『25』 「陽……神が私達にとって、幸ある存在だと思うかね」 一生は、陽が壊した壁の横、自分の机に座って、半分冷めたコーヒーをすすっていた。 「全く、思い切った事をしてくれたものだな。まあ、そのせいで、当分まともに動けない とは思うが」 一生は、苦笑いをこぼしながら、再びコーヒーをすする。 その一生の横では、金属が擦れるような音がしている。 陽が開けてしまった大穴が、金属音をたてながら、徐々に塞がりつつあった。 「遺伝子技術とナノマシン技術というものは、人が『神』となれる可能性を秘めたものだ と言われて久しい。……神になる、か。……くだらんな」 一生がひとりごちるその間にも、壁がびきびきと不快な音を奏でながら、既に半分以上 塞がっていた。 「数ある神と天使の逸話を紐解けば、神というものが、人にとって対立する存在であると いう事がよく分かる。元々、神は人に文明や思想など望んではいないのだ。その証拠に、 人に知恵の果実を与えたものは悪を現わす蛇であり、墜天使は、そのほとんどが、見返 りに人に富や知恵を与える存在だ。天使は神のお告げを無条件に聞くよう人に諭すだけ であり、そこに何も見返りはありはしない」 壁は、その穴を完全に塞ぎ、そこには、穴を陽が開ける前と全く同じものが復活してい た。 「神の降臨を望む者もいるだろうが……神はこう言うだろう。 『お前達に文明も教養も心も必要ない。私を無条件に信じよ。お前達は私の下僕であり、 個人の価値観など必要ない。全てを自然に戻せ。我が元で生まれたその時のように』 ……さて、その時、人間は神に従うかな……ふふふ。私は、今度は人が墜天使となり、 神に反旗を翻すだろうと思うがな。神は人間の無限の欲望と可能性を恐れている。自分 に唯一近づける存在だと。だから神は知恵を身に付けたアダムとイヴを楽園から追放し た。人に戒律を押し付けた。神は人間が生命を思うがままに操れる自分の領域に達する 事を恐れていた。……だが……」 一生はにやりと微笑する。 「残念だったな、神よ。もう、私は、お前の危惧する領域にまで達している。私が、今度 はお前に報復を与える番だ……」 音をたてて、一生が手に持っていたコーヒーカップが割れる。 一生は、歪んだ神への思想を一通り口にすると、復旧された壁を見つめて再び微笑し、 そのままその部屋から姿を消した。 $ 陽が奈々美に連れていかれたその数分後。 「あ……あれえ??」 光線の方角に向かっていたパーシヴァル……いや、リックは、その場所にたどり着いた ものの、何もない状況に戸惑った。 ここに至るまでに、鬼の気配はない。 現在の状況から、ここに何かあるのか、という結論は出せない。 が、そこには何か奇妙な空気が流れていた。 「え〜と……おかしいなあ……」 リックは光線が発射されたはずの丘を降り、うろうろと墓地をめぐりながら、神社の方 向へと歩みを進め始めた。 ご丁寧にどこで摘んだか小さな花束まで持って、いかにもお墓参りにきました、といっ た風体だが、金髪ブレザーの少年は墓場では浮きまくっていてお話にならない。 きょろきょろと辺りを見渡していると、 「こら!」 いきなりの大声に、びくりと肩をすくめる。 「どこから入って来た! そこは私有地だぞ!」 などと声がかかってきた。 声の方角に体を向けると、一人の小柄な老いた男が、少年をじろりと睨み付けていた。 (墓地のどの辺りから私有地なんだよ……。分かるように線でも引いてよね) などと思ったが、ここはいかにも驚いたような表情を作ってみせる。 「あ……あの〜、ここに、ボクの肉親のお墓があるはずなんですが……」 「肉親じゃと……? ふーむ、ワシに言われてもなあ……」 ごもっともである。 ここで、リックの頭の中には、2つの選択肢が思い浮かんでいた。 ____________________ 1.単刀直入に聞く。 ▼2.とりあえず泣く。 ____________________ 「うええええええん。」 泣く事にしたらしい。 「おとうさ〜ん、おかあさ〜ん。びええええん」 「こらこら、泣くんじゃない。全く」 「怖いよう。さっきはへんな音や光りが見えたし、ここ怖いよう」 「お、ぼうずも見えたのか」 パーシヴァルの目が光る。 「まあ、ワシも、あれが何だか分からないんだがな」 パーシヴァルが膝から崩れ落ちる。 「確か、一生さんのご家族の墓がある方角じゃったな……」 「一生さん?」 リックはきょとん、と丸い目で男を見るふりをする。 彼等シヴァリースにとって、一生は重要人物の筆頭であった。 過去に藤堂グループ内の開発機関のスタッフである事は裏付けがとれており、この村の 職場での肩書きとはまた別に、何か裏のある人物として認識されている。 「ああ、ワシの職場に勤めていた人でな、いや、感じの良い人だった」 「あのう、なんだか過去形なんですけど……いろいろ」 「ああ、そりゃそうじゃ。お前さん、テレビは見んかったのか?おお、そうか、ぼうずは 外国人じゃからの。日本語は分からんか?」 (……さっきから日本語で話してるでしょ……) この時代、国際公用語として、英語が使われている。 だから、出合った人間がどこの国の人間か分からなかった場合は、とりあえず『エクス キューズ ミー』と話しかければ反応がある。 だが、シヴァリースの面々は、その殆どが訪れた国の言葉を使う。 何十ヵ国もの言葉を使いこなせるというのもかなり驚異だが、その方がより早くその国 になじめるからという理由で、円卓に招き入れられた者の義務である。 無論、西暦三千年を超えたこの時代、翻訳イヤホンなるものは登場している。どこの国 の言葉だろうが、設定した好みの声で、相手の言葉を翻訳してくれるのだ。 だが、老若男女全て同じ声で翻訳されるため、ヘタに恋人の声などにしてしまうと、ヨ ボヨボのおじいちゃんの声が愛しい恋人の声になってしまうため、シャレにもならなくな るのだが。 まあ、そういう理由から、パーシヴァルも、流暢な日本語で老人と話を続けている。 「今日のニュースでな。一生さんが亡くなったそうだ。もともと身よりのない人だったが、 最近、行方不明の息子さんと娘さんが見つかりそうだ、という事で喜んでおった矢先だ けに、一体、何があったんじゃろうなあ」 「亡くなった?」 「自殺だったそうだ。一体、何があったのかは知らないが、早まった事をしたものだ」 「……全く……ですね」 本当に早まった事をしてくれた。 パーシヴァルはそう考えて、眉間にしわを寄せた。 今一番手がかりに近い者が死んでしまった。さて、これからどうするか。 「でも、おじさんって、色々とこのあたりに詳しいんですか? 見たところ、地元の人み たいですけど……」 「おお、そりゃそうだ。わしは、この村の村長さんじゃからな」 「……え」 「まあ、そんな事はいいじゃろう。さて、ぼうずの親戚の墓でも探しにいくか」 「あ……ええと……」 逃げ出す言い訳を考える暇もなく、リックは、天水村村長に手を繋がれて引きずられて 行った。 $ そして、その同時刻。天水村の飲み屋街。 夜も観光客で賑わう一軒の居酒屋で、男の大きな声が響いている。 「ぷあ〜今日も酒が旨い」 「ちょっと歳さん……もう、はしたないわねえ」 「いいじゃねえか。どうせもうすぐ酒なんぞゆっくり飲んでいられなくなるんだ。今日く らいハメはずして飲みダメしておかねえとな」 「今日くらい……って、どういう事よ」 「お前は知る事はねえよ、雪乃。知ったところで、どうにもならんしな」 「だからって……もう、飲み過ぎよ。顔真っ赤じゃないの」 「大丈夫だって。酒は飲んでも飲まれたりしねえよ。あ、お銚子もういっぽん」 「だ・か・ら。もうやめなさいって」 天水村の商店街の一角の小さな飲み屋。 そのカウンター席の隅に、土方と雪乃が仲良く向き合って飲んでいた。 ……まあ、飲んでいるのは土方のみで、雪乃はどちらかというと呆れているといった方 が正しいが。 「あー、もう。よこしなさい、それ」 「そりゃないぞ雪乃。返せ」 「だめ」 「それ一本でやめるから」 「だ〜め」 「愛してる」 「だめだったらだめ」 「じゃあ私が頂きましょう」 横からお銚子をひょい、と取り上げられて、驚いた雪乃が振り向くと、そこには斎藤が にっこりと微笑して立っていた。 「あっ藤田、それは俺のだぞ」 ここで、斎藤と呼ばない所はさすがである。 「少々飲み過ぎなのではないですか、土方さん」 「うるせえ。久しぶりの酒の席なんだ。飲んで食わずにいられるか」 「まあ、これから忙しくなりますからね。お気持ちは分からなくもないですが」 「……ああ、一生のおっさんの事か」 「……故人ですよ。おっさんは失礼ですよ」 「まあ、酒の席なんだ、聞き流せ。で、自殺って話だな。本当か」 「はい、本人に間違いないようです。…あ、すいません、かけそばあります? え、ない。 ……残念だなあ」 「何でかけそばなのよ……」 「好きなんですよ、かけそば」 「飲み屋来てそば食うな!……で。本当にそう思ってんのか、今の話」 「まさか。そう思ってるのは、何も知らないお偉いさんだけですよ」 「コピーか」 「ええ、『斎藤』である私を知る警察官の間では、その意見で一致しています」 「って訳だ。お前については、明日ホテルでどうするか言う」 「……はいはい。全く、歳さんって、いつも女に命令口調なのよね。『こういう時』は特 にね」 「そう怒るなよ。お前のために言ってるんだぜ?」 「はいはい。分かってるわよ、酔っ払いさん」 「はあ……、やっぱり今日が飲み納めかあ……当分酒が飲めん」 「もう十分飲んだでしょう。もう、歳さんといい、近藤さんといい……」 「おや、近藤さん、いらっしゃっているのですか?」 斉藤のその質問に、雪乃は、ちょいちょい、とカウンター席の後ろにある障子を指差し た。 斎藤が顔を向けた瞬間、 「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」 という、朝の雄鶏のようなけたたましい笑い声が聞こえてきた。 仰け反る斎藤。 こほん、と一つせき払いして、その障子を開けると、そこには見知った面々が揃ってい た。 近藤、沖田、永倉、原田、そして八木沢 沙耶香、穂乃香姉妹。 で、大声で笑いまくっているのが 「うぉいっすぅ! お巡りさん! 毎日毎日ご苦労様で〜…スマッシュ!…さぶう〜…… ぎゃははははははははははははははははははは♪」 ……穂乃香であった。 「……スマッシュ?」 「ああ、気にしないでくださいね、藤田さん。この子、笑い上戸なの。ほら、穂乃香! あーもう、はしたない。ああん、女の子があぐらかいて座らないの!」 横では沙耶香がなんとか妹をなだめようと頑張っている。 そんな二人を見ながら、近藤が楽しそうにお酒を一人たしなんでいた。 「近藤さん、だめじゃないですか。まだ未成年にお酒を勧めては」 「まあまあ、固い事は言うな、藤田君。彼女達も、あと数カ月で成人だ。今日くらいは大 目にみてやってもいいだろう」 「……警察官の前で、よくそういう事が言えますねえ」 「君もどうかね。ここは山の幸がおいしいぞ」 「今は遠慮しておきます。今日は、ご報告にあがっただけですから。外に山崎君を待たせ ている事ですしね」 「……ふむ……まあ、あがれ」 近藤が手招きすると、障子側に座っていた沖田と永倉が、手で挨拶して斎藤を招き入れ た。 「お疲れさまです、斎藤さん」 「……今はふ・じ・た。です。沖田君。あまり肝が冷えるような事はよしてください。あ あ、そういえば、例の件は、どうなりました?」 「うひゃひゃひゃひゃひゃ!!あ〜沖田さんマジメ顔〜〜……ひっく」 「……だめでした。案の定。まあ、予想はしていましたけどね。自分が何者かが分かるま で、保留したいそうです」 「ね〜ね〜斎藤さあん、やっぱり宴会にゃビールっしょ? ね? ね? ね〜♪」 「そ……そうですね……そうですか……あ、今のは沖田君に言ったんですよ。……近藤さ ん、芹沢達の居場所の見当がだいたいつきましたよ」 「何、本当か」 「ま〜ま〜、近藤さんもいっぱいいかが?」 「ほ……穂乃香くん、ちょっとだけ待っててくれないかね?」 「ほら! 穂乃香! や・め・な・さ・いってば!」 「うい〜〜じゃんねん〜。…………あ! 左之助!」 「何だ酔っ払い!……ぬおっ!」 がし!と左之助の顔を両手で鷲掴みにする穂乃香。 「あんたの顔って……よ〜〜っく見てみると……以外と……」 「い……以外と……何だ!?」 「以外と…………ぶっ………ぎゃはははははははははははははははは♪」 ばんばんばんばんばん 「人の顔見た後で床叩いて笑うな酔っ払い!……ってこら、永倉さん! あんたまで笑う な!」 「…やっぱ、酒の席はこうじゃなきゃあいけないよなあ。なあ、沖田君」 「ええ、全くですね」 「……藤田君。とりあえず、その話は外でゆっくり聞こうか」 「……分かりました、局長」 近藤と斎藤が、席を立とうとしたその時、サイレンが村中にこだました。 「……ん〜にゅ?」 穂乃香が耳の穴をほじりながらふるふると顔を振り、目線を漂わせる。 「斎藤君。これは…」 「鬼が出たんでしょう」 「……何だって!?」 「この村では、鬼の出現に備えて、去年からサイレンを鳴らすようにしたのですよ。しか しまさか……役立つはめになるとは……」 と、そこに、一人の金髪、ブラックのジャケットとズボンに身を包んだ青年が、足早に 近藤達の部屋の方へと向かってきた。 「土蜘蛛が出ましたよ、皆さん」 山崎であった。彼は、声を押し殺しながらも、どこか興奮するような声で、そこにいた 新選組の面々に言った。 「……土蜘蛛……だと」 永倉が驚いた声をあげる。 「土蜘蛛っていやあ、鬼の中では、一番やっかいな奴じゃないか。機動性、攻撃力、防御 力……どれをとっても、今朝会ったやつや、二足歩行の奴よりもケタ三つは上の大物だ」 「今のところ、私が確認しただけては一体ですが、それで終わりとは思えません。いかが 致しますか、局長」 少秒考えた後、近藤が前を見据えて言う。 「斎藤君」 「はい」 「村民の方々を落ち着かせて、誘導させてくれ」 「了解しました」 「沖田君、永倉君」 「はい」 「おう」 「君たち二人に任せる。行ってきてくれるか」 「「了解」」 異口同音にそう答える、沖田と永倉。そして、言うが早いか、鞘袋から黒漆の鞘の刀を 取り出して、外へと足を向けた。 「……局長。俺は」 左之助が、不満の声をあげる。 「お前の力は、後にとっておけ」 「……後?」 「メインディッシュを楽しませてやる。って事を近藤さんは言いたいのさ」 「歳の言う通りだ」 「はあ?」 どこか納得しがたいものを感じながら、左之助は、 「ああ〜〜〜! ヒマ人はっけん!」 「誰がヒマ人だバカ穂乃香!!」 ……穂乃香の相手をせざるを得なくなった。 「近藤さん。これあ、明日からマジで忙しくなるぜ。何せ、芹沢&新見の居場所と、その 蜘蛛野郎の出てきた先は、同じだろうからな」 「そうだな。私もそう考えている」 「さて……『鬼切』たちが、どういう風に動き出すか。楽しみですね」 「柊 誠君か。是非直接会って話をしたいものだ」 近藤、土方、斎藤の三人は、不敵な笑顔で、外に駆け出す沖田と永倉を見つめていた。 $ 「山南総長! 鬼が出てきたようです!」 どたどたと廊下を走って来たのは、山南と共に京都居残りを命じられた、松原 忠司で ある。 「……知ってるよ。どうやら、向こうも、これからが大変なようだ」 「暢気にソファで寝転んでる場合ですか。私達がこちらにいる間も、鬼はこれから増える かもしれないんですよ!」 松原は、そのスキンヘッドに白鉢巻きの頭に血管を浮き上がらせて、山南に詰め寄る。 だが、山南は相変わらずのほほん、としている。 「松原くん。もし、私達が慌ててこの場を旅立ったら、この京都一体の治安は、誰が守る んだい? 鬼には、警官隊では対応しきれないだろう」 「いや……しかし!」 「まあ、焦らずとも大丈夫だよ、向こうには、泣く子も黙ったまま腰を抜かすような奴ら が行っているんだし。そうでしょう、伊藤先生。」 と、そこに、背の高い、引き締まった体の男が顔を出した。名を、伊藤甲子太郎(いと う かしたろう)という。新選組の頭脳の一人であり、山南の相談役でもある。 「山南君の言う通りだよ、松原くん。私達は、この場に残る」 「……しかし、他の者が一生懸命戦っている中、私達だけが、このように安穏としている のも、納得がいきません。」 「大丈夫だ、松原。我らの活躍の時は、すぐそこに迫っている」 伊藤の後ろから、また一人現れた。井上 源三郎である。 「そうです、今は、一生懸命体を休めるのが、我らの勤めです。『今弁慶』と言われる松 原さんが取り乱すのも、あまり似合いませんよ、ほほほ」 もう一人入って来た。彼は、武田 観柳(たけだ かんりゅう)。 鉄扇の達人でもあるが、何よりも特徴的なのが、彼も撚光と同じく、生同一性障害であ るという事だ。 「……何だか、皆さんお分かりのようで、私だけ除け者にされた気分ですな」 「そう拗ねないでくれ、松原君。本当に……すぐ……だから……」 「……寝てしまいましたな。何と寝つきがいい………」 「まあ、今はゆっくりと休もう。本当に、我らが動く時は、「すぐ」なのだから」 京都は、今も穏やかな風が吹いている。 明珍火箸が綺麗な音を奏で、静かな夜が過ぎ去ろうとしていた。 |
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