『3』



「……そうですか、もう、ここを発たれますか」

 そう言ったのは一生である。
 誠は、水波と共に、天水村の役場へと足を運んでいた。
 咲耶を光基神社へと一度連れていく事になったのだが、さすがに黙って出ていくという
訳にもいかない。
 それで、一生が勤めている天水村役場へと足を運び、事情を知っている一生に断りを入
れてから村を離れる事にした。

「ええ、とりあえず、一度戻って、準備を整えてきます」
「しかし、妙な話になってきましたな。失踪事件が、鬼と何らかの関わりがあるだろうと
 は踏んでいましたが、まさか、誘拐未遂に、人体実験の可能性まであるなど……」

 一生は、眉間にしわを寄せて、ふう、とため息をつく。

「略取誘拐、拉致監禁、死体遺棄、となれば、罪は軽いものではありません。警察も、失
 踪事件に関しては表だって動く事はできないまでも、そちらの方面から、捜査の手を伸
 ばしていくようです」

 誠は、斎藤から聞いた言葉をそのまま一生に伝える。

「……死体遺棄……ですか……。やはり、その……巨大な生物があなた方の前に現われた
 時には、既に死んでいたのですか?」
「ええ。構成組織がその状態を維持できなかったようです。こちら側に出て来た時には、
 少しの間動いていましたが、それもわずかの間でした。まるで、そうなるのが分かって
 いて、こちら側に出してきたような……。詳しい事は、警察の鑑識と……それから、ウ
 チで呼んだ『陰陽寮』の人間があたっています。」
「?……『陰陽寮』ですか?」
「鬼切役と、新選組。その両方の武器・防具・道具関連を研究、生産している機関の事で
 す。……まあ、あまり詳しく話せませんが、彼等を呼んで、その生物を調査させていま
 す。」

 日本のみならず、世界で器使いが独立した時に、その研究機関も専門に独立した。
 ちなみに、ヨーロッパはシヴァリースの研究機関は『ティル・ナ・ノグ』という。
 これは、日本語に約すと、『常若の国』という事になるのだが、妖精が住まう、北欧神
話の至福や喜びが続く、素晴らしい所らしい。
 が、どこにあるのか、全く分からない。
 実際、この『ティル・ナ・ノグ』は、どこにその本拠地があるのか殆ど誰も知らないと
いう特殊性を持っている。不定期に本拠地を移動させているのでは、という説まで飛び交
う程、その招待は靄に包まれている。
 神話では、ここから戻った時には地上の時間は数百年が過ぎていて、地面に足をつける
と、灰になるか、老人になるかという浦島太郎現象が起きるため、一度『常若の国』へ赴
いた者は、一生馬上の生活を余儀無くされる。
 この世代のティル・ナ・ノグは、さて、どうであろうか。
 また、日本の陰陽寮も同じであり、幹部クラスでないと、彼等が何処で日々働いている
のか、全く分からない。
 当然、誠も、彼等の素性、その他はさっぱり知らない。
 この陰陽寮では、陰陽師が使う道具を作成したり、器を使いでき上がった鋼を鍛え、武
器に変える、特殊な『刀鍛冶』も働いている。
 実は、誠の母も、以前ここで『刀鍛冶』をしていた。
 誠の使う刀は、母のお手製なのである。
 陰陽、という名がついているから、水波は知っていてもよさそうなのだが、これも全く
知らない。いや、実は彼女には故意に知らせていないのかもしれないが。
 なので、……まあ、詳しく話せないのではなく、本当は知らない、と言った方が正解で
ある。が、ここではどうでも良い事である。

「何にしても、失踪事件自体、まだ鬼との関連性が確定した訳ではないですが、鬼の出現
 もある事ですし、各々の調査は随時「鬼切役」に移行すると思います」
「ふうむ。その生物が人間であったとすれば、いたたまれない話ですね。しかし、あなた
 方をこの村に及びしたのは、間違いではなかったようですな。いや、実際に鬼が出て来
 ると、あなた方のような職種の人がいないと、不安でたまりません。……ああ、冷たい
 うちに、どうぞ」

 水波はその言葉を待っていたかのように、じっと凝視していたアイスコーヒーのストロ
ーにかぶりつく。

「木乃花さんがいなくなると、寂しくなりますなあ」
「ご存じだったんですか?」
「ええ。村でも評判の『桜小町』でしたからな。四月になると、彼女目当てに花見を名目
 に訪れる方もいるくらいですよ。……しかし、彼女、あの性格でしょう。どんなに男性
 がアタックしても、いいようにいなされている始末ですよ。彼女を誘い出した男性もい
 たようですが、帰ってきた時、何と言ったか分かりますか?『なんで僕よりあんなもの
 のほうがいいんだ』……だったそうですよ」

 あんなものって何だ。
 一生は、そんな誠の疑問を無視して、面白そうに話を続ける。

「一体、どんな方法で、彼女を射止めたんですか?」
「いや……そういう関係で付いてくる訳ではないんですが……」

 水波は、おとなしくストローで飲んでいたが、話題が咲耶に及ぶとグラスを両手でわし
掴みにして、不機嫌そうにがぶ飲みしてしまった。
 そして、グラスを、どん、と勢い良く置くのをを見て、誠は、はあ、とひとつため息を
ついた。

「当面は、シヴァリースが、こちら側に滞在して、様子を見てくれるはずです」
「…‥あの格好で、ですか」

 水波は、彼等が露天にあの格好で並んでいたり、茶店でお茶をすすっている様を想像し
て含み笑いが止まらない。

「いや、まさか、いつもあの格好、という訳でもないでしょう。おそらくは、うまく溶け
 込んでいると思いますよ」
「そうですか……いや、何にしても、お疲れさまでした。調査費その他必要経費は、指定
 口座に振り込ませて頂きます。また、今回出会った『鬼』に対しても、討伐にあたった
 人数で割り、端数を省略して、各々の口座に振り込むと、そちらの本部より、役所に連
 絡がありました」

 それを聞いて、水波の顔がほころぶ。
 今回の戦いで、誠と水波は一般サラリーマンのボーナスを遥かに凌ぐ報酬が支払われる。
おおよその平均額だが、最低でも鬼一体で数百万は下らない額だ。
 今回、神社での鬼、トラック誘拐時の鬼の数から額をを換算すると、十七歳の女の子が
持つには、なかなか大金である。
 もちろん、未成年者については、保護者がその報酬の管理にあたり、成人するまで保護
者が預かる決まりだ。
 身よりのない水波の場合、保護者は撚光という事になっている。
 実は、水波はその報酬の約三分の一を、孤児や施設に暮らす人達への寄付にあてている。
 水波の寄付で一つの学校の設備が整ってしまった事もあった。
 水波は秘密にしているが、もうこれは『みんなしってる』に近かった。
 だからこの場合の水波のにんまりは、学校の備品が揃うだとか、切れてた蛍光灯が補充
できるとか、ガラスがあそこ割れてたなあ、とか、あの子達に差し入れしようとか、そん
なレベルなのである。
 もちろん、水波も可愛いワンピースも買いたいし、美味しいものも食べたいし、誠と一
日たっぷりデートもしてみたい。
 しかし、そういった思いを上回るほど、「孤独」というものは、彼女にとって堪え難い
ものなのだ。自分が、それを思い知っているから。
 だからこそ、孤児や弱い人間が、どうしても放っておけない。
 ……誠は、そういった話を、撚光から、天水村に赴く前に聞いていた。
 十七歳の女の子の中で彼女ほど、お金を有効に利用している者はいないだろう。
 そういう意味で、誠は水波が気に入っていた。
 ちなみに、水波が撚光からもらう一ヵ月のおこづかいは、一万五千円である。十八歳に
なると、二万円に上げてもらえるらしい。
 そんな水波に、誠が声をかける。

「こんどは、何処なんだ?」
「ん? 最奥町の永山会館」

 と、そこまで言って、水波ははっとして、むう、と頬を膨らました。
 秘密なのにい、と言いたいようである。
 誰もが知っている秘密。だが、本人が秘密と言っている以上、それは秘密なのだ。
 誠は、それ以上の詮索はせず、ただ微笑んだだけだった。
 まあ、何はともあれ、誠達は役場を後にした。
 一生に対して断わりは入れた訳だし、誠としては、また余計なものが動き出す前に、咲
耶を光基神社へと連れていきたい。
 が、その咲耶は、あの喧嘩騒動の後、準備をしてくると、いそいそと戻ってしまってい
た。相変わらずのマイペースである。
 陽も、用事があるとかで、誠達の前から姿を消している。
 ミハイルにいたっては、どこにいるのかすら見当もつかない。
 新選組は、さっさと消えてしまっていた。……一部は、繁華街や色町にいるのだが。
 まあ、お目当ての人間は咲耶な訳だし、誠達の行く先は、悩むまでもなかった。

「まこと、おなかすいた」

 と、いきなり水波が言う。

「お前なあ。警察署でカツ丼食ったんじゃなかったのか?」
「うん。食べた。でもぉ、やっぱりおなかすいちゃった。ねえねえ、何か食べよ」

 育ち盛り恐るべし。
 ダメだと言っても、ダダをこねて、ばたばた暴れ出すだけだろうと諦めて、誠は水波に
言う。

「分かった、分かった。じゃあ、咲耶さんを見つけたら、光基神社に戻る前に、何か食べ
 ていこう」
「わあい」

 水波は、素直に喜んで、小真神社の方に駆けていく。
 そんな水波を見ながら、誠も小真神社の方に向かって歩き出した。


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