『12』



 誠が空を見上げると、若葉の鮮やかな緑の合間から、清々しい春の澄んだ青と、金色の
木もれ日が目に写った。
 天水村という所は、辺り一面を緑に囲まれた所だ。
 そして、山を一つ越えたあたりが小さな海岸、そして断崖絶壁がある。
 村の中心あたりは盆地になっていて、平野が広がっているが、それ以外は鬱蒼とした森
に囲まれ、所どころに民家が点在し、その屋根から、白い煙が立ち上っている。
 空気は、この時代にしては大変に奇麗で、都市開発の流れをうまく避けたのか、昔なが
らの村の雰囲気を、何百年、いや何千年も守っているようにみえる。
 穏やかな春の息吹に触発されでもしたのか、小鳥達が木々の間でさえずり、木の葉のざ
わめきと共に、自然の合唱を始めた。

「……まるで、タイムスリップでもしたみたいだな。」

 誠は、ぼうっと森の緑に見入ってしまった。
 そんな誠を見て、水波もつられて上を見上げる。

「何か木の実でもなってる?」
「……お前には食い気しかないのか」

 誠は久しぶりに水波に突っ込みを入れたような気がした。
 そんな二人の後ろを、咲耶が控えめについてくる。
 咲耶が木々の間を通る度に、木々がざわめくような、不思議な間隔が誠達には感じられ
る。

「あのぉ〜、誠さま」

 不意に咲耶が声をかけた。

「……何ですか、咲耶さん」
「私って、なんで光基神社に行くんでしたっけ?」

 どっ。
 二人してコケた。

「あ……あのね、咲耶さん。自分の立場とか、状態とか、分かってる?」

 水波がよろよろと立ち上がって咲耶に質問した。

「さあ。私、そういえば、なんで神社までお付き合いするのか、聞いてないなあ、なんて、
 ず〜っと思ってたんですけど、何だかいろいろとありましたでしょ?皆さんにお付き合
 いしているうちに、何だかなし崩し的にここまで来ちゃったもので、いつ聞いたらいい
 のかなあ〜なんて思ったんですね。撚光様という方が、私を保護したいというお話しは、
 一生さんからお聞きしていたのですが、理由は全くわからないでしょ? でも神社とか
 嫌いじゃないから、行ってもいいかな〜、なんて思っているんですが、でもやっぱり小
 真神社を留守にする訳ですから、どれくらい、向こうにいるのかも分かりませんし、や
 っぱりしっかりと聞いておかないと、どうもわたくしの事だから、もしかしたら〜、と
 言うか絶対にいつまでも居続けてしまうんじゃないかな〜、なんて考えてしまって。で
 も、神社だから、やっぱりしっかりとした格好で行けばよかったかな〜でもでも、いつ
 もより今日はちょっとおしゃれなお着物だし、まあ、私的には、いいかな、なんて考え
 て、でも、着物は奇麗だけど、そういえば私の家、お掃除してきた方がよかったのかな、
 なんて考えてちょっと不安になったりして、ああん、私って何だかとってもおっちょこ
 ちょいじゃありません? おほほほほほ……って、聞いてます? みなさん?」

 誠と水波は、何だかがっくりと肩を落して、咲耶の言葉の垂れ流しに
 付き合っていた。二人からは、どこか疲れたような空気が感じがした。

 話長ぇよ。

「……まこと。言ってなかったっけ。っていうか、最後の方、話変わってるし」
「俺はってっきり説明は終わってるもんだと思って安心してた」
「そういえば、撚光さんから連絡がきた、って一生さんから連絡を受けたとこまでしか話
 してなかった気がするんだけど、あたし」
「……そういえば、何も説明してなかったのか? 俺達」
「そういや、誠、あたしたちって、さいしょ、咲耶さんによーじんしてたから、できる限
 り何にも話さないようにしてた気がする。」
「「はあ……」」

 二人は、自己嫌悪と脱力で、再び肩を落す。
 そんな二人を見て、咲耶は不思議、という表情をした。

「あら? どうしたのですか? あ、お腹が痛いのでしたら、うちの庭先で栽培してる薬
 草なんかいかがです? これが、なかなか整腸作用があるんですのよ。今回は特別に差
 し上げますので、どうかお体をお大事になさってくださいまし。と、あれ? なんでわ
 たくし、こんなもの持って来てるんでしょ、おほほほほ。って、聞いてます ?みなさ
 ん?」

 何だかとってもボケが冴えてる咲耶をなんとか黙らせて、水波は、彼女の置かれている
立場、保護する意味を身ぶり手ぶり交えて説明した。

「あ、そうなんですか、私って、そんなに人気ものだったんですね。嬉しいですわ。やっ
 ぱり、私も今年で二十四になりますけど、まだまだ水波ちゃんにも負けてませんわね、
 おほほ」
「……違います。……まこと。やっぱり代わって」

 よろよろと咲耶の前から下がる水波に代わって、今度は誠が、今度こそ的確に女の置か
れている立場、保護する意味を説明した。

「……ええと、咲耶さんの場合、誘拐された、って事もありますし、何といってもあの紅
 桜と、今回の失踪事件の重要人物であると本部もふんでいる訳で。で、咲耶さんの身の
 安全を考慮して、一度うちの方に来てもらって、俺の上司にいろいろと事情を話しても
 らおうかな、と。本部の方も、ある程度事情が分かっていれば、動きやすい、ってのも
 ありますしね。……ふう……」
「ん〜、そういう事でしたら、喜んで。私に話せる事なら、お話ししますわよ」

 にこにこと笑顔を向ける咲耶は、やっぱり自分の今の状態を分かっていないように感じ
る。
 何か隠してるんじゃなかったのか、あんた。
 それでも、ちゃんとついてきてくれるのであれば、誠にしても御の字だ……。
 何だかとても脱力しながら、それでも誠と水波は歩き始めた。
 まあ、もう少し歩けば、村の外れの立て看板の側で、撚光がよこしたワゴンが停車して
いるはずだ。

「ねえねえ、撚光さんって、いつも何してるの?」

水波が、ふいにそんな事を尋ねた。

「ん? ああ、撚光さんなら、神社と鬼切役本部、陰陽寮、神祀庁とのコネクトや、本部
 の要請を下の者に伝える事。まあ、部下をうまく動かすのが仕事かな。鬼切以外では、
 冠婚葬祭での神事、そして神事能なんかもやってるらしい」
「神事能…って、ナニ?」
「神事能というのは、神事において、神社や寺などで豊穰を願って舞われる、神に納める
 能の事ですわ」
「へえ、咲耶さん、よく知ってるのね。」
「ええ、私も巫女さんしてますから」
「……ふうん……え? 何だって?」
「ですから、私も巫女さんですの」
「えええ!? うそ〜! だって、いつも巫女さんのカッコしてなかったじゃない」
「いつも巫女さんの格好をしてる訳ではないですわ。まあ、神社のお掃除や、年末年始の
 神事などでは、たくさんの参拝客が来られるので、その時は、巫女さんの格好しますわ
 よ。毎年、たくさんの方が訪れてくださるので、もう大変ですわ。」

 ほほほ、と笑う咲耶だが、そのたくさんの参拝客のほとんどが男性で、咲耶めあてであ
った事など、全く咲耶は気がついていない。

「まあ、神主さんって、冠婚葬祭以外でも、人以外のもの……人形供養や、大切にしてい
 たもののお払い、最近では、自分の車をお払いに来る方もいらっしゃるので、毎日、結
 構大変なはずですわ」
「ふうん、そっか〜。私も、いつかはそんなののお手伝いをしなきゃいけないのね」
「大変だろうけど、頑張ってくれ」
「もう! 人ごとみたいに!」

 水波は、ぶう、と頬を膨らませる。

「まあ、撚光さんも忙しいからな。そうそう、遊びに出かける事もできないだろう」
「何だか、気の毒だね」
「ああ、そうだな。早く帰って、話し相手にでもなってあげよう」
「うん」

 木漏れ日が三人を優しく照らし、先程まで大変な騒ぎが嘘のような静けさである。
 このまま、なにもかも終わってくれれば、この村は、この静けさを保ったままでいられ
るのだろうか……。
 誠は、そんな事を考えながら、指定された所まで足を運ぶ。
 ……と、ふと立て看板横を見ると。

「あら、誠ちゃんに水波ちゃん」

 どっ。
 また二人してコケた。

「よ……撚光さん……?」

 また水波がよろよろと立ち上がりながら言う。

「ナニしてるのよ」
「ナニって、もう、分かってるじゃない。ナニよ」
「ナニってナニ?」
「だからナニなのよ、ナニ」
「だからナニってナニさ」
「やあねえ、ナニったらナニよぉ、きゃ」
「二人とも黙れ」

 眉間を押さえながら、誠が二人の訳の分からない会話を止める。

「あら〜、誠ちゃん、何だかお久しぶりな感じねえ。これも、あなたや私の昨日が、とっ
 てもとっても濃かったせいね。ふふふ」
「誤解されるような言い方やめてください」
「もう、誠ちゃんって、とてもカタいのね。もっと柔らかくいきましょうよ。そう、この
 ワタシみたいに」

 くねくねと、ごついガタイをくねらせるので、とってもシュールである。あんたは柔ら
かすぎる。
 まるで、ダリの絵画に入り込んでしまったみたいだ。
 一発殴ってみようか、などという考えを思考の隅においやって、誠は撚光に話し掛ける。

「俺はいつでも柔軟ですよ。カタいんじゃなくって、沈着冷静だと言ってください」
「もう、そんな事言うから、いつまでたってもカノジョができないのよ」
「余計なお世話ですよ。で、何故ここにいるんですか。一応撚光さんは、あの神社の神主
 さんなんですから、ちゃんといないとダメでしょう」
「あ、それなら大丈夫。ちゃんと『代理』をたててあるから」
「代理?」
「そ。代理。今ごろ一生懸命払ってるはずよ。さ、私達は、さっさと車に乗りましょ」

 撚光が、ふと咲耶の方に視線を寄せる。

「……あなたが咲耶さんね」

 そう言った時の撚光は、少しだけ視線が鋭かったように感じた。
 が、それも束の間の事だったらしい。

「いや〜〜ん、可愛いわあ、この子。私、うちの神社に雇っちゃおうかしらん」

 くねくねと咲耶に近づく。それを誠が遮る。

「はいはい、分かりましたから、詳しい話は、戻ってからにしましょうね」
「いやん、イケズう」
「……」

 誠は少し頭痛を感じながらも、撚光が現われた事で、今回は偽物ではない事を確認でき
て内心ほっとしていた。
 撚光は、実はそのために自ら仕事場を放り出して来てくれたのか…とも思ったが、咲耶
にスカウトの目を走らせる撚光を見て、その思いを振り払った。

 そんな四人を、木の上から見下げるひとつの人影があった。
 少女。芹沢や新見と共に現われた、一人の少女。その顔に、表情は感じられない。
 誠や撚光にさえ悟られない自然さでその場に留まり、その目を輝かせる。

「……。」

 何も言葉を発さずに、その影は走り始めた車を凄まじいスピードで、木々を飛び移りな
がら、尾行し始めた。
 無表情な顔だったが、その視線は、的確に獲物を捕えるために位置を確かめている獣の
ようであった。


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