『9』


 場所は再び天水村に戻る。

「あれ? 誠さんはどこにいっちゃったんですか?」

 気の抜けた声を上げているのは、ミハイルである。
 いつの間にか、「柊さん」から「誠さん」に変わっている。
 そして相変わらず、というか、やっぱり、というか、どこにいても写真を撮り続けてい
る。
 たまったら祖国に送って現像してもらっているらしいが、一体どこにそんなに撮りたい
ものがあるのか、水波には疑問だった。

「誠ならさっき、沖田、とかいう人と一緒に出てったよ」

 水波が、お好み焼きにヘラをざくざくと突っ込みながら答える。
 水波がヘラを突く度に、美味しそうな匂いと乾いた金属音が、辺りにこだまする。
 着物の袖は、邪魔にならないようまくり上げているので、水波の細くて可愛らしい腕が
見える。

「そ……それって……もしかして女の人なんですか!?」

 何故か興奮ぎみに言うミハイル。
 その言葉に、ちょっと水波はむっとする。

「んな訳ないでしょ!男の人だよ、オ・ト・コ! ふんだ。全く誠なんてだいっきらい。
 目の前に、こ〜んなにカワイイ女の子がいるのに、男の誘いにほいほい乗っていっちゃ
 うなんてっ。」

 水波がヘラを突き刺すようにしているが、その音がどんどん大きくなっていく。
 それを隣で見ていた咲耶が、穏やかに語りかける。

「まあまあ、そんなに焦る事はありませんわ。水波さん。殿方というものはね、一人では
 生きられませんの。絶対に、愛する女性の所に、安らぎを求めて戻ってくるものですの
 よ。」
「……って、何故そこで照れるの、咲耶さん……ってコラ!ミハイル! アンタ男でしょ。
 照れるな!」

 水波は、大きくため息をつく。
 本来、彼女は、誠といる時は、どちらかというと、ツッコまれ役である。
 だが、ここでは、水波を遥かに上回る「天然」を二人も抱えて、どこか消化不良を起こ
したような気分だった。精神的にである。
 目の前に見事に出来上がった、巨大な「天水スペシャルミックスお好み焼き」を、水波
はマヨネーズをたっぷりつけて、大きく口を開けて中に放り込む。

「……美味しそう。僕も食べたいな……」
「ん? 注文しなよ。美味しいよ、これ」
「あ……いや、それが、ちょっと用事があって。用事を済ませてから、皆さんとお食事で
 も、と思ってたんですよ」
「ふうん。なら、残念だね、誠いなくて。あ、でも、もう少しすれば、戻ってくるよ。用
 事ってそんなに急ぎなの?」
「ん?ああ、いや、『待たせておけば』いいだけの話ですから。大丈夫ですよ」
「じゃあ、ミハイル様も、お頼みになられてはどうですか? ご一緒しましょう。すぐに
 誠様も、戻ってまいりますわ」

 それを聞いて、ミハイルは、自制よりも欲望…いや、食欲の方が勝ったようである。

「じゃあ、お言葉に甘えて……。すみませーん」

 店員さんのはあい、という声が聞こえてきた。

                   $

「柊さん、新選組(ウチ)に来ませんか」

 そう言ったのは、新選組隊士、沖田 総司である。
 凄まじく直球な、スカウトの申し出であった。
 それに対しているのは、誠。
 しかし、誠は、そのプロポーズにも、さして感動を覚えている風ではないようだ。

「俺をスカウト、ね。物好きだな。言い出しっぺは、土方さんか?」

 誠は、どこか愉快そうに沖田を見ている。

「柊さん、僕は、これでも真面目なんですよ」
「真面目は大いに結構だけど、俺は鬼切役のヒラ社員だからな。君が思ってる程、俺は強
 くないよ」
「それは、「あなたが」そう思っているだけです。俺は……少なくともあの戦いに赴いた
 者ならば、あなたの強さは、皆分かっている事です。夢想神伝流抜刀術の使い手であり、
 あの『百鬼夜行』を食い止めた功労者。それだけでも、凄い事じゃないですか」
「百鬼夜行……」

 誠は、その光景を思い出そうとした。だが、まるでイメージが浮かんでこない。

「すまない……。分からないんだ」
「……分からない……?」
「……あの時の……富士決戦の時の記憶だけが……すっぽりと抜け落ちて……よく覚えて
 ないんだ」

 沖田は、少々驚いたようだった。

「そんな冗談のような事を、僕が信用するとでも……?」
「してもらうしかないな。本当に、分からないんだから。全く、自分でもどうしたのかと
 思ってしまうよ」

 誠は少し自嘲するかのように、苦笑いをする。

「とりあえず、自分で自分が理解できるまで…その申し出は断らせてもらっていいかな」
「……そうですか……残念です。ですが、俺は諦めた訳じゃありませんから」
「新選組最強、と目される男からの申し出は、ありがたいんだけどね……。しつこい男は
 嫌われる、という事を、よく耳にしないかい?」
「もちろん、よく知ってますよ」

沖田はそう言って微笑むと、深く礼をして、誠の前から去っていった。

「百鬼夜行を食い止めた功労者……か……」

 誠は、それ以上言葉を発する事なく、青い澄んだ空を何かを見つめるかのごとく見上げ
ていた。


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「あっ、誠さーん」

 ……と、飛びついてきたのはミハイルだった。
 水波と咲耶も、お好み焼きを食べていた手が止まってしまう。
 誠は、飛びつかれる寸前に

 べしっ、ぐしゃ。

 反射的に右手の平でミハイルの後頭部をはたいてたたき落としてしまう。
 顔面から床に突っ込むミハイル。

「はううー、鼻がっ」
「……あのな」
「いや〜、一度ちゃんと挨拶しておかないといけないなぁ、なんて思ってたんんですよ、
 実は」
「挨拶?」

 眼前に迫るミハイルの顔をぐい、と押し退けながら、誠は応える。

「ええ、ここに留まるのを、あと数日のうち、という事にしようと思ってるんです」
「へえ、また、なんで」
「ええ、ちょっと、先に片付けないといけない用事ができてしまったもので、まずはそち
 らを片付けてから、改めてゆっくりと日本観光しようかと……。」
「そうか……色々あるみたいだな。……あ、俺、豚玉」

 店員さんがはあい、と返事をし、鉄板から、香ばしい匂いが立ちこめる。

「しかし、何の用事なんだ?」
「それは、企業秘密です」
「あ、もしかして、悪い事たくらんでない?」
「もう、水波さん、そんな事、ボクに限ってあるわけないじゃないですか」
「ふ〜〜んだ、どうだか。誠に抱き着くようなシュミ持ってるくらしだし」
「いやだなあ。あれは親愛の情を態度に出しただけですよ」

 悪びれもせずに言って、あはは、と笑う。

「まあ、これでお別れかと思うと、少し寂しいな。俺達も、今日ここを起つんだ」
「へえ、そうなんですか」
「ああ、咲耶さんを、うちの招待しようと思ってね」
「ああ、いいですね〜。神社でしたよね、確か」
「ああ。うちの神社は、結構大きいからね。咲耶さんも、楽しみにしているみたいだ」
「私、神社といったら、この村のものくらいしか存じ上げなかったもので。この村のもの
 など及びもつかないくらい、というくらいですから。さぞ、素晴らしい神主さんがおら
 れるのでしょうね」

 咲耶のその言葉を聞いて、お好み焼きを食べようとした誠と水波の顔が一瞬にして固ま
る。
 撚光の『うほほほほほ』という高笑いを思い出したらしい。

「まあ、何にせよ、また会えるといいですね。僕、絶対に皆さんの顔、忘れません」
「全く、何今生の別れ、みたいな言い方してるのよ。電話さえ教えてくれれば、いつでも
 会えるじゃないの」

 水波は、呆れたようにツッコミを入れる。でも、口いっぱいにソ−スや青のりがついて
いるので、怒った顔も、どこか可愛らしい。

「あはは、そうですね。じゃあ、とりあえず、里の電話を教えときますね。今、ちょっと
 家のみんな、忙しいみたいなので、もう少し経ってから、かけてくださいね」

 水波は、ミハイルが鞄から取り出したノートの切れ端に書かれた番号を無造作に取り上
げて、誠に渡す。

「はい、まこと」
「ん? ああ」

 何も気にとめていないかのように、誠はそれをポケットにしまった。

 それからは、何のたあいもない話で、四人して盛り上がった。
 警察のお世話になった事や、暴漢に襲われた事。全てが今は話のタネになった。
 唯一、ここに陽がいないのが、誠達にとって唯一の心残りになったが……。


「……お別れですね」
「ああ、そうだな」

 いつか会える者達なのだから、そこに暗い表情などない。

「また電話するよ。そっちも、また良ければ遊びにきてくれ」
「ばいばい。またね」
「また、この村にいらしてくださいね」

 そんな三者三様の声を聞きながら、ミハイルはにこにことその場を後にした。
 そして……。

「少々、肝を冷やしましたぞ、『殿下』」

 誠達が消えた後、ミハイルの側に現れた者がいた。
 白い鎧に白いマスク。スヴァリースのひとり……ガウェインである。

「『神社でしたね』……はないでしょう。あなたは、「ただの観光客」なのですから。彼
 等の本拠地を、あなたは知らないはずなのですぞ」

 その声を聞き、ミハイルは、誠達が消えた方角を見たまま、答える。

「本当に、感じのいい人たちだったよ」
「は、それは、私も同感です」
「できれば、このまま咲耶さんを守り抜いてくれれば、言う事はないね」
「……しかし妨害がやっぱりあると思いますよ、殿下」

 そこに、もう一つ騎士が現れた。
 撚光の元に現れた、もう一人のシヴァリース……パーシヴァルである。

「彼等なら大丈夫。僕はそんな気がする」
「……そうですな。彼等なら」
「さあ、行こうか、二人とも。大事な客人を待たせてあるんだしね」
「……恐らく、向こうは客人という自覚もないでしょうけど……」

 静かにそう呟くパーシヴァルに、ガウェインが応える。

「かまわんさ。ミスター・柊がミス・木乃花を送っている間に、我らでケリをつければ良
 い。あの桜を、奴等の思いのままにさせてはならぬ」
「……そういう事。さあ、行こうか、二人とも」

                   $

 彼等が向かう所は、紅の花咲く神社。
 神社の名を小真神社、花を紅桜という。
 そこに、赤い、真紅の髪の毛の男が、桜を見つめたまま仁王立ちしていた。

「お前達が来たのか。どの勢力がくるか……楽しみだったが」
「あなたは……まるで誠さんとは正反対ですね……。強大な剣技を持ちながら、それを破
 壊と殺りくにしか使えない」

 ミハイルは、赤毛の男を真正面から見つめながら、言う。
 赤毛の男は、まるでつまらない講釈を聞いたかのような表情で応える。

「本来、剣技などというものは殺し、征服するためにのみあるものだ。それを人の道にな
 ぞらえあてはめて、詭弁を並べるなど笑止。片腹痛いわ」

 そう言いながら、赤毛の男がすらり、と刀を抜き、言葉を続ける。

「俺がここに来る事がよく分かったな」

 赤毛の男がそう言うと、ミハイルの後ろに下がった男、ガウェインが答える。

「知れた事。ミス・木乃花がここを去る。鬼切役もこの場を離れる。となれば、今回の騒
 動の中心であるこの桜は、『主』も守護者をも失い、その無防備な体を、敵にさらす事
 になる。紅桜が、どんなものかは知らんが、お前達が興味を示している事は事実。なれ
 ば、『事を急ぐ』お前達にとって、今日はまたとない機会だ」

 赤毛の男は、にやりと不敵な笑みを浮かべて、正面に対峙する3人を睨みつ
める。

「ふん、まあ、上出来だな。しかし、のこのこと現れた前達も愚かな事だな」

 そう言うと同時に、歪みが生じ、そこから、蠱毒……虫が溢れ、鬼が幾つも溢れ出る。

「……シヴァリース……円卓の誉れある騎士、ガウェイン、パーシヴァル。……そして」

 赤毛の男は、ミハイルを睨み付ける。

「お相手願うぞ。アーサー」

 ミハイルは、鬼や、赤毛の男の眼力、蠱毒の群れに動じる事もなく、正面から見つめる
だけである。

「……殿下。ここはお下がりを。このような雑魚、我らで十分」

 その言葉を、ミハイルは片手で遮る。
 それと同時に、鬼の一匹が、まるで待切れないかのようにミハイルに襲い掛かった。
 その瞬間、天空が光ったかと思うと、ひと筋の光が、ミハイルの右手のあたりを突き抜
けた。
 ……鬼は、まるで紙切れのごとく切り刻まれて転がる。
 彼の右手には、豪奢な白銀の長剣が、いつの間にか握られていた。

「エクスカリバーか……初めて見るな」

 赤毛の男は、面白そうに見つめ呟く。

「ガウェイン、パーシヴァル。卿らには悪魔と虫の掃討を頼む」
「……殿下は」
「……奴を……この場で叩く」
「面白い。終末と来るべき日の王が御自ら相手か。楽しくなりそうだ……」
「来い……鷲王とやら。我が誇りあるペンドラゴンの名。汚せるものなら汚してみよ。お
 前の血……このエクスカリバーの錆にしてくれる」
「ご武運を。マイロード」

 思わず、ガウェインが言う。
 そんなガウェインにミハイル……いや、アーサーは応える。

「大丈夫だよ。僕は、一介の無力な旅行者にしかすぎない……けど……」

 ミハイルは、不敵に微笑んだ。

「この剣を携えた時、アーサーの名を冠する者は敗北を知らない」

 紅桜が、まるで悲しむかのようにざわめいた。
 そしてその音は、これから始まる激戦の始まりを告げるかのごとく、辺りに響き渡った。


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