『15』


「……俺は一体ナニをしてるんだろう」

 陽は、何故かくっついてきてしまったお荷物をちらりと一瞥してつぶやいた。
 彼の後ろには、黒のつなぎに身を包んだ少女が、何を考えているのか分からない表情で、
とぼとぼと付いてきている。

「道は教えたんだがなあ……」

 彼女は、陽が教えた道を素直には通らず、本来別れるはずだったY字路にさしかかっても、
教えた道を通らず、陽にくっついて、とぼとぼ歩いてきた。
 陽は、彼女に道が違うと説明して、わざわざ手を引っぱってもと来た道を戻って正しい
道に押しやってから、自分の帰り道に戻る、というのを三度ほど繰り返した。
 最後には、女の子を担いで戻り、置物を置くかのようにその場に残し、相手を置き去り
にしてダッシュをかました。
 確実に撒いた……はずだった。

「まって」
「ぬおおおぉぉぉっ!」

 背後から背中を突かれて、陽は叫び声をあげて飛び上がった。
 飛び上がりついでに、木の枝に飛び移り森の中に消える。

「こうなりゃ、意地でも撒いてやる」

 陽は、なんだかヤケクソぎみに叫ぶと、そのまま森をあっちこっちに飛んだり飛び降り
たりしながら森を迂回して、先程いた道から、少し進んだ同じ道へと飛び出した。途中、
付いてきている事を想定して、草むらに隠れて撹乱させたり、音をいろいろな物で拡散さ
せながら目標を見失わせるなど、隠密部隊さながらに動きまくって逃げた。
 陽にとっては、こういったものも訓練の一つとして、特殊部隊在籍時に徹底的に叩き込
まれているため、お手のもの……のはずだった。

「はあ……はあ……よっしゃ、これだけ頑張りゃあ、十分だろ」
「……終わり?」
「うおあーーーーっ!」
「もうおいかけっこは終わり?」
「お……おいかけっこ……って……おい」
「違うの?」
「ちがう……」

 陽は膝に手をついてため息をつく。

「……どうしたの?」
「疲れてんだよ」
「どうして疲れるの?」
「お前のせいだろうが」
「なんで、私のせいになるの?」
「じゃあ何で疲れていると思ってるんだよ」
「……」

女の子は、ちょっと首をかしげて考えて、言った。

「……走ったから」
「こ……こんにゃろう……」

 陽は、確かに常人が驚くようなスピードで走った。体内がナノマシンによって戦術用強
化が施されているからだが、そのスピードに、この少女は付いてきた。とっても無表情の
ままで。
 それだけでも疲れたというのに、どうもこの女の子は、性格的にかなり掴どころがない
らしい。それで陽はもっと疲れてた。
 ただの天然、というのとは違う、もっと根本的な所でにズれているような気がした。
 このままずっと付いてくる、などという事はない……と思いたいが、それでも陽にとっ
てはうっとおしい事この上ない。
 家の方向は分かっているから、彼自身が連れて行ってもいいのだが、そうできない理由
が陽にはあった。
 それは、彼女が教えてくれた住所の位置が、『白い家』だったからである。陽は、白い
家での出来事に、思いを巡らせた。
 まさか、あんなものを見るなんて……最悪だ。
 それが、陽の素直な感想だった。

                  $

 陽は白い家に潜入した際、様々なものを見つけた。
 様々な配線は、数多くのパソコン類が起動していた事を物語り、その数が想像を遥かに
超えていた事。
 扉が、凄まじい力でねじ曲げられていた事。
 無差別な破壊活動は全て、巨大な岩のようなものが当たったものや、引き裂かれたもの
ばかりで、弾痕がまったくなかった事。
 破壊活動に規則性や計画性がない事から、鬼の存在があった事を予測するのに容易な事。
 そして、地下に奇妙な施設があり、手術台や医療用機具などの痕跡と、そこが病院など
とほど遠い建物である事から、違法な人体実験の施設であったかもしれない、という事。
 そこで、自分の名前の書かれた、養育カプセルを発見した事。
 いろいろな想像はできる。だが、それらは全て憶測の域を出ない。
 どちらにしても、御月 陽、などという名前が、そう何人もいるはずがない。
 あれは、もしかしたら自分のものかもしれない。陽は、そう考えて、胸に黒い固まりが
できたような気がした。
 実は、陽には、幼い頃の記憶がない。いや、ない、というよりは、思い出せないのだ。
 八歳以前の記憶が。
 記憶にあるのは、自分が養父母と初めて会った時の事、そこから普通の家族の生活が始
まった事……。
 自分の母親は死んでおり、自分が里子に出された事は、陽が十五の時に聞かされた。
 誰が連れて来たかは、養父母は誤魔化して言わなかった。
 陽にしても、それが何であっても、今の家族が気に入っていたのでそれ以上詮索はしな
かった。
 自分を置き去りにしていなくなった本当の父などより、育ての親を、陽は心から愛して
いたからだ。

『陽 推定年齢 八歳』

 陽は嫌なものを振り払うかのように、ぶるぶると頭を振った。

「……ひなた?」

 女の子が、ちょこん、と首をかしげる。
 肩のあたりで切りそろえられた青い髪の毛がさらりと流れる。

(青い髪……か。染めているって訳でないとすると……遺伝子の塩基配列の誤差が生み出
 した色素異常か……)

 陽は、女の子を見て、どこか諦め顔でにっ、と笑う。
 いや、覚悟を決めた笑顔だったかもしれない。

「何か動いたらハラ減ったな。おごってやるから、お前も来い」
「うん」

 女の子はまるで遠慮がない。

「お前さん、断わるかと思っていたが、何だかあっさりしてるな」
「お前さんじゃないもん」
「ああ……ええと」
「奈々美……」
「ああ、そうそう奈々美さん」
「奈々美でいい……」
「はいはい……」

 陽は、何だか子守でもしている気になって、どっと体が重くなる。

「ハンバーガーでも食うか。ほれ、行くぞ」

 陽は、世間知らずの娘でも連れたかのように保護者ぶって先を歩いた。

                   $

「……うまいか?」
「……?」

 奈々美は、もぐもぐと口を動かしているが、何を言われたか分かっていないようだ。

「『うまい』って、何?」

 ごっ。
 陽はテーブルにつっぷした。
 実は、『もぐもぐ』をさせるのにも陽は苦労したのである。
 最初、陽がハンバーガーとポテト、アイスティーを乗せたトレイを奈々美の前に置いた
時、奈々美は何だか変な生命体でも見たかのような表情でそれをじっと見つめるだけだっ
た。
 陽が、ハンバーガーの袋を開いて食べ始めると、まるで真似をするかのように袋を開い
て、口に入れた。だが、入れたままじっとしていた。
 陽はそれに気がついたのは、彼がハンバーガーを食べ終って、ポテトに作業を移した時
だった。
 奈々美は、何だか奇妙な顔で、口に入れたハンバーガーをもごもごとやっていた。陽が
慌てて嚼むように言う。

「こらこら含んでないで、ちゃんと自分の歯で嚼みなさい」
「……? かむ?」
「あっ、こら、口に含んだまま話しちゃいけません。はい、嚼んで」
「……ん」
「はい、連続して嚼む、嚼む」
「……ん。ん。ん」
「……声は……出さなくてよろしい……」

 もぐもぐと食べ始めた奈々美を見て、言った陽の台詞に対する答えが先ほどのそれであ
る。
 口にいれたままで喋ったため、ハンバーガーの食べかすがぼろぼろと落ちる。
 それを陽があわててウェットティッシュで拭く。

「あああ、全く。ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」
「……んぐ」

 ごくりと飲み込んだものの、奈々美はどこか無理しているようだ。

「ほれ、紅茶飲め……全く。お前歳いくつだよ」
「……十六……って言ってた。お父さんが」
「……言ってた? お前、ハンバーガーを食べたの始めてか?」
「うん。口に何か入れたのも始めて」
「……え?」
「いつもは、ここに管を差し込むの。いつもは密閉されてるけど、栄養剤を入れる時だけ
 食道に通じるんだって」

 そう言って、奈々美が、つなぎ服の前のジッパーを、じいいいぃぃ〜、と無造作に下ろ
していく。
 歳のわりに大きな胸が一瞬あらわになる。周りの客が、ぎょっとして顔を向ける。
 もちろん視線が集まる。

「うわわわわっ!!」

 陽が慌てて周りの視線から奈々美をかばい、ジッパーを思いきり上に上げた。
 その時、陽は、奈々美の胸に刻まれた焼き印を見つける。その上には、奇妙な小さな穴、
そして文字。

『TYPE 1』

 そこには確かにそう刻まれていた。

「……どうしたの?」
「……お前という奴は……。恥じらいはないんかい。まったく、下着も付けないで。」
「恥じらい? 下着って何? それ、どこに付けるの?」
「はああぁぁ…………」

 陽は、今さらながら、とんでもない奴と一緒にいる事を自覚していた。
 天然、とかいうレベルじゃない。そんなものとはケタが違う。しかし、言い替えれば、
「何も知らない」、とも言える。
 人前で、無造作に肌を晒さないように念を押して、陽は自分のイスに座り直す。
 奈々美は、黙々とハンバーガーやポテトを口に運んで、喉に詰まらせては、紅茶をがぶ
飲みしている。口の周りは、ソースでべたべただ。

「ああ……もう、全く。ほれ、顔こっちに向けて」
「ん」

 顔を向けた奈々美の口を、ウェットティッシュでごしごしと拭いてやる。
 こんな十六歳見たことない。
 陽は、自分が十六歳だった当時の事を思い出して、そう思った。
 俺が高校生の時には、こんなの一人もいなかったな……。
 そう思いながら、陽は奈々美を見る。
 彼女は、知識があるのに無知なのだ。だから、恥じらいも知らない。非常に精神と肉体
がアンバランスだ。
 一体何者なんだ?
 陽は、この得体のしれない少女に、敵対心は抱いてはいなかったが、心を許せるとは思
っていなかった。
 白い家。
 その言葉と、そこにあった実験室のような部屋のイメージが、そうさせているのだ。

「ま、何にしても、うまそうに食ってるな。よかったよかった」
「うまい?」
「美味しい、って事だ。もっと食べたい、って思う事」
「うん。もっと食べたい」
「……うん?」
「もっと食べたい」
「あ〜……はいはい」

 結局、陽と奈々美はハンバーガーをもう1個おかわりして、店を後にしたのだった。

「おいしかった」
「ああ、そうですか」
「うん、また行こうね」
(勘弁して……)

 陽はぐったりとうなだれながら、奈々美を連れて歩き出した。
 奈々美は、陽の後ろを、とぼとぼとついてくる。

「連れていってくれるんでしょ?」
「ここで別れようにも、必ず付いてくるんでしょうが」
「うん」
(いい根性してやがるな、こんにゃろ)

 陽は、片方の眉をぴくぴくと痙攣させながら、苦笑い…のようなものをしていた。
 そして二人は向かった。陽が先ほど忍び込んだ白い家に、今度は真正面から……堂々と。


←『14』に戻る。 『15』に進む。→
↑小説のトップに戻る。