『10』



 芹沢は、じりじりと昨夜ににじり寄り、その肩を抱こうとする。

「まあ、そう警戒するな。ワシの言う事を素直に聞いていれば、決して悪いようにはせん。
 さあ、こっちでワシの相手でもせい」

 これはとんでもない人間のいる所に来てしまった。
 咲耶は本気で焦った。
 まさか、ここまで節操もモラルもない男と、二人きりになってしまうとは。
 咲耶はきょろきょろと辺りを見回したが、これといって身を庇うものもない。
 咲耶の肩に、芹沢の手が触れようとした時、とっさに咲耶はその手を払う。

「おやめなさい!汚らわしい!」

 そう言って、後ろに後ずさる。
 そして、まるで不快な物を見るかの様な目で睨むと、急に芹沢が怒り出した。

「何じゃ、その目は。そんな目でワシを見るな! ワシは!この世で一番強い男だぞ!
 『尽忠報国の士』、芹沢 鴨だ!!」

 ツバをまき散らして芹沢は吠える。
 咲耶は、呆れてため息をつく。

「尽忠報国とは、笑わせますわね。今のあなたに、そのような称号はあまりにも過ぎたも
 のではありませんか?もう少し、ご自分というものをわきまえなさいませ」
「だ……だまれ!!大人しくしていればいい気になりおって! ……この化け物が!」

 化け物。
 その言葉を聞いた瞬間、咲耶の顔が凍り付く。

「……ふふん。なんじゃ、知らんとでも思っておったのか?馬鹿者が。貴様の素性なぞ、
 すべてあのお方にお見通しだ。……お前が、誰を庇おうとしているのかもなあ……」

 ぴくり、と咲耶が反応する。

「やはりな。あの男が研究を止めない限り、お前は、鬼切役にも、我らにもつく事ができ
 ん。一生孤独の毎日だ。殺させる訳にもいかぬものなあ」
「私には……分かってくださる方がいます!」
「くはははは! 昨夜の小僧とのやり取りは、なかなか見物だったぞ。しかし、どんな事
 をしても、お前はあのお方……いや、ワシからは逃げられん」
「……盗み聞きとは……どこまで腐った男ですか」
「盗み聞きではない……覗きじゃ」

 そういってにたあ、と笑う。

「……なんという愚かしい」
「ふん。鬼とまぐわうような気色の悪い男の娘の方が汚らわしいわ」
「父と母を悪く言う事は許しません!」

 咲耶は、誠達の前では決して見せないような表情で芹沢を睨む。

「ふん、大人しくワシの言う事を聞けば、優しくしてやったものを。おい」

 そう言って、ぱん、と手を叩くと、芹沢が現れた壁の隙間から、もう一人男
が現れた。
 切れ長の細い目と、がっちりした体格、腰に下げた日本刀が、嫌な空気を発
散させた男だ。

「新見、腕を掴んでこの小娘を動けないようにしろ。……人間と鬼との間に生まれた者が、
 ただの人間とどう違うのか、ワシが隅から隅まで確認し、触診してやろう」

 そう言うと、新見、と呼ばれた男は、にい、と笑うと、咲耶の方に、遠慮なくずかずか
と歩き始める。
 咲耶は、また後ずさり、ちょうど棚の上に置かれた花瓶に目がいく。
 そして、新見が咲耶に近付こうとした一瞬、花瓶に差してあった花の葉が、新見に向か
って一枚、凄まじい速さで飛んで顔に刺さった。
 新見は、いきなり訪れた顔の痛みに、叫び声を上げながら片膝をつく。

「……ほほう、それがお前の『力』か。人間と鬼との間に生まれた者は人知ならざる力を
 得るようだが、それがお前の『力』なのだな?あの方が欲しがっている『要素』という
 のは、これか。……だが、植物を操る力とは…悲しいものだな。ここではそれも全く使
 えぬわ。」

 咲耶は、自分の不利を悟った。
 しかし、それでも、諦める訳にはいかなかった。
 再び誠に出会った時、不様な姿を見せたくない…咲耶はそう思っていた。

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「遅いいいぃぃぃぃぃぃ!!」

 水波は、着物の裾ををばたばたとはためかせながら、陽の車を待っていた。
 誠が陽に電話を入れて、まだ数分と経っていないはずだ。
 だが、今の誠と水波にとっては、その数分が、まるで数時間にも思われた。
 ……何故、おかしいと思った時に、連絡を入れて確認しなかったのか。そんな基本的な
ミスを、相手のハッキングがあったとはいえ怠ってしまった
 自分を、誠は本当に恥じていた。
 一体、何処へ、誰が連れ去っていったのか。
 恐らく、咲耶が昨日口にした、防衛庁の人間…いや、それに類する「何か」かもしれな
い。
 とにかく、あのトラックに追い付いて、止める。
 止まらない場合は、トラックの一部を破損させてでも止める。
 そして、「鬼切役」の特権を最大限利用して、咲耶を自分の保護下におく。
 その後は、連れ去ろうとした人間を拘束、警察、斎藤 一に引き渡す。
 ……と、そこまで考えをまとめた所で、トラックが走り去った反対側から、スポーツカ
ーらしい重低音が、誠達に向かって突っ込んできた。
 水波は、きたあああ、と言って、手放しで喜んでいる。

「やほほ〜〜い。お待たせ〜〜〜!」

 そう言って現れたのは陽である。
 赤いスポーツカー、しかも、屋根のないオープンカーである。

「へへへ、可愛いだろ。俺の『恋人の一人』だよ」
「凄い車ぁ。ねえねえ、これって……まさか即金?」
「……ローンがあと半年残ってる……」

 そう言うと、陽は、ちょっと落ち込んだ顔をした。

「恋人の一人……か。すまないが、その『恋人』、少しこき使うかもしれない」
「おう、なんかあったらしいな。咲耶さん、どうしたって?」
「攫われた」
「なにいぃ!? お前が付いていながら、なんでこんな事になるんだよ!」
「すまん。まさか、鬼切のホットラインにハッキング接続してくる奴がいるなんて、思い
 もよらなかったんだ。今日の咲耶護送も、すべてとある方々には筒抜けだったらしい」
「……誰だかは知らねえが、とにかくその車に追い付かないとだめ、って事か」
「銀色の荷台のトラックだ。頼む」

 そう言って、誠は、助手席に飛び乗る。
 水波は、いつの間にか、後部座席にしっかりと腰を落ち着けていた。

「さあ、陽ちん! ゴーゴー!!」

 そう言って、水波は前方を指で指し示す。

「よっしゃあ!!飛ばすぜ〜〜!!!」

 陽は、自慢の恋人を、アクセル前回で発進させた。


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