『8』


 陽は、一生と正面から対峙する。
 先ほどまでの朝食の穏やかさなど、何処吹く風である。

「一体、俺に何をやらせようってんだ。人殺しや破壊工作を俺が請け負うと思うなよ。
 伊達に自衛官やってた訳じゃないんだぜ」
「あと少しで左官だったな。その若さで大したものだ」
「……左官なんて、俺の趣味じゃないがな。仕事をこなしただけさ。結果論だ」
「さすがはティル・ナ・ノグの開発した機体だったな。ナノマシンの力を借りなければ
 ならないとはいえ、お前は鬼退治で、素晴しい成果をあげてきた」
「今じゃ、それもポンコツだ。もう動かねえよ」
「いや、お前は動かせる。お前がインヴァイダーという異名を裏世界で囁かれている事
 は、私も知っているぞ」
「……ふん」
「その力を使って、お前にやってほしい事……それは……」

                   $

 陽は、その内容に目を見張った。

「……まあ、そう来るだろうとは思ってたけどよ……」
「陽、もう一度だけ確認しておくぞ。奈々美の自由はこの私が握っている。私がキーワ
 ードを言えば、奈々美は自ら命を断つ事も惜しまぬだろう」
「……あんたは最低な男だよ。そこまでして目的を達したいのか。命ってもんがどれだ
 け重いか、あんた分かっていないだろ」
「……命の尊さ……か。人……いや、生き物など、時が来れば死ぬ。……それが、遅い
 か早いか……ただそれだけだ。尊いも卑しいもない」
「本当にそう思ってんのか? 仮にも人の親であるあんたが。たとえ、生き物がいずれ
 死ぬ運命にあるとしても、その生殺与奪の権利を、あんたが持つのは間違ってる」
「陽、お前と今価値観の違いについて議論しようとは思わん。今のお前に必要なのは、
 現実を見る事だ」
「……ちっ」

 陽は、不機嫌そうに、一生から目を背けた。
 一生の言う通り、今の陽には、何ら抗う術はないのだ。
 戦闘中はすさまじく働くその頭脳でも、今は何を考えても不利な状況思い浮かばなか
った。
 ……そもそも、のこのこと奈々美に付いていった自分にも責任があるのだから。

                   $

『ねー、どうしたのー、陽』
「…………」
『もしもーし』
「何でもねえよ」
『顔色が悪いよ。ついでに性格もねー。きゃはは』
「喧嘩売ってんのかお前は。俺はいつでもどこでも、絶好調だ」
『眉間に皺寄ってるよ』
「……うるせえな」
『だって退屈なんだもーーん』
「うるさいな、お前は。今お前がちょろちょろ出て来るとやっかいなんだよ。もう少し
 静かにしてろって」
『なにそれー。ノケモノ? ひどーい』
「しょうがねえだろ。今の俺にとって、武器になれそうなのはお前だけなんだから。あ
 のクソオヤジもお前にはまだ気がついていない。見つかる前に、エイリアス切っとけ」
『ぶーぶー。つまんないつまんないつまんないーー』
「がたがた言うな。切るぞ」
『あ、名無しのゴンベーってあるよねー。あれって、『名無し』なクセに、ゴンベーっ
 て名前があるんだよ。きゃははは、面白ーい』
「……お前ドコで、そんなくだらん事を覚えてくるんだ?……」
『あれ?面白くなかったかなぁ。それとも、聞く耳もたない? あ、ちなみに私は猫み
 み大好きー。きゃー……』

ぶちっ。

「相変わらず煩過ぎる奴だな、全く」

 そうやって、ポケットの中に手を突っ込んで、眉間に皺を寄せたまま『何か』のスイ
ッチを切った陽は、とりあえず一生の家、と思わしきその建物を散策し始めた。
 ある程度の自由が、今の彼には許されたのだ。それは、陽に考慮の時間を一生が与え
たからだが、その時間も、拷問のように陽には感じられる。

 さて、その散策している家は、広い山中にぽつんとある一軒家のようだった。
 外見はなかなかの邸宅に見え、廊下に面した壁には大きなガラス窓があり、外の光り
を十分に屋内に注ぎこんでいる。
 だが、その壁は数十ミリの鉄板が幾重にも張り重ねられ、光りを取り入れるガラスは
分厚い防弾ガラスであった。
 陽にあてがわれた部屋は、この廊下ぞいにある一室で、もちろん、そこにはアンチナ
ノマシンの極小機械がうようよしている。
 ナノマシンが封じられている陽にとって、ここは鉄壁の要塞に感じられた。
 ……そんな廊下の角で、何かが立て続けに割れる音がする。
 興味を覚えた陽は、その方角に向かって、小走りに駆けていく。
 そして、そこにいた者の背中を見て、少しだけ陽は驚いた。

「……こ……この人形風情が! よくもまあ、ワシの前にぬけぬけと現われる事ができ
 たな!」
「芹沢さん、ここは落ち着いて。一生先生に見つかってしまいます」
「うるさいぞ新見! この人形が失敗しなければ、ワシはこんな所にこそこそせずに済
 んだのだ!」

(あれは……確か……芹沢 鴨に、新見 錦か。何でヤツらがここにいるんだ?)

 芹沢は鼻息荒く、目の前の小さな少女に睨みをきかせていた。
 だが、目の前の少女は、まるで臆する事もなく、手に食器を抱えたままで、ぼけっと
芹沢を見ている。
 少女の足元には、割れた食器が散乱していた。

(奈々美?)

「ふん……お前が、ワシの前に跪いて謝り、一日ワシの相手をするなら、考えてやらん
 でもないぞ……人形でも、楽しませる術くらいは心得ておろうて」

 そう言って、芹沢は、ネグリジェのままの奈々美を、嫌らしい目つきで嘗めるように
見回す。
 奈々美は、目の前にいるのがまるで人形であるかのように、いつもの調子で喋り始め
る。

「私はあなたの下僕じゃない。それにあなたの命令に従う義務もない。私は、お父さん
 の指示に従っただけ。あなたは関係ない」
「……き……貴様!! ……この人形が!!!」

 芹沢の、鉄の扇子を持った手が奈々美に振り降ろされる。
 だが、いつの間にか鉄の扇子は芹沢の手の中から消え去った。
 芹沢の手は奈々美の顔の手前で、「スカッ」という音が見事に似合いそうなほど滑稽
に振り降ろされ、芹沢はつんのめって前に倒れた。
 そして、

「ぶべべべ!」

 勢いのまま、奈々美の横を変な声を出しながら、顔面で滑って通り過ぎていく。

「何やってんだ。女の子に手ぇ上げんなよ」

 その声は、陽から発せられたものだった。
 鉄の扇子を、手の平で、ぽんぽんと持ち上げて遊んでいる。
 無様に顔から床に突っ込んだ芹沢は、顔面に青すじをたてて、顎の贅肉と一緒に、四
つん這いの体をぶるぶると震わせた。

「き……貴様ぁっ」
「お、やるか? 豚肉星人」

 鉄の扇子を、いとも簡単にばさっ、と開き、ぱたぱたと扇ぎながら芹沢を挑発する陽。

「お前! それは芹沢さんのものだ! 返せ!」

 新見が、陽に手を伸ばしてくる。
 だが、陽はそれを軽く掴んで引っぱり、その足を蹴り上げると、新見の体が飛んだ。
 相手の勢いを逆に利用する、合気道の要領だ。

「うおぉぉぉっ」
「ぐはぁっ! に……新見! は……早くどかんかぁっ!!」

 新見にのしかかられた芹沢が苦しそうにもがく。

「見苦しいヤツらだな、全く。……おい、奈々美。何やってんだ、こんな所で」
「……食器片付けてたの」
「どこまで持っていくんだ? ……ほら、貸せ」
「……うん」
「割れたやつは、あの重なってるバカに片づけさせよう。さ、行くぞ、奈々美」
「……うん」
「ちょおっっと待てええっ!!」

 新見を押し退けた芹沢が、ぎらついた目で、二人を睨みつけている。
 まるで、獰猛なノラ犬のようだ。

「貴様ら……このワシを何だと思っている! このままで済むと思うなよ!」

 陽は、鉄の扇に刻まれた、『尽忠報国士 芹沢鴨』という文字を見て、心の底からげ
っそりした。
 よろよろと立ち上がった新見を一睨みし、芹沢が、腰にぶらさげた刀を、すらりと抜
いた。
 日本刀特有の鋼の輝きが映える。その刃紋は、凄まじく殺気に満ちているように感じ
られた。

「器使いをなめるなよ、小僧……ん? いや……待て。貴様、どこかで見たような……」

 そう言って、上段に刀を構えた芹沢。
 陽は、それをうっとおしそうに見ながら、手に持った扇をぶらぶらと弄ぶ。
 そして芹沢が勢い良く一歩踏み出したその時、陽は手に持っていた扇子を、閉じたま
ま手首を効かせて芹沢に投げつけた。
 凄まじい勢いで、鉄の扇子が飛び……

 すこーん!

 非常にいい音がした。
 刀を上段に構えたまま、芹沢の顔が後ろにのけ反る。

「ごへっ!」
「せ……芹沢さん!」

 新見が駆けよった時には、芹沢は額にコブを作り、白目をむいて痙攣していた。

「アホ決定だなこいつ。さあ、行くぞ」
「……うん」

 後ろで新見が慌てて何か叫んでいたが、陽には他に考える所があって、その声は聞こ
えていなかった。
 それは、一生から出された、奈々美を自由にするための条件……。

『鬼切役を倒し、咲耶を奪え』

 それは、詰まる所、誠や水波と戦え、という事だ。
 彼等とは、ほんの数日話をしただけの、ただの知り合いでしかない。
 しかし、その二日の間であっても、陽にとっては立派な『友人』として存在していた。
 しかも……咲耶は自分の血の繋がった姉だという。
 自分の姉を、自分で苦しめて、それで嬉しいはずなどない。

「くそ。二度も人攫いの依頼なんぞしてきやがって」

 生真面目な誠や、明るい水波の話声を思い出す度に、陽の心には、黒いもやがかかっ
ていくような気がした。

「そういや、お別れの挨拶もせずに分かれてきちまったな」
「お別れ?」
「ああ、最近知り合った友人……でな……」
「……ふうん。 ……友人って、何?」
「…そりゃ、お前。気さくに何でも打ち明けて話ができるヤツらの事さ。」
「……何でも?」
「……ああ、何でもだ」
「……じゃあ、私は、まだ陽の友人じゃない」
「……何だって?」

食器を運びながら、奈々美は、少しだけ視線を下げた。

「私は、気さくに話ができない。……私は……お父さんの道具だから」
「……関係ねえよ。お前はお前だ」
「……私は……わたし……?」
「そうだ。お前はお前だ。お前、自分の意志で歩いてるだろう? 自分の意志で考えて
 るだろう? お前には、ちゃんと『お前自身』が存在してるんだ。誰かに言われたま
 ま動くロボットなんかじゃねえよ」
「……でも、私は、お父さんの命令があると、自分じゃいられなくなるから……だから
 ……人間じゃないの……」

(小せえ体だな……)

 少し俯きかげんに歩く奈々美を見て、陽は素直にそう思った。
 こんな少女が、一生の命令で自分の意志をなくされて、陽を……人を殺す寸前までの
事をやらされたのだ。

 ……ごめんね。

 そう陽に呟いた奈々美の声は、とても寂しそうで、空しそうで、陽にはたまらないも
のがあった。

「それでも……俺にとっちゃあ、お前は人間だ。そして、もう友人だ。誠や、水波ちゃ
 んとおんなじ……な」
「……うん……」

 陽は奈々美の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 その時、少しだけ、奈々美の口元が弛んだ……ような気がした。
 陽がはたと気がついた時には、その口元は、再びきつく閉じられたままだったが。

自由にしてやりたい。だが……そのためには……

 食器を戻した陽は、芹沢の事を考え、自分の部屋に奈々美を向かわせる。
 そしてリビングに向かい、そこで寛いでいる一生と正面から向き合う。

「……どうだね。少しはやってくれる気になったかね」
「一つだけ約束しろ」
「……ああ、いいだろう。息子の頼みだ」
「俺が誠と戦う。だから、必ず奈々美を自由にしろ。マインド・コントロールも完全に
 外せ」
「……柊さんと戦う……か。それは本気かね」
「ああ」
「……ふむ、いい目だな。私は、良い息子をもったよ。……いいだろう、お前の要望を
 受け入れよう。だが、その代わりに……」
「ああ、分かっている。柊 誠は……」

 そこで、少し陽の声が震える。
 そして、自分に決意させるがごとく、言葉を絞り出した。

「鬼切り・柊 誠は…………この俺が倒す」


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