『7』



 そして、また同時刻、別の場所。

「おねえちゃ〜ん、さくら弁当六人前ね。あ、それとお茶」

 精悍だが澄んだ男の声が、辺りにこだまする。
 荷車を押して、若い女性がお弁当とお茶を男に差し出す。
 しかし、場が揺れているためか、危うく弁当を落しそうになり、お互いに苦笑いをする。
 弁当をもらって代金を払うと、男は自分の周りに座っている人間に弁当を投げ、自分も
待ち切れない様子で、弁当を開きにかかる。

「……全く。お前はもう少し落ち着けんのか、左之助(さのすけ)」

 左之助、と呼ばれた男の横に座った男が、いかつい顔をさらにいかつくしかめている。

「そうそう。その年で騒いでると、いかにも育ちがバレる、って感じだよね」

 左之助の前に座った少女が、電車の窓側に体を向け、顔だけ振り向かせて、からかい半分
に微笑みながら左之助に言う。

「だって、しょうがないだろ。ハラが減っては戦はできぬ、って言うじゃねーか。」
「ならお前は、一生役に立たないなぁ」
「どーいう意味よ、近藤さん」
「お前、いつもハラをすかしているからな」
「……ひでえ冗談だ」

 左之助は、愉快そうに、太く逞しい腕で、日焼けした顔を撫でた。

「……でも、よく食べるわね、左之助さん。お腹、壊したりしない?」

 左之助と、近藤、と呼ばれた男達二人の正面の座席には、まるで鏡に写したか、それとも
コピーでもしてきたかのようにうり二つの少女が座っている。
 髪形が違うために見分けがつくが、ファッションの趣味が同じらしく、黙って座っていた
らどっちがどっちか、まるで分からない。
 だが、この二人を、見分けられるものが、ただ一つだけあった。

「だいじょ〜ぶ、だいじょ〜ぶ。左之助なら、死んでもエンマ様に喧嘩売って、すぐに地獄
 から放り出されて戻ってくるから」
「……あのな」
「だめよ、穂野香。あんまり左之助さんをいじめちゃ。この人、こんなナリで、結構傷つき
 やすいんだから」
「こんなナリって何だ」
「え〜。そうかなあ。大丈夫だよお姉ちゃん。ねえ、左之助」
「沙耶香ちゃん、優しいなあ〜。それに比べて穂野香ちゃんって、と〜っても性格悪いねえ。
 まったく、顔は同じなのに、何でそこまで性格が違うんだ。ああ、おしとやかな沙耶香ち
 ゃん、ボクの好みだなあ〜。」
「どぉいう意味っ。 それは」

 頬を膨らませた穂野香に、左之助はわざとらしくさあ、と、おどけてみせる。
 そう、沙耶香、穂野香と呼ばれた二人の少女は、顔が同じでも、全く性格が異なるのだ。
 天真爛漫で明るい穂野香に比べて、姉の沙耶香はどちらかというとおとなしく、大人っぽ
く振る舞いたがる傾向があるようだ。

「まあまあ。そんなに興奮しないの。ほら、穂野香、座って」
「ふんだ」
「しょうがないわねえ、いつまでもカッカしないの。ほら、角砂糖あげるから。」
「もう……あたしを何だと思ってるワケ、お姉ちゃん」

 穂野香は、気分が萎えたのか、ちょこん、と座り直して、駅弁の包み髪を、黙々と剥がし
始める。

「全く、左之助と穂乃香ちゃんも仲がいいな」
「どうしてそう見えるんですかあ? 左之助さん、いっつも私をいじめてくるんですよ」
「そうだぜ、近藤さん。穂野香のやつ、いっつも怖いんだから。ちょっと言葉を間違うと、
 どかーん、どかーん、って」
「こら! 左之助!」
「ほら」
「左之助〜〜!」
「ぐえ。く……首を絞めるな、決まってる決まってる……」
「あ〜、はいはい。二人とも、よく分かったから、座れ座れ。……穂野香ちゃん、角砂糖
 でも嘗めなさい」
「いりませんよ」

 近藤は、苦笑いをしながら、二人を制する。
 沙耶香は、はあ、とため息をついて、やかましい二人のやり取りに呆れ返っていた。

「……ところで、近藤さん。前川邸を留守にして、良かったんですか?」
「ん、ああ、それは問題ない。前川邸には、さんなんや松原、武田隊を残してある。島田
 もいる。もし、あちらに鬼が現われた場合、民衆に「受け」のいい山南や松原がいれば、
 騒動は最小限に抑える事ができるだろう。武田もかなりの理屈屋だが、それ故に常識論
 を提示して、良い対策作りの手助けになる」
「う〜ん、山南さんって、どこか頼りにならない所があるんですけど、私」
「そんな事はないぞ沙耶香くん。山南は、俺達の中でも、怒らせると一番怖い奴だよ」
「そうなんですか?」
「ああ。……仏の顔も三度まで、だな」
「はあ」
「あいつが本気になったら、歳三や俺でも危ないくらいだよ。北辰一刀流免許皆伝の腕前
 は伊達じゃない。奴の免状は、『剣術商売』で得たような、まがいものじゃあないから
 な」
「ふうん、そんなもんでしょうか」

 沙耶香は、いつもソファに寝転がって本を読んでいる、ぼけっとした「昼行灯」を想像
して、どうもしっくりこない気持ちになる。
 さて、今、彼ら4人がいる所は、天水村へと向かう電車の中である。
 この四人は、名前を、近藤 勇、原田 左之助、そして、双子の少女、八木澤 沙耶香、
穂野香姉妹である。
 彼らは、京都の前川邸を根城にする器使い集団、『新選組』の面々だ。
 厳密に言えば、沙耶香、穂野香姉妹は、新選組に保護されているだけで、新選組の隊士
ではない。
 そして、近藤は、局長を勤め、原田は副長を補佐する、副長助謹である。
 近藤の話に出て来た山南は、参謀総長を勤め、新選組の「頭脳」として、信頼されてい
る。
 松原は、松原 忠司(まつばらちゅうじ)といい、スキンヘッドに筋骨たくましい男で、
周りからは『今弁慶』と言われる怪力の持ち主だ。
 しかし、その外見に似合わず穏やかであり、子供に好かれるという不思議さももつ。
 新選組で一番巨大で、しかも一番のパワーの持ち主が島田 魁(しまだかい)。
 新選組の中でも前線で壁と成り矛となり戦う、頼りがいのある男だ。
 武田 観柳斎(たけだかんりゅうさい)は、新選組の中でも異彩をはなつ存在である。
 正面突破や突撃を好む新選組の中で、策謀や裏工作が得意で、弁もたつ。
 それ故に、密偵の山崎とからんで仕事を行う事が多い。

「でも、本当に大丈夫か?近藤さん。残った奴らって、どいつも一癖も二癖もある奴ら
 ばかりじゃないか」
「だからいいのさ。ステロタイプに攻めるだけじゃない、応用の効いた戦術を見せてく
 れるはずだ。…まあ、鬼の襲来なぞ、ないにこした事はないがな。……それに、伊藤
 先生も、応援に駆けつけてくれるらしい」
「……伊藤 甲子太郎(いとうかしたろう)先生か。……あ〜、何だか理屈っぽい奴ば
 っかり残ったなあ。やっぱり、出て来て正解だった」
「それにしても、歳三が一足先に天水村へ向かっていたとはな」
「……何処を探してもいない訳だ。ちくしょう、今ごろ雪乃さんといちゃついているん
 だろうなあ。あああ、羨ましい」
「もう、だらしないなあ、左之助。そんな場合じゃないでしょ?」
「慰めて、穂野香ちゃん」
「寄るな! 変態!!」
「……ひでえ」
「ほらほら、今はそんな話をしてる場合じゃないだろう。歳三は、あれでも切れる男だ。
 雪乃君を連れていったのは、単なる気紛れだろうが、それでもあの男が、天水村での
 騒動に気がついた、という証拠でもある。」
「……生きてたんだな、芹沢の野郎」
「生きていただけなら、まだ良かった。……しかし奴らが、鬼に荷担しているとなると、
 事は一刻を争う」
「あの変態オヤジ、昔は「あんな」じゃなかったんだけどなあ」
「……昔はな。もっと落ち着いた、剣の腕前も確かな男だった」
「……変わるもんだな、人って」
「まあ、それを俺達が悩んでも仕方がない。もし、奴らが生きているのが本当なら……」

 そこで、沙耶香、穂野香姉妹の視線が、近藤に集まる。
 生かしておくわけにはいかんな、という言葉を、近藤は飲みこんだ。
 沙耶香、穂野香姉妹を前にして言うには、少しばかり穏やかな話ではなかったからだ。
 しかし、そのせいか、四人の間には重苦しい雰囲気が漂った。

「あ〜全く暗ぇなあ。今はそんな事いいじゃねえか。とりあえず、向こうに着いたら、花
 見といこうぜ」
「そうだね、賑やかなとこって聞いてるし、まずはお花見、お花見〜」

 穂野香は、今の重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうとするかのように、明るく振る舞う。
 それに癒されたかどうかは分からないが、近藤や沙耶香も、ほっとした気持ちになる。

「そうだな、まずは、歳三をとっ捕まえて、縛り付けておかんとな」
「どうしてですか?」

 沙耶香が、不思議そうに尋ねる。

「そりゃ、お前、分かり切った話じゃねえか」

 左之助は、どこかにやにやしている。

「あいつを放っておくのは、あまり感心できる事ではないからな」
「感心できないんですか?」
「ああ。あいつを野放しにすると……」
「すると?」
「……世界じゅうの淑女が、貞操の危機だ」
「……」

 沙耶香は、どこか呆れたような顔で、あはは〜、と笑うだけだった。

「まあ、そんな冗談はさておいて……だ」

 近藤は居住まいを正して話し始めた。

「……今度ばかりは、土方(ヤツ)も『人斬りの血』が騒いだのかもしれんな……」
「……おいおい、物騒な事いうなよ。アイツの先祖が人斬りだったのは、もう千年も昔
 の話じゃねえか。それだって、本当かどうだか分からねえし」
「千年の昔でも、戦を生業とした男の血筋は、そうそう絶えるものではないよ。おそら
 く、武(もののふ)としての直感が働いたのかもしれんな。それだけの相手が、芹沢
 の後ろにいるのだろうよ。それに、今回の相手は、鬼切役の上層部が乗り出しておか
 しくないものだ」
「……あの……そんなに強いんですか?」
「おそらくは、君達の『力』…そして『元祖鬼切役』の力を借りなければ倒せない相手
 かもしれない。強大な剣技と戦闘能力を有した、『第三種』の鬼達だからな」
「ねえねえ、第三種……ってナニさ、左之助」
「お前、そんなのも知らねえのか。鬼には、三種類あってな。凶暴な人喰い鬼を一種、
 人間にツノが生えてるのが二種、まったく人と外見が変わらないのが、三種、って訳」
「ふうん」
「三種は、外見が同じなだけで、その能力は、常人をはるかにしのぐ。四年前の富士決
 戦では、数多くの器使いが三種の餌食になっているし、自衛隊や米陸軍ですら、彼等
 が暴風と共に過ぎ去った後には、恐怖と瓦礫しか残さなかったものだ。近代兵器は残
 さず無力化されたよ」
「うわ……」

 沙耶香は、背中に寒いものを感じて身震いした。

「しかも、山崎の報告によれば、今回現れたヤツは、名を『鷲王』といったという」
「……鷲王って……まさか……局長」

 左之助が、驚いたように身を乗り出す。

「ああ。鷲王だ。『三種の剣』による盾……シヴァリース風に言うなら『イージス』に
 より、全ての攻撃を無効化し、そして人に恐怖を与え、絶望の種子を心に植え付けた
 鬼神。その名を大嶽丸(おおたけまる)……。
 その大嶽丸の側近である紅葉の右腕。地上最強の剣士の一人、夢想神伝流抜刀術の使
 い手……それが鷲王だ」
「紅葉、って名前が出てきたって事は、鷲王だけでなく……」
「ああ、鬼武、熊武……そして、「あの」伊賀瀬もいるだろうな……」
「……まいったね、こりゃ。副長が飛び出していく訳だ」
「もし、紅葉がただ一人心を許した女性、真緒の裏切りがなければ、我々は窮地に立た
 されただろうな」
「どちらにしても、召集をかけるしかないですかね」
「……ん? 何のだ?」
「全国にちらばってる、新選組隊士の、ですよ」
「もう行ってるよ。鬼切役代表の蒼真君にも連絡をいれてあるから、向こうもそろそろ
 動き出すと思う。それに……」
「……それに?」
「もう動き出している集団もいるようだ」
「……。」

 電車から見える風景は、桜の花びらと、鮮やかな緑に包まれている。
 だが、彼等には、それが明日も見られるのか、くすぶる不安を隠し切れないでいた。


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