『18』


 誠が綱と一戦交えているその時。場所は代わり、東京湾岸である。
 ここ東京湾岸は、埋め立てが進み、もう殆ど「湾」というものを残していない。
 埋め立てられた上には、ビル群やマンション、高層ビルに道路網の類いが乱立し、形だ
けの木々が、緑をささやかに主張していた。
 この湾岸沿いは、富士山麓で鬼との大戦争があり、その周辺が荒れ果てたせいで多くの
避難民が押し掛けていた。
 マンションや住宅類の約3分の1は、そういった避難民達の第二の故郷になっている。
 そこに新選組の藤堂平助が、この湾岸沿いにある、藤堂グループ本社へと足を運んでい
た。

「……藤堂会長はいらっしゃるか?」
「申し訳ございませんが、アポイントメントのない方をお通しする訳にはまいりませんが」
「私は藤堂平助だ。父……いや、会長に……取次いで頂きたい」
「あ……少々お待ちください……」

 受付嬢が、社内ホンに耳をつける。

「あ、秘書課ですか?……会長へお取り次ぎを……息子さんが……ええ、はい……分りま
 した……」

「お待たせ致しました。奥のエレベーターから、35階へ登り、突き当たりにお進みくださ
 い」
「すまない、苦労をかけた。失礼する」

 藤堂は、軽く頭を下げると、足早に受付嬢の前を後にした。

「ねえねえ、今のカッコイイ人、誰?」
「え〜、あなた知らないの? あれが、会長の一人息子の、平助さんよ」
「きゃ〜、うそ〜、すっごいカッコ良くない? 私、話しとけばよかった」
「でも、これあたしのカレから聞いたんだけど、あの人、幹部連中には、あんまりウケが
 よくないみたいじゃない」
「……なんでよ。すごくカリスマありそうじゃない」
「……そうね、会長の愛人のお子さんじゃなけりゃね……」
「……」

 藤堂は、真直ぐに前だけを向いて社内を歩いた。胸を張り、堂々と。
 しかし、その耳には、社員の内なる声が聞こえ、その目線が、肌にぴりぴりと突き刺さ
るようであった。

(みろよ……愛人の子供だぜ……)
(すごくいい根性してるよな……堂々としてるぜ)
(メカケの子のくせに、正妻に子供が産まれなかったおかげで、権力一人占めかよ。何だ
 かムカつくよな)
(幹部連中がどんないびり方するか、今から楽しみだよな)

 藤堂の耳には、そんな言葉が、その目線や雰囲気から、確実に聞き取れた。
 彼が視線を囁く者達に向けると、皆ささっと視線を外して、何ごとも無かったかのよう
に仕事に移る。
 自分は、この場所に相応しい人間ではない……。
 自分がいるだけで、こんなに社内が騒がしく…それも悪い意味で騒がしくなるのだから。
 藤堂はそう心の中で呟くと、会長室のドアをノックした。

「藤堂会長、藤堂平助様がいらっしゃいました」
「うん、ここへ通してくれ」
「畏まりました」

 第一秘書が、うやうやしく、無表情に平助を会長執務室へと通した。

「……どうした、改まって。話なら、家にでも来てくれれば、いくらでも聞いてやるのに。
 何か暮らしに不満でもできたか?」
「……そのような話ではありません。今日伺ったのは、天水村での一件についてです。会
 長」

 藤堂グループ会長、藤堂 辰巳(とうどうたつみ)は、その鋭い目と、太い眉を、ぴく
りと一瞬動かした。

「……平助。未だに私を父とは呼んでくれんのか。おまえは、いずれこの藤堂グループを
 背負って立たねばならん男だぞ」
「私は、あなたとあなたの家庭を…家族と呼ぶつもりはありません」
「……小百合の事は……しかたがなかったのだ。藤堂グループは、大きくなり過ぎた。も
 はや、会長個人の判断や我がままでどうにかできるレベルではなかったのだ。あの時小
 百合の側にいられなかったのは、私のミスだ……だが……私はいずれ、小百合を正妻と
 して……」
「分かっています……理性では。ですが、私の感情があなたを許しません」
「……平助……まだ、新選組を抜けないのか」
「私の信念に反する事です。私は……これでも八番隊組長です」
「……。平助……、お前が小百合に似ておるのは、表情だけかと思っておったが……頑固
 で意志を曲げない所まで、彼女に似てきたな……」
「今は、そんな話をしに来たのではありません、会長。もし、話を長引かせて時間稼ぎを
 なさりたいのであれば、他の機会にどうぞ」

 藤堂会長は、平助から目線を外し、葉巻きの先をかじって火をつけた。
 葉巻き特有の香りが、会長執務室に漂う。
 そのまま、会長は椅子から立ち上がり、平助に背を向けて、大きなガラス窓から、外を
眺めやる。

「……天水村での事、と言ったな。そこで何があったのかは、私も情報を得ている。しか
 し、それは、わが社と何ら関わりのない事ではないのか? 失踪であるなら、警察の管
 轄。鬼が出たのなら、それこそ、お前の管轄だ」
「それが、ナノマシン・フュージョン・プロジェクトが関わっていなければ、の話です」

 ナノマシン・フュージョン・プロジェクト。
 この言葉に、藤堂会長の顔が険しくなる。そして、平助の方を向き直る。

「……NFプロジェクトだと? お前、あれは、何年も前に、人間の道徳性、倫理性の観点
 から、永久封印された実験だぞ。研究施設も破棄されている。あの実験に関しては、わ
 が社の研究機関の中でも、さらにごく小数の人間しか知らん。それに、知っておる人間
 については、すべて把握しているはずだ」
「……生きている人間、に関しては……でしょう?」

 藤堂会長の目つきが、さっきまでにも増して鋭くなる。その視線と、平助の視線が、激
しくぶつかり合う。

「まさか……そんな事はありえん!『奴』は……あの裏切り者は、確かに……」
「やはり、口封じで誰かを殺そうとしたんですね、会長」
「……やむを得なかったのだ。あの男は、あのプロジェクトを私用に使おうとした。それ
 だけでなく、死者蘇生……しかも、鬼の蘇生に関する実験に手を染めたのだ」

 藤堂会長は、大きく息を吐き出し、気持ちを落ち着かせる。
 そして、再び語りだす。

「その技術を持って、器使いの危険人物であった、芹沢、ケイらに近付いた事が判明した。
 有能であったあの男を、私は完全に信用していた。だが、その穏やかな表情は、ただの
 「仮面」でしかなかったのだ…。奴は、ウィルス研究の第一人者であり、生命の進化に
 ついて、生命の神秘についての造詣も深かった。奴が、奴の知識が、鬼の手に渡ったら
 ……それを考えると……人類のためにも……やむを得なかった」
「『しかたがなかった』『やむを得なかった』……あなたは、いつもそうですね。そうや
 って、起こった事に対して全てを運命のせいにすれば、さぞ、楽でいいでしょうね」
「ではどうすればよかったというのだ!!我々のやってきた事を全て公開して、国民の審
 判を仰げと!!? それこそ、冗談ではない!! 今、我々が崩壊して困るのは、お前
 達、鬼と戦う者達……ひいては、国民ではないか! わが社は、お前達器使い達に多大
 な投資を行い、その兵器開発を手助けしている。その事を、忘れた訳ではあるまいな!
 平助!!」
「別に、日本の会社だけが、兵器開発に携わっている訳ではありませんよ、会長」

 藤堂平助の言葉に、会長は言葉を詰まらせる。

「同姓同名の者がいたとしても、確実に消したと思っていたので、確認も取っていなかっ
 たようですね。その裏切り者の名前を確認したいのですが」

 会長は、一瞬目線を下げ、さも無念そうに言葉を吐き出した。

「……一生……正臣」

                   $

「うぉ!! なんだこりゃ!?」

 素頓狂な声をあげたのは、新選組の特攻隊長であり、しんがり隊長の原田 左之助。
 彼等は、天水村の観光地、小真神社へと足を運んでいた。
 だが、その神社は、境内こそ無事であったものの、その周辺は、哀れな有り様であった。
 石畳ははがれ、転がり、土は抉れ、周りの木々は、数カ所でなぎ倒されていた。

「……これは……また酷い有り様だな。一体、何があったというのだ」

 新選組局長、近藤も同様を隠せない。

「なあ、近藤さん、これぁ、やっぱり……」
「うむ。間違いなく、器使いが戦った後だ」

 人間の力を遥かに超えた力がそこで発揮された事は、この状況からも想像できる。
 決して、ブルドーザーで暴れた訳でも、ミサイルが落ちたのでもない。鋭利な刃物で切
り刻まれた跡がはっきりと残っていたからだ。それも、岩や、石畳、地面にだ。

「うわ〜、これは凄いね。ねえねえ、お姉ちゃん、早く来なよ。めちゃくちゃだよ」

 穂野香が、階段の上から、ぴょんぴょん飛びながら、姉の沙耶香を呼ぶ。

「ちょっと……もう、待ってよ。みんな速いんだから……。」

 ふうふう、と息を切らして、沙耶香が登ってくる。

「だらしがないなあ。前に化け物をすぱーん!!と蹴り倒した時みたいに、ささっと登っ
 てきなよ」
「無茶言わないでよね。あの時は、私も必死だったんだから」

 そんな二人の会話を聞きながら、近藤は、二人を『発見』した、あの四年前を思い返し
ていた。

(そうか……彼女達の力を見たのは、あれが最初で最後だったな。あの力はやはり、木乃
 花 咲耶と同類のものか……だとしたら……彼女達は……)
「……? どうしたい、近藤さん」
「ん、ああ、いやいや、何でもない」
「それより、ほら、あそこに、ガイジンさんがいるぜ。…言葉通じるか分からないけど、
 とにかく、何があったか尋ねてみようぜ」

 近藤が目線を向けたそこには、一人の金髪青年が、ぼ〜っと、
境内に座って、何やらぶつぶつと言っていた。

「ああ〜、ポケットマネーで直すって確かに言ったけど……。僕が『大丈夫』って言った
 らガウェインもパーシヴァルも、『じゃ、よろしく。』だもんなあ。薄情だよなあ。普
 通、こういう時は、『いや、私達にも責任がありますから、ここはワリカンで』とか、
 絶対に言ってくれるよなあ。ああ、薄情もん。誰か、このミハイルくんに愛の手を……」

 何だか一人でぶつくさ言っているが、どうやらニホンゴは通用するらしい。
 近藤が、何気なく話し掛けた。

「ああ、ちょっとお聞きしたいのですが……」
「あ……はいはい、何でしょう?」

 どこか間の抜けた返事に、ちょっと力が抜けそうになる近藤。

「いや、私達は、この桜並木を見に、観光でやってきたものなのですが、いや、これはま
 た凄い荒れようですな。一体、ここで何があったのですか?」
「ああ、それがですねえ、ここで、器使いのお兄さん達が暴れたらしいんですよ。全く、
 許せませんよね! こんなフウコーメイビーな所でこんなに暴れるなんて!!」

 誰がやったかなど遠い棚の上に放り投げて、いけしゃあしゃあとのたまうミハイル。
 だが、その受け答えに、近藤は真面目に頷き返している。

「やはり、ここで何かあったのですな。ふむ……」
「考え込んでも、何もないぜ、近藤さん」
「そうそ。ここは一旦、荷物置いてから、ゆっくり考えようよ。先に来てる一達にも、ち
 ゃんと挨拶しとかないとね」
「とりあえずは、さい……藤田さんに、ご挨拶してきましょうよ。何かあった時に助かる
 わ」
「そうだな。歳のバラガキも、捕まえにゃあならんしな」

 そんな4人の会話を聞きながら、にこにこと微笑んでいるミハイル。

「ところで、紅桜、とは、どの桜か、ご存じですかな。……もしや……その戦いで、折れ
 てしまったとか……?」
「ん、ああ、それですよ、それ」

 ミハイルが指差したそこには、花を付けた桜が、満開に咲き誇っていた。
 その花びらは、やはり、血を吸ったかのように赤い。

「うわー、あっかいねー」

 穂乃香が紅桜の周りをぐるぐる走り回る。

「くれないざくら……これがそうか」

 近藤達は、その赤い花の持つ、妖艶な美しさに、言葉を失う。

「とりあえずは、そこのお嬢さんのおっしゃられる通り、まずは荷物を置かれてはいかが
 でしょう。ここからは近いですし」

 どこか間延びした喋り方に、そうだな、と四人は頷いて、その場を跡にした。
 四人が去った後、ミハイルは、ふっ、と笑い、紅桜を見た。

「どうやら、あの4人も、相当の使い手みたいだ」
「そのようですね」

 ミハイルの後ろには、いつの間にか、ガウェインが立っていた。

「うん、どうやら紅桜は、強い力と呼応して花を付けるようなんだ。鬼が出てきた時や、
 誠さん達が戦っている時も花を付けた。それに、今……。さっきまで、全然咲いてなか
 ったのに、彼等四人が、階段を上がってくると同時に、花を咲かせたよ」
「不思議な桜ですな」
「……でも……それだけじゃない気がするよ。……でも、それよりも……」
「……それよりも?」
「ここの修繕費カンパして、ガウェイン」
「ダメです。男の二言は見苦しいですよ、殿下。あきらめなさい。」
「えええ〜そこをなんとか」
「私達に、こんな格好を人前でさせたのは殿下でしょう。それを、いけしゃあしゃあと、
 ミスター柊達と一緒に、『変なカッコウ』とは何ですか。もちろん、敵を牽制し、民衆
 の混乱を沈めるのには最適ですが……しかし、少々傷付きましたぞ。これは、殿下への
 ささやかな抵抗です。いや、罰です」
「え、ガウエインが傷付くの? 冗談きついなぁ」
「……やっぱり、ご自分で全額お支払いを」
「ぐああ〜〜待ってくれえ、ガウェイン〜〜」

 ……小真神社の境内には、ミハイルの叫び声だけが空しく響き渡った。


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