと笑いながら、咲耶にがまがえるのような口を開いてその問いに答える。

「先ほど名乗ったであろう。ワシが芹沢だ」

 そういって、また奇妙な格好をとって放しを続ける。
 「ワシが」とわざわざ言うあたり、かなり自意識過剰な気もしてくる。

「そして、器使い最強ゆえにはみ出した異端児よ!!」

 どう考えても、ピエロにしか見えない芹沢を見ながら、早くも咲耶はうんざりし始めて
いた。

「はあ、こんな方と、光基神社までお付き合いしなければならないのかしら」

 咲耶は、まだ、自分がさらわれた事など完全には気付いてもいない。
 ただ、この男は鬼切役の一人、付き添いなのだろうか、とは考えていた。
 誠達とその雰囲気がまるで違う事も、ずっと感じていた。
 『はみ出した』とはいかなる事なのか。
 嫌な予感がしたが、確かめておかないといけないと、咲耶は考えた。

「はみ出した、とはどういう事ですの?」
「ふふん、聞きたいか」

 聞きたくもなかったが、とりあえず、うなづいてみせてやる。

「ワシはな、もともと新選組の局長だったのよ」
「ウソはすぐにばれますわよ」
「ウソではない。確かに、ワシは、新選組の局長だった。しかし! 近藤と土方が、他の
 隊士を扇動して、ワシを追放したのじゃ!!」

 そう言って、握り拳をぶるぶると振るわせる。
 それと同時に、たるんだ頬もぶるぶると振るえる。

「ワシのような男こそ、あの組を束ねるのにふさわしいのだ! ワシこそが最強であり、
 ワシこそが全ての力の要となるべきなのだ! それをきゃつらめは、ワシの強さに嫉妬
 して、ワシを追い出そうとしたのだ! おのれ! 皆ワシの言う事だけ聞いていればい
 いんじゃ! それを!!」

ふーっ、ふーっ、と、芹沢はそこで息を整える。
咲耶は、近藤、土方には出会った事がなかったが、彼等がこの男を追放しようとした理由
を、なんとなく理解できたような気がした。

「……じゃが……そんなワシに、手を差し伸べてくださったお方がいた。ワシの力を認め
 て、将来、組……いや、器使いを統べる力をくださると確約してくださったのじゃ!」

 そう言って、脂ぎった頬を緩ませてにたりと笑う。
 その表情に、咲耶は、再びぞくりとする。
 そして、自分が最強、と言いながら、自分より上の存在をあっさり認めてしまう芹沢の
主体性のなさから、この男の格はどれ程のものか、咲耶には十分に推し量れていた。

「……だがそのために……お前が必要なのだ……。なあに、心配ない。すぐにお前も、「あ
 のお方」にかしづくようになる。」
「あのお方、とはどなたの事です?光基神社の神主さんかしら?」
「ふ……ふははははは!!」

いきなり笑い出した芹沢に、咲耶は驚いて、後ろに少し下がる。

「そんな所に行くはずがなかろう!!……お前は、ワシとともに、いいところに行くんだ
 よ」
「私は、鬼切役の保護を受けるのではなかったのですか?」
「ふん……あんな話の分からない者どもに、お前のようないい女を預けてたまるか」

 咲耶は、そう言う芹沢の嘗めるような目線を見て、自分の悪寒がどういう理由で感じて
いるのか、はっきりと理解した。
 ……身の危険を、無意識に感じていたのだ。
 そして……。
 自分がただならぬ場所にいるのだという事が、今さらだが実感した。


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