『5』


「ねえねえ、咲耶さんは何がたべたい?」

 水波はうきうきしながら咲耶に問いかけた。
 時間は、昼を少し過ぎた所だ。
 朝から、誘拐未遂、カーチェイス、器使いとの剣闘に鬼との闘いと、朝食を採る暇もな
くコキ使われたのだ。
 水波としては、警察署のカツ丼だけでは全然足りないのである。
 それは誠も咲耶も同じであった。

「とりあえず、商店街へと戻ってみよう。もう、朝っぱらから酔っ払うような馬鹿はいな
 いだろう。ゆっくりと探せばいいさ」

 撚光はこちらに車を出させているが、誠たちにすれば妙な事に巻き込まれて、さらには
芹沢や、ケイという人物のおかげで、心もかなり疲労していた。
 信頼していたラインがハッキングされたという落度もある事だし、ゆっくりと昼食を採
らせてもらっても、何のバチはあたらないだろう……。

「おいしいカツ丼屋さんが、この近くにありましたわね」
「うは……、咲耶さん、カツ丼はもう食べちゃったよう」

 水波は少しうなだれながら、商店街に着くまでの間も、きょときょとと辺りを見回して、
おいしそうな店がないか物色している。
 誠は、そんな水波にこまめに目を配りながらも、咲耶の顔をちらりと見てみる。
 何だか妙に嬉しそうだ。

「何だか嬉しそうですね」

 そう誠が言うと、咲耶はにこにこしながら答える。

「それはそうですわよ。大きな神社に参拝できるうえに、旅費は全部そちらもち。何だか、
 特した気分になりません?」
「なりませんなりません」

 何だかどこかで聞いたような台詞だったが、……旅費って何だ旅行じゃないぞ。
 咲耶はにこにこし、まるで気持ちは遠足気分だ。
 この人、自分は今狙われているのだという自覚が実はないのだろうか。なさそうだな。
 ……そんな事を、誠は考えてしまう。
 今回咲耶を連れていくのは、咲耶が紅桜と関係がありそうだ、という事と、実際に咲耶が
「鬼」と関係する者にさらわれかけたという事実、そして、もしかすると、それらが失踪事
件に関係しているかもしれない、という事からだ。
 誠と水波は、ここに、失踪事件と、紅桜、鬼との関わりを調べにきたのだ。
 実際、誠は紅桜の近くに発生した歪みと、そこから這い出す鬼を見た。
 また、それらの事実と呼応して咲耶を連れてこい、というメールが見事にハッキングされ、
咲耶は誘拐されかけた。
 そして、それを救出しようとした時に、鬼がまた現われて、咲耶もろとも殺そうとした。
 ……いや、あの鬼は、俺達が必ず勝つ事を見越しての、敵が逃げる時間を稼ぐ足止めのた
めだったかもしれない。
 とにかく、咲耶は、今回の事件には、重要な人物である事は間違いないのだ。
 彼女自身も、誰かを庇ってなのか、何かを知っているにも関わらずそれを話せないでいる。
 そこまで自分でたどり着け……そういう事か……。
 咲耶はそう言っているように、あの夜誠は感じた。
 咲耶自ら動くとまずい事があるのは事実だった。
 誠はそこまで考えて、あの時現われた器使いを思い出していた。
 芹沢 鴨、新見 錦。
 この二人は、元新選組。……という事は、元自衛隊特殊チームの一員。
 誠にとっては、先輩か上司にあたる者だった可能性が高い。
 また、ケイ。
 この者は、ヨーロッパの騎士団、シヴァリースと、只ならぬ因縁がありそうだ。
 この3名は、いずれも元所属した集団から、かなり忌み嫌われているようだ。
 『仲間を売った裏切り者』
 ……確かそんな事を言っていた。

(……あの時……米軍と陸上自衛隊が壊滅状態に追い込まれた元を作った奴らなのか?)

 誠は、それを考えて嫌な気分になった。

 富士山麓での鬼の大群との決戦時、自衛隊や米軍の火機は例外なく無力化された。
 器を応用したものであったにも関わらず、それらは全く効果を出せなかったのだ。
 確かに銃砲は、器に応用するには向いていないものだが、あまりにも効かな過ぎた。
 そして、その無力な兵器が、逆に味方の障害となり、戦いに赴いた者達が数多く撤退を
遅らせ、鬼の餌となった。
 結果として、自衛隊特殊チームや、海外の器使い集団の戦闘配備、展開が遅れ、米軍の
核ミサイルの発射という愚行によって、人類はさらに窮地に立たされた。
 さらにパニックになった前線兵士が同士撃ちを始め、それにより多くの死ぬはずのない
地域にいた仲間が亡くなった。

 この器兵器の開発と、指揮、実戦配備において、自衛隊特殊チームから数名、そして、
海外の特殊チームからも数名、サポートで実験開発に携わった者達がいた。
 器兵器が無力だったのは、彼らの認識が甘かったからだとされているが、誠や特殊チー
ム……器使い達は違う認識があった。
 彼らは故意に自分の仲間を「売った」のだ、と。
 その証拠に、彼らはこつ然と姿を消し、器の研究資料が、根こそぎ奪われていた。
 それを、新選組〜になる者達〜はどこかで確信を得たのだろう。
 器使いの掟が生まれてすぐに、新選組は芹沢と新見を見つけだして始末している。
 ……いや、したと思っていたらしい。
 しかし、芹沢や新見は生き残り、鬼の尖兵として、再び現われた。

 「御方」

 彼らはそう言った。
 ケイと呼ばれた者も、そして赤毛の長髪の男も同じくその言葉を口にした。
 おそらくは、その「御方」が、この一連の騒動の中心にいる事は明らかであった。
 そして、「御方」と呼ばれる存在が、咲耶を必要、もしくは排除しようとしている。

(木乃花 咲耶とその近辺について、撚光さんに調査を依頼しておいた方がいいかもしれ
 ないな……気は引けるが……)

 誠はそんな事を考えながら、はしゃぐ水波と微笑む咲耶と共に、商店街へと歩いて行っ
た。

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「はあん。ここか」

 陽は、ぶらぶらと、まるで遊びにきたかのように、神社からさらに山の奥、細い道を登
った先にある、古ぼけた建物の前に立っていた。
 『白い家』……と呼ぶには、少し茶がかり、うす汚れている印象は拭えないが、それで
も確かに白い建物であった。
 小真神社奥の桜並木を過ぎた先にある、いかにも似つかわしくないその建物を前にして、
陽は先ほどからある種の違和感を感じている。
 厳しい訓練を受け、数々の修羅場を潜り抜けた者にだけ分かる、微妙な感覚。

「なんだか怪しいねえ。何かあった事だけは間違いなさそうだ」

 そう一人つぶやくと、懐に忍ばせてある銃を取り出し、弾倉を確認する。
 ……弾はしっかりと装填してある。
 ふう、とひとつ息を吐いて、陽はその古ぼけた建物のドアノブに手をかけた。
 ん? と、陽は少し片方の眉をつり上げる。
 ……鍵は掛かっていない。
 そのまま中に入ると、埃が舞い、陽は不快そうに左手で鼻と口を覆った。
 埃とカビの臭いで満たされたそこは、その建物が長い間使われていなかった事を証明し
ていた。

(……俺の思い違いか? さすがに人が使っていれば、ここまで埃が舞う事はない)

 入った扉からは、真直ぐに廊下が伸びており、その廊下の両側の壁には幾つもの扉があ
る。一見して、人が日常生活を営むような所ではない。
 その廊下を歩いていて、陽はふと右手の扉に目をやった。
 いや、扉はそこにはなく、まるで何かの力で無理やりこじ開けたかのように金具はひし
ゃげ、扉は跡形もなかった。
 陽が、その部屋に入ると、様々な配線が乱雑に入り交じったまま放置されていた。
 そして、扉から入って正面の壁に、以前に扉だったらしきものが錆びて赤茶けた状態で、
壁に付き刺さっていた。

(……鬼、だよなあ、こんな事ができるのは……)

 陽は、それを見て苦笑した。
 もし、ここに鬼がいたら……それも複数いたら、今の陽では、太刀打ちできない。
 体じゅうのナノマシンをフル回転させても、一度に2匹を吹っ飛ばすが限度だろう。
 『四年前の装備状態』でなら、と、陽は思う。
 陽は器が使えない。だが、それを補って余りある装備を、あの時陽は与えられていた。
 白銀に輝く、日輪を刻まれた鎧を。

(……やっぱり、今さら未練だよなあ〜。【カレン】が起きてたら、『甘ったれてんじゃ
 ないわよ!まったくアンタって人は……』とかまくしたてて叱ってくるだろうな)

 陽は、おかしそうに含み笑いをして、その部屋を後にした。
 どこまで続くかと思われた廊下も、壁に突き当たる事で終焉を向かえた。
 ここにたどり着くまでに、陽は怪しげな所を一つ一つ見て回ったが、さして収穫は得ら
れなかった。肩すかしを食らったような気がして、陽はふん、と鼻を鳴らす。
 陽はここで、ナノマシンの力を少しだけ借りる事にした。
 温度変化を、五感で敏感に感じ取れるように、集中したのだ。
 手の平に意識を集中すると、『何か』がざわりと体を巡る感覚がした。
 ナノマシンが働き始めたのだ。
 ナノマシンは宿主に注入された段階で、その宿主である者の「脳」と「意識」に忠実で
あるように設定される。
 そして、その力を、宿主を生かすために、最大限力を尽くすのだ。
 温度変化を感じ取ったナノマシンは、その情報をナノマシンを介して脳へと電気情報と
して送り、それはシナプスを通じ、感覚として宿主へと感じられるようになる。
 この時も、陽は壁とは明らかに違う「温度差」を床に感じていた。
 その温度差の違う間隔を調べて、そこに地下室があるであろう事は、容易に推測できた。
 陽は、今度は手の平に力を入れると、思いきりその床を平手でぶち抜いた。
 大きな破壊音をたてて、床は打ち抜かれ、壊された床の破片が下から現われた階段へと、
乾いた音をたてて吸い込まれていく。

「イエース、ビンゴ」

 陽は乾いていた唇を舌で湿らせると、その階段を降りていく。
 彼には少し階段の天井部分が低いようで、たまに天井に張った蜘蛛の巣を面倒くさそうに
払い除ける。
 そして、階段を降り切ると、そこは階段の狭さからは想像もできないような大きな空間が
広がっていた。

「……何だあ、こりゃあ??」

 咄嗟に影に身を潜める。
 非常にまずいものがここにあるような、そんな直感に襲われたからだ。
 壁の代わりに大きなガラスがはめ込まれたそこは、様々な機械が置いてあったようで、外
からも見学できる実験室、といった所であった。
 天井部分には、どこから入ったら行けたのか、ガラス窓があり、人が入れる部屋らしきも
のがあるようだった。
 床には、人が寝られるであろう幅の、腰の高さくらいの台がある。
 器材が置かれていたであろう所には、配線が蛇のようにうねっている。何かのガラスケー
スも転がっている。

「まるで、手術室、って感じだな。うう、気色わる……」

 ここには人がいたようで、埃がまるでたたない。
 それだけでなく、床の埃の上には足跡もあった。
 足跡の上に埃が積もっていない事から、かなり最近のものであろう。
 どうやら、この部屋に入るルートが、他にもあったようである。

「やれやれ、埃まみれになったじゃないかよ……」

 そうつぶやく陽の視界の片隅に、縦一メートルほどのガラスケースが飛び込んだ。
 そこに書いてあった名前を見た瞬間、陽の表情がこわばった。
 そこにはこう書かれていた。

 『「陽」 状態良好 生後五十時間・推定成長年齢八歳 感染症なし』

 陽は、何も考えられずに、その場に立ち尽くした。


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