『4』


『みなみ、すきだよ』
『いやん、まこと、わたしもよっ』

 なんだかふにゃふにゃした声が、誠に与えられた部屋から聞こえてくる。
 だが誠は、

 どーん!

 光基神社の裏の道場で、足を踏み鳴らして、座居合の練習をしている。


『みなみ!』
『まこと!』
『がば』

 ふにゃふにゃと力の抜けた声を出しながら、声の主は、布団の中で、共に横に寝ていた
人物に抱きついた。

『あえ、まことってこんなにムネ大きかったっけ〜??』
『あ、髪なが〜い……にゅにゅ??』

 ふにゃ声の主は、抱きついた人物の体をぺたぺたと触りながら、間の抜けた声を出す。

『????』

 そして、やっと違和感に気がついたのか、薄目を開けて、抱きついた人物をぼけっと見
た。

「……うえっ!!?」

 咲耶に抱きついたままで固まる水波。
 咲耶は、抱きつかれた事も全くお構いなし、といった表情で、すやすやと寝息をたてて
いた。

「ん……」

 布団から体を起こした水波は、部屋の雰囲気が違う事に今さらながら気がついたのか、
きょときょとと辺りを見渡して眉間に皺を寄せた。

「ここ……どこ?」

 水波の横では、咲耶が寝ている。全く状況が掴めない。何故一緒に寝てるのだろう。
 再び辺りを見渡すと、視界の端に、誠の荷物や衣服が架けてあるのを見つけた。
 それを見た水波、にんまりと微笑みながら、あらぬ妄想を始めてしまう。

「きゃ〜〜、まことと添い寝〜〜」

 足を布団の中でぱたぱたと動かしながら、頬に手をあてていやいやをする水波。
 自分が侵略して誠を追い出した事など何処吹く風である。
 だが、はたと思いついて、自分の横を見る。
 そこには、水波のどたばたで目を覚まし、体を起こしてぼけっとしている咲耶の姿があ
った。

「なんで咲耶さんも寝てるの?」

 その水波の問いに、咲耶は、

「あらら?」

 と、微笑みながら答えただけだった。

                   $

 誠は演武を終え、静かに正座した。
 その外では、小鳥がさえずりはじめている。
 そのままの状態で下緒を解き、刀を脱く。
 そして、刀を横たえ、備えてある神座に向かい一礼をした。

「さて、それでは始めるか」

 横で誠に指導していた武は、特殊な形状をした竹刀を持ち、誠の方へと歩み寄る。

 この時代、剣術もかなりそのやり方も変わってきている。
 特に、鬼と戦う事を生業としている者達は、まさに実戦さながらの鍛練を行っている。

 幕末の新選組は、狭い場所での戦闘を想定し、真剣を持ち、真っ暗にした部屋で斬り合
いをさせて、夜の乱闘を想定した戦い方を覚えさせたという。
 また、罪人の首を斬らせる事で、人を斬る事への抵抗感をなくさせ、プロの『人斬り』
へと、隊士達を教育していった。
 『銃で撃たれると、人はノイローゼになる。』
 といった事が言われる事がある。これは「撃たれた」事にショックを受けるのではなく、
「同じ人間が、自分を殺そうとした」事にショックを受けて精神的に病んでしまうのだ。
 同じような事が、剣術でも起こりうる。
 木刀や竹刀で素晴らしい実力を持っていた者が、刀を使った本物の殺し合いの後、剣を
捨ててしまう話もあったという。
 また、人を殺して、「人を殺した」事に衝撃を受け、刀を捨てるか、殺人剣を振るうの
をやめる人斬りが、幕末には実際にいた。
 自分を殺そうと、誰かが刃物を向けている事実、そして、実際に人を殺す事というのは、
竹刀剣術や剣術の鍛練とは全く違う、ドライな真実と恐怖があるものなのだ。
 勝ち負けではなく、生か死。「次」も「正々堂々」も「面」も「胴」もない。
 新選組三番隊組長、斎藤一も言う。
「実戦では、敵がこうくればこう、などと考えてできるものではありません」
 斎藤のこの言葉は、自然で、そこに殺し屋の狂気など、一切感じない。
 彼が言うように、新選組が戦った後には、誰が斬ったか判別できないほどズタズタに切
り刻まれた死体が転がっていたという。
 まさに、殺人剣の真実が、この言葉に詰まっているといえる。
 一流剣術家が集まった明治維新後の警視庁の者を相手にした剣道の試合で、竹刀での練
習などしなくても、一度も負けた事がない斎藤がそう言うのだ。
 誰かが向ける、『勝つため』ではなく、『殺すため』の真剣。
 それは、竹刀を向けられる事、また、剣術において仕太刀と打太刀が向けあう刀とは全
く違う恐怖が沸き上がる。
「死ぬかもしれない」
 その恐怖は、たとえ鍛練された武道家であっても、決して拭う事はできない、生き物が
持つ、遺伝子に刻み込まれた感覚だ。
 新選組は、その恐怖を取り去るために、今では考えられない鍛練をしていた。
 しかし、幕末の京都というのは、天誅を叫ぶ人斬りが溢れた無法地帯であったために、
そこまでドライでなければ、生きていけなかったのかもしれない。
 幕末の人斬り、河上彦斎は言う。
「人を斬るのは人形を斬るようなものだ。別にどうとも思った事はない」
 死して屍拾う者なし。幕末の京都は、そんな暗澹とした場所だったのだろう。

 鬼切役の者は、さすがにそこまでの事はしていないが、演武ではない、技を使った本物
の戦闘を行っている。
 だが、彼等の愛刀は全て器の力を発揮するため、それで斬り合うと本人達はいざ知らず
道場やその周りが一瞬で荒れ地に様変わりしてしまう。
 そのため、鬼切役の者達は、竹刀か、木刀を使い、できる限り安全な打ち合いを行って
いる。

 ここで武が持っているのは竹刀だ。だがこれは同じく木製の鞘にするりと納める事がで
きるものであり、抜刀と納刀を想定したものとなっている。
 いわゆる竹光である。
 何故木製でないかというと、竹光の方が安上がりだからだ。
 無論、ただの竹ではなく、少々補強はしてあり、そう簡単に折れるような竹光ではない。
 鬼切役の打ち合いでは、一回でほぼ例外なく練習刀が折れるか原形をとどめなくなる。
 一日の練習で、何本もの竹光が燃えるゴミになるのだ。
 ここでできた竹のゴミは、高温で燃やされ、竹墨として生まれ変わり、日々の生活に生
かされる。
 彼等の打ち合いの場合、実戦を想定しているため、実際に相手の体に刀を打ち込む。打
たれる方も、紙一重で避け、技をくり出す。
 そのぎりぎりの一線で、鬼切役の者達は、人知ならざる鬼との戦いに対して実力をつけ
ていく。

「誠君と一緒に打ち合うのも、久しぶりだ。師匠……君のお父さんには、以前に大変お世
 話になったが、今はどうしているのかな」
「今でも、元気ですよ。元気過ぎて心配するのも損なくらいです。……まあ、俺が器使い
 になってからは、さすがに打ち合いませんけど」
「ははは。まあ、確かにそうだろうね。さて、君とは、同じ道場で共に学んだ仲だ。この
四年間、殆ど君の剣を見ていない。どれだけ腕が上がったか見せてもらおう」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 お互いに定位置に立ち、一礼する。
 そして、お互いが構えた時、武の姿が誠の視界から消えた。
 気配を察知した時には、誠の体が道場の壁に思いきり叩き付けられていた。

「がはっ……」

 肝臓にあたる位置を、したたかに打ちつけられて、誠は手をついてもがく。
 誠は、気配を察知した時に、身を引いて、そこから抜刀の体制に入った。
 だが、受け止めるべき刀が抜かれる前に、誠は吹っ飛ばされた。

「どうした。ゲームオーバー一回目だ」

 武は、少し微笑むと、さらに誠に追撃する。
 一、ニ、三歩であっという間に「間」を詰めてきた武の抜刀を、体を時計周りに回転さ
せて避け、その反動で抜刀、相手の背中を誠は狙う。
 だが、奈々美を見事に吹っ飛ばしたこの技も、同じように体をひねった武に、あっさり
と躱されてしまった。武は、身をひねりながら納刀し、また抜刀。
 誠は、今度は背中に強打を見舞われる。
 またまた吹っ飛ぶ誠。
 誠は、飛ばされながらも納刀、体を捻り着地、体制を整える。
 今度は、着地と同時に、誠はあっという間に武に向かって間を詰める。
 そして、抜刀しようとした瞬間、誠は武の右手で柄を押さえられ抜刀を遮られた。
 その直後、武が左腕から突き出した竹光の柄先、鵐目(しとどめ)の部分が、誠の咽を
直撃する。

「ぐあっ!」

 うめき声しかあげられずに、誠は咽を押さえながらも、後ろに下がって間合いをとる。
 そして、誠がそのままで体制を整えた瞬間、また武が誠の右側に現れた。
 瞬く間に視界から消える。まるで瞬間移動でもしたかのような体さばきだ。
 誠は焦る。
 左側にいる者を斬るよりも、刀が届くまで時間がかかる。
 しかし、誠は右に体をひねりながら抜刀、なんとか武の刀を受け止める。
 が、受け止めた瞬間に武は、刀をひねるようにそれをいなす。誠はバランスを崩す。だ
が、そこから踏み止まり、下から突き上げるようにして剣撃をくり出す。
 音すら出ないほど刃筋のたったその一振りを武は紙一重で避け、誠の手首をしたたかに
打ちつける。
 たまらずに竹光を落とす誠。

『居合を使える者は実戦で生き残る確率が高い』
 そう言われる事がある。
 居合は、抜刀の一撃で相手を仕留めるように感じるが、実際には、一撃で相手を仕留め
られる事など殆どない。
 抜刀からの一撃めは、あくまで相手の機先を制するためにこそある。
 そこからの様々な連続技を使い、抜き打ち後の隙をなくし、相手が体制を整える前に確
実に倒す。
 このニ手、三手の技こそが、居合の真骨頂であるといえる。

(……つ……強い!)

 今更ながら、誠はそう思った。
 『鬼切役は一組の男女から始まった』
 器使いの間では、よくそう言われる。これは、まぎれもなく、武と美姫の事だ。
 たった二人で鬼退治を始め、仲間を集い、富士決戦を戦い抜き、鬼切役を立ち上げる原
動力となった。
 シヴァリースや崑崙山が思想心情を捨てて富士に駆け付けて来たのも、彼等が戦ってい
たからだ。
 その実力は、決戦から四年経った今でも、全く色褪せていない。
 誠は、はっと、自分の体を見た。
 大きな一撃だけでなく、体のいたる所に、打たれた後を見つけたからだ。
 いつの間に打ったのか、誠には全く分からなかった。

「落ち着きがないな。昔よりも、さらに荒れた剣だ」

 武は、まだ綺麗な誠の竹光を見て言う。
 このような試合で、全く汚れてもいない竹光は、彼等にとっては恥だった。
 相手に効果的な打ち込みを全くできていない、という事だから。
 対称的に、武の竹光は、所々ささくれ立ち、友好的な打撃があった事を証明していた。

「……俺の剣が……荒れてる……?」
「そうだ。昨日の、綱との一戦を見た時も思ったんだが、君は戦う時に、まるで自分の心
 すら捨て去ったような、無我夢中の戦い方をする。戦うという事は、生き残る事だ。だ
 が、君は、その生きる事すら忘れてしまったかのようだ。」
「……そんな事は……」
「ない、と言うんだろう?……だが、君の剣には、心がない。戦う理由すらも見つけられ
 ず、ただ無機質に剣を振り出している。誠君、君は、一体何のために戦っている」
「……俺は……」

 なんのために……?

 誠は答えられなくなった。自分は、何故、鬼と戦うのか……。
 今までそんな事など、考えた事もなかった。

「幕末の……岡田以蔵を知ってるかな」
「人斬り以蔵、ですね」
「うん、彼は、幕末に、土佐勤王党の竹市半平太に気に入られ、彼の言うまま何人もの人
 間を殺した。彼に思想はない。竹市が斬れ、と言えば斬る。そんな以蔵と立ち会った、
 鏡新明智流の桃井春蔵が言ったんだ。『力ばかりではだめだ。お前の剣には心がない。
 心が空だ』……とね」
「……」
「戦う事の意味を、自分の意志で見いだせない人間は、いずれ命を失う……。俺が、今ま
 で戦ってきて学んだ真実だ」
「……俺……が……?」
「誠君。君の剣に、『心』はあるか」

 誠は、何も言えなくなった。
 鬼が出たから退治してこい。
 そう言われて、誠は何も考えずに鬼を殺してきた。自分は器使いだから。
 だが、そんな自分は、人斬り以蔵とどこが違うのだろう。
 誠は、美姫や酒呑を思い出した。
 にこやかに自分を迎えてくれた……鬼。
 もし、彼等のような者達と戦う時、自分は一体、何を考え、何のために刀を振るうのだ
ろう。
 誠は、そこではっとした。鬼切役と袂を分かった新選組。彼等は、鬼切役の考えに賛同
できなかった。
 それは、今、武が言ったそのままの事を、彼等に問うたからではないか。
 鬼を殺す。それ以外に何がある。そう答える彼等、新選組。
 誠は、そんな新選組と同じなのか。なら、沖田総司が自分をスカウトに来た理由も、今
なら分かるような気がする……だが。
 そんな自分は、未だ、富士決戦で、仲間が何故死んだのかさえ、しっかりと思い出せず
にいた。
 ……自分が初めて好きになった少女の最期さえも……。
 心にできたもやもやを振り払えないまま、誠は竹光を鞘に戻して、同じように正面に立
った武と一緒に一礼した。
 自分は、天水村での一件が解決した時に、その答を見いだせているのか。
 誠の心は、春の清々しい風とは対称的に、今にも夕立ちが振りそうな、暗雲に包まれた
かのようだった。

「せっかくだから、この場で言っておこう。……鷲王を、知っているね?」
「……はい」

 誠は、咲耶を助け出した時に現れた、赤い長髪の鬼を思い出した。
 あの男は、確かに自分を鷲王だと名乗った。

「……彼は、人間だ。君や俺と同じ、赤い血も、涙も流れる人間だ」
「……な……」
「鷲王は人間だ。……彼の心は、まるで永久凍土のように凍りついている。おそらくは、
 過去に想像を絶する何かを経験したのだろう」
「……そんな……何故、人間が、鬼の仲間に……」
「誠君、君は、いずれ、彼と対峙する事になるだろう。同じ、夢想神伝流を使う剣士とし
 て。」
「……」
「誠君。剣の使い手が……それも、一流の人間が使う剣術で、最期に拠り所になるものは、
 技でも、体力でもない。……心だ。何者にも変える事のできない、確固たる信念……
 『心』だ」
「こころ……」
「そうだ。鷲王は、夢想神伝流における奥義の一つを習得している。これは、一般の人間
 には、決して伝わらない、本物の鬼殺しの神技だ。鷲王と互角に立ち会える君自身の
 『心』。これを見つけない限り、君は鷲王には……絶対にに勝てない」
「……」

 君の剣に「心」はあるか。
 誠は、その武の言葉を、自分の中で反芻した。だが、そんなに簡単に答は生まれない。
 誠の心には、なにかもやが立ちこめたような気がした。

「誠君、そろそろ、みんな起き上がって来る頃だろう。汗を流したら、朝飯の手伝いにで
 もいこう。……腹が減っては戦はできぬ、だ」
「……あ、はい……そうですね」

 にこやかにそう言ってくれた武の態度が、少しだけ自分のもやもやを払ってくれたよう
な気がして、誠は、少しだけ、気分が軽くなった。

「……ん、終ったか……」

 美姫は、さっさ、と境内の周りの石畳を掃き清めながら、道場のある方を見つめた。
 美姫の周りには、何故か、小鳥達が恐れもせずに、美姫の肩や竹ほうきの先にとまった
りしていた。

「今は悩むといい。悩みながら、答を出していけばいい。昔は、皆が君と同じだった。頼
 光四天王も、私も……そして、武も」

 美姫は、優しく、ふっ、と微笑むと、母屋の方へと向かっていった。
 春風は、心地よく吹いている。空は、今までにもまして美しく映え渡っていた。


←『3』に戻る。 『5』に進む。→
↑小説のトップに戻る。