『22』


「うぉっ、……酷いなこりゃ……」

 声をあげたのは陽である。
 夕日は沈みかけ、空は朱を塗ったかのように赤く映えている。
 誠が、渡辺と戦った時間より、まだほんの少しだけ前に遡ったこの時間、陽は奈々美を
伴い、いや、厳密には陽が伴われて天水村、小真神社までやってきていた。
 ここまで彼等が来た理由はただひとつ、奈々美の家である『白い家』まで赴くためだ。
 だが、そこまで辿り着く前に、陽は足を止めざるを得なかった。
 小真神社は、建物こそ、まともに残ってはいたが、それ以外は陽が誠と共に暴漢をけ散
らしたあの時とは別の場所と思わしきほどに荒れ果てていたからだ。
 地面はいたる所えぐれ、木々は倒れ、石畳はめくれ上がり、割れ、酷い惨状であった。
 血痕の類いのない事から、被害者のいない事は理解できたが、それでも地面に残る大き
な刃物傷、地面の抉れ方などから想像するに、ここでおそらく鬼が暴れた事くらいは陽に
も理解できた。

「……汚れてる」

奈々美が、相変わらずほけっとした顔で、そんな事をぽそりと言う。

(しかし……いつの間にこんな大事になってたんだ……俺がこの神社を通って、あの白い
 建物まで行った時には、こんな事にはなってなかった。帰って来た時も同様だ。だとす
 れば、俺がこの場を離れた後に、ここに鬼が出てきたって事になるが……)

 そこまで考えて、陽は、ふう、とため息をつき、額の冷や汗を拭った。

(……危ねえ……間一髪か)

 陽は、誠達のような、鬼を倒す術も、技術も持っていない。
 もし、鬼と出くわすような事でも合ったら、どうか痛くありませんように、と祈る事く
らいしかできない。
 生身の人間では、それが例え、陽のようにナノマシン措置が施された者であっても、鬼
との力差は歴然としているのだ。
 陽は、『アーマー・コア』として、鬼と戦ってはいた。『アーマー・コア』は、別名、
『日輪機甲兵団』と呼ばれ、背に日輪を背負った、大きな機械巨人を操る。
 形は陸上自衛隊に所属する、対鬼戦闘戦術機甲部隊の事だ。
 もう、数年前に、陽はその団体からは離れ、『日輪機』と呼ばれた巨人とも、出会う事
は無くなっていた。それ以前に、既に、その巨人も、「アーマー・コア』自体も解体され、
自衛隊にはその陰も形も無くなっている。
 その団体で、陽は多く功績をあげたが、陽自身は鬼を倒した功績を讃えられても、さし
て面白くはなかった。
 それは機体が優れていたからであり、鬼と対等に戦えたのは、自分はその機体の操縦能
力が上手かっただけだ、と、陽はそう理解していたからだ。
 自分自身には、鬼と戦う力は無い……それが陽の基本的な考え方である。
 ゆえに、陽が、鬼と出くわす事が無かった事に安堵したのも当然の反応と言えた。
 鬼にとって彼自身は、無力な一般人にしか過ぎないのだ。
 ……そう……普通にしている限りは……。

「……ん? ひなた…?」

 物思いにふける陽を見、奈々美が不思議そうにちょこん、と首をかしげる。
 そんな奈々美を見て、陽は取り繕うように、にっ、と笑ってみせる。

「何でもねえよ。ちょっとこの神社に寄ってかねえか。凄い事になってるしな」

 そう言いながら、陽は神社の方に向かって歩き始めた。
 と、そこに、桜の花びらが舞い、奈々美の鼻先をかすめる。
 奈々美がその方角に目を向けると、紅桜が、満開に花を咲かせていた。

「奈々美ー、何やってんだ。早く来い」
「……ん」

 奈々美は、その言葉に弾かれるように、陽に向けて駆け出す。
 神社は、その原形をしっかりととどめてはいたが、周りの惨状と見比べると、明らかに
浮いていた。

「これも、神様の御加護でもあったおかげかねえ」

 陽は、ぱんぱん、と柏手を打って、手を合わせた。
 そのまま、じっと拝んでいる陽を見て、不思議そうに、ちょこん、と首をかしげた奈々
美は、そのままつい、と前を向くと、思いきり両手を横に広げた。
 そして。

 ぱああああん!!!

「うおおっ!」

 思いきり両手を打ちつけて、その手を真直ぐに固定したまま固まっている奈々美。
 それに驚き、目を丸くする陽。

「……おい。何やってんだお前」
「ん?」

 奈々美は、またまた不思議そうに首をかしげると、じっと陽を見つめた。
 その目は、『これからどうするの??』と、確実に訴えていた。

「違うって。そうじゃないって」

 がっくりと肩を落としうなだれる陽だが、まさかそのままにはしておけないので、とり
あえずはちゃんと拝み方を教えておく事にする。

「あのな。ここは、神様が祀られてるの。だから、ここに来た場合は、ちゃんと神様にご
 挨拶をしないといけないの」

 説明としてはかなり違うような気もしたが、奈々美にはこれで十分だろうと、陽は判断
した。

「ん? 神様って人がいるの??」

 ずかずかと境内に上がり込もうとする奈々美。それを慌てて引きずり降ろす陽。

「あのな。神様は人じゃないの。目には見えんの。ここは、神様に何かお願いするために、
 人間が建てた、神様への連絡アンテナみたいなもんなの」

 これも説明としては非常に大きく間違っているが、奈々美にはこれで十分だと陽は判断
した。
 説明もめんどくせぇと感じているのも確かであったが……。

「……? 誰もいないのに、何に敬意を払うの??」
「神様の代わりとなるような物や、神様が降りてくるような神聖なものが祀られていれば、
 それは神様も同様だって価値観なんだよ。……それにな」
「……それに?」
「実際は、神様なんてもんはどうでもよくて、人間が自分の決意や信念を新たにするため
 には、こういったものが必要なのさ。そして、そこは、現実世界と同じようなものでは
 ダメで、ある意味、引き締まるような違う空気がなくてはいけねえのさ。現実の延長で
 は、人間は気持ちをなかなか切り替えられねえからな。だから、自分のため、あるいは
 他人のために、自分の気持ちを切り替えるべき場所は、不可侵で、神聖で、近寄りがた
 いものでなくてはダメ、って訳」

 これは陽の持論でもある。
 神や仏を祀っても、結局は、それは人間が自分のエゴをぶちまけるはけ口でしかない。
 神様や仏様を、最初から妄信している者など一人もおらず、自分の都合のいいように、
神や仏をつくり出し利用しているに過ぎない。そのための道具となるのが社であり、仏像
だ。
 それを都合のいい時に利用して、人は自分の心を癒す。
 そして、癒されたら、もうそこには立ち寄りもせず、実生活ではまるで忘れている。
 そんな人間のいる所が神聖である訳がなく、神様なんぞが降りてくる事などありえない。
 陽が拝んだもの、単なるポーズで、気を紛らわせたに過ぎない。
 しかし、奈々美には、そんな事も分かろうはずもなかった。

「じゃあ、今度はちゃんとする。……どうすればいいの?」

 奈々美は、両手を合わせて、きょろきょろとしている。

「ええとな、まずは、軽く手を2回叩いて……こら、そんなに両腕を広げるな。そうそう、
 もっと脇を締めて。そう。それで、手は軽くな。あまり強く叩くと、うまく鳴らないぞ」

 どこかスポーツクラブ系のノリである。
 陽は、ため息を付きながらも、奈々美に拝み方を教えた。

 そんなちょっと平和なやりとりをしている二人の後ろに、何かの気配が近付いた。
 陽は、それを敏感に感じ取っていた。
 後ろの気配は、陽が拝む格好で位置を微妙にずらしている事には気がついていないよう
だ。
 数秒の沈黙の後……

「ひっなったっさ〜〜ん!!!」

 何かが飛び掛かってくる気配がして、陽は無意識の内の振り返り、自分に向かってくる
モノを思いきりはたき落とした。

 べしっ

 ぐしゃ。

「はぐうーーーー! 鼻っ! 鼻があっ!! 鼻血がぁっ!!」

 金髪の小柄な人間が、頭の前と後ろを押さえたままで、ごろごろと転がって悶えている。
 どうやら絶妙のタイミングで撃墜されて、手をつくヒマもなく、顔面から地面に激突し
たらしかった。
 奈々美は、倒れて呻く金髪を、つんつん、と突いている。
 その悶える顔を見て、陽は以外そうに目を丸くした。

「……って、お前ぇ、確かミハイルだっけか?」

 それを聞いた金髪青年が、ぱっ、と目を輝かせる。

「うわ〜、覚えててくれたんですか。嬉しいです」

 ポケットかたチリ紙を取り出して、ぐいぐいと鼻に突っ込みながら、ミハイルは答える。
 あまりのも勢いに、少し仰け反る陽。

「何してるんですか? あれ、隣の方、もしかしてカノジョですか? いいなあ〜。それ
 で、ここまでデエトですかっ。いや〜、記念撮影なら、このボクに全て任せてください
 よ。あ、どこがいいですか? あ〜、ここ、凄い荒れようですから、こっちかなぁ」

 ばたばたばたばたばたばたばた……

 あちこち走り回るミハイル。
 以前、水波は初めて出会った時にミハイルと距離を置くような仕種をしたが、やっぱり
同じ人種だからだったようだ。

(つ……疲れる……こいつは何だか凄く疲れるぞ……)

 あはは〜〜、と表情弛みっぱなして話すミハイルから目線を外し、眉間を押さえる陽。
 奈々美は、きょとん、と目を丸くして、動き回るミハイルを目で追っている。

「で、ところでミハイルさんよ」
「やだなあ〜。呼び捨ててくれていいですよ〜。もう知らない間柄じゃないんですし」
「……一、ニ回しか会ってないはずだが……まあ、その方が俺も性に合う。で、ミハイル」
「はい。何でしょう?」
「後ろの大男は誰だ?」

 陽は、ミハイルの後ろにいる、焦げ茶に茶色のシャツ、薄いベージュのネクタイのスー
ツ姿の男に視線を向けた。
 そこには、頬に傷のある、金髪、長身の青年がたたずんでいた。
 その瞳は、観光客の一般人、というには、あまりにも鋭い。
 元自衛隊員の陽が目にとめるのも、至極当然と言えた。

「ああ、僕の友達なんです。一緒に旅してるんですよ。今まで別行動だったんですが、つ
 いさっき、合流したんです」
「ふうん。名前は?」
「ガウェ………ごほん。ガムリンです」

 がく。
 ちょっと後ろの青年が膝から崩れたような気がしたが、陽は気にとめない。

「そうか。まあ、よろしくな、ガムリンさんよ。それで、この有り様は何だ? 鬼でも出
 てきて暴れたか」
「まさにその通りです!」

 びっ、と人さし指を立てたミハイルは、真面目くさって話しはじめた。
 その話によると、咲耶誘拐の時に現れた鷲王が再びここに現れ、シヴァリースと一戦交
えたのだという。

「なるほどな。それでこれか」
「ね? ひどいでしょう? 何もここまでやらなくてもいいと思いませんか? あの時に
 いた二人ですよ〜。もう少し自然に優しい戦い方をしてもらいたいですよね」

 自分もそのひどい奴の一人だという事など遠い遠い棚の上に放り投げて、ミハイルはい
けしゃあしゃあと話を続けている。
 修理費用を助けてくれないガウェイン達に対してのあてつけである事は明白だったが、
そんな事は陽には分からない。
 後ろのガウェインの眉間が、心なしかぴくぴくと動いているように見える。

「そうか、確かに酷いな。これでは修復作業も大変だぜ」
「でしょう? で、僕、ちょっと修繕費をカンパする事にしたんです」
「へえ、いいのか?」
「何言ってるんですか〜。少しくらい他人の役にたたないとね〜〜」

 何だかここだけ声が大きいような気もしたが、陽は気にしなかった。

「ま、頑張れや。俺達は、そろそろ行くぜ。……奈々美」
「ん」

 奈々美は、小走りに、陽の方に駆け寄る。
 立ち去って行く陽と奈々美に手を振りながら、ミハイルはちらりと後ろに視線を移す。
 そこには、眉間にしわを寄せてうなだれているガウェインの姿があった。

「分かりましたよ、出せばいいんでしょ、出せば」

 そんな呟きが聞こえてきて、ミハイルはガッツポーズをとった。

「全く、もう少し普通にしてください、殿下。あなたがそんなだから、私達は、『仮面を
 付けると機械人間、仮面を外せば変人集団』とか噂されてしまうんですよ! お分かり
 ですか!」
「そうかなあ。みんな普通じゃない」

 ガウェインは、熱血トリスタンや、露出度の高いモリガン、軟派で女癖では手のつけら
れないランスロット、奇妙な実験が大好きなマーリンなど全く普通じゃ無い者達を思い出
して、また膝から崩れ落ちそうになった。

「さて……パーシヴァル。いるかい?」

 ガウェインの横に、まだ少年と思しき人陰が現れた。
 紺のブレザーに、半ズボン、という、どこか中学生に見えなくも無い。
 穏やかな顔は、彼があのパーシヴァルだとは思えなかった。

「はい、お呼びですか、殿下」
「あまり気乗りはしないけど、陽さんの後を付けて欲しいんだ」
「何か、お考えでもあるんですか?」
「あの隣の少女……。人間じゃないよ、たぶん」
「はい?」
「僕達が見つけたがっていたものが、彼等の行く先に見つかるかもしれない」
「……分かりました。行ってきます」
「あ、パーシヴァル」
「はい?」
「君は、あくまで海外から修学旅行で来た、いち学生だよ」
「分かってますよ。僕はリック・スタイラーです」

 にっこりと微笑むと、パーシヴァル、いや、リック・スタイラーは、小走りに駆けてい
った。

「大丈夫でしょうか」
「別に心配する事はないよ、ガウェイン。それよりも、どうも気にならないかい?」
「何がです」
「鬼切役といい、新選組といい、そして僕達といい、なんだか、この場所に集まるように
 誰かに仕向けられているような気がするんだけど」
「お考え過ぎでは?」
「……だといいけどね……」

 ミハイルは、夕闇に染まる空を見上げて、何かを考えるようにいつまでもそれを見つめ
ていた。


                   $


「……ここ、咲耶ってひとのおうち」

 奈々美が、神社の裏手にある木造一軒家を指差す。
 そこは、綺麗に庭が手入れされ、外から見ても清潔感があった。

(あの人は、ずっとここで一人暮らしだったな。こんなへんぴな所で、寂しいだろうに)

 陽は、自称なんでも屋稼業についていた。アーマー・コアを抜けてすぐである。
 その信頼性の高さと、ある時は、傭兵のような仕事までこなす彼は有名になり、彼を知
る者はみな、彼を『TrueBorn Invader』と呼んだ。
 その彼が、とあるクライアントから、咲耶捜索、の依頼を受けた。
 同意のもとで連れてこいと言われていた。そのために、咲耶の身辺についても、ある程
度調べあげていた。
 しかし、鬼の存在や、奇妙な連中に襲われた事、そして咲耶誘拐事件が起こるにあたり
考えを改め、クライアントに対し、途中契約破棄に対しての報復に対しての文句を言おう
と考えた。
 そして契約破棄の言い渡しを自分の口で言うために、クライアントの損害賠償訴訟を考
えて金まで用意して白い家へと向かっていた。
 しかし、そこには、誰もいない事は、先ほど調べがついた……はずだった。
 だが、奈々美がそこを住処としている以上、そこには人が住んでいる場所があるはずだ。
 どこに、何があるかは分からないが。
 実は、陽はクライアントの顔を知らない。一方的に向こうの部下から依頼が来て、書類
を置いて去ったのだ。
 だから本来なら、部下に言い渡して、破棄の書類と損害金を渡せば良い筈だ。だが、そ
うしたくない『何か』が、陽の中にあった。

「確かめてやるか。胸くそ悪いやりかたで仕事を邪魔しやがった親玉の顔をよ」

 陽はそう呟くと、こっち、と指差す奈々美の後ろを、不敵な笑顔で付いて行った。


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