『8』


「……そうか、鬼切役が確保に成功したか」

 同時刻、海を越えた遥か西の地。
 大理石の机に座り、右手で何かの紙にサインを書きながら、男が何かを話している。
 サインをしている紙は、何かの書類らしく、電話で話をしながらも、その手を止める事
はない。
 彼のいる部屋のすぐ後ろは、大きな窓が、外の光りを取り入れ、大理石の机を照らす。
 まだ早朝であるために光は弱いものの、窓から見える雲間からは、朝日の光も刺してい
る。
 部屋自体もかなり広く、床は落ち着いたベージュのカーペットがしきつめられている。
 壁は白い壁紙が貼られ、そこに大きな風景画がバランス良く収まっていた。
 そして、大理石の机の両端にも、着席スペースがあり、そこでは長い白髭の老人がモニ
ターを睨んでおり、もう一方には肉感的な美女が、書類に目を通していた。

「……ん、分かった。殿下には、こちらから連絡をつけておく。ああ、心配ない。向こう
 には、『あれ』の存在はまだ知られていないようだ。……ああ、うまく立ち回ってくれ
 ているようだな。『譲渡者』の選別の方はどうなっている?……そうか、……うん。候
 補者は幾人かは見つかっているようだな。……ああ、やっぱりやらかしたか。殿下にも
 困ったものだな。……ああ、全くだ、ははは」

 と、そこまで話した所で、男の正面にある木製の扉の向こうから、どすどすと、床を踏
み鳴らす音が聞こえてきた。
 老人は、いかにも迷惑そうにしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにし、女性の方は、苦
笑して扉の方を見やる。

「……どうやら、やかましいお客さんが『また』やってきたようだ。……では、殿下の事、
 くれぐれもよろしく頼む。おそらく、私達はこの場から離れられない。……ああ、こち
 らも、あまり余裕がある方ではないからな」

 床を踏みしめる音が止み、ドアノブの動く音がする。

「……おっと、お客さんが来てしまったみたいだな。ああ、ではな」

 男が受話器を置くと同時に、ドアが勢い良く閉められる。
 男は、少しあきれたように、短い金髪をかき上げた。

「いったい、向こうの情勢はどうなっているのだ、ランスロット」

 すらりと伸びた長身が、大又で大理石の机に収まっている男……ランスロットに近寄る。
 顔だちは非常に美しく、鼻筋は通り、ブルーの瞳は、その白い肌によく映えている。
 そして彼が大又で一歩を踏み出す度に、彼の美しい、長い金髪が清流の水がごとく揺れ
る。
 しかし、その表情は、友好的、とは言い難いものであった。
 どちらかというと態度も、質問よりも詰問に近い勢いだ。

「……? 向こう、とは、何だ? トリスタン」

 ランスロットと呼ばれた男は、物凄い勢いで詰めよってくる男、トリスタンを目の前に
しても、やんわりと受け止める。まるで、のれんに腕押しをしたかのごとくである。

「ジャパンだ! 全く、相変わらずとぼけた男だな、ランスロット。いつまでたっても殿
 下からの報告もないのはどうした事だ。……まさか、殿下の御身に、何か起きたのでは
 あるまいな!」

 どん! と、大理石の机に手の平を押し付けたトリスタンを見て、少し苦笑しながら、
ランスロットはかけている眼鏡を直した。

「こりゃ、トリスタン。お主もう少し大人しくはできんのか」

 その言葉に、トリスタンは少し慌てて釈明する。

「あ……、これはマーリン師。失礼しました。しかし、殿下の事が私は気掛かりでならな
 いのです」
「まさか、『あの』殿下に限って、そんな事がある訳ないだろう。今ごろ、大好きな写真
 を撮りまくっているんじゃないかな」

 ランスロットは、苦笑いして言う。

「何か起きたとしても、常人ごときでは相手にもならんさ。それに、ガウェインとパーシ
 ヴァルが付いているんだ。何を焦る必要がある、トリスタン?」
「焦るのも当然だ。殿下がティンターゼルを発たれて、既に一ヵ月が経とうとしているん
 だぞ。その間、一度の連絡もない。一体何が起こっているのか、心配にならない方がお
 かしかろう」

 老人の反対側に座っていた女性がしなやかな動作で立ち上がる。
 栗色のウェーブのかかった長い髪の毛が、彼女の肩から、胸元にさらりと落ちる。

「トリスタン。あまり思い詰めると、その思い込みがいらない不幸を呼ぶ事があるわ。で
 も、大丈夫だと思って信じていれば、幸福は向こうから訪れるのよ」

 大きく胸元か切れ込んだ服から覗く豊かな胸と、スカートに入ったスリットから覗く白
 い足。挑発的な装いがどうしても視界に入ってしまい、トリスタンは赤面して顔を背け
る。

「……信じるだけでは、何も生まれませんぞ、モリガン様」
「あら……、またそんな思ってもいない事を」

 そう言いながら微笑むと、モリガンと呼ばれた女性は、ランスロットに書類を渡す。

「しかたがないさ。こっちはこっちで、悪魔退治に忙しかったんだから。このエルサレム
 で発生した歪みは、相当な数があっただろう。それらを潰して、出て来る悪魔を倒して
 たんだ。そんな忙しい私達に、殿下の方でも気を使ったのだろう」

 それを聞いたトリスタンは、細く長い眉を眉間に寄せてひとつため息をつく。

「一体どうなっているのだ。このエルサレムが人類の様々な宗教感において、シンボルの
 一つとされているのは分かるが、それでも、我が祖国イギリスよりもかなりの数の歪み
 が現われているぞ。」

 それを聞いたランスろっとが、眉をひそめて言う。

「奴等は知っているのさ……。ヒトは、心の拠り所なくしては生きる事ができなくなる生
 き物だという事を」

「全く、この歪みさえなければ、私も殿下のお供にはせ参じるものを」

 トリスタンが、苦々し気に言う。

 彼らがいる所は、エルサレム、という。
 今から数年ほど前に和平をみた様々な民族と宗教の聖地、とされた所である。
 三千年以上に及ぶ憎しみと破壊活動を行ってきたこの民族対立の地も、和平を達成した
後は国際連合の管理下におかれる事となり、それを今の宇宙惑星連合が引き継いで管理し
ている。
 ここは、南極と同じく、人類にとって不可侵、と定められ、様々な宗教の人間が参拝に
限り来訪を許され、平穏な時を過ごしていた。
 しかし、そんな聖地も、数多く現われた『歪み』と、そこから現われた鬼、ここでは堕
天使、悪魔、と呼ばれる存在の襲来で、危機に瀕する事となった。
 しかし、長らく紛争に明け暮れたその聖地周辺国はその対策を遅らせ、結果として他国
の器使いの支援を受ける形をとらざるを得なくなってしまった。
 和平の後も、かたくなに自己の宗教感による、他国民の入場拒否を続けていたイスラエ
ルとパレスチナも、共通の敵を目のあたりにして、寛容にならざるを得なくなった。
 アラブとイスラエル周辺諸国には、一切器使いが産まれない。
 アメリカはそもそもその土壌が確立されなかったからだが、この地は、自らの欲望と頑
な事故中心的宗教感でお互いに傷つけあい、器使いの素質を持つものが統べて自殺するか
殺されてしまったのだ。
 飢えた虎の前の兎と化した彼等はもはや、自爆テロとその報復に夢中になっている場合
ではなくなった。
 まるで悲鳴を上げるかのように、EU、インド、アセアン、中国、日本に救援要請を打診
してきた。
 器使いが大量に集まるこれらの地域は早急に協議し、EUに、まずは主導権を譲る事で決
定され、シヴァリースとその直属機関【フィアナ騎士団】が現在では常駐している。

 と、そのような歴史をもつこの地で、トリスタンはまるで舞台劇のように、大げさに苦
悩の表情を作る。
 そんなトリスタンを見て、ランスロットは少し目を丸くした。
 それでずれ落ちた眼鏡を、またかけ直す。

「……お前が日本に行きたいだと? 正気かお前」

 トリスタンは、少々むっとして、ランスロットにくいかかる。

「私は、いつでも、殿下への忠誠と、弱きものへの献身を忘れてはいない。強きもの、横
 暴なるものから弱者を守る盾となり、悪しきものを討ち倒す白刃たらんとするのが、騎
 士の勤めであり、その役割は、我らの誉れであるはずだ。違うか、ランスロット!」

 いささか飽きたような表情で苦笑いしたランスロットは、トリスタンをいさめて話を続
ける。

「お前の献身は、我らシヴァリースの中でも最上級に位置するものだと思っているよ。し
 かし、あれだ、お前が行くと色々となあ」

 そこで、ランスロットは、この美貌の友人を一通り見渡してみる。
 それを見て、トリスタンは怪訝そうな表情になる。
 ランスロットは、そんなトリスタンを見て、思わず吹き出してしまった。

「……何だ、人を見て笑うとは」
「いや、お前、本当に分かってないんだな。お前のように自覚のない男も、今どき珍しい
 と思ってな」
「一体何の話だ?」
「お前、そのまま都心の駅の入り口に突っ立ってろ。人種を問わず全ての女性がお前の方
 を振り向くぞ。」
「……馬鹿か、お前は。私は見世物ではないぞ」
「だから、分かってないって言うんだよ、お前は」

 ランスロットは、こらえ切れずに笑ってしまう。
 トリスタンは、ランスロットの言葉が理解しきれずに、困った顔をしている。
 この、トリスタンという男は、まるで中世の絵画から抜け出してきたか、それとも神様
がとてつもない差別をしたのか、そのどちらかだと言われるくらいの美しさの持ち主であ
る。
 長身に白い肌、艶やかな長い金髪、切れ長の瞳は濃いブルー。
 女性であればその美しさに見とれて吸い寄せられるだろう。

「お主が日本に行くと、浮きすぎて仕事にもならん、といっとるんじゃよ。いや、しかし、
 ここまでのカタブツも、最近ではめずらしいわい」

 マーリンは、かっかっか、と楽しげに笑う。

「日本には、蒼真さんと、葛ノ葉さんがいらっしゃるのでしょう? 心配はいらないわ。
 そ・れ・に……」

 モリガンと呼ばれた女性は、つい…とトリスタンに近づいて、その顎を撫でる。

「……今、あなたに出ていかれると、私寂しいわ……」

 その仕草と表情に、トリスタンは固まってしまう。

「……そのくらいにしておきましょう、モリガン様」

 ランスロットは、可笑しくてしょうがない、といった笑顔でモリガンをたしなめる。

「……そうですぞ、……私には、イゾルデがおります」
「あら。私は、『戦力としてのあなた』が必要なのよ」

 トリスタンは、何とも言えないような表情になる。
 こらえきれずに、今度はマーリンが笑ってしまう。
 
「まあ、どちらにせよ、ここは、対悪魔の重要な拠点だ。ここを手薄にする訳にはいかん」
「でも、私、旧市街に入らせてもらえないのよ。何故かしら? ねえ」

 そのモリガンの言葉に、一瞬言葉を失ったランスロットとトリスタンだが、モリガンの
装いを見て、同じ言葉を発する。

「一体誰のせいだと思ってるんですか」
「あら? 誰のせいかしら」
「そんな格好で、イスラム教国をウロつける訳ないでしょう!」

 二人は、はあ〜、とため息をつき、そんな二人を、マーリンは面白そうに眺めている。

「とりあえず、ここへ向かってくれ。ロレンスからの緊急連絡だ」

 ランスロットは、今しがたモリガンから受け取った書類をトリスタンに渡す。

「……? ロレンスから?何だ」
「どうも、東方七十キロ向こうに広がる砂漠地帯に、歪みが現われたらしい。今は、ロレ
 ンスと天使の力で何とか食い止めているが、如何せん、戦力が足りない。フィアナ騎士
 団のルフ小隊を預ける。今すぐに向かってくれるか」
「承知した。……しかし、天使もいるのか……」
「何だ、天使が嫌なのか?」
「いや……、そういう訳ではないのだが、ちょっとな……」
「何故?あんなに明るくて可愛い女の子達なのに。お前が行くと、黄色い声援が止まない
 だろう。羨ましい限りだ」
「それが嫌だと言っとるんだっ」

 きびすを返してどすどすと歩きだしたトリスタンを見送りながら、彼らは苦笑いを隠し
きれなかった。

「相変わらず、奇妙な奴じゃの」

 マーリンが愉快そうに長い白髭を撫でる。

「ほんとう。からかいがいがあるわ」
「二人とも、いい加減にしましょうよ。あれではトリスタンがかわいそうです」
「まあまあ、年寄りの暇潰しに付き合う者が一人くらいおってもよかろうに」

 そう言ったマーリンに苦笑いを返して、事務的な表情に戻り話しを続ける。

「さて。再び悪魔の出現が頻発するようになってきたが……」
「少々やっかいな時期に増えてきたわね……。人的な戦力増強は、今の所、これ以上は無
 理」
「『ロンギヌス』も『グングニルランサー』も起動はぎりぎりになりそうだしのう……。
 今の所調整が終わっとるのは、『ゲイボルグ』と『ミョルニルハンマー』くらいじゃ。」
「……『ゲイボルグ』はスカアハ師かクー・フーリンしか扱えんが……」
「今の所、二人とも行方不明ね」
「……まったく。彼らには、騎士としての自覚がないのかな?」
「ないんじゃろな。あったら、春風に身を任せるような事はするまいよ」

 ランスロットは、はあ、とひとつため息をつくと、東方を見つめる。

「ガウェインとパーシヴァルがいないのが、やはり痛いな」
「「白騎士」が『天の磐戸』を開けられたら、楽で良かったんだけどね」
「馬鹿もん。富士の樹海ならいざ知らず、あんな小さい村で開いてみい。それこそ、鬼ご
 と村まで消し飛ぶぞい」
「それに、あのパンドラボックスを開くには、『明けの明星』を備えた機体が足りない」
「『日輪機』……か」
「とにかくは、彼らに頑張ってもらうしかないな。せめて、咲耶嬢だけでも死守してくれ
 れば、あとはなんとかなる」

 再び彼は東方を見つめる。

「……鬼切役に委ねて顛末を見守るしかないのか。せめて、ロンギヌスが動けば……。し
 かし、よりによって今回の相手が『奴ら』とはな。目的は、『原形』の回収と、『混血』
 の奪取による、器の無力化か。武(たける)、美姫(みき)……頼むぞ」

 そこにいない「誰か」に向かって、ランスロットはそうつぶやくだけだった。


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