『16』


 時は少し遡り、奈々美と別れてからの柊御一行様。
 森は静寂を取り戻したかのようだった。鳥の囁きや風が森を鳴らす音が聞こえる。
 それに混じって、車の駆動音が森にこだまする。

「やれやれ、とんだメにあっちゃったわね。大丈夫? みんな」

 撚光が、ほっとしたのか、大きなため息と共に言葉を絞り出した。

「一体、何だったんだろう、あの子……」
「あの子はね、ナノマシン群体よ、……だぶん、だけどね」
「……ナノマシン群体?」
「ナノマシン群体とは、文字通り、身体中がナノマシンで構成されている生物の事を指す
 わ」
「え? じゃあ、あの女の子って、ロボットなの?」
「その言い方は、少し違うわね。確かに、身体中がナノマシンでできあがっている彼女だ
 けど、その設計図になったものは、人間の遺伝子よ。そして、彼女自体は、人間の精子
 と卵子を結合させて生まれてくる。生まれ立ては、普通の人間なのよ」
「まさか……生まれたばかりの赤ん坊に、ナノマシンを植え付けるのか……?」
「その通り。彼女の中に注入されたナノマシンは、成長著しい細胞の増殖と変化から、人
 間の組織構成を学び、増殖し、より【進化】する方向へとその体を導いていくの。最終
 的には、細胞と同化し、ナノマシン自らが、成長を担うようになるわ。あの女の子……
 奈々美ちゃんとかいったかしら。あの子が、車から落とされたり、高速で走ったりして
 も無傷だったのは、ナノマシンによって、体が細胞レベルで強化されているためなの」

 ワゴンは森を越え、大きな国道へとさしかかる。
 撚光はさらに話を続ける。

「もちろん、神経伝達組織や、脳内シナプスなんかも、通常の人間の……そうね、およそ
 百倍にはなるんじゃないかしら。おそらく、学べば学ぶほど、強く賢くなるわよ、あの
 子は」
「そうか……」

 誠は、自分が先ほど戦った少女の動きを思い出して納得した。
 あれは、生身の人間には不可能な動きだった。それに数トンはある大きな木の幹を、ま
るでゴミを捨てるかのように投げたのも、ナノマシンのおかげだろう……。

「ふにゅう……」

 横では、撚光の説明についていけなかった水波が、話に付いて行けなかったのか、頭か
ら湯気を出していた。

「あらあら」

 先ほどから黙って聞いていた咲耶が、水波の頭を、自分の方に寄せて膝枕をする。
 水波は、相変わらず目を回しているが、どことなく気持ちよさそうだ。

「ところで誠ちゃん、久しぶりの天水村は、どうだった?」
「……? 久しぶり?」
「……ああ、覚えてないのね。あなたのお父さんから以前聞いた話だったんだけどあなた、
 八歳くらいの時、あの村にいた事があるのよ」
「そうなんですか?」
「小さい頃、空気の綺麗な所でお稽古や学び事をすると、吸収も早くなる、とかいって、
 夏とかに長期で滞在してたりしたのよ」
「あ……やはり、そうなんですね。やはり、「あれ」は誠さまだったんですね」
「……「あれ」ってなによう」

 水波が、咲耶の太ももを枕にしながら頬を膨らませる。

「ふふふ、こちらの事ですわ」

 咲耶は、どこか照れるように、口に手をあてて微笑むだけだった。

「さて、水波ちゃん。あなた、帰ったらお勉強だからね。確か、春休みの宿題、残ってた
 わね。カクゴしなさいよ」
「うえええええ〜〜〜」

 咲耶の膝枕から飛び起きて、水波が悶える。

「何よ、その気の抜けたお返事は。お勉強なんて、「解き方」が分かればラクショーぢゃ
 ないの」
「それができないから困ってんじゃないのよう」
「大丈夫。私、古典と漢文は得意だから。学生の本分は、やっぱりお勉強よね」
「ふえええ……」
「じゃあ、俺は、英語や数学ならいけるぞ。質問があったら言えよ」
「あうう……」
「じゃあ、私は、日本史なんかでよろしければ、お教え致しますわ」
「……ああうううううう……」

 水波は、今にも泣きそうな表情で、三人をきょろきょろと見渡す。
 また、頭から湯気が出始める。そして……

「きゅう」

 そのまま倒れてしまった。

 天水村から、車を走らせて四時間と少し。日は西の空を赤く染め始める。
 水波と咲耶は、仲良く肩を並べて、すやすやと眠っている。
 この時代でも、高速道路はしっかりと使われている。
 高速道路は、着工当初は、通行料は取らないという約束だった。
 しかし、かかった費用を徴集できず、ずるずると今まで高速料金を取り続けている。
 役人も、もう高速道路はタダのはずだった、などと言う事は、キレイサッパリ忘れてい
るだろう。
 道路関連業者の組織票しかアテにできない古い政治家などは、「子々孫々まで払い続け
るべきだ。それが、国民の義務だ」と偉そうに言っていたが、自分の子々孫々が高額の高
速料金を払う事になるとは思わなかったのだろうか。
 政治家とはいえ特別扱いはその議員のみ。その議員が死ねば、残された家族が特別扱い
などされる訳が無い。
 自分の都合で国民に回したツケは、自分の家族にも跳ね返ってくるのだ。
 ……と、こんな事は、眠りこけた水波と咲耶には、どうでもいい事ではあるが。

「……さ〜て。やっと到着ね。みんな、お疲れさま。……たった一泊だったけど、みんな
 結構疲れてたようね。ふふ」
「知らない人と出会う事が多かったし、色々な経験もしたからなあ。……撚光さん、咲耶
 さんの宿泊先ですが……」
「分かってる。確か、咲耶ちゃんって、巫女さんだったわね。水波ちゃん、まだまだ見習
 いだし、ここは泊める傍ら、お姉さんにお手本でも見せてもらいましょう」
「……どうも」
「ああ、そうそう、今夜は、誠ちゃんもウチに泊まりなさい」
「え、俺もですか」
「色々と生で報告聞きたいしね。……でも、まあ、本音を言うとね。みんなとごはんを食
 べて欲しいのよね。」
「え?」
「独り暮らしって、寂しいものよ。家族で楽しくごはんを食べる事を覚えてしまったら、
 もう独りでは暮らせないわ。そういう感情を、誠ちゃんにも持ってもらいたいって訳。
 結構楽しかったでしょう?みんなでごはん食べるの。」
「……ええ。そうですね。」

 誠は、昨日の夜からの食事を思い出した。
 独りで食べるより、よっぽど美味しい、と思ったのは確かだ。

「決まりね。さ、着いた。はいはい〜お二人さん起きて起きて〜」

 撚光が、ぱんぱん、と手を叩くと、水波と咲耶が、眠そうに眼を擦りながら起き上がる。

「あら、私、眠ってしまいましたのね。残念。色々と知らない場所は、見ておこうと思っ
 てましたのに。」
「ああ〜〜っ、着いた着いた〜。……たった一泊だったのに、何か久しぶりな感じ。」

 木々が鬱蒼と生い茂る中、広々とした駐車場が作られている。
 そして、その一部が開けて、階段が長々と続いていた。

「さて、私は、みんなの荷物をさっさと運んじゃうから、眠気覚まして頑張って階段登っ
 てねん」
「ええ〜? ねえねえ、撚光さん、私も一緒に運んで♪」
「だ〜め。この際だから、ごはんの前に、軽く運動しときなさい」
「……軽くってほど段数少なくないんだけど……」
「ほほほ。この程度でだらしないわね。じゃ、あたし先に行くわね。あでゅ〜〜」

 誠達の荷物、といっても、そんなに大きいものではないが、それを四人分担いで、撚光
は軽々と駆け上がって行った。

「何て人だ」
「ほんと。ちょっと趣味変わってるけど、凄いよね」
「……でも、神主さんが、あのような方とは思いませんでしたわ。……とっても面白い方
 ですわね。ふふ」
「まあ、あの人は、素であんな感じだからな。でも、誰よりも先を見つめてる人でもある。
 敵に回したくない人だよ」
「さあさあ、みんな、がんばってのぼろ〜」

 そう言って水波が階段を登り始めた時、一人の男が、道を塞いでいるのが見えた。

「お前さんが……【ひいらぎ まこと】か?」

 男は、不敵な笑みを浮かべて、誠を見下ろしている。
 その肩には、赤い傘を担ぎ、着崩した藍色の着物に巻いた赤い帯に、一本の刀を縦に刺
している。

「そうだが……俺に何か用かい?」
「ああ、別に用ってほどの事ではないねん。ちょっと、そこのべっぴんさん、こっちに渡
 して貰お思うてな。」
「何だって?」
「何や、耳の遠いやっちゃなあ。そこの、咲耶、とかいう女の人、こっちに渡してくれた
 らええねん。悪いようにはせえへんで」

 男が、咲耶を値踏みするように見る。どこまでも挑発的だ。

「俺達は、これから、この先の光基神社に行く事になってる。事情があるなら、そこで話
 せばいい。咲耶さんは、俺達から離れる事はない。ここにいる間はな」
「ほほ〜……カッコええやん、あんた。でもなあ、こっちにも都合ちゅうもんがあんねん。
 ……もし、渡してくれへんのやったら、こっちにも、それなりにやり方、ちゅうもんが
 ある」
「……何が言いたい?」
「そやな。そこのチビッコ、先に痛め付けさせてもらおうか」
「誰がチビッコだ!!」
「可愛い女の子が痛い目ぇ見んの、あんさん好きやないやろ?」

 にやりと笑みをこぼす男。
 誠の表情から、穏やかさが消えていく。

「どうしても渡さへん、って言うなら力ずくで取るで」
「……お前……何者だ?」
「さあ……誰やろな。とりあえず、あんさんとは穏やかならん間柄、って所でどや。今ん
 所は」
「こんな穏やかでないやり方をするのに、一体何の意味があるんだ?」
「さあな、今のあんさんには、な〜んも関係ない話や」
「咲耶さんを、どうするつもりだ?」
「……今夜いっぱい付き合うてもらおか。まあ、あんさんが弱いんが悪いんやで。せいぜ
 いキバりや。」

 ぴりっ、とした空気が漂う。
 男は片手に担いでいた傘を投げ捨てると、黄色の柄巻の太刀に手をかけた。

「さあ、かかってきてええで。最初の一太刀くらいは、先に撃たせてやる。せめてもの「武
 士の情け」や」
「……日本語の使い方を誤るなよ」

 男の周りを突風が吹き抜けた。

「!」

 スキだらけの男の懐に、あっという間に飛び込んだ誠が、そのまま、抜刀する。

「くそ!」

 男の朱色の鞘が、なんとかその一撃を受け止める。しかし、勢いを止
められずに、駐車場の土をえぐり飛ばしながら吹っ飛んで、木々に激突した。
 埃が舞い、男を隠す。その土煙の中から、男が再び現れる。

「……やるな。まさか、ここまで速いとは聞いてなかったで。……さすが、【あいつ】が
 推薦するだけはあるな。『鬼切』の異名はダテとちゃう、って訳か(……っていうか話
 がちゃう……)」

 男が不敵に笑いながら、誠の正面に対峙した。
 何だか言葉の最後の方を濁した喋り方だが、その表情には余裕がある。

「……うそ! 何で効いてないの?」
「効いて無い訳あらへんやろ、おチビちゃん。ワイがただの人やったら、多分今の一撃で
 体じゅう複雑骨折で即入院や。……けどな」

 男が、朱鞘から刀をすらりと抜くと、その刀身が輝き始めた。

「……器使い……」

 誠が、男を見据えながら呟く。

「そう。ワイも、器が使える。……この意味……分かるか?」

 誠が、静かに抜刀の構えに入った。

「ええ判断や。ワイを倒そう思たら、それしかないわな。器使い同士で長々戦うと、周り
 のもん、かたっぱしからぶっ壊して後始末するもんが迷惑する。戦ったやつらもダダや
 済まへん。……お互い、できれば一撃必殺でしとめなあかん、って訳や」

 誠と男が、正面で向かい合い、構える。

「水波、咲耶さん、階段の側へ。俺が仕掛けると同時に、階段を駆け上がれ」
「……うん」
「分かりましたわ」

 誠が水波と咲耶に声をかけると、男はニヤリと笑う。

「……さあ、やろか……鬼切!」

 男の持つ刀の放つ光が、一層強くなった。


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