『14』

「あーっ! まことっ!」

 水波が悲鳴をあげる。
 誠は、奈々美に蹴り飛ばされて、木と埃の中に消えてしまった。
 ばきばきと悲鳴のような音が、その埃の中から聞こえる。
 奈々美は、何ごとも無かったかのように着地すると、誠が飛ばされた方向を一瞥して、
再び車に向かって走り始める。
 しかし、その瞬間。
 ずどん!!
 地面から、無数の木の根、幹が飛び出して『壁』になる。

「誠さまを傷つけると、ゆるしませんわよ」

 咲耶が、ワゴン車の中から、不敵に微笑みかける。
 奈々美は、咲耶をじ、っと見つめてその木の壁の方に体を向ける。
 そして。

 どん!がつ!ばき!

 木々の壁に向かって、何度も何度も蹴りを食らわせる。長い足が、まるで鞭のようにし
なり、木の幹を傷つけていく。
 木の壁は、その強烈な蹴りに対抗できずに、大穴を開けてしまう。
 そして、その穴から奈々美が飛び出そうとしたその時、奈々美の左側面に突風が吹いた。
 奈々美が顔を向けたそこには、抜刀体制の誠が、虎のような目線を向けていた。

 虎走り。凄まじい速さでダッシュをかまして、一瞬で相手の懐に飛び込む技。
 夢想神伝流抜刀術に伝わる、奥伝のひとつだ。その昔は逃げる敵にも使われていたそう
だが、復興されて以降、この技は主に突撃技としての特徴だけが残り、より攻撃的に進化
していた。

 誠は、一瞬で鞘を返すと、それでも凄まじい速さで刀を抜き出す。
 しかし、人間相手という事で斬りつけることもできず、峰打ちからの抜刀は速度を鈍ら
せる。
 そこに、奈々美の足に付けられたアーマーがくり出される。
 ガキン!
 大きな音と共に、刀とアーマーが撃ち合う。しかし、誠はそのまま刀を百八十度回転さ
せると、そのまま前かがみになる。奈々美が足を振り上げた状態でがくん、とよろめく。
 誠は、屈んだままで奈々美の右側面から背後に回り込むと、凄まじい速さで納刀し、そ
こから体を捻り、遠心力の効いた刀の峰を、奈々美の背中に、打ちつけた。

「あう!!」

 大きな衝撃音と奈々美の悲鳴を伴いながら、彼女の体は誠が叩き付けられた場所へと、
今度は自分が叩き付けられた。
 埃が舞う。木々が折れる。
 誠が、その方向を、睨むように見つめる。

「ま……まこと……ころしちゃった!??」

 水波が、不安そうに尋ねる。

「まさか。全部、峰打ちだよ。さすがに油断できない相手でも、相手は女の子だろ? 綺
 麗な顔を傷ものにはできないしな」

 ひゅっ、と刀を振り納刀する誠。
 どこかほっとしながら、水波は奈々美が叩き付けられた方を見る。
 すると、折れた木々が、ばきばきと音をたてながら持ち上がった。

「うそ」

 水波が、もう笑うしかないわよね、という表情をする。
 奈々美が片手で太い木を軽々と持ち上げて横にぽい、っと投げ捨てると、どおおおん!!
と、大きな音をたてて、木々が再び埃を舞いあげる。

「ひゃああ、ばか力!」

 水波が仰け反りながらワゴンの後ろに隠れる。

「……やっぱり……完成していたのね……ナノマシン群体!!」

 撚光が、今までにないような真面目な表情で、奈々美を見る。

「でも……ナノマシンが大半を占めているとはいえ、ベースとなるのは、生身の体のはず。
 ……まさか……」

 考え込んだ撚光の横を、咲耶がしずしずと出ていく。

「あっ、ちょっと待って!! 咲耶ちゃん!!」

 咲耶は、そのまま誠の側まで来ると、奈々美と向き合った。

「あなたが……さくや?」
「ええ、そう。私が咲耶。でもね、かわいそうな人。あなたと一緒に私は行く事ができま
 せんの」
「どうして?」

 ちょこん、と小首をかしげる奈々美。

「あなたに、自分の存在意義があるように、私にも存在意義があるのです。あなたが私を
 連れていく事を存在意義とするならば、私は、誠さまと共に歩む事こそが存在意義。あ
 の夜の神社で出会った時、私は、確信したのです。『あの時の方だ』……と」

 誠は、少々戸惑った表情を浮かべた。「あの時」とはなんんだろう。

「あの時、私を…幼い心を救ってくださった方が、また私の所に現れた。私は、心が暖か
 くなるのを感じました。だから……私はあなたと共には行けません。どうか、そう『あ
 の人』に…あなたの『お父さん』に伝えてください…………咲耶は……咲耶は戻りませ
 ん、と……」
「わからない。……こころがあたたかい、って……なに……?」

 奈々美は、誠を見る。水波を見る。撚光を見る。そして、咲耶を見る。
 咲耶は、真直ぐに奈々美を見ている。まるで、愛しい妹を見るかのように。
 奈々美も、真直ぐに見返す。奈々美には、分からないのだ。心というものが分からない
のだ。

「でも……やっぱり……つれていかないと……わたし………『はき』されちゃう」

 奈々美が再び腰を屈めて突撃体制をとる。
 咲耶は、ふっ、と、悲し気な表情になった。

「どうして……こんなものをお造りになったの…………お父様…………」

 誠には、最後の言葉は聞き取れなかった。だが、咲耶の表情は、とても悲しそうに見え
た。

「……行きます」

 奈々美が飛び出そうとした、その瞬間。
 横あいから、凄まじいスピードでバイクが突っ込んできた。
 奈々美がそれに気をとられる。
 バイクにまたがったまま、一人の男が、奈々美にバイクごと体当たりをかました。
 バイクと、それに乗った男ごと吹っ飛ばされる奈々美。誠や水波達は、あっけにとられ
てそれを見つめる。
 バイクに乗っていた男が、たん、と跳躍し、誠達の前に飛び下りる。そして、ヘルメッ
トを取る。

「さ……斎藤さん!!?」

 誠は、出てきた顔に驚いた。またか、あんたは。

「いや〜、間に合いましたか、よかったよかった」
「わ……笑ってるばあいじゃないような気がするんだけど、あたし……」
「おお、そうですね。さあ、ここは、私に任せて、あなた方は行ってください」
「え……?しかし、いいんですか、斎藤さん。俺達もいないと、あの少女は……」
「ええ、存じてますよ。しかし、彼女は『悪』ではありません。それは悲しい少女ですよ。
 だから、あなた方と、これ以上戦うのは好ましくない」
「斎藤様。あなたは……ご存知なのですね」

 斎藤は、にっこりと微笑んで言う。

「だから、さあ、行ってください。私は、あの少女を適当に撒いて逃げますから。」

 がらがら、と音がしたかと思うと、バイクが、ぽいっ、と投げられた。
 不幸なバイクは、木々に激突し、爆発する権利も与えられずに拡散した。
 斎藤が表情を曇らせる。
 撚光が、ワゴンを4人の側によせる。

「さあ!! 早く乗って!!」

 誠達は、そそくさと乗り込む。ただ、咲耶だけが、ふと、数秒、奈々美の方を振り返っ
た。

 車が猛スピードで去っていく。
 奈々美は、その車を、ぼうっと見つめていた。

「……追い掛けないんですか?」

 ふいに後ろから声をかけられて、奈々美は振り向く。そこには斎藤がいた。
 まるで寛ぐように煙草をふかす。

「もう……追いつけないから……。……おしごと……失敗」
「帰る道は分かりますか?」
「うん。自分で帰れる。……おじさんは、てきじゃないの?」
「……かもしれませんね。でもそれは、あなた次第です。あなたは、敵だと思いますか?」

ふるふると頭を振る奈々美。

「……分からない。でも、てきだ……って、教えられたから」
「……自分で考えた方がいいですよ。何が正しくて、何が間違いなのか」
「………分からない……」
 奈々美は、とぼとぼと元来た道を引き返し始めた。そんな奈々美を、どこか悲しそうに
見ながら、斎藤は煙草を吹かし続けた。

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 奈々美は、自分の親の言う事は、絶対に聞かなければならないと教えられた。
 色々な知識を教えてくれた父。優しくしてくれた父。だが、奈々美は、そんな父から、
人を殺す術をも教えられた。
 彼女の足は、生きた凶器だ。その蹴りは、生身の人間には耐えられない衝撃を放つ。
 父は、奈々美が技をくり出す度に喜んだ。しかし、奈々美には、何故父が喜ぶのかが全
く分からなかった。
 奈々美は、父から、命令される。咲耶を連れてこい、と。それで父が喜ぶなら、奈々美
はやるべきだと感じた。父は正しいのだ。
 だが、そんな父の意志に、咲耶は反した。その理由が、心が温まるからだという。
 奈々美は混乱していた。彼女にとっては、それは理由ではないからだ。
 言い訳にもならない。
 何故、心を言い訳にしたのだろう。
 ……と、そんな事をぼけ、っと考えていたからか、奈々美は、道が分からなくなった。
 どう行けばいいのか、まるで分からない。
 きょろきょろと辺りを見渡してみるが、まるで何処だか分からなくなってしまった。
 少し適当に歩いてみるが、完全に迷ってしまったようだった。
 奈々美は、暗闇は恐くない。彼女にとっては、それは自分の故郷でもあるのだから。
 奈々美は、近くの太い木の根元に膝を抱えて座った。あした明るくなれば、帰れるだろ
う。
 そんな事を思っていたその時、人の気配を感じた。
 つい、っと、奈々美が顔を上げる。すると、そこには……

「あん? 何やってんだ、女の子がこんなトコで。ははあん、道にまよったか?」

 茶色がかった、肩まで伸びた長髪をかきあげて、男が語りかける。
 奈々美は、きょとん、とその男を見つめた。

「俺の名は、ひなた。御月 陽、ってんだ。まあ、よろしくな。……んで、お前さんは?」
「ななみ。わたし……奈々美」

 奈々美は、何故かあっけらかんと笑う男に、どこか親しみを感じていた。
 何故だかは分からない、なんとも言えない親しみを……。



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