『5』


「ねえ、咲耶さん」
「なあに? 水波さん」
「なんで、そこにいるの??」
「さあ、何ででしょう?」
「ここ、誠の部屋、だよね」
「あら、そうみたいですわね。……まあ、いやだわ、誠さまったら、こんな大胆な」

 咲耶は、両手を赤く染めた頬にあてて、いやいやをする。

「……まこと、いないよ」
「あら、じゃあ、水波さん……」
「ん?」
「いやですわ、水波さん、殿方のお部屋で私に夜ばいをかけてくるなんて……」
「違うってばー。咲耶さんがここに一緒に寝てたんだよう」

 水波はぶんぶんと頭を横に振ると、頭の上の方でまとめたポニーテールがふりふりと揺
れる。

「あら、私達って、そんなに仲良しだったのね」
「は?」
「だって、無意識のうちにも、一緒にいようとしているんですもの」
「あの……」
「そうですわね、せっかく仲良しになったんですもの、一緒に寝るくらいなんて事ないで
 すわね」
「あ、いや、そうじゃなくて」

 一人納得して、うんうん頷く咲耶。

「ああ、誠さま、なんてお優しい。私達のために、わざわざお部屋を代わってくださるな
 んて」
「いや……違うと思うよ、わたし」
「……まだ朝も早い事ですし、もう少し寝ましょうか、一緒に」
「……」
「あら、遠慮なんてなさらなくても、よろしいんですのよ、ささ、こちらへ」

 一度ズれだすと止まらない咲耶。
 なんで自分が誠の部屋にいるのか、そんな事もすっかり自己解決して、納得顔で水波に
笑顔をふりまいている。
 水波は、どっと疲れた気がして、本当にまた寝たくなった。
 だが、もう朝日は空を明るく照らしている。それに、水波は一度起きると二度寝ができ
ない。

 水波は布団から起き上がり、う〜ん、と一つ伸びをすると、まだ寝ぼけているのかふら
ふらと廊下に出る。
 誠達の部屋は、障子の外側に廊下があり、その外側にガラス窓があり、その外が縁側、
という構造になっているので、朝日に照らされた庭土が、眩しく輝いていた。

「あら、もう起きますの?」
「……うん、牛乳飲んでくる……」

 咲耶の問いに、目をこしこしと擦りながら答える水波。
 と、そこに、薪を割る音が聞こえてきた。
 薪。
 この時代、薪の事を知る者など殆どいない。
 なにもかもが機械化されて、ガスコンロや電子ポットまでが人工頭脳を持つ時代だ。
 薪を割り、それを燃料とするなど、誰もめんどくさがってやらないだろう。
 だが、その音が、山中にある光基神社の周りに響いている。

「あら? 薪でも割っているのかしら?」
「マキ?」
「燃料にするために、適度に細く切り揃えた木の破片の事ですわ」
「ふ〜ん。でも、そんなのどうするんだろ?」
「燃やすんじゃないかしら。お風呂とか、お食事とか」
「電気じゃないの?」
「さあ、どうでしょう」

 二人とも、「マキ」に興味でもそそられたか、縁側から備え付けられたサンダルを履い
て庭に出、その音のする方向へと向かっていく。
 庭が、様々な木々の匂いがたちこめて、鼻を通る空気が心地良い。

 母屋を、山頂方向に向かって回りこんだ所で、赤い髪を後ろでまとめて薪を割っている、
少年のような鬼の姿があった。
 白い角が朝日に照らされて光っている。清々しげに、ふう、と額の汗を首にかけたタオ
ルで爽やかに拭う様が非常にシュールで、二人とも言葉を失ってしまう。

「……なにやってんの?」

 水波の言葉で、やっと二人の存在に気がついたのか、薪割りをしていた鬼は、

「げっ」

 と、その顔を引き攣らせた。

「お……おはようございます、お姉様がた」

 ぎくしゃくと頭を下げる鬼。その額に、清々しくない冷や汗が滲む。
 彼の名は、酒呑童子。平安の時代、京の都を恐怖に貶め、頼光四天王に退治された鬼と
同じ名を持つ、本物の鬼である。
 その名は本名では無くて別に名前があるかもと、水波はぼんやりと考えていた。
 人間側が区別したものでいえば、第二種の鬼、という事になる。
 人間と全く姿形が変わらず、ただ額に数本の角があるものをこう呼ぶ。
 水波と咲耶は、昨日出会ったこの鬼の事を、やっと思い出したようだ。

「あ、咲耶さんをオバハン呼ばわりしたやつだー」

 水波が、びっ、と人さし指で、酒呑童子を指差す。
 ぎくりとして、恐る恐る咲耶を見る酒呑童子。不敵ににやりと微笑む咲耶。
 もうしません、おねえさま。
 そう叫んだ昨日を思い出して、ずざざ、と、少し後ずさる。
 鬼とはいえ、精神的にはまだまだ少年の彼にとって、渡辺と一緒に自分をぼこぼこにた
水波や、自分をぐるぐる巻きにして高い木の上に突き刺した咲耶に対しては、どうしても
親しみよりも、用心の方が先にきてしまうようだ。

「大丈夫ですわよ、今日は何もしませんから」

 今日は、って何だ。
 何気に恐い事をさらりという咲耶を見てさらに冷や汗を流す酒呑童子。
 傍から見れば面白いが、本人にとっては、少し可哀相な組み合わせだ。

「ところで、何をされてますの?薪割りなんて、まさか今どきされてる方がいるなんて。
 それ、一体どうするんですの?」
「あ……ああ、これ、燃料なんだ」
「ねえねえ、ここって、電気とかじゃないの? 前に台所に行った時には、全部電気だっ
 たよ。人工頭脳もついてたし」
「ああ、この薪は、それらの生活をしない者が、修行の一貫として行っているんですよ。
 ある程度は自給自足で食べ物を揃えて、慎ましく生活する事を学ぶんです、はい」

ヤケに丁寧な姿が滑稽である。

「ふうん。じゃ、あんたは慎ましく暮らしてるの?」
「あ、いや、俺は手伝い……っていうか。撚光さんが、昨日の夜から何だか徹夜で調べも
 のをしているみたいで、代わりにやるって事になって」
「あら、撚光さま、自給自足なんですの?」
「……まあ、お客さんが来た場合は、そんな悠長な事は言っていられないんで、電気の方
 を使ってるみたいだけど、いつもは、かなり質素な生活をしてるよ。俺が言うのもなん
 だけど、よく続いてるな、って思ってるよ、ほんとに」
「ふうん」
「そうですの」

 なんだか、人間と鬼が話してるとは全く思えないような、生活感のありすぎる会話を平
然と行う三人。一人は居心地が悪そうだが。

「……あの……ところで……柊さんは……」

 愛想笑いで、きょろきょろと回りを見渡す酒呑童子。
 どうも、水波と咲耶を前にしては、落ち着けないようだ。
 助け舟の誠を探している、といった所だろう。

「さあ、多分、このお時間にいらっしゃらない、という事は、稽古にでもお出かけになら
 れたのかもしれませんわね」
「……道場かなにかあったっけ、ここ?」
「あ、ありますよ、道場。よかったら、案内するけど……」

 酒呑童子としては、水波と咲耶に挟まれるよりは、よほどまし、と考えたのか、薪をま
とめて積み上げて、辺りを片付けると、さっさと歩きだそうとした。
 と、その足に、何かがぶつかって、小さな悲鳴があがった。
 見ると、小さな猫耳の少女が、額を押さえてしりもちをついている。

「あれ、どうしたんだ? 水波に、咲耶さん。あ、それと……」

その後ろからは、誠が現れた。

「酒呑童子です、おはようございます!」

 何かの営業マンように顔をほころばせて、ささっ、と誠に近寄る酒呑童子。

「おっはよー、まこと」
「誠さま、おはようございます。……どうしたんですの、何か用事でも?」
「ああ、武さんに頼まれて、薪割りの手伝いを頼まれたんで、この子に案内してもらって
 いたんだ」

 お尻の砂を払いながら、猫耳少女、ななは、ぺこり、とお辞儀をした。
 身長が一メートルにも満たないので、ぬいぐるみのようでとても可愛らしい。
 まだ日本語は話せないらしいが、おはようございます、と言っているのは明らかだった。

「なな、言葉はまだ話せないんだけど、ある程度こっちの言っている事が分かるらしいん
 だ」

 そう言ってななを抱き上げる酒呑童子。
 ななのお尻のあたりから生えたふさふさの尻尾が、ふりふりと揺れる。

「さて、俺は何をすればいい?」

 そう問い掛ける誠だが、もう薪割りは終っている。
 酒呑童子が申し訳なさそうに頭を下げる。ななも、一緒に頭を下げる。
 誠も、それならば、と、今度は撚光に挨拶に行こうと、撚光の居場所を尋ねたが、撚光
は徹夜で仕事中、と聞かされて、それも断念する。

「なんか、やる事もないみたいだね、まこと。私と咲耶さんは、これから着替えて朝のお
 風呂だから。……覗きたいなら、先に言ってね、まこと」
「誰が覗くか。っていうか、覗きを奨励するな」
「あ、ひっどーい。まことならいいって思ってたのになー」
「ええい、冗談はいいから、さっさと言ってこい」
「はーい。……そうだ、ななちゃんも、一緒にお風呂はいろ♪」

 頷いて水波と歩き出すなな。
 咲耶も微笑みながらその場を後にする。
 そして、そこには、酒呑童子と誠の二人だけが残された。

 自分の隣に鬼がいる。
 今まで、鬼と並んで立って、ここまで落ち着いた雰囲気になった事は、誠にはなかった。
 鬼。
 その存在について、少しずつではあるが、誠は考えや価値観を変えてきている。誠にと
って、鬼とは、また謎の多いものになってしまった。
 ここで誠は、ふと、酒呑童子に聞いてみたい事ができた。

「いつから、こっちに?」

 その言葉は、誠の口から、自然にこぼれ落ちた。
 酒呑童子は、その誠の言葉に、少しだけ、悲しそうに微笑んだ。

「……やっぱり、向こうにいた、って、思うよなあ……」
「……それは、いったい……」

 酒呑童子は、薪割りの斧を片づけながら話を続けた。

「俺、生きてきた殆どを、こっちの世界で過ごしてるんだ」
「え……」
「……俺、昔は、自分を人間だと思ってた。……だけど、成長するにつれて、どんどん力
 が強くなって、奇妙な力が生まれてきて。……そして、額から……角が生えてきた。両
 親が俺を友達から避け始めたのは、確か小学生低学年だったと思うけど……。俺はただ
 ちょっといたずらっぽく、突いただけなのに……友達が…………大怪我したんだ」
「普通に、学校にも行っていたんだな……」
「鬼の存在が認知され始めた時だった事もあって、かなりいじめらた。でも、俺は友達を
 傷つけたくはなかった。俺は、みんなと仲良く暮らしたいだけなのに、角があるだけで、
 誰も俺とは仲良くしてくれなかった。……小さいながらに、死んだら楽になれるかな、
 なんて、本気で考えて……」

 重い斧を片手で軽々と持ち上げ、物置きへと向かう。
 そして斧をしまった物置きの扉を閉め、酒呑童子は誠に向かって、また悲しそうに微笑
む。

「……でも、死ねなかった。すぐに直ってしまうんだ。……傷が。その時、ああ、自分は
 人間じゃないんだな、って思った。それを隠してた親を憎んだりもして。自分の親は、
 角が全く生えていなかったんだよ。でも、第一種の鬼同士からは、第二種が生まれる可
 能性がある事を知らされて……」

 まさか、こんな鬼がいるとは。しかも、彼の話によると、彼の親は、二人とも鬼で、人
間の実生活にしっかりと溶け込んでいた事になる。
 誠は、少し衝撃を受けていた。

「学校もやめて、勉強は独学でして……そして、俺は、鬼を倒そうと思った。自分が、ど
 んな姿でも、俺は人間でいたかったから……。鬼を倒す術を人間は持っていないけど、
 俺なら……って。……人前では、『こっちの料理が好き』なんて、嘘ついてるけどね。
 その方が、嫌な事を説明しなくてもすむし」
「辛くはなかったか? 君にとっては鬼を倒す事は、気持ちの整理も必要だと思うけど」
「……もし、武さんと美姫さんに拾ってもらえてなかったら、自分と同じような鬼が出て
 きたら、もしかしたら戦えなかったかもしれない」
「あの二人に?」
「あの二人を見た時、思ったんだ。……ああ、こんな関係もあるんだ、って。その時、少
 しだけ、心が晴れたような気がした。自分も、こっちで、人間として生きていけるかも
 しれない……って。それから、俺は、あの二人に付いていって、戦った。で、今、こう
 して……ちゃんと生きてる」

 誠は、ただ、酒呑童子の言葉を、静かに聞いていた。
 後、誠は、天水村での一件が、自分を変えた、と語る。それだけの心の変化を、彼等、
武や美姫、酒呑童子はもたらしたのだ。
 人の幸せ、とは何なのか。誠はふと思った。
 鬼でありながら、人である事に幸せを掴もうとする酒呑童子。
 人間でありながら、人であるよりも鬼である事を選んだ鷲王。
 人は、鬼と出会ってしまった。
 宇宙人と出会うよりも先に、この世界とは全く違う別世界の存在に出会ってしまった。
 人は、どこへ向かうのだろう。その行き先には、鬼と呼ばれる者達もいるのか。
 様々な存在がある。様々な価値観がある。
 その中で、鬼と戦いながら、人は、いつ本物の幸せを見つけられるのだろうか。

 その答は、誠だけではなく、生きている存在全てが見いだせていない。
 人が文明を持ち、宇宙へ飛び立っても、人はその心に、本当の幸せをまだ見いだせずに
いた。


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 赤い髪の男が、薄暗い森の中にいる。夜は明けても、木々に囲まれたその場所は、日が
差すには、まだ早いようだ。
 その姿はすらりとした長身であり、燃えるような赤い髪の毛は、腰にかかるかというく
らいに長い。
 その腰には、まるで誠の刀を模したかと疑うような、そっくりな刀を佩いていた。
 剣士、というには、まるで似つかわしく無い暗い眼光をその目に備えたその男は、その
唇をぐっと結びながら、光基神社の方角を凝視した。

「柊……誠。お前は、憎しみと怒りで、器が持つ『真の力』を引き出した。器が、お前の
 心に感応し、その本来の姿に戻り、『存在』をこちらに呼び戻した。その力、まさに俺
 と同じものだ……。怒りと、激しい憎悪の力。お前の力は、鬼の群れの中で……俺の元
 でこそ輝く。だが、もし俺と共に歩む意志がないというのであれば」

 まるで音もなく、腰より一瞬にして抜き出された刀は、まるで風を斬る音もなく、す、
す、と、二度、その男によって、左右斜め上から振り降ろされた。
 その直後、凄まじい音とともに、男の周りにある直径2メートルはあろうかという巨木
数本が、鋭利な切り口を残して倒れた。
 いきなりの大きな音に驚いた鳥が、悲鳴のような鳴き声をあげて空に舞う。
 倒された木々には陰陽の札が貼られており、それが一瞬で蒸発する。

「……柊 誠。お前は、何のために戦う。その剣に、心はあるか。心が無いのであれば、
 その場で斬る。もし、心があっても、それが俺と合い入れぬものであるなら同じく斬る。
 ……この……鷲王がな」

 ひょう、と、空気を切り裂く音を奏でさせて、血振りを行うと、鷲王はその刀を鞘に納
めた。

 朝日が、鷲王を照らす。
 その瞳は、何者をも凍らせるような、禍々しい憎しみの光で包まれていた。


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