『4』



「じゃあ、行ってきますわね。あ、お留守番の時は、小さな子供にいたずらされても怒っ
 ちゃいけませんよ」

 咲耶は、小真神社の境内の脇にある、紅桜のそばにいた。
 愛おしむように、紅桜をなでている。
 彼女にとっては、自分を助けてくれたもの。
 父がおかしくなってからは、この村で唯一咲耶の話し相手だった桜。
 だが、今、咲耶にはまた信じてみてもいいと思う人間達が心に刻まれていた。
 彼等は、自分の能力を直に見たはずだ。なのに、それに恐怖するでもなく、まるで「そ
ういうのもアリかな。」というレベルで、咲耶の事をあっさりと受け入れてしまっている。

 化け物。

 元新選組の芹沢から受けた罵倒。
 あの言葉は、咲耶の胸をきりきりと痛め付けた。
 別に、恐れられるのは、今に始まった事ではなかった。
 咲耶がつい見せてしまった妙な力を見て、今まで親しかった者はよそよそしくなり、離
れていく者も多かった。
 そんな中で形成されていった咲耶の性格は、どこか間の抜けたものになってしまってい
た。
 自然と、周りのものを受け流してしまうような、そんな術を身に付けたからかもしれな
かった。
 普通の女の子として、十分に青春を謳歌したとは言い難い咲耶の少女時代だったが、そ
れでも、養父母は優しく、暖かく接してくれた。
 しかし、それでも咲耶にとっては、一部の者の謂れない養父母への中傷は我慢できない
ものであった。
 そして、成人を迎えた咲耶は、この村へと戻ってきた。
 養父母をこれ以上苦しめないために。
 養父母が別荘にと持っていた屋敷を借り、そこを住まいとして、紅桜とともに生きよう
とした。
 しかし、そこに起きた失踪事件。紅桜に群がる怪しい者達。
 そして、紅桜が警鐘を鳴らす度に現れる鬼。
 咲耶は、そんな中、徐々に疲労を体と心にためていった。
 天水村に帰ってきてからの四年間は、彼女にとって苦悩の日々だった。
 しかし、そこに現れた二人の男女。
 それに呼応するかのように集まる器使い達。
 咲耶の脳裏に、自分を庇うために、トラックに飛び込んだ誠や、明るい水波の声、何に
も媚びない陽、新選組の面々、白銀の騎士の戦う姿が、一つ一つ通り過ぎていく。
 咲耶は、もう少し彼らを信じてみようと思った。自分を何の疑いもなく認めてくれた彼
等を。
 彼等なら、止めてくれるかもしれない。
 父の凶行と、それを利用する者達を。自分が全てを話すその時に。

「おおい、咲耶さぁ〜ん。おなかすいちゃったから、何か食べていこ〜」

 可愛らしい、明るい声が、神社の階段から聞こえてくる。
 咲耶は、その方に明るい笑顔を向けて答えた。

「ここにいますわよ。さあ、いきましょうか」


                   $


「どういう事ですか? ミスター・ミヅキ」

 グレーのスーツを隙なく着こなした寡黙な男の一人が、ミヅキと呼ばれた男をサングラ
スの奥から真直ぐに見つめながら言う。
 いや、この場合は、睨み付ける、と言った方がいいかもしれなかった。

「だから、キャンセルする、って言ってるんだよ」
「それは困ります。木乃花咲耶の「捕獲」。それが、あなたに依頼した仕事だったはずで
 す。それを、急に手の平を返したようにキャンセルされるとは、プロ意識に欠けるので
 はありませんか?」
「ああ、確かにプロ意識が欠けてるな」

 そう言って、肩まで伸びた長髪とさらりと揺らしながら、彼……御月 陽は男の方に振
り返った。

「ほう……では……どうしても、仕事をお続けになる意志はない、と」
「ああ。俺は、確かにあんた達に協力し、必要な情報を流した。だが、あんた達は、俺の
 プライドを裏切るような真似をした」
「プライド……ですか。それは何です?」
「俺に無断でヒットマンを送ったり、拉致監禁をやらかした事だ」
「それが、何か? 私達は、上に従い、万全を期そうとしただけの事」
「それが気に入らねえって言ってるんだよ。俺はスマートじゃないものは好きじゃないん
 だ。信頼されない相手の駒になるなんざまっぴらご免だ。俺が鬼切役のホットラインを
 ハッキングをしたのは、そんなためじゃない。俺の仕事をしっかりと証明するためのも
 のだった。攫えと言った訳じゃない。丁重にお連れしろというのは嘘か」

 陽があの時、誠の傍から離れたのは、彼等と連絡をとるためだったのだ。
 しかし、まさか咲耶が攫われるとは夢にも思っていなかったために、あそこまで驚き、
飛んで帰って来たのである。

「しかも、今回は、鬼まで出てきた。今の俺じゃあ、鬼とは戦えねえ。それに……」

 陽は、銃をすばやく抜き出すと、男達の方に向けて構える。
 その動作に、男達が身構えるより早く、銃から弾が発車される。
 弾丸は、男達の僅かの隙間を通り抜け、遠くにある『何か』に当り、小さな爆発音をあ
げで、がらがらと高い所から地面に落ちた。

「……監視されるのは、もっと気に入らねえ」

 男たちは、自分達が取り付けた監視カメラを破壊された事に、心の底から驚いた。
 ここから、監視カメラまでは、少なくとも七十メートルはあったはずだ。
 それを、十分な目視も行わず、無造作に抜いたような状態から銃弾を当てたのだ。
 御月 陽という男が、どれだけ凄まじい射撃能力を有しているかは、尋ねなくともそこ
にいる全ての者を納得させるに十分すぎる程であった。

「困りましたね……あなたには、必要経費として結構な額をお渡ししたはず。その分のお
 仕事もしてはくださらないのですか?」
「必要経費の全てと、依頼の前金は、全てあんたらのヤミ口座に振り込んである。何の問
 題もないだろう?」

 いつの間に口座を調べたんだ?

 そういった声が、小さく男達の間に広がる。
 そんなどよめきを後ろに聞きながら、陽と対峙していた男は唇の端を吊り上げると、口
元にある傷あとが、醜く歪む。
 そして、その口が開く。

「さすがは腕利きのインヴァイダー……。情報収集能力は素晴らしいものがある」
「……インヴァイダー……侵略者、か。その侵略者に人攫いをさせるってのも、悪趣味な
 話だったな」
「ふ……元『日輪機甲兵団』、ミストラル搭乗員、御月一尉が傭兵のような仕事をされて
 いるというのも……悪趣味を通り越してますよ。」

『日輪機甲兵団』

 その言葉に、陽の眉がぴくりと動く。

「将来と、そして人の未来を切望され、そして生き恥をかいた……」
「それ以上言うな」
「……は?」
「その名前を……それ以上俺の前で言うな」
「やはり、あなたにも恥の自覚はあるらしい」

 そう言うと、また唇の端をまた吊り上げて笑う。

「白銀に輝くきらびやかな…タダのハリボテの金食い虫」

「……死にてえのか……貴様。俺は、あいつらを決して『恥』なんかと思っていねえ。訂
 正しやがれ」
「したって、死に行く者にはどうでもいい事でしょう。……元々、鬼の存在を勘付いた時
 点で、あなたを生かそうなどとは考えてませんでしたよ」

 その言葉に呼応するかのように、陽と話をしていた男の後ろにいた者達が一斉に銃を構
えた。

「……ふん、そういう事かい」
「咲耶嬢を捕獲する時点で、あなたが私達の後ろだてに気付く事は当然想定済みです。そ
 して、その場合、あなたに対して、私達がとる手段は限られています」
「口封じ、って訳か」
「せっかく多額のお金を用意したのですから、それで短い余生を楽しんでも良かったもの
 を。壊れた車も、直せたかもしれませんよ」
「あいにくだが、仕事とプライベートの区別はしっかりとつけるタイプなものでね。仕事
 の金を個人的な事に流用したりはしないのさ。あんた達と違ってな」
「……ふ……これは手厳しい」

 そう言いながらも、男達と陽は、じりじりと、自分の優位な位置を占めようと間合いを
取り始める。

 そして……。

 一発の銃声が、戦いの合図となった。
 陽が、目に見えないほどの早さで銃を胸元から抜き、一人の腕を貫いたのだ。
 それが引き金となったかのように、乾いた銃声が、リズミカルに音を奏でる。
 いくつもの銃口から、サブマシンガンの弾丸が地面に、木々に穴を開けていく。
 だが。
 全く陽に当たらない。
 いや、当たらないのではない。『避けている』のだ。

 まるで見切ったかのように銃弾をかいくぐり、相手の後背や懐に飛び込んで一撃で沈め、
あっという間に視界から消え去る。
 一人の男が、陽を見つけて、素早くナイフを閃かせて、陽の方に投げる。
 そのナイフはすさまじい勢いで陽の喉元を狙ったものの、陽はそれを親指と人さし指で
刃を摘むように受けると、そのまま投げてきた男へと投げ返した。
 投げ返されたナイフは、男の肩をとらえ、男から悲鳴があがる。
 機関銃を無闇に撃ちまくっていた男達は、その動きに背筋を凍らせた。
 陽は、男達の視界から消えたかと思うと、木陰から銃声を轟かせ、陽を取り囲んだ男達
から次々と戦力を奪っていった。
 地面にいたかと思えば、いつの間にか木々の上の方から、体を丸めて何メートルも向こ
うにある木々へと飛び移り、その間にも、銃弾は的確に男達を無力化していく。
 このような動きは、「普通の人間」にはできない。
 男達は戦慄した。今まで幾人ものターゲットを始末してきたやり方が通用しない。
 しかし、それでも男達は銃を撃つのを止められない。止めれば、そこに待っているのは
敗北だと悟っていたからかもしれない。
 だが、陽の動きが予測できない。目にもとまらないその速さは、完全に銃を圧倒してい
た。
 そんな陽を見て、口元に傷のある男は、思い付いたように叫んだ。

「そうか! ナ……ナノマシン!」

 ナノマシンとは、最大でも人の赤血球くらいの大きさの、自己学習、自己増殖型の極小
機械である。
 本来は、人間の癌細胞の除去や、病床の発見、治療、ウィルス退治などに使われている。
 が、これを軍事転用するという動きが、二十四世紀ごろから本格化していた。
 それにより、超人類の誕生も夢ではないとされていたが、人の脳の老化はどうしても止
められない事や、心体にかかる負担、人道上の問題から、ナノマシンの軍事転用は、国際
法で禁止された………表向きは。
 地下に潜ったナノマシン軍事産業は、目覚ましい発展を裏でとげ、その技術はあらゆる
名目で日本にも伝わり、『日輪機甲兵団』団員には特に大量投与されたという。
 ナノマシンにより強化された体は、強じんな力を得たが、その見返りとして人の体を捨
てさせる事にもなった。
 強力な力を得るために、ナノマシンが、どんどん宿主の体を無限に改造していったのだ。
 実力の上では、器使いと同等の力を発揮できる。
 だが、その力は、機械に頼ったもの。自分の力では無いのだ。
 人としての機能は残っているが、ナノマシン手術を施された夫婦間で出来た子供は、遺
伝子レベルでの異常が顕著で、奇形児が物凄く産まれやすい。
 殆ど生身の人間と変わらないのに、ナノマシンは、確実に陽の体を人ならざるものへと
変えてしまっていたのだ。

「う……うわああぁぁ! ば……化け物!!」

 そう言いながら、男達は銃を乱射する。

「俺は、もう結婚して嫁さんに子供を産ませる事もできねえかもな。だがまだ人の『心』
 は失っちゃいねえ。俺は化け物なんかじゃねえ!」

 陽はそう言うと、銃弾の雨の中、陽は凄まじい速さで男達に突っ込んでいく。
 眼球が異常に早く動き、その栗色の瞳が、淡く輝きだす。
 陽の爆走が生み出した突風が過ぎ去った後には、銃の残骸と、痙攣しながら白目を剥い
ている男達が転がっていた。

「くそ……うおおおおぉぉぉぉ!!」

 一人残った、口元に傷のある男が銃を抜きはなって陽に突き付けた時、もうそこには彼
の姿はなかった。
 背中に突風が吹き抜ける。
 そして、男の背中に、冷たく硬い物が押し付けられた。
 頬に傷のある男が、銃を捨てて、ゆっくりと手を上に挙げた。

「ば……馬鹿な……ここまでの力がありながら……何故……あの『富士山麓戦』で壊滅に
 など追い込まれたのだ?」
「……自分から墓穴を掘った訳じゃねえ……。俺達はな……」

 陽の瞳がぎらりと輝く。

「お前達のような、保身と自分の事しか考えねえ馬鹿な奴らのおかげで、活躍の機会すら
 奪われたんだよ!」

 口元に傷のある男は、恐る恐る、陽の方を見る。そこには……。
 絶対に誠達には見せる事のない獣のような鋭い視線が、男の網膜を突き刺した。
 男が恐怖で完全に固まる。

「お前ぇらのクライアントと、紅桜、そして、木乃花咲耶について、お前ぇらが知ってい
 る事を全て吐きな。そうすれば……」

 そこで、鋭い視線のまま、にやりと微笑んで、続ける。

「お前が早く話した分だけ……お前の五体が多く残るぜ」

 その表情と口調に、男は背筋から何か冷たいものが下りたような気がした。

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 陽は歩いていた。
 その方角に、何があるのかは分からない。
 だが、男は陽にのされる前に一言、こんな事を言っていた。

 『白い家』

 これが何を意味するのかも分からない。そこには何もないかもしれない。
 それでも、陽は足を向けた。
 と、そこに、なま暖かい風がまとわりついたような気がした。

「ち……嫌な風が吹きやがるな……いや」

 と、そこで、少し自虐的に笑って、

「今の気分じゃあ、どんな風でも、良いようには感じないだろうな」

 なんとも言えないような笑顔を作りながら、陽は歩いていった。
 『白い家』に向かって。


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