『19』



 中町という所は、天水村の中でも、観光の中心地として賑わう所だった。
 ここは、幅が十メートルある広い歩道が整備され、その脇には、土産物屋や宿屋が軒
を並べ、その道の脇を少し入った所、表からは見えない陰の部分には、飲み屋街と色街
がある。
 表の広い道路には、その中央に桜の木々が植えられ、春になるとそれが一斉に咲き乱
れ、中町の人々は、その花びらの掃除に駆けずり回る事になる。

 その桜並木を縫うように駆け回る女の子の姿があった。
 白い袖をペンギンのようにばたばたと揺らして、はしゃぎまわっている。
 その後ろを少し遅れるようにして、二人の男女が桜見物を楽しんでいた。

「あの子には、『疲労』という言葉はないのかねえ」
「ないんでしょうね、多分」
「……何だか、首輪はずされた小犬みたいだな。大丈夫か? あのままにしておいて」

 水波は、桜並木を走り回ったり、商店街に突っ込んで、色々とウィンドウショッピン
グをしたりしている。
 またまた桜並木に走って行って、またまた商店街に突っ込む。
 歩行者に危ない事この上ない。

「そういえば、誠さまは、どうしたんですの?」
「ああ、何だか、事情聴取とやらで、天水村の警察署に行ってるらしいぜ」
「まあ、何かしたんですの? 誠さま」
「あんたの事で呼ばれてるんでしょうが」
「あら? 私、何もしていませんわよ?」
「いや……だから、あんたが何かをしたというんじゃなくて、あんたが巻き込まれた事
 件について、色々と聞く事があるんだろ? 俺達同様」
「私も呼ばれて色々と聞かれましたけど、それで十分じゃありませんこと?」
「あんたの言葉だけじゃ、信用できないんだろ。警察って、いろんな方面から情報を集
 めないといけないから、本人の証言だけではなく、第三者の意見も十分考慮したうえ
 で、捜査方針を決めていかなければいけないんだよ」
「そうなんですの。……でも、めんどくさいですわねえ。」
「まあ、いろいろとな……」

 そこまで言うと、陽は誰にも分からない方向に顔を向けると、ひとつため息をついた。
 そんな桜並木を、色街のホテル二階、今では古風な木造の格子窓がついた一室から見
やる視線がひとつあった。

「どうしたの、歳さん。今日は、あんまり「乗り気」じゃないみたいね」
「……そんな風に見えるかい」
「……見えるわよ。表の桜なんかぼ〜〜っと見ちゃって。私と桜と……どっちが好き?」

 そこまで言うと、体に白いシーツだけをまとった女性が、歳と呼ばれた男の肩に、背
中から両腕を回して甘えた。
 女性の豊かな双丘が、男の背中に押し付けられる。
 裸の女性に抱きすくめられているのに、歳と呼ばれた男は、表情ひとつ変えない。
 その男の顔だちは、役者ばりに整い、髪の毛は軽くウェーブがかかり、肩まで伸びて
いる。
 その肩は広く、大きく、逞しく、一見して武術の心得がある事をその肩が証言してい
るかのようだった。

「お前の方が大事に決まってるだろう。……今はな」

 そう言って、彼は、その逞しい腕に、女性を抱きすくめた。

「……しかし、ちょっと気になる事があるんだ。どうだ?ちょっと外の空気でも吸いに
 いかねえか?」
「……あら、珍しい。あなたが私を誘うなんて。いつも、あたしが誘っても全然その気
 になってくれないくせに。どういう心変わりかしら。あ……もしかして、あたし以外
 に、いい女ができたんじゃないでしょうね」
「馬鹿。そんなんじゃねえよ」

 歳と呼ばれた男は、女性を見すえてにやりと笑うと、いそいそと服を着始める。
 女性も、布団の乱れたシーツの上で、ふう、とため息を一つつくと、やれやれ、とい
った表情で笑いながら、バスローブを羽織ってシャワールームへと消えて行った。


 そんな男女のやりとりをしている間に、表の桜並木では、ちょっとした騒動が起こっ
ていた。
 水波が、案の定、ばたばたと走り回って、人にぶつかったのだ。
 しかし、ぶつかった相手が悪かった。
 観光客のようだが、いかにも乱暴そうな表情で水波をつかまえると、いろいろといち
ゃもんをつけ始めた。
 しかも、アルコールが入っているらしく、妙に興奮ぎみで、水波に言い寄っている。
 陽と咲耶は、その男の取り巻き数人に囲まれて、身動きがとれない。
 陽も水波も咲耶も、もちろん只者ではない。その気になれば1分も経たない内に片付
ける事ができる。
 しかし、人が多すぎた。必要以上に暴れれば、罪のない人に迷惑をかけるし、咲耶の
力はもっと使う訳にはいかなかった。
 三人とも、同時に同じ事を考えた。

 ああ……なんてめんどくさい。

「なあ、お嬢ちゃん。あんたがぶつかったせいで、俺ら、非常に気分が悪いわけよ。ん
 で、お嬢ちゃんが俺らに付き合ってくれたら、許してやるっていってんだ」
「あと、このきれいなねえちゃんにも、来てもらえるといいよなあ。あ、男は帰ってい
 いや」

 酔っ払った男どもは、げらげらと下品に笑った。

「うっさいわね。さっさとどいてよね! 観光客なら、礼儀ってもんがあるでしょ!
 なんであたしが、あんたみたいなカバゴリラに付き合わなくちゃいけないのよ!」
「うるせえなあ。そんなのどうでもいいじゃんか」

 そう言いながら、アルコール臭を、水波に吹き付けた。水波の表情が歪む。

「おめえはいつまでいるんだ、邪魔だ、消えろ、コラ」

 そう言って、取り巻きの男の一人が、陽の襟首をつかみ上げる。
 陽は、またまたひとつため息をついた。ああ、めんどくさい……。
 陽は、咲耶を後ろにかばいながら、襟首を掴んでいる男に近寄るとその足を横蹴りに
して払った。
すると、男の体が、まるで弾かれたように横に回転して、頭から叩きつけられ、体を痙
攣させながら気絶してしまった。
 一瞬、色を失う男達。陽は、つまらなさげに、表情も変えない。

「てめえっ」

 と声を上げた酔っ払いの男の左頬に、水波のグーが思いきりヒットした。
 なかなかいい音がして、男の首が、一瞬にして、妙な音をたてて90度横回転した。
 男はうめき声を上げながら、泡を吹いてその場に倒れこんでしまう。

 「コラァ!」とか、「ゆるさねえ!」とか、自分の事を棚に上げた言葉を放ちながら、
男達は陽達に詰めよる。
 陽は、はあ、とまたまたまたため息をつくと、この場に誠がいない事を呪った。
 あいつがいれば、もう少し楽ができるのに。
 しかも、実践経験や、体術に対しては素人の女の子二人を連れている。
 ……こりゃあ、『三十六計逃げるに如かず』かな……
 困った時には逃げるが吉。陽はそう思って、スキを見て逃げ出そうとした時……

「なんだ、今日はヤケに賑やかだな」

 そう声が聞こえた。

 百八十センチを超える長身が、陽達3人と、それらを取り囲む男達を見て、にやにやと
挑発的に笑っている。
 ベージュのシャツをだらしなく羽織り、黒のジーンズを履いているが、何故か妙に様に
なっている。
 そしてその横には、濃いグレーのワンピースを着込んだ二十歳代半ばの女性がよりそっ
ている。

「何だおめえは! 邪魔だから消えろや!」

 そう言って突っかかってきた男の首を無造作にわし掴みにすると、いまいましげに眉間
を寄せ、そのまま片手で横に投げ飛ばした。
 まるで体重がないかのように、軽々と吹っ飛ばされて、男が気を失う。
 陽達にからんでいた男達は、今度は新しく現われた長身の男を取り囲む。
 それを見て、横によりそった女性が、くすくすと笑いながら、語りかける。

「ねえ、歳さん。あっちにいいもの売ってるわよ」

 そう言って指差したそこには、お土産用の木刀が、無造作に立てかけられていた。
 歳三と呼ばれた男は、何か思いついたように表情を変えると、回りを取り囲む男達を無
視して、その売店に近寄った。

「おばちゃん、二本ちょうだい」

 呆気に取られる売店のおばちゃんににこやかに話しかけると、木刀を2本買って戻って
きたかと思うと、1本をワンピースの女性に投げて渡した。

「ちょっとぉ、私にやらせる気?」
「馬鹿。折れた時の保険だ保険。持っといてくれ」

 そう言うと、木刀……この青年が持つと、まるで小枝のようだが……を肩にかけて、取
り巻く男達を挑発する。

「オンナの口説き方がなってねえなあ。お前ら。オンナってやつはな、力で言う事を聞か
 せるんじゃなく、甘い言葉で心を奪うもんだぜ。……まあ、口説いたあげくに、グーで
 殴られているんじゃあ、まだまだだがな」

 そう言って、さも面白そうにげらげらと笑った。
 男達は、その笑いが合図だったかのように、一斉に長身の男に襲いかかった。
 長身の男……歳と呼ばれた男は、とても楽しそうに木刀を翻した。

 ……男達と、長身の男との喧嘩を見ながら、陽は、誠とどちらが強いだろう、と何気な
く考えていた。
 低い構えから、突きを多様し、突きから即座に横薙ぎに変化させる。
 あまりもの剣撃の早さに、男達はついていけない。
 おそらく、男の表情から、かなり優しく手加減していると見えて、倒れた者は全員意識
がある。
 誠が容赦なく悶絶させた所を考えると、戦いの中にも遊ぶ事を忘れないような男にみえ
た。
 相変わらず、微笑を絶やさない。しかし……

「う……動くな!」

一人の男が、顔を腫らして、口から血を流しながら、ワンピースの女性を後ろ手にしてい
た。

「動くと、こいつぶち殺す!!」

 そう言って、ナイフを首元につきつけている。

「ごめーん、捕まっちゃった」

 女性の気の抜けた声に、歳と呼ばれた男は、ふう、とため息をついて、女性を見て言う。

「さっさと抜けてこい。雪乃(ゆきの)」

 雪乃と呼ばれたその女性は、にっこりと微笑むと、すっと体を音も無く沈み混ませて男
の腕から抜け出すと、バランスを崩してよろめいた男の鳩尾に、遠心力を効かせて肘を叩
き付けた。
 くの字に折れ曲がって呻き倒れる男。
 しかし、雪乃が安心して手を払った時、影からもう独り一人が、激昂してナイフを振り
回して襲いかかる。
 歳と呼ばれた青年が、少し表情を変えたその時、男のナイフが爆散した。

「やれやれ。んなもんまで持ち出してまで女を傷つけんなよ」

 そういった陽の右手には、サイレンサーをいつの間にか着けた銃口が、男達に向けられ
ていた。
 陽自身は、やっちまった……、といった感じの表情だ。
 こんな所で、銃を撃つ気などなかったのだろう。周りに気付かれない内にさっさと銃を
腰にしまう。
 長身の男は、にやりと笑うと、再び残った男達に踊りかかった。
 大きな喧嘩になってしまったので、いつの間にか回りには人だかりができている。
 そんな人だかりを眉間に皺を寄せて見ている男がいた。

「何だ何だ全く、静かに飲んでたってえのに、何の騒ぎだ? 花見もできんだろが」

 永倉である。
 しかし、喧嘩の中にいる男を見るや、

「お、お? おお? ぉおお!?」

 と、長身の男が動く度に妙な叫び声をあげた。そして、目を丸くして言う。

「……な……なんでここに副長がいるんだよ!」

 そんな永倉に気がついたか、長身の男…新選組副長、土方 歳三(ひじかたとしぞう)
は、にやりと微笑むと、再び男達の方へ向き直った。


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